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2010年9月10日 (金)

スタッフ紹介: アズマット・アリ

0907jen05_2  私は、祖父の所有する大きな建設会社でキャリアをスタートしました。しかし、その仕事があまり好きではなかったので、祖父が亡くなった後、すぐに辞めてしまいました。私は、幼いころから祖父に育てられたので、祖父はきっと成功した私の姿を見たかったことと思います。


 9.11のあと、すぐにゲストハウスの夜間受付として働き始めました。アフガニスタンの治安が非常に悪かった為、多くのNGOは隣国であるパキスタンに事務所を構え、遠隔操作をしていました。

 私は毎日、たくさんの外国人NGOスタッフに対応しました。彼らのマラソンのような、止まる事のない働きぶりに驚きました。それは私の知らない仕事で、日々私を感動させました。いつか、自分も
NGOの一員になりたい、と夢見るようになりました。

 パシュトゥン語は、アフガニスタンの公用語のひとつであり、私の母国語です。多くの
NGOは、パシュトゥン語と英語が話せるスタッフを探していました。そこで、私はある組織に応募し、合格しました。その時から人道支援のキャリアがスタートしました。これこそが私の求めていたものでした。

 その後、別の
NGOで2年勤めました。教師や役人、生徒たちの調整にあたり、とてもよい経験を蓄積しました。

 2005年10月、パキスタンを襲った巨大地震は、私の人生のなかで最悪の出来事です。実際に自分の目で惨事を見るのは、このときが初めてでした。地震から2日後、JENはパキスタンに入り、被災者の支援を始めました。JENのことは、友人である日本人の通訳から聞きました。緊急支援を専門にするJENは、当初、1ヶ月のプロジェクトを組み立てていました。私は面接を受け、カシミールを拠点にする現地スタッフになりました。

 その頃、日本とフランスから来たスタッフが、昼夜、被災者たちの為に働き、フィールドの経験が未熟な私は、彼らを懸命に手伝っていました。地震の被害状況が深刻だったため、JENは活動期間を延長しました。その際に、私は常勤のスタッフになりました。やがて、同僚から多くを学び、責任は日に日に増えていきました。

Img_6791_low  パキスタン事業4年目の2009年9月末、インドネシアのスマトラ島を巨大な地震が襲いました。私は、今度は、国際スタッフとして緊急支援を実施するミッションを与えられました。重大な責任を課されたのです。日本、そしてインドネシアの仲間たちの協力によって、2010年5月末、8ヶ月間の緊急支援を無事完了し、それを見届けることができました。

 そうこうしている間にも、世界中で災害は相次ぎ、2010年1月に、ハイチ地震がおこりました。この地震で、20万人以上の人々が亡くなりました。インドネシアでのミッションを終え、パキスタンでのプロジェクトに戻ると思った矢先に、今度は、ハイチ地震の被災者支援のミッションを与えられました。そして、2010年7月から、ここハイチで、活動に参加しています。

 今、私はフランス、日本、カメルーンから来たスタッフと多くの現地スタッフと共に、ハイチの人々が一日でも早く安心して暮らせるよう、さまざまなプロジェクトを行っています。そして、被災者の為にベストを尽くしています。

 時々、ふと、祖父は喜んでいるだろうか、それとも悲しんでいるだろうか、と考えます。なぜならば、私は彼が望んだようなリッチなビジネスマンではないからです。でも、人々に必要とされ、彼らとともに歩む人生に満足しています。

 きっと、祖父は、この空のどこかで微笑んでくれていると思います。

9月 10, 2010 パキスタンJENスタッフハイチ |