2007年2月 8日 (木)

事業終了!

20070125_lebanon_jpf_monitoring_beit_lif  レバノンへのご支援をありがとうございました。JENはレバノンでの目標を達成し、緊急支援を終了します。

 

 昨年7月12日以降の、イスラエルによるレバノンへの攻撃を受け、JENは停戦直後の8月17日より現地入りし、ニーズ調査を行いました。そして、戦災により不自由な生活を余儀なくされている、レバノン南部の帰還民に対して、衛生用品キット、および瓦礫撤去や住宅再建のための道具などを供給しました。

 衛生用品キット配布事業では、支援の手が届いていない内陸部の5村での配布により、帰還民の衛生状況を改善することができました。また、瓦礫撤去道具配布事業では、家屋に被害を受けたレバノン南部の38村にて、道具管理委員会を立ち上げました。その委員会に対して瓦礫撤去や住宅再建の道具を配布し、帰還民が最低限必要とする住宅環境を整備しました。20070110_lebanon_jpf_monitoring_mjadel3

現在、38の支援対象村では、

     道具貸し出しに関する広告

     道具を貸し出す村人の公平な基準での選定

     道具を貸し出し

     道具の管理

を、各村の道具管理委員会が自分たちで続けています。

 そのためJENは、帰還民が最低限必要な生活環境の整備の土台を築くことができたと判断し、今後はレバノンの主体性を尊重して事業を完了することを決定しました。

20061218_lebanon_jpf_distribution_jabal__2 これまで、レバノンの緊急支援にご支援いただいた方々、本当にありがとうございました。JENはレバノンからは撤退しますが、今後も紛争や災害で厳しい状況に置かれた人々に対する支援を行っていきます。これからもJENへのご協力をお願いいたします。

2月 8, 2007 緊急支援物資配布レバノン |

2007年1月25日 (木)

道具管理委員会の工夫

20061220_lebanon_jpf_distribution_maarou_1   南部の各村で立ち上げられた道具管理委員会(以下、委員会)は、JENが配布した瓦礫撤去や住宅再建の道具の貸し出しを行っていますが、その運営方法には実に様々な工夫が見られます。

 例えば、村の中心部にあるモスクのミナレット(礼拝時刻の告知を行う高い塔)に取り付けられたスピーカーを使って、道具の貸し出しを呼びかけている村が多くあります。JENでは、貸し出しに関するポスターを作成して委員会に配布しましたが、南部の村ではまだ文字が読めない村人が多く、こうした口頭での告知が一番効果的とのことです。実際に村で聞き取り調査をすると、モスクでの呼びかけで貸し出しのことを知ったという人に多く出会います。20061205_leban_jpf_distribution_yaroun5_1 

 また、ある村の委員会では政府から支給される住宅再建の支援金配布時に、道具の貸し出しを積極的に支給金を受け取る村人に対して紹介しています。自治体の職員が委員会のメンバーとなっているため、この自治体職員が政府の支給金を配布する際に、道具の貸し出しを紹介しているわけです。他の委員会では地元の建設業者の協力を得て配布した道具を用いて再建を行うと、建設費用がディスカウントされるといったキャンペーンを実施することで道具の使用を村人に促すなど、JENのスタッフでは考えつかなかったアイデアで道具の貸し出しの促進が図られています。20061215_lebanon_jpf_wg_zautar_el_gharbi_1

 このように委員会のメンバー自身がイニシアチブを取り、各村に合った独自の方法で貸し出しを実施してくれることで、JENの支援の輪が更に広がっています。

アサヒコム「国際支援の現場から」好評連載中!

       ★★募金のご協力のお願い
郵振振替⇒こちら
銀行、ジャパンネットバンクからのご寄付は⇒こちら 
クレジットカードでのご寄付は⇒こちら

1月 25, 2007 レバノン |

2007年1月18日 (木)

道具を使用した村人の声

20070111_lebanon_jpf_monitoring_zaoutar__5  Zaoutar el Ghabiye村に住むモハメド・アランさんは、JENが12月に配布した瓦礫撤去道具を使用した村人の一人です。1月11日に使用状況に関するモニタリングを実施した際に、お話を伺いました。

  「紛争が終わり、避難先のサイダの町から村に戻ると、家は完全に破壊されていました。壁は全て壊され、部屋の床しか残っていませんでした。道具の貸し出しは、村の店に張ってあったポスターや、自治体から聞いて知りました。一輪車、スコップ、ほうき、ハンマー、ツルハシ、のこぎりを借り、家の周りの瓦礫を撤去するだけでなく、住宅の再建にも使用しています。人を雇うにはお金が足りないので、自分の力で再建をしているところです。これらの道具は、本当に必要としていたけれど、買うお金がなかったものばかりで、とても役立っています」

1月 18, 2007 生活、習慣、風土緊急支援物資配布レバノン |

2007年1月11日 (木)

食べ方の流儀

Cimg0570   レバノンでは、直径30cmほどの薄い生地で焼き上げてあるパンをよく食べます(写真参照)。イメージとしてはナンのようなものですが、もっと薄く、丸い形が特徴です。

 このパンには様々な食べ方があります。まず、ハーブのタイムとオリーブオイルを混ぜたものを載せて焼いたManou'shi。これは古くから食べられており、南部の小さな村でもよく売られています。日本ではタイムやオリーブオイルは高級食材ですが、地中海に面したこの国では安く手に入るため、多く使用されています。日本人にはあまり馴染みのない味ですが、慣れてくると癖になる味です。Cimg0589_1

 また、パンを火にかけパリパリの状態にしてから、サワークリームにオリーブオイルをかけたLabnehというペースト状のものをつけて食べたりしもします。これもサワークリームは日本人には馴染みの無い食べ物で、最初は少し抵抗がありますが、パンの香ばしくパリパリした歯ざわりとサワークリームの組み合わせが癖になり、よく食べる物の一つです。冬を迎えた南部では、家庭のストーブでパンをパリパリにしている村人をよく見かけます。

1月 11, 2007 生活、習慣、風土レバノン |

2007年1月 4日 (木)

村人の声、その3

20061218_lebanon_jpf_distribution_jabal_  レバノン南部の山間部にあるJbal el Botom村で、JENが立ち上げた道具管理委員会のメンバーであり、自治体職員でもあるヨセフ・バラカットさんが、イスラエルからの攻撃があった時の体験をお話してくださいました。

「自治体の医療チームに所属していたので、私は村に残りましたが、家族はベイルートへ避難しました。昼間に活動をすると爆撃に合う可能性が高く建物も攻撃の対象となっていため、昼間は森の中で寝泊りし夜間にけが人の治療などにあたりました。村から外部へと続く道路はイスラエル軍により閉鎖されたため、食糧や水が不足しただけでなくガソリンも足りなくなり、車も爆撃されたために、重傷者は約20km程離れた場所にある病院まで担架で歩いて運ばねばならず、大変な思いをしました。

私の自宅は直接爆撃を受け、二階建ての屋根の部分から一階部分まで、爆弾が突き抜けた大きな穴があるため、完全に取り壊して建て直す必要があります。政府からの再建の支給金がまだ届いていないので、現在は隣の村のアパートを借りて暮らしています。1歳になる子どもがいるのですが、子どもは今でも飛行機の音がするとおびえています。」20061218_lebanon_jpf_distribution_jabal__1

JENでは、Jbal el Botom村の道具管理委員会に対して、12月18日に道具キットの配布を実施しました。この道具の貸し出しによって、一人でも多くの人が一日も早く安心して生活が送れるようになることを願っています。

1月 4, 2007 レバノン |

2006年12月28日 (木)

実用アラビア語!?

20061206_leban_jpf_distribution_beit_lif 12月1日より、反政府親シリア政党による政権交代を求める大規模なデモが、何度か行なわれています。JENオフィス周辺はいたって静かなものの、首相府のあるダウンタウン周辺にはテントを張ってそこで寝泊りし、座り込みの抗議行動を行なっている人たちがまだたくさんいます。

 現地スタッフが私にアラビア語を教えてくれるのですが、この政情不安な状況を反映したボキャブラリーが増えてきました。Staff2

アル・ムザーハラ (抗議行動、デモ)

クティール ジェーシュ (軍隊がいっぱい・・・)

などなど・・・。

 教科書でアラビア語を勉強していたら、きっと覚えることもなかった単語でしょう。

なんだか複雑な心境です。

 今のところ、デモは平和的に行なわれていて、テレビで見る限り、お祭りのような雰囲気さえ醸しています。

12月 28, 2006 生活、習慣、風土レバノン |

事業終了!

   「5年間にわたるエリトリアへのご支援を、ありがとうございました!JENはエリトリアでの目標を達成し、支援を終了します」Gerset_tractor_ii_negeset

 1998年に勃発した隣国エチオピアとの国境紛争によって、多くの難民がスーダンへ避難しました。2年後の2000年にはエリトリアに平和が戻り、その後の4年間で20万人以上の難民が無事に祖国へ帰還しました。

 JENは2002年より帰還民の自立支援を行ってきました。帰還民のほとんどが、スーダン国境のゴルージ地区に定住しましたが、この地区は土地が肥沃なため農業に適しています。人びとは政府から農地をもらい、そこで自分と家族の食糧を生産して自立することが求められました。しかし、中には戦争中に夫を亡くしたり、スーダン人の夫と別れて帰還するなどの理由で女性世帯主が多くいました。彼女たちの自立を支援するため、JENはゴルージ地区で2つの養鶏組合と3つのトラクター組合の結成を支援、各組合へ施設と資機材を供与し、必要な技術と組合運営の訓練を行いました。Goluj

Gergef_poultry_2   現在、養鶏組合は卵の販売で収入を得て自立し、組合員は毎月その配当を受けています。また、トラクター組合のメンバーは各自の畑を耕すだけでなく、トラクターを組合員以外にも貸し出し、地区に大きな利益をもたらしています。JENが今年行った意識調査によると、帰還民特有の問題は解決され、昔からその地区に住んでいる地元民とほとんど差のない生活を営めていることが確認されました。そのため、JENは「帰還民女性世帯主の自立支援」という当初の目的を達成したと判断し、今後はエリトリアの主体性を尊重して撤退することに決定いたしました。

 これまで、ご支援いただいた方々、本当にありがとうございました。JENはエリトリアからは撤退いたしますが、今後もアフリカへの支援を続けていくために、現在、新たに支援する国を検討しています。

これからも、JENのアフリカ支援にご協力いただけますよう、お願いいたします。Img_0448_1

12月 28, 2006 エリトリア養鶏事業トラクター事業 |

2006年12月21日 (木)

日本大使が事業地を視察

20061214_lebanon_jambassador_voisit01  12月14日、在レバノン日本大使館の黒田義久特命全権大使が、JENの事業地を視察されました。

 レバノン南東部、マルジャユーンのJENのオフィスにて事業の説明などを聞かれた後、今年の9月と10月にJENが衛生用品キットと瓦礫撤去道具の配布を実施したデビン村を訪問。村の自治体のリーダーからは、事業に対する謝意が述べられ、瓦礫撤去道具の貸し出しを行う道具管理委員会のメンバーからも、事業を通じた委員会の組成により、村の結束が固まったという報告がなされました。

 大使は、まだ瓦礫や破壊された建物が多く残るデビン村を歩いて視察され、紛争当時や復興の状況、JENが支援した瓦礫撤去用の道具の使用状況などについて村人たちと歓談され、熱心に耳を傾けていらっしゃいました。20061214_lebanon_jambassador_voisit14

 着任後わずか約3週間の大使が、南部の状況をいち早く知る必要があるとの思いから、今回の視察を実施されたそうです。レバノンの復興が一日も早く進むよう、JENは今後も日本大使館のご協力の下、事業を行っていきます。

12月 21, 2006 生活、習慣、風土緊急支援物資配布レバノン |

2006年12月14日 (木)

イスラエル国境付近で始まった支援

20061206_leban_jpf_distribution_aita_ech  ジャパンプラットフォーム様のご支援を受けての瓦礫撤去道具の配布が、12月4日に開始されました。南部の約100の町や村で実施したニーズ調査に基づき、道具を必要とされている村で配布を実施しています。

 配布地の一つ、Aita Ech Chaabという町は、特に紛争の被害を大きく受けた町です。自治体のオフィスは、物置のようなプレハブ小屋の一室という粗末なつくりで、外には大きなテントが張られています。このプレハブの中で町内のミーティングなどが開かれていました。

 南部の町や村では、その多くで急速に復興が進んでいるにもかかわらず、この町には、いまだ破壊された建物が残り、瓦礫の山が放置されたまま。JENは早速、自治体や農業組合のリーダーなど町の中心人物から構成される道具管理委員会を立ち上げました。そして、今後は委員会に対して道具を配布し、自治体が中心となって道具の管理をしてもらいます。20061204_leban_jpf_distribution_qantara5

  南部の各自治体では、ちょうど今週末に家屋の再建のための現金の支給が政府から各世帯に対して行われる予定とのことで、Aita Ech Chaabの自治体のリーダーからは、この現金配布に間に合う形での道具の配布に対して、感謝の意が述べられました。

12月 14, 2006 緊急支援物資配布レバノン |

2006年12月 7日 (木)

南部の復興状況

 停戦から約4ヶ月が経過し、南部では復興が急ピッチで進められていますが、まだ紛争の傷跡は町のいたるところに見られます。壁に銃弾の後が無数にある建物や、半壊した建物、そして空爆によって崩された橋が鉄筋がむき出しの状態でまだ放置されているところもあります。

こうした中、南部の町や村を訪問しニーズ調査を現在実施していますが、やはり不発弾の処理や道路の復旧が遅れている地域への訪問には時間がかかります。先日山奥のある村を調査のため訪問した際、自治体の建物に向かうための道路は不発弾の処理を実施中だったために通行ができず、迂回してその建物に向かったところ、今度は道路全体が舗装工事を行っていました。舗装工事を中断してもらいやっと辿り着いた自治体のリーダーの方は、国際機関やNGOによる訪問はあまりないということで、私たちスタッフを暖かく迎え入れてくれました。Taibe3

こうした支援の手が届きにくい村での支援活動を実施するために、JENは引き続き南部の村を訪問しています。

12月 7, 2006 緊急支援物資配布レバノン |