2026年7月29日 (水)

自然災害が頻発するアフガニスタンで住民による用水路復旧を支援:東部クナール県

ジェンは20267月現在、アフガニスタン東部クナール県で、洪水被害を受けた村落の支援を行っています。洪水災害は地震などと比べると人的被害が少なく、国際社会から注目されにくい側面があります。しかし、人命に直接被害が及ばなくても、生計の中心である農業に深刻な打撃を与え、飢饉などの大規模な人道危機につながります。ジェンは、繰り返される洪水で破損した灌漑用水路の復旧を中心に、災害に強いコミュニティづくりに取り組んでいます。

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灌漑用水路の擁壁建設に従事する住民たち(20267月、クナール県ナラン地区)

 

「自然災害」が新たな脅威に

アフガニスタンでは2021年の政変で大規模な戦闘が終息した一方、近年は洪水や干ばつ、地震などの自然災害が人びとを苦しめています。国連によると、2026年に人道支援を必要とする人は推定2,190万人(人口の約45%)で、紛争地を除くと世界で最も高い水準です。国際移住機関(IOM)の2025年の報告でも、国内避難民の約8割は自然災害に起因するものでした。防災インフラが不十分な上、人口の7割以上が農業など気候に左右される生計に依存しているため、アフガニスタンは温室効果ガスをほとんど排出していないにもかかわらず、気候変動の影響に対して世界で最も脆弱な国のひとつとされています。

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クナール県での洪水被害を伝えるニュース記事(2026627日付、https://en.didpress.com/33095/

 

洪水と地震による複合災害

なかでも洪水は、毎年のように全土を襲う慢性的な災害です。たとえ人命に被害が及ばなくても、耕作した農地が荒れたり、作物や家畜が流されたり、灌漑施設が壊されたりと、生計に甚大な被害が及びます。ジェンが活動する東部クナール県では、2024年に各地で洪水が発生し、17万人以上が被災、2万戸を超える住居のほか、農地、灌漑設備、医療施設、学校などが破壊されました。

その後も洪水が頻発するなか、2025831日にはマグニチュード6.0の大地震が直撃。2,200人以上が亡くなり、1998年以来、同国で最悪の自然災害となりました。直前の洪水で水を含んで緩んだ地盤を揺れが襲ったことが、被害をいっそう拡大させたとも指摘されています。

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住民向けの防災研修を行うプロジェクト職員(20267月、クナール県ナラン地区)

 

農業の復旧を支援

ジェンは同県ナラン地区で、洪水で被災した人びと自身による、壊れた12kmの灌漑用水路の修復と洪水を防ぐ150mの擁壁の建設を支援しています。工事に従事した約330世帯には対価として1か月分の食糧を給付し、働くことが難しい、女性・障がい者・子どもが世帯主の約220世帯には、条件を設けずに食糧を配付しています。

灌漑用水路が直れば、再び農業ができます。あわせて洪水や地震への防災研修も実施し、災害と共に生きる力をコミュニティに根づかせています。

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堆積した土砂を取り除いた水路(20267月、クナール県ナラン地区)

 

※この事業は、皆様からの寄付金に加え、ジャパンプラットフォームの助成を受けて実施しています。

7月 29, 2026 支援物資配布生計回復事業防災教育 |

2026年5月21日 (木)

「帰還」とは何なのか――アフガンの「故郷」へ戻った人びとの実情

アフガニスタンには今日、日本ではほとんど知られていない「帰還民」と呼ばれる人たちが大勢います。「帰還」という言葉から「故郷に帰る」といった良い響きを感じる方もいるかもしれません。

しかし、実情は大きくかけ離れています。限られた準備期間で何十年も住んできた土地を追われた人、一度も暮らしたことのない「故郷」に戻された人、言葉も通じない新たな環境で戸惑う人たちが、大勢います。
ジェンが支援した帰還民の暮らしから、「帰還」という言葉の重みを考えます。

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ジェンの支援を受けて裁縫事業を始めた帰還民の女性(202511月)


過去にない規模の帰還――そもそも「帰還民」とは

1970年代以降、40年以上にわたり内戦や紛争に直面してきたアフガニスタンでは、その間、多くの人びとが隣国のパキスタンやイランに逃れました。避難先で2世代、3世代にわたり生活を築いてきた人たちも少なくありません。

そうした中、パキスタン政府は20239月、「不法滞在外国人帰還計画」を開始し、国内の「不法滞在外国人」に母国への帰還を促しました。この政策を受け、20264月までに同国からアフガニスタンに帰還した人は228万人に上ります。同様に、イランからも大量の人が帰還しています。

パキスタンは1979年の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻以来、40年以上にわたり数百万人規模のアフガニスタン難民を受け入れてきた、世界有数の難民受入国です。
経済的にも社会的にも大きな負担を背負い続けてきた事実があり、帰還政策の背景には自国の安全保障や経済への懸念があるとも指摘されています。

一方で、長期にわたりパキスタン社会に根を下ろして暮らしてきた人びとが、十分な準備のないまま帰還を迫られ、人道的に深刻な状況を生み出しています。

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パキスタンからアフガニスタンへの帰還者人数推移(月別 ・ 20239月〜20264月)

UNHCR-IOM FLASH UPDATE #92 をもとに作成

 

「帰った先」に、かつての暮らしはない

パキスタンから帰還した人の多くは、首都カブールや、国境を接するナンガルハル県に留まります。
ジェンが同県で支援する帰還民に話を聞くと、多くの人たちが、長年かけて築いた生活基盤をほぼ丸ごと失っています。仕事も家も人間関係も、パキスタンに置いてきたという人が大半です。

ザヒダさん(42)はパキスタンに30年暮らした後、帰還しました。「あちらでは平均的な生活でした。子どもたちは学校に通い、夫には商売があり、基本的なニーズは満たせていました」。しかし、帰還から7か月、慣れない土地で仕事を見つけるのに苦労し、家賃を払うことができず、「カブール・キャンプ」と呼ばれる帰還民キャンプに身を寄せています。42歳での再出発は肉体的にも容易ではありません。

レンガ職人だったティラ・モハマドさん(38)も、パキスタンから帰還した一人です。妻を亡くし、7人の子どもを一人で養う中、戻った先には仕事も商売もありませんでした。「ここに来てから、何の仕事も商売もない状態でした」と振り返ります。

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パキスタン国境付近で手続きを待つ帰還民の人たち(20258月)

 

知らない「祖国」へ帰還

帰還民の中には、自分の知らない土地に「帰された」人たちもいます。生まれも育ちもパキスタンで、アフガニスタンに記憶のない若い世代です。

ナビラさん(22)は「パキスタンで育ったので、ここに来たとき、人も土地も分かりませんでした」と話します。彼女は形式上、アフガニスタンのラグマン県の出身とされますが、彼女が知っているのはパキスタンの風景だけでした。

さらに極端な例もあります。ノリナさん(38)はパキスタン・ペシャワル生まれ。アフガニスタン人の夫に嫁いだことで、自分のルーツのない土地に「帰還」することになりました。子どもは8人、夫の靴修理の稼ぎは12040アフガニ(約50100円)。「一家の運命を夫が一人で背負っています。家族が大きいので、私が技術を身につけて支えなければなりません」と話します。


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ジェンの支援で行商を始めたティラさん(202512月)

 

自宅で稼ぐ力をジェンの生計支援

ジェンは2025年、上記の女性たちやティラさんを含む特に10世帯に、収入を得られる事業を始めるための備品を届けました。女性9名に縫製キット(ミシン、生地、はさみ等)、男性1名には販売用カートを支給し、事業計画・販売・記帳などの研修もあわせて実施しました。

ティラさんは支給されたカートで行商を始め、午前は自分が、学校から戻った息子が午後の店番を担い、二人で1600アフガニ(約900円)を稼げるようになりました。「これで息子が勉強を続けられる」と笑顔を見せます。

研修参加者の平均日収は約950アフガニに達し、近所の若い女性に技術を教え始めた人もいます。

ジェンはこれからも、帰還民など特に困難な状況に置かれた人たちに寄り添い、自立への一歩を共に歩む活動を行っていきます。

5月 21, 2026 |

2026年4月23日 (木)

「なぜ私はこの国にとどまるのか」―難民出身博士、ジェン・アフガニスタンスタッフの選択

アフガニスタンでは、長年にわたる紛争と混乱によって人材の国外流出が続いており、高い学位を持つ優秀な人ほど欧米へ移住するケースが少なくありません。

そんな中、経済学の博士号を持ち、2023年にジェンに入職したアタウッラー・ムニーブさんは現在、ジェン・アフガニスタン事務所のプログラムマネージャーとして、ナンガルハル県を拠点に活動しています。

「困難な状況にある人びとの役に立ちたい」と、母国にとどまり人道支援を続ける彼に、自身の半生を振り返っていただきました。

 
難民キャンプで生まれ育つ

私は1993年、パキスタンのペシャワール近郊にあるワラサック難民キャンプで生まれました。両親はもともとアフガニスタン・ナンガルハル県に暮らしていましたが、旧ソビエト連邦の侵攻をきっかけに、難民として国外へ逃れました。

28年間過ごした難民キャンプでの暮らしは、貧困や困難、先の見えない不安に満ちていました。しかし後から振り返れば、そんな厳しい環境で育ったことが、私の粘り強さを育んでくれたと思います。

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支援物資を検品するアタウッラーさん(左)

 

念願の博士号を取得

「教育こそが、尊厳と成功への唯一の道だ」

教師であった父は、いつもこう語り、私が医者になるか、博士号を取得する姿を夢見ていました。家族全員が私の教育を支えてくれ、私は難民キャンプ内で赤十字国際委員会が運営する高校に通い、首席で卒業しました。

その後、イスラマバードの国際イスラム大学で経済・金融学の学士課程に進み、2016年に首席で卒業、さらに同分野で修士課程に進みここでも首席を収めることができました。

2021年からは仕事をしながら、ペシャワール大学で経済学の博士課程を開始し、国際的な学術誌にパキスタンのマクロ経済やアフガニスタンの地域経済などに関する複数の論文を発表することもできました。

今、私は娘2人、息子2人の父親として、子供たちを学校やイスラム法学校、英語教室に通わせ、知識や自信を持って成長できるよう支えています。経済的な困難があっても、教育は常に最優先と考えています。

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修士課程を首席で修了し、父親に報告するアタウッラーさん(右、2018年)

 

人道支援の現場へ

アフガニスタンは昔も今も情勢が厳しく、多くの人びとが国を離れています。国を中心になって支える能力のある高学歴の人材ほど、自らチャンスをつかんで海外へ出ていきます。

しかし私は、この地にとどまることを選びました。人道支援の現場で働き続け、脆弱なコミュニティの人びとが自分の力で立てる日まで、ともに歩んでいく――それが私の使命だと考えたからです。

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水衛生に関する啓発セッションを行うアタウッラーさん(中央)

 

母国の人びとのために

現在はジェン・アフガニスタン事務所のプログラムマネージャーとして、ジェンとともに行う各事業を統括しています。

先日、支援した現場では、ある障がい者の男性が、「家族全員が寝込んで、食べるものもなく、支えてくれる人もいなかった。でもあなたが提供してくれたこの食糧が私たちの命を救い、飢えをなくしてくれた」と話してくれました。
こんなふうに、困っている人の役に立てる瞬間こそが、この仕事のやりがいです。

生まれ育った難民キャンプでの貧困や学びの日々――その経験が、今の私をつくっています。これからも、母国で苦境の中にいる人びとを支えていきます。

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支援物資の食糧を届けるアタウッラーさん(左)

4月 23, 2026 事務所・スタッフ |

2026年3月27日 (金)

人びとの力が合わさり、当初計画の約2倍、15kmの水路を修復できました――アフガニスタン・ナンガルハル県

ジェンは20253月から10月にかけて、アフガニスタン・ナンガルハル県バティコト地区で、洪水被災者を対象にした食糧支援・水路修復プロジェクトを実施しました。食糧の配布にとどまらず、住民が自らの手で地域インフラの復旧作業に参加する「フード・フォー・ワーク」と呼ばれる仕組みを取り入れ、緊急の食糧ニーズへの対応と、地域の長期的な自立・復興を目指しました。

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灌漑用水路を修復する住民の方々

 

最も支援が必要な人びとへ、2か月分の食糧を提供

バティコト地区では2024年夏季に大規模な洪水が発生し灌漑用水路が崩壊、地域の主要産業である農業が壊滅的な打撃を受け、食糧不足が深刻さを増していました。

事業ではまず、地域の住民代表や行政担当者と協力し、支援対象家庭を特定するための委員会を設置。妊娠中・授乳中の母親がいる世帯、女性・子ども・障がいのある方が世帯主の世帯など、最も支援が必要な人びとを特定しました。その上で、424世帯に小麦粉や豆類、油など2か月分の食糧を届けることができました。支援を受けた方からは「しばらく空腹を気にせず眠ることができます。その間に、子どもたちの健康をどう回復させるか考えたい」という声が届いています。

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食糧を受け取った女性

 

地元コミュニティが積極参加

事業では合わせて、「フード・フォー・ワーク」と呼ばれる、復興や地域整備の作業に参加した人びとに、賃金の代わりに食糧を提供する支援の仕組みも取り入れました。バティコト地区では雇用がほとんどなく、働く意欲のある健康な男性でも安定した職に就くことは容易ではありません。そのため、支援対象の半数は18歳以上で働ける男性がいる世帯を特定。食糧の配布と引き換えに、壊れた灌漑用水路の修復と将来の洪水を防ぐ防護壁建設に取り組みました。

地元コミュニティが砂や石などの資材を提供したり、ボランティアとして積極的に参加してくれたこともあり、この事業では、当初計画の8kmを大幅に超える15kmの水路を修復することができました。また、洪水を防ぐ防護壁も、計画の280mを上回る402m建設できました。その結果、農業用水が安定して届くようになり、洪水前の農業生産を取り戻す基盤が整いました。

また、特に熱心に作業に参加してくれた19人の男性が施工技術や工程管理の知識を習得し、将来の修繕や災害時の応急対応を担える人材に育ちました。これは当初の計画では想定していなかった成果でした。

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修復前の水路(上)と修復後の水路(下)

 

事業終了時のモニタリング調査では、食糧支援を受けた世帯の94%が「食糧の質と量が改善した」と回答。灌漑施設については95.6%の世帯が「自分たちで維持管理できる」と答えました。

アフガニスタンでは他の地域でも、自然災害などによって、多くの人びとが厳しい状況に置かれています。ジェンは現地の声に耳を傾けながら、必要な支援を届け続けています。皆さまのご支援が、こうした活動を支えています。

 

※本事業は、ジャパン・プラットフォームからの助成金や皆さまからのジェンへの寄付金により実施しました。

 

 

3月 27, 2026 |

2026年2月12日 (木)

アフガニスタンから、ジェンのロゴにビーズ刺繍が施された素敵なバナーが届きました!

26歳のシャミラさんは現在ジェンが実施している生計支援事業の参加者のひとりです。シャミラさんが手作りしたビーズ刺繍のジェンロゴバナーが先日事務所に届きました。

厳しい人道危機が続くアフガニスタンで、女性たちは移動や就労などにも制約があります。そのような状況下でも生活をしていけるよう、ジェンは自宅でも取り組める生計手段として、仕立てのためのミシンや道具を配布し、ビジネス研修を実施しています。

 

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ジェンスタッフのインタビューに答えるシャミラさん(右)

 

シャミラさんは、アフガニスタンから逃れ数年パキスタンで暮らしていましたが、アフガニスタンに帰還せざるをえなくなり、女性の就労や移動が制限されている状況下で、厳しい暮らしを送っていました。

現在は、ジェンの提供したミシンを用い、仕立ての仕事をしています。最近ジャララバード市内で流行し人気のあるデザインも取り入れるなど、意欲的に働くシャミラさん。女性がひとりで市場に出入りすることが許されていないなど、困難な状況は続いていますが、このバナーはシャミラさん自身の材料と技術を使って感謝を示してくださったものとのこと。

 

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シャミラさんのビーズ刺繍によるジェンロゴバナー

 

丁寧に刺繍された、キラキラと光るビーズが、シャミラさんが輝くセンスと素晴らしい腕の持ち主であることを物語っています。

ジェンは困難な状況にあるひとりでも多くの方が「自分で明日を選べる」ことを目指し、自立への一歩に寄り添い続けます。

 

 

2月 12, 2026 女性自立支援 |

2026年1月28日 (水)

食事をとれない日々を乗り越え、生き延びた家族――アフガニスタン帰還民支援

「過去にない規模」アフガニスタン帰還民の実情

 パキスタンで20239月に始まった「不法滞在外国人帰還計画」。同国に滞在するアフガニスタンの人びとを主な対象としたこの政策で、2511月末までに約180万人がアフガニスタンへ帰還しました。多くの人が十分な準備もないまま、長年住んだパキスタンの地を離れざるをえず、帰還先では住居・食料・医療など深刻な人道的課題が発生しています。

 ジェンは2024年2月からアフガニスタン国内で帰還民支援を続けており、昨年の夏には事業スタッフが、帰還民が集まるトルハム国境付近を視察しました。国連機関の報告やスタッフの現地視察をもとに、帰還民が置かれている実情を読み解きます。

 

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帰還民を対象にジェンが行った食糧支援(20258月、ジャララバード地区で)

「難民」も帰還を促す対象に

 パキスタンにアフガニスタン難民が流入したきっかけは、1979年の旧ソ連軍によるアフガン侵攻に遡ります。それ以降、今日に至るまで、アフガニスタン国内の情勢悪化とパキスタン政府による帰還政策の間で、難民の流入と帰還は何度も繰り返されてきました。ただし、今回の帰還政策は、過去にない規模と言われています。

 パキスタンに居住しているアフガニスタンの人びとの在留ステータスは大きく分けて三種類あります。「難民」としてパキスタン政府と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に公式登録されている「Proof of RegistrationPoR)」保持者、PoRを持たないがパキスタン政府から国内の一時滞在を認められていた「Afghan Citizen CardACC)」の保持者、そしてPoRACCの両方とも保持していない「Undocumented」の人たちです。

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いずれもアフガニスタンにルーツがあってもパキスタンで生まれ育った人も多く、こうした人びとは、パキスタン政府から見れば「外国人」ですが、実際にはパキスタン社会に馴染んで暮らしています。

 パキスタン政府が20239月に始めた帰還計画では当初、対象は最も立場の弱いUndocumentedの人たちと見られていました。しかし20254月にはACC保持者、さらに7月にPoR保持者も「有効期限が切れている」として、帰還対象とされました。UNHCRはこの措置に関し懸念を示しています。

 UNHCRと国際移住機関(IOM)の報告によると、20239月以降、パキスタンからアフガニスタンに自主的に帰還した約160万人のうち、Undocumentedは約120万人、ACC保持者は約9万人、PoR保持者は約36万人となっています。このほか約18万人が退去措置を受けています。イスラマバード市内にあるJENパキスタン事務所周辺でも、一昨年ごろまでは多くのアフガニスタンの人びとが居住し、商店などを経営していましたが、昨年に入り、ほとんどいなくなりました。

 

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トルハム国境近くに設置された帰還民キャンプ

帰還民の「国境越え」

 帰還政策が続く中、20258月、ジェンの事業スタッフがパキスタンからアフガニスタンへ陸路で入る機会がありました。パキスタン側の都市ペシャワールから約60キロ地点のトルハム国境近くの道路では、帰還民のものとみられる家財道具を積んだ大きなトラックが長い列をなして止まっており、越境手続きにはお年寄りや女性、子どもたちが、日陰もない中で何時間も待たされていました。一方、国境を越えたアフガニスタン側には、UNHCRなどが運営するキャンプがあり、簡易宿泊施設のほか、学校やクリニックなどが併設されていました。人びとはここで帰還民としての登録を済ませ、一時金を受け取って帰還先へと移動していきます。

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 パキスタンから帰還した人の多くは、アフガニスタン側の国境地帯であるナンガルハル県に留まっています。両国の国境を挟んだこの地域は、パシュトゥー語を話す人たちが多く、元々、パキスタンに避難していた人たちの大部分もこの地域出身の人たちだからです。一方、アフガニスタンの公用語であるダリ語はペルシャ語に近いことから、ダリ語を母語とするアフガニスタンの人びとには、イランに逃れた人が多くいます。

 

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25年4月にパキスタンから帰還したナジファさん(左から2人目)とご家族

「生きるだけで精一杯」帰還した家族を支援

 帰還民の中には、アフガニスタン側に親戚がいて、比較的スムーズに生活を再建できる人もいます。しかし多くは、パキスタンに家財道具や家畜、不動産などを残したまま、最低限の荷物だけで帰還し、住居や食料の確保にも苦労しています。またパキスタンの公用語であるウルドゥー語で生まれ育った若者や子どもたちの中には、アフガニスタンで使われるパシュトゥー語やダリ語を十分に話せない人も多く、帰還後の生計構築やコミュニティへの適応が一層困難になっています。

 ジェンは昨年8月、ナンガルハル県で帰還民のうち寡婦世帯や障がい者世帯など、特に困窮している1,024世帯を対象に食糧を配付しました。支援を受けたナジファさん(45)は、身体障がいのある息子を含む7人家族で、ACC保持者として約9年間パキスタン・パンジャーブ州で暮らしていましたが、帰還政策を受け254月に帰国しました。

 帰還後は、月額家賃1,000円程度の部屋を借りたものの、収入も貯蓄もなく、食事をとれない日が続きました。子ども3人が病気になっても病院に行けず、生き延びることも困難に思えました。そんな中でジェンから2月分の食糧を受け取ったナジファさんは、「しばらく空腹を気にせず眠ることができます。その間に、今後どうやって生きていくか、子どものたちの健康をどう回復させるか考えたい」と話していました。

 長い年月をパキスタン社会の中で懸命に生きてきた人びとが、帰還を強いられ、生き延びるだけでも必死な日々を送っています。ジェンは帰還民の状況を注視しながら、今後も必要な支援を届けていきます。

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パキスタンとアフガニスタンの国境近くに止まる、家財道具などを積載したトラック

※本事業は、ジャパン・プラットフォームからの助成金や皆さまからのジェンへの寄付金により実施しています。

1月 28, 2026 緊急支援 |

2025年12月 4日 (木)

『ご飯ができたら起こすね』――空腹の夜を越えるために――アフガニスタン帰還民への食糧支援

食料危機に直面するアフガニスタン帰還民

「毎晩、私は料理をするふりをしながら、『ご飯ができたら起こすから、寝ていなさい』と、子どもに嘘をついて寝かしつけていました。空腹のまま眠る子どもを見るのは、ほんとうに辛かったです」。パキスタンからの帰還を余儀なくされたアフガニスタン人の母親が、胸の内を語ってくれました。

2023年9月、パキスタン政府が「不法滞在外国人帰還計画」を発出して以降、2025年までに、100万人以上のアフガニスタンの人びとが、準備のないまま帰国を余儀なくされています。多くの家族はパキスタンで長年生活を築いていましたが、家財のほとんどを置き去りにし所持金もないまま国境を越えており、深刻な人道危機が発生しています。

ジェンは今夏、アフガニスタン東部の国境地帯で、こうした「帰還民」を対象に食糧や衛生物資の配布を行いました。

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緊急支援の食糧を受け取った女性(813日、ナンガルハル県べスード地区で)

 

深刻化する人道危機・ジェンが実施している食糧支援

UNHCRによると、20255月までにパキスタンからアフガニスタンに100万人以上が帰還。さらに年末までに60万人が移動すると見込まれています。イランからも約100万人がアフガニスタンへ帰国しており、アフガニスタン国内の経済・社会状況をさらに逼迫させ、帰還民の多くが貧困や飢餓などの人道的危機に直面しています。

ジェン2025年7月〜8月、パキスタンと国境を接するナンガルハル県の5地区で、食糧支援を行いました。帰還民の中でも女性が世帯主だったり、家族に障がいがあったりする、特に困難な状況に置かれた1,024世帯を対象としました。米や豆、油など2ヶ月分の食糧を配布し、現地では感染症の流行が著しいことから、石鹸を使った手洗いや浄水法に関する研修も行いました。

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女性を対象にした衛生啓発研修(813日、ナンガルハル県べスード地区で)

 

嘘を言って子どもたちを寝かしつけていました

「パキスタンでの生活は貧しく厳しいものでしたが、家族で支え合い、なんとかやっていけていました。今のように食べ物に困る日々が続くことはありませんでした」

2025年3月、4人の子どもとともにアフガニスタン・ナンガルハル県ベスード地区へ帰還したアジザさんは、パキスタン・パンジャーブ州での生活をこう振り返ります。

アジザさんたち一家は約15年前、極度の貧困や治安の悪化を避け、アフガニスタンを離れ、パキスタンで生活を築いてきました。がんで夫を亡くしたアジザさんは助産師として働き、子どもたちも路上で豆を売り、なんとか日々、食べていくことができました。

しかし、強制帰還ですべてが崩れました。彼女は、パキスタン政府が発行するAfghan Citizen Cardを保持しており、厳密には「不法滞在(Undocumented)」ではありませんでしたが、それでも家財道具を残し、支援も仕事もないまま帰還を余儀なくされました。アフガニスタンではほとんど仕事がなく、食べ物のない日々が続き、子どもたちは弱り、必要な栄養をとれない状態に陥りました。

「毎晩、私は料理をしているふりをして、『ご飯ができたら起こすから、寝ていなさい』と嘘を言って、子どもたちを寝かしつけました。私は他人の家で洗濯や皿洗い、料理などなんでもして、食べ物や少しのお金を得ていますが、それでも毎日の生活には到底足りません」

アジザさんのもとには8月、ジェンの食糧支援が届き、安定を取り戻し始めました。食糧があるうちに、一家は豆売りの屋台を購入し、12月現在、ナンガルハル県で小さな商売を始めています。

 

帰還民の方々の暮らしは厳しいですが、ジェンは今後もこうした人びとの暮らしの安定を支える活動を継続します。

また、帰還民の方々の状況を、引き続きお伝えしていきます。

 

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アジザさん(右から3人目)に話を聞くジェンスタッフ(左、1130日撮影)

  

※本事業は、ジャパン・プラットフォームからの助成金や皆さまからのジェンへの寄付金により実施しています。

12月 4, 2025 緊急支援 |

2025年9月25日 (木)

アフガニスタン東部地震被災者 グルミナさんのストーリー

ジェンは、831日(現地時間深夜)に起きた地震の被災地、クナール県で炊き出しを行っています。913日から炊き出しを開始し、924日時点で6,361人の方々に温かい食事をお配りしました。その中のひとり、グルミナさんの声を紹介します。

グルミナさん(34歳、クナール県ヌルガル地区):
グルミナさんは4人の子どもを育てるシングルマザーで、地震で夫と家を失いました。身近に頼れる家族もおらず、混み合ったテントの中で子どもたちの生活を支えるため、日々奮闘しています。

彼女はこう語ります。
「ジェンが届けてくれる温かい食事は、私たちにとって命綱です。私が料理できない時でも、子どもたちが栄養のある食事を食べられていると分かることで、安心することができます。」

特に、温かいカブリプラオ(アフガニスタンで食されている米料理)は、空腹を満たすだけでなく、不安定な状況の中で束の間の安らぎをもたらしてくれると強調しました。グルミナさんは、この支援が冬の間も続くことを強く望んでおり、厳しい環境下では料理が難しい状況であると訴えています。

現在被災地域は朝晩の寒暖差が激しく、10月から3月にかけては一層気温が下がり、降雪もあるとのこと。被災された方々が厳しい冬を乗り越え、希望を持つことができるよう、皆さまの温かいご支援を、どうかお願いいたします。

 

炊き出し支援の食事を囲んでいるグルミナさんの子どもたち

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▼アフガニスタン東部地震緊急支援はこちら

https://www.jen-npo.org/n/news/21446

9月 25, 2025 緊急支援 |

2025年9月10日 (水)

喪失と希望を背負って歩く少年

アフガニスタン東部、クナールの険しい山々で大きな地震がありました。この地震は、壊れた家や瓦礫の山だけでなく、人びとの暮らしや心にも深い傷を残しました。

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現地スタッフが撮った一枚の写真に、ある少年の姿が映っています。彼はただ山道を歩いているのではありません。背中には、少しの食料と残された持ち物。そして腕には、母を亡くした甥を抱えています。両親を地震で失った彼は、自分と甥の命を背負いながら歩いているのです。

8月31日23時47分(現地時間)、アフガニスタン東部ナンガルハル県(パキスタン国境付近)でマグニチュード6以上の地震が発生しました。 現時点で死者数は2,205人、負傷者は3,640人に上っています。 地震から6日後、ようやく村へ続く道が開き始めました。人びとは壊れた家や畑、大切な人の記憶を胸にしまいながら、安全な場所を目指しています。けれど、その道のりは険しく長いものです。この少年にとって、それは単なる避難の旅ではなく、「生き抜く力」と「家族への想い」と「重すぎる責任」を背負った旅になっています。

彼のような子どもは、決して例外ではありません。被災地の村の人びとでは、多くの家族が悲しみと不安を抱えて暮らしています。家や生きる手段を失っただけでなく、支えとなる大切な人までも失ってしまったのです。

それでも、希望は残されています。少年の勇気ある姿は、未来への小さな光です。そして私たちが力を合わせれば、その光をもっと大きくすることができます。

今、必要なのは避難所、食料、水、心のケアなどです。でも一番大切なのは「あなたは一人じゃない」というメッセージかもしれません。私たちの小さな支えが集まれば、大きな力となり、必ず彼らの背中を押すことができます。

クナールの山々に今は悲しみが響いています。でも、私たちの思いやりが集まれば、明日は「強さ」と「再生」の響きに変わるはずです。

どうか、アフガニスタンの子どもたちと家族が再び立ち上がれるよう、皆さまのご支援をお願いいたします。

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9月 10, 2025 緊急支援 |

2025年7月24日 (木)

20年支援が届かなかった村に、給水設備を建設

ジェンは202410月以降、アフガニスタン東部、ナンガルハル県にあるメムラ村で、深井戸と給水設備を整える活動を行いました。

この村は住民約2000人のうち、コレラ感染者が80人確認されるなど、劣悪な衛生環境に置かれていました。しかしその後、ジェンの活動により、すべての住民が安全な水にアクセスできるようになり、感染症予防の取り組みも進んでいます。

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村の給水所で、完成を喜ぶ女の子(2025年6月12 日撮影)


ジェンがこの村を訪れた2024年当初、村の失業率は3割を超え、平均収入は県の半分以下で、世帯主の約2割が夫を亡くした女性でした。
村には公衆トイレがなく、すべての家庭で屋外排せつが行われていました。
安全な水にアクセスできる家庭はなく、唯一の深井戸は村から2キロ以上離れており、村内の浅井戸9基のうち6基が枯れ、残る3基の水も安全とは言えませんでした。40人が急性水様性下痢を患い、80人のコレラ感染も確認されました。

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重機を投入して行った深井戸建設工事(2025年3月23日撮影)

ジェンの活動ではまず、安全な水を確保するために深井戸を1基掘削しました。さらに、太陽光発電で動くポンプで水を高台の貯水タンクへくみ上げ、そこから村内100か所の給水所へと配水する仕組みを整えました。

給水所は数世帯ごとに1か所設け、すべての家庭が自宅から200メートル以内で水にアクセスできる環境を整備しました。

これにより、水汲みにかかる時間や身体的負担が軽減され、また、水を媒介とする感染症の予防にもつながっています。

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女性向けの衛生啓発講習(2025年3月27日)

 
インフラ整備に加えて、衛生教育にも力を入れました。村の278世帯から、男女1人ずつ計574人が参加し、手洗いや飲用水の煮沸、感染症の基礎知識について学びました。
女性参加者には、女性の衛生プロモーターが研修を担当することで、安心して参加できるよう配慮しました。
研修参加者全員に石けんを配布し、手洗いの習慣が日常に根づくよう働きかけました。

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村内で調査を行うプロジェクトチームのメンバーら(202532日撮影)


水や衛生は、人びとの命と尊厳を守る基本です。ジェンは今後も、現地のパートナーや地域の人びとと協力しながら、生活環境を改善し、「水のある暮らし」「安心して生きられる地域」を取り戻すための支援を続けていきます。

皆さまのご支援とご関心に、心より感謝申し上げます。

※本事業は、ジャパン・プラットフォームからの助成金や皆さまからのジェンへの寄付金により実施しています。




7月 24, 2025 水衛生環境改善 |