スタッフ紹介: ロマーン・ブリエ
私は、ベルギーとルクセンブルク、ドイツとの国境近く、つまりフランスで、今から37年前に生まれました。フランスの北東部を離れたのは、もうずっと前のことです。ごく普通の子ども時代を過ごし、10代はサイクリングに身を投じました。高校を卒業するとき、ワインで有名なボルドーで「フランスエリート訓練センター」に入るため、生まれ育った町を出ました。当時は、まだ18歳の田舎者でした。ボルドーに赴くということは、家族や学校の仲間、1年中温和な気候、サイクリングで成功したいという夢、プロ意識などの間で揺れ動く気持ちに鞭を打ち人生を選択しなければいけない…せつない出発でした。
翌年、ビジネスを学ぶため、ナンシー(という街)に戻りました。2年後に学校を卒業しましたが、さらに勉強するため、イギリスに行く準備に取り掛かりました。当時、フランスでは、男子は10ヶ月間軍隊に入らなければ行けない法律がありました。選択肢はありません。私は法に基づき兵役につきました。軍隊では、なに一つ面白いこともなく、10ヶ月間、少ない賃金(1月100ドル)で、とにかく退屈に過ごしました。にもかかわらず、なぜか私は徴兵の期間を延長し、外国派遣に応募するというリスクをとりました。子どもの頃、アフリカに魅せられていたからです。外国派遣の選択肢の中からアフリカに程近い国を探し、選び、そして応募しました。
「セネガルの首都、ダカール!」
1996年1月4日、この2文字を見たときの喜びと興奮といったら、大変でした。ダカールは、私の両親の生まれた小さな町に、とても近いのです。さあ、待ちに待った、西アフリカでの2年間の生活のスタートです!!!ラッキーなことに、仕事では、西アフリカ・フランス軍本部チーフの秘書という、非常にチャレンジングなポジションに就くことができました。さらに、なんといっても、アフリカ内での4ヶ月ごとの休暇が、もれなくついてきました!!!
1998年末、兵役を終えてフランスに戻りました。その時、自分は、いつか人道支援に携わるだろうと確信に近い予言をしました。
ところが、その後の私は、なぜかスーパーマーケットの店長として働き始めました。2年間グアドループで、3年間パリで働きましたが、やがて、人道支援の世界に入りたい、という最初の思いに立ち戻り、我にかえりました。
2010年3月6日にJENに参加しました。NGOの世界で働けることを大変嬉しく思います。これまでの経験が、人道支援の世界の中で、いかに役立っているかを毎日感じます。
特にここハイチには、何世紀も前に、西アフリカから奴隷として連れて来られた人々の子孫が多くいます。自分がかつて住んだ国をルーツに持つ人々とともに汗を流し、辛くもあり、奥深い歴史に気骨に生きるハイチの人々と共に働けることに、やりがいを感じてます!