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2007年1月25日 (木)

道具管理委員会の工夫

20061220_lebanon_jpf_distribution_maarou_1   南部の各村で立ち上げられた道具管理委員会(以下、委員会)は、JENが配布した瓦礫撤去や住宅再建の道具の貸し出しを行っていますが、その運営方法には実に様々な工夫が見られます。

 例えば、村の中心部にあるモスクのミナレット(礼拝時刻の告知を行う高い塔)に取り付けられたスピーカーを使って、道具の貸し出しを呼びかけている村が多くあります。JENでは、貸し出しに関するポスターを作成して委員会に配布しましたが、南部の村ではまだ文字が読めない村人が多く、こうした口頭での告知が一番効果的とのことです。実際に村で聞き取り調査をすると、モスクでの呼びかけで貸し出しのことを知ったという人に多く出会います。20061205_leban_jpf_distribution_yaroun5_1 

 また、ある村の委員会では政府から支給される住宅再建の支援金配布時に、道具の貸し出しを積極的に支給金を受け取る村人に対して紹介しています。自治体の職員が委員会のメンバーとなっているため、この自治体職員が政府の支給金を配布する際に、道具の貸し出しを紹介しているわけです。他の委員会では地元の建設業者の協力を得て配布した道具を用いて再建を行うと、建設費用がディスカウントされるといったキャンペーンを実施することで道具の使用を村人に促すなど、JENのスタッフでは考えつかなかったアイデアで道具の貸し出しの促進が図られています。20061215_lebanon_jpf_wg_zautar_el_gharbi_1

 このように委員会のメンバー自身がイニシアチブを取り、各村に合った独自の方法で貸し出しを実施してくれることで、JENの支援の輪が更に広がっています。

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1月 25, 2007 レバノン |

2007年1月18日 (木)

道具を使用した村人の声

20070111_lebanon_jpf_monitoring_zaoutar__5  Zaoutar el Ghabiye村に住むモハメド・アランさんは、JENが12月に配布した瓦礫撤去道具を使用した村人の一人です。1月11日に使用状況に関するモニタリングを実施した際に、お話を伺いました。

  「紛争が終わり、避難先のサイダの町から村に戻ると、家は完全に破壊されていました。壁は全て壊され、部屋の床しか残っていませんでした。道具の貸し出しは、村の店に張ってあったポスターや、自治体から聞いて知りました。一輪車、スコップ、ほうき、ハンマー、ツルハシ、のこぎりを借り、家の周りの瓦礫を撤去するだけでなく、住宅の再建にも使用しています。人を雇うにはお金が足りないので、自分の力で再建をしているところです。これらの道具は、本当に必要としていたけれど、買うお金がなかったものばかりで、とても役立っています」

1月 18, 2007 生活、習慣、風土緊急支援物資配布レバノン |

2007年1月11日 (木)

食べ方の流儀

Cimg0570   レバノンでは、直径30cmほどの薄い生地で焼き上げてあるパンをよく食べます(写真参照)。イメージとしてはナンのようなものですが、もっと薄く、丸い形が特徴です。

 このパンには様々な食べ方があります。まず、ハーブのタイムとオリーブオイルを混ぜたものを載せて焼いたManou'shi。これは古くから食べられており、南部の小さな村でもよく売られています。日本ではタイムやオリーブオイルは高級食材ですが、地中海に面したこの国では安く手に入るため、多く使用されています。日本人にはあまり馴染みのない味ですが、慣れてくると癖になる味です。Cimg0589_1

 また、パンを火にかけパリパリの状態にしてから、サワークリームにオリーブオイルをかけたLabnehというペースト状のものをつけて食べたりしもします。これもサワークリームは日本人には馴染みの無い食べ物で、最初は少し抵抗がありますが、パンの香ばしくパリパリした歯ざわりとサワークリームの組み合わせが癖になり、よく食べる物の一つです。冬を迎えた南部では、家庭のストーブでパンをパリパリにしている村人をよく見かけます。

1月 11, 2007 生活、習慣、風土レバノン |

2007年1月 4日 (木)

村人の声、その3

20061218_lebanon_jpf_distribution_jabal_  レバノン南部の山間部にあるJbal el Botom村で、JENが立ち上げた道具管理委員会のメンバーであり、自治体職員でもあるヨセフ・バラカットさんが、イスラエルからの攻撃があった時の体験をお話してくださいました。

「自治体の医療チームに所属していたので、私は村に残りましたが、家族はベイルートへ避難しました。昼間に活動をすると爆撃に合う可能性が高く建物も攻撃の対象となっていため、昼間は森の中で寝泊りし夜間にけが人の治療などにあたりました。村から外部へと続く道路はイスラエル軍により閉鎖されたため、食糧や水が不足しただけでなくガソリンも足りなくなり、車も爆撃されたために、重傷者は約20km程離れた場所にある病院まで担架で歩いて運ばねばならず、大変な思いをしました。

私の自宅は直接爆撃を受け、二階建ての屋根の部分から一階部分まで、爆弾が突き抜けた大きな穴があるため、完全に取り壊して建て直す必要があります。政府からの再建の支給金がまだ届いていないので、現在は隣の村のアパートを借りて暮らしています。1歳になる子どもがいるのですが、子どもは今でも飛行機の音がするとおびえています。」20061218_lebanon_jpf_distribution_jabal__1

JENでは、Jbal el Botom村の道具管理委員会に対して、12月18日に道具キットの配布を実施しました。この道具の貸し出しによって、一人でも多くの人が一日も早く安心して生活が送れるようになることを願っています。

1月 4, 2007 レバノン |