2007年1月18日 (木)
道具を使用した村人の声
Zaoutar el Ghabiye村に住むモハメド・アランさんは、JENが12月に配布した瓦礫撤去道具を使用した村人の一人です。1月11日に使用状況に関するモニタリングを実施した際に、お話を伺いました。
「紛争が終わり、避難先のサイダの町から村に戻ると、家は完全に破壊されていました。壁は全て壊され、部屋の床しか残っていませんでした。道具の貸し出しは、村の店に張ってあったポスターや、自治体から聞いて知りました。一輪車、スコップ、ほうき、ハンマー、ツルハシ、のこぎりを借り、家の周りの瓦礫を撤去するだけでなく、住宅の再建にも使用しています。人を雇うにはお金が足りないので、自分の力で再建をしているところです。これらの道具は、本当に必要としていたけれど、買うお金がなかったものばかりで、とても役立っています」
1月 18, 2007 生活、習慣、風土緊急支援物資配布レバノン | Permalink
2007年1月11日 (木)
食べ方の流儀
レバノンでは、直径30cmほどの薄い生地で焼き上げてあるパンをよく食べます(写真参照)。イメージとしてはナンのようなものですが、もっと薄く、丸い形が特徴です。
このパンには様々な食べ方があります。まず、ハーブのタイムとオリーブオイルを混ぜたものを載せて焼いたManou'shi。これは古くから食べられており、南部の小さな村でもよく売られています。日本ではタイムやオリーブオイルは高級食材ですが、地中海に面したこの国では安く手に入るため、多く使用されています。日本人にはあまり馴染みのない味ですが、慣れてくると癖になる味です。
また、パンを火にかけパリパリの状態にしてから、サワークリームにオリーブオイルをかけたLabnehというペースト状のものをつけて食べたりしもします。これもサワークリームは日本人には馴染みの無い食べ物で、最初は少し抵抗がありますが、パンの香ばしくパリパリした歯ざわりとサワークリームの組み合わせが癖になり、よく食べる物の一つです。冬を迎えた南部では、家庭のストーブでパンをパリパリにしている村人をよく見かけます。
1月 11, 2007 生活、習慣、風土レバノン | Permalink
2006年12月28日 (木)
実用アラビア語!?
12月1日より、反政府親シリア政党による政権交代を求める大規模なデモが、何度か行なわれています。JENオフィス周辺はいたって静かなものの、首相府のあるダウンタウン周辺にはテントを張ってそこで寝泊りし、座り込みの抗議行動を行なっている人たちがまだたくさんいます。
現地スタッフが私にアラビア語を教えてくれるのですが、この政情不安な状況を反映したボキャブラリーが増えてきました。
アル・ムザーハラ (抗議行動、デモ)
クティール ジェーシュ (軍隊がいっぱい・・・)
などなど・・・。
教科書でアラビア語を勉強していたら、きっと覚えることもなかった単語でしょう。
なんだか複雑な心境です。
今のところ、デモは平和的に行なわれていて、テレビで見る限り、お祭りのような雰囲気さえ醸しています。
12月 28, 2006 生活、習慣、風土レバノン | Permalink
2006年12月21日 (木)
日本大使が事業地を視察
12月14日、在レバノン日本大使館の黒田義久特命全権大使が、JENの事業地を視察されました。
レバノン南東部、マルジャユーンのJENのオフィスにて事業の説明などを聞かれた後、今年の9月と10月にJENが衛生用品キットと瓦礫撤去道具の配布を実施したデビン村を訪問。村の自治体のリーダーからは、事業に対する謝意が述べられ、瓦礫撤去道具の貸し出しを行う道具管理委員会のメンバーからも、事業を通じた委員会の組成により、村の結束が固まったという報告がなされました。
大使は、まだ瓦礫や破壊された建物が多く残るデビン村を歩いて視察され、紛争当時や復興の状況、JENが支援した瓦礫撤去用の道具の使用状況などについて村人たちと歓談され、熱心に耳を傾けていらっしゃいました。
着任後わずか約3週間の大使が、南部の状況をいち早く知る必要があるとの思いから、今回の視察を実施されたそうです。レバノンの復興が一日も早く進むよう、JENは今後も日本大使館のご協力の下、事業を行っていきます。
12月 21, 2006 生活、習慣、風土緊急支援物資配布レバノン | Permalink
2006年11月30日 (木)
歴史の目撃者たち
11月21日のピエール・ジュマイエル工業相暗殺事件のあと、23日にベイルート市内で国葬が行なわれました。この日は22日の独立記念日に引き続き、官公庁や企業、ほぼ全ての商店が休業になりました。
国葬の様子がテレビで中継されていたため、知り合いの人の家で一緒に見させてもらいました。家には家族・親戚が大集合していて、テレビにはいつもは整然とした様子の新市街の通りが、大勢の人たちで埋め尽くされている映像が映っていました。
大聖堂内部の映像が流れたとき、画面に映る参列者に、「この人は、だれだれさんの親戚のだれだれさんで・・・」などと、まるで、ご近所さんを紹介するような調子で盛り上がっていました。それでも大家族が勢ぞろいし、食い入るように画面を見入る様子からは、国の歴史的なできごとを目撃しているのだ、という迫力が伝わってきました。
(写真:その日、JENベイルート事務所の近所の通りに停めてあった自動車)
11月 30, 2006 生活、習慣、風土JENスタッフレバノン | Permalink
2006年11月21日 (火)
そこにある、人々の日常
先日JENが瓦礫撤去・住宅修復のための道具セットを配布した村を訪問しました。それぞれのワーキング・グループ(道具セットの貸し出し管理を行なうグループ)では、独自に用意した貸し出しノートや貸し出し伝票を使って、道具の貸し出しが行なわれていました。
やはり人気があるのはコンクリート・ミキサーで、ミキサーを貸し出し中のお宅を訪問すると、そこには使い込まれた様子の、JENから提供された一輪車もありました。
ただ、今はオリーブの収穫時期の真っ最中。壊れた家の修復もさることながら、みなさんオリーブの収穫に大忙し。戦争によって大きな被害を受けた村でも、そこは現実と切り離された特別な場所ではなく、そこに暮らす人々の現実は続いていて、ごく普通の日常があるのだということを実感しました。
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11月 21, 2006 生活、習慣、風土レバノン | Permalink
2006年11月16日 (木)
雨模様
これから冬にかけて雨季に入るレバノン。最近雨が多く、安定しないお天気が続いています。午前中までいいお天気だったかと思えば、にわかに雲行きが怪しくなってきて、どしゃ降りになることも、しばしば。
朝から雨降りで暗かったり、夜中に突然、目が覚めるほどの豪雨が降ることもあります。降り方のバリエーションも、しとしとだったり、ざーざーだったり、時には強風や雷をともなったりもします。
そして一雨一雨、寒さが増してきているような気さえします。まるでイギリスの秋のよう。
地元の人の話(ウワサ?)では、今年は寒くなるのが早いそうで、例年よりも寒い冬になるのではないかということです。
戦争で家を破壊されてしまった人々にとって、厳しい季節がやってきます。
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11月 16, 2006 生活、習慣、風土レバノン | Permalink
2006年10月26日 (木)
世界遺産と暴力の傷跡
レバノンに赴任して1週間が経ちました。首都ベイルートは「中東のパリ」と呼ばれるだけあって、とてもモダンで近隣の中東諸国とは違った雰囲気を醸し出しています。
ベイルートにいる限りは、中東というよりもヨーロッパにいるような感じさえします。岐阜県ほどの大きさの国ですが、海あり山あり、多くの世界遺産ありで、オフィスのベランダからも晴れた日には港が見晴らせます。
このように観光資源に恵まれ、文化的にも多様で非常に興味深い国ですが、かなしいことにベイルート中心部にいても、数々の暴力の爪跡を目の当たりにします。
過去の内戦で傷つき、銃弾の痕が無数に残る廃墟が放置されたままになっている近くで、大きなクレーンを使っての大規模な再開発が進められている・・・。ベイルートについて、そんな印象を持ちました。
JENは今回の緊急支援のため、募金を受付けています。みなさまのご理解、ご協力をお願い致します。
郵便振替口座番号:00170−2−538657 口座名義:JEN
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10月 26, 2006 生活、習慣、風土レバノン | Permalink
2006年10月12日 (木)
村人の声、その2
8月14日の停戦合意で攻撃は止まりましたが、爆撃を受けた村では人々が厳しい生活を強いられています。村人のジハド・ヤイドさんが、これからのことについて語ってくれました。
「停戦の2日前、私の隣の家に爆弾が落ち、私の家の窓や戸も破壊され全財産の2頭の牛も死んでしまいました。今私は一人きりで、家族が戻ってくるのを待っています。そのうち、ベイルートの銀行へ死んだ牛のローンについて相談しにいくつもりですが、うまく話は進まないでしょう。私はこれから人生の全てをやり直さなければいけません。私はもう62歳なのに、家は半壊、牛も失い、村は活気を失ってしまいました。人生を一からやり直すのは、この歳ではとても辛いことです」
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10月 12, 2006 生活、習慣、風土レバノン | Permalink
2006年10月 5日 (木)
村人の声、その1
JENの活動地域であるレバノン南部に住むジハド・ヤイドさんが空爆時の村の様子について話してくれました。
「恐ろしい音をたてて飛行機が村の上を飛びすぎたのは、朝10時半のことでした。飛行機は旋回し、村を攻撃し始めました。村人のほとんどはすでに避難しており、私も家族をベイルートに避難させましたが、自分は村に留まりました。私は農家で、全財産である2頭の牛を手放せなかったのです。村は毎日の攻撃で破壊され、動物の死骸がそこらじゅうにありました。爆弾の音や煙、臭いがひどく恐ろしく、地獄の方がよっぽどましだったでしょう」
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10月 5, 2006 生活、習慣、風土レバノン | Permalink
2006年1月 5日 (木)
エリトリアのクリスマス
エリトリアは主に7つの民族からなり、民族によってクリスマスの過ごし方も様々です。
首都アスマラ周辺の高地に多いキリスト教徒は伝統的なギーズ暦に従って、お祝いします。(ギーズGeezとは、簡単に説明するとエチオピア・エリトリア周辺の古代からの文化で、独自の文字や言語、それに暦を持っています。)ギーズ暦によるクリスマスは毎年12月28日、私たちの使う暦では1月7日にあたります。敬虔な方は、クリスマスの40日前から、「断食」=肉・卵・乳製品などの動物派生食品を食べなくなるそうです。ただし、食べる時間は制限されず、アルコールもOKです。
一方、イスラム教徒は断食の仕方がキリスト教徒と違うので、イスラム教徒が多いジェンの事業地ガシュ・バルカの養鶏組合は、「卵」断食の影響を受けなくて済みそうです。
写真はエチオピア・エリトリア料理の「クットフォ」といい、生のひき肉を油で和えた伝統的なエチオピア・エリトリア料理です。写真のクットフォはチーズとハーブも混ざっています。白いクレープのようなインジェラ(テフという穀物を発行させたもので、酸っぱい)で巻き、赤い唐辛子粉末をつけて、いただきます。生肉ですが臭みもなく、お刺身のような舌触りです。
エリトリアの女性を応援して下さい!
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1月 5, 2006 生活、習慣、風土エリトリア | Permalink