2015年1月15日 (木)
ジュバの信号機
ジュバは、南スーダン共和国の首都であり、同国最大の都市です。同様に、南スーダンを成す10州のうちの1つ、中央エクアトリア州の州都でもあります。白ナイル川河畔に位置しており、ジュバ郡の経済・文化の中心でもあります。
車やボダボダ(南スーダンのバイクタクシー)の増加により、首都ジュバでは事故が増えています。特に、ボダボダの運転手による事故が増えているのです。
上の写真は、ボダボダ(バイクタクシー)に運転手がお客(母親と娘)を乗せている様子です。
[http://williamkituuka.blogspot.com/2010/05/no-body-is-safe-with-commercial-motor.htmlより]
バイクと車の交通整理への第一歩として、ジュバ市議会は街の主要道路に信号機を導入することに尽力しました。2014年の10月の中頃に信号機の導入が議題に上がり、翌月に導入されました。
上の写真は導入後の信号機の様子。
[http://eyeradio.org/juba-city-council-launches-traffic-light-capital/より]
信号機の色は、国際標準に適合しています(赤、黄色、緑)。ご存知かもしれませんが、南スーダンでは電気の供給が不安定なので、信号機は太陽光発電装置を利用したソーラー式信号機です。24時間稼働するように設計されていますが、設置当初は夜9時には消灯し、朝7時から点灯するように設定されていました。
この信号機のおかげで、現在は、ジュバの街では交通事故が大幅に減少していると思います。今では、交通巡査にいたずらに停車させられることもありません。現在は、信号機により交通整理は十分に行われていますが、調査では、75%もの市民が慣れるまでにしばらく時間がかかったと答えています。
信号機の安全性を保障するため、警官や市議会の職員が定期点検の研修を受けました。また、信号機を保護するために緩衝地帯も作られました。スピードの出し過ぎや無謀な運転により信号機を倒した者には、信号機を再設置するための購入、運搬、設置にかかる全ての費用を課されます。
JEN南スーダン総務担当
エマニュエル・ケネス・ドュク
【JENでは、皆様からのご寄付を受け付けています。ご協力をよろしくお願いします。
ご寄付は、こちらから受け付けております】
1月 15, 2015 政治、経済、治安 | Permalink
2012年8月30日 (木)
日々を生き抜く ~アディリヤさんの話~
先日、対象校の選定調査のために訪れたガンジ村で一人の女性を見かけました。今回は、その村人からの話をご紹介します。
57歳のアディリヤ・ポニさんは6人の子どもがいるお母さん。ご主人は15年前の1987年に地雷を踏んで亡くなってしまいました。その後、頼れる親戚も多くが戦争でなくなり、一人で子ども6人を育ててきました。
子どもの一人は結婚しましたが、1人は大学まで行ったものの職がなく、その他の4人はまだ学校に行っておりお金がかかります。 診療所の管理人として月に280ポンド(約4480円)を得ており、それでなんとかやりくりしています。
【診療所のスタッフ宿泊施設を清掃するアディリヤさん】
アディリヤさんは、これらのことを少しずつ話す中で、涙が止まらなくなっていました。戦争が終わっても人々の悲しみがすぐに終わるわけではなく、その悲しみを背負いながら毎日を何とかして生き抜いている。そのようなことを感じた一日でした。
(プログラム・オフィサー ハイレセラッセ・メレス)
8月 30, 2012 水衛生環境改善文化、生活、習慣政治、経済、治安 | Permalink
2011年7月21日 (木)
南部スーダン独立記念 ~イェイでのお祝い風景~
2011年7月9日、南部スーダン10州が新しく「南スーダン共和国」という国家として認められ、分離独立を果たしました。
中央エクアトリア州にあるイェイ郡(首都ジュバから車で南西に2~3時間行った所)も町全体を上げてお祭り騒ぎとなりました。自由広場には様々な部族の住民が集まり、ともに独立を祝ったのです。イェイ郡には今年1月9日の国民投票にも参加した9の部族が暮らしています。
イェイ郡事務官のエリア・ワイワイ氏は祝祭の演説において、国民投票にみんなが参加することにより、南部スーダンが独立できたのだ、と強調しました。また、今までの忘れられざる北部との対立の期間に支援を続けた市民グループやNGOへの感謝の意を表明しました。
また、これからは南スーダン各地域が一丸となって発展していくことが大切だと語りました。
イェイ郡は様々な部族によって構成されているので、祝祭の 行われた自由広場では、それぞれの部族が太鼓や弓矢を使ってそれぞれの部族の踊りを踊り、色とりどりにその喜びを分かち合いました。
アヴォカヤ族のダンサー、ウガ・モーゼス氏は、「南部スーダンが独立したのは大変うれしい。これからは、部族ごとが対立することなく共に手を取り合って、今まで紛争でほこりまみれになってしまったこの土地をきれいにしていこう。」と語っています。
1996年の紛争(第二次内戦)時、イェイは戦場となり何千という市民が空爆の被害に遭ったという歴史がある地域です。
そんな過去を忘れることなく、新たな国となって一層力強く復興していく姿をJENは見守りサポートしていきたいと思います。
(サミュエル・JENジュバ事務所スタッフ)
7月 21, 2011 政治、経済、治安 | Permalink
2011年7月 7日 (木)
南スーダン、独立前夜
スーダン事務所は6月1日付で事務所長が交代しました。2010年2月から当地で活躍していました山中嶋美智に替わり、私、西丸崇が着任しました。
これまでスーダンの一地域であった南スーダンが、7月9日に国として独立するにあたり、首都では突貫工事で道や空港が整備され、道端には植樹が行われ、祝賀ムードが少しずつ高まってきています。街の交差点の一つでは、写真のように電光掲示板で独立まで「あと何日」だけでなく「あと何時間」「あと何分」で表示されています。
一方で、独立の日を問題なく迎えるため、ジュバ市内には警察や軍が各所に立ってしばしば検問を行っています。メーン会場付近の道路が封鎖されるなど、治安部隊も緊張が高まってきており、NGOとしてはいらぬ刺激をしないため夜11時以降の外出は避けるよう、NGO同士で申し合わせています。
ジェンの国際スタッフは、この祝賀ムードとピリピリとした雰囲気を独立の日に現地で味わうかどうか考えましたが、NGO間で独立の日前後は自宅待機にすることや食料・水の買いだめが勧められ、空港が閉鎖されることもあり、隣国のケニアで待機することとしました。
独立記念日が明けてから、事業の再開です。この新しい国に、人々がより多くの幸せを感じることができるような社会がつくられるよう、ジェンはさらに支援を進めていきます。次回の支援速報は、現地スタッフに独立の雰囲気を伝えてもらおうと思います。
7月 7, 2011 政治、経済、治安 | Permalink
2011年5月26日 (木)
燃料価格の高騰
このところ、南部スーダンは燃料価格の高騰と不足に悩まされています。昨日も、事業地で調査などをしていたジェンのチームが、車の燃料を調達することができずに、一時活動を中断し、遠く離れた地域まで燃料を買いに行かなければいけないということがありました。もちろん非常事態用に燃料の備蓄をしていますが、それでもここ数日の状況は深刻です。
燃料だけではなく、食糧を含む生活必需品の価格も高騰しており、2か月ほど前は1袋58ポンド(約1600円)で買えた25㎏入りのメイズ(とうもろこし)の粉が、今では78ポンド(約2150円)、1ポンドで8個買えた小さなパンが、今では4個しか買えません。このところ、地元のベーカリーの前にはパンを求める人の列ができています。
現地の人々やメディアによると、これはスーダンだけの問題ではなく、東アフリカ全体に同じ傾向があるようです。南部スーダンでは、燃料や小麦粉などを北部スーダンの首都ハルツームやウガンダからの輸入に頼っていますが、ウガンダでも価格高騰によるデモが起こったりして、供給が滞っています。
独立を7月9日に控え、抱える課題は山のようにあります。
5月 26, 2011 政治、経済、治安 | Permalink
2011年1月13日 (木)
2011年、国民投票を迎えて
2011年はスーダンにとって、歴史的な年になると思います。スーダンが1956年に独立してから、現在に至るまで、大きな戦争が2回繰り返されました。その間、死傷者は200万人、紛争の被害から逃れた国内避難民は400万人を超えたと言われ、国外には、避難生活を送る難民もいます。
2005年に南北スーダンの政治家は和平合意に至り、和平合意の中に、国民投票を実施して南部スーダンが北部に帰属するか、または独立するかを決めることになっています。
南部スーダンは、1月9日から国民投票を開始し、その結果6割以上の投票率で分離・独立に過半数の票が集まれば、独立することになります。南部スーダンの方々は、長い間希望していた独立の地位を合法的な手続きで獲得する機会を得て、大変な意気込みです。
これから南部スーダンが独立したとしても、北部スーダンに帰属したとしても、南北の両政府が解決しなければならない問題は、多数あります。石油資源に関する問題や南北国境に関する問題等々、重要な問題を解決していかなければなりません。
JENはより長期的な視点にたって、南部の方々が自立できるような支援を2011年も展開していきます。
1月 13, 2011 政治、経済、治安 | Permalink
2010年1月14日 (木)
2010年4月は・・・
みなさま、新年明けましておめでとうございます。
今年もみなさまからの温かいご支援をいただきながら、大切に事業を実施していきたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
昨年はみなさまにとってどのような年でしたでしょうか?
南部スーダンは様々な困難を経験する1年でした。南北政府の意見の相違は、国勢調査の結果に対する対立に現れ、南部でも部族間の争いや家畜を巡る武力衝突が相次ぎました。また、隣国の不安定な政情も南部スーダンの帰還民の生活を不安定なものとしました。
今年4月には、初めての総選挙が予定されています。2011年の国民投票に向けた大切な選挙となります。どうか新たな混乱を招くことのないようにとの願いを込めて、平和の配当がより多くの人に実感されるよう、JENは今年も1年がんばります。どうぞ温かいご支援をよろしくお願いいたします。
JENスーダン事務所スタッフ一同
1月 14, 2010 文化、生活、習慣政治、経済、治安 | Permalink
2009年11月26日 (木)
大活躍する、元地雷撤去犬
JENスーダン事務所で、警備員と同じくらい目覚しい働きをみせている犬がいます。
彼女の名前は、キム。元地雷撤去犬で、RONKOというアメリカ系地雷撤去会社で活躍していました。出身地のヨーロッパ(おそらくベルギー)で生まれたキムは、その賢さと人なつっこさ故に地雷撤去犬として選ばれ、特別なトレーニングを2年ものあいだ受けた後、他の地雷撤去犬と共に何万マイルも離れたアフリカへと渡りました。
RONKOから彼女へ支給される食料が近頃では途絶えつつあるのですが、それでもなお、彼女は、献身的にJENの警備員として、またスタッフの心の癒しキャラとして働いています。さらに、最近の彼女の仕事は、警備員にとどまりません。写真のようについには机に向かう姿すら目にすることができるようになりました。
現在、事務所に寝泊まりするスタッフは現地スタッフを含め4名。治安の問題からも日本とは全く異なる環境のなかで、日々精一杯の力を仕事に発揮できるためにはメンタル面での安定は欠かせません。そういった観点からも、キムの果たす役割は非常に大きいのです。
Haile (Operation Manager)
11月 26, 2009 事務所・スタッフ文化、生活、習慣政治、経済、治安 | Permalink
2009年2月 5日 (木)
ジュバ事務所の防護壁
ジュバの街の発展は目覚ましく、次々と新しい建物や道路が出来上がっています。昨日通っていた道が次の日には突然通行禁止になっていたと思ったら、一週間後には舗装道路ができています。こんな風に急ピッチで南スーダンの首都としての形が作られています。
悲しいことに、それと同時に増えていくのが犯罪の数です。毎日届く国連からの治安情報によると、ジュバでは最低一週間に一回は国連や国際NGOの事務所の強盗事件が報告されています。
事業を実施するうえで、スタッフの安全確保は非常に重要な課題です。JENジュバ事務所は起こりうる事件に対応するため、さまざまな形で警備強化を行っています。そして最近、事務所周辺に防護壁を建設しました。そして、丈夫で安心感のある壁ができあがりました。
2月 5, 2009 政治、経済、治安 | Permalink
2008年5月 8日 (木)
強盗の背景
今年3月末より、ジュバにある国際NGOや国連機関の事務所・住居を狙った、武装強盗事件が頻発しています。国連発行の治安報告書によると、犯行グループは5~20名で事務所・住居に押入って銃で住人を脅し、主に現金を強奪しているとのことです。
これまでジュバは、紛争を終えて間もないスーダン南部にあって、比較的治安の安定した街でした。しかし、和平合意から3年しか経っていないこの国では、銃などの武器を所持している一般市民や元軍人も多く、武装解除もあまり進んでいません。加えて、高い失業率や日本より高い物価も、今回の事件に関係していると見られています。
JENは、事務所の安全強化に努め、スタッフの安全を第一に考えながらスーダンでの事業を継続していきます。
(写真: 目立たないようにJENのロゴ・ステッカーをはがした事務所の門とガード)
5月 8, 2008 政治、経済、治安 | Permalink
2008年4月24日 (木)
平和のための国勢調査
4月22日の国勢調査開始の日は、国民の祝日となり、移動禁止の放送がラジオで流れました。
約20年間継続的に南部対北部で内戦状態が続いたスーダン。2005年の停戦合意では、南スーダンが北から独立するかどうか2011年の国民投票によって決定することも含まれています。その国民投票のために、南に住まいを持つ人口を数える国勢調査の準備が進められてきました。
JENが展開する事業地においても国勢調査の準備が進められ、現地スタッフにも出生地や家族が住む地域に戻るものがいます。戦争が終わり平和な自分の国を造り上げていく。そのような過程をとても大切にしていることが伝わります。北部との新しい関係造りの過程を通して、相互に信頼が育てられることを願っています。
(写真:学校の壁に描かれた戦争の絵)
4月 24, 2008 政治、経済、治安 | Permalink
2008年4月10日 (木)
戦争の爪あと
ジュバ事務所から事業地のラニャ郡に車で移動する途中、道路が通行止めになっていることが良くあります。これは、戦時中に道路脇に埋設された対人・対戦車地雷の除去作業を、国際NGOが行っているためです。ラニャ郡は、南下してくるスーダン軍とスーダン人民解放軍(SPLA)との間で激しい戦闘が行われた地域です。このため、終戦から3年が経過した今も、おびただしい数の放置された地雷や不発弾が、人々の生活を脅かしています。
赴任したての頃は、こうした通行止めに出くわす度に「事業地でミーティングの時間が迫っているのに」と焦っていました。しかし、この地雷除去作業も、スーダンの復興に不可欠で非常に重要です。今では、通行止めが解除されるまで、ドライバーや他のスタッフとジュースを飲んで休憩しながら気長に待てるようになりました。
4月 10, 2008 政治、経済、治安 | Permalink
2007年9月27日 (木)
ジュバの経済、その2
ジュバの物資は南に国境を接しているウガンダからの輸入品がほとんどである、という話を先週お伝えしました。このため、南から北に行くに従って、物資の値段が上がる傾向にあります。
私たちの事業地のラニャはジュバの南に、そしてテレケカは北にありますので、ラニャ→ジュバ→テレケカの順で、物資の値段が上がっていくわけです。
たとえばコーラは、ラニャで2スーダンポンド(SP)、ジュバで3SP、テレケカで4SP、といった具合です。
しかし、いくつか例外はあります。たとえば羊やヤギ。
テレケカの人々は遊牧で生計を立てていることもあり、羊やヤギは豊富にあります。
このため、テレケカでは羊やヤギは60SPぐらいで買えますが、ジュバでは平均100SPで取引されています。
9月 27, 2007 政治、経済、治安 | Permalink
2007年9月20日 (木)
ジュバの経済
ジュバでは、最近、物価が高騰しています。
原因は道路。ジュバにあふれる物資の大半は、南に国境を接するウガンダからの輸入品です。雨季の今、大雨の影響で道路状況が悪くなると、トラックなどの大型車輌が、幹線道路を通行できなくなります。そのために、物資の供給が極端に減り、値段が跳ね上がるのです。
JENの事業地であるラニャ郡は、この幹線道路沿いにあります。当然、この道路の状況の悪化により、事業地に行くのも一苦労です。
写真のとおり、大型トラックが何十台と列を成し、2週間以上も足止め状態にあるというトラックのドライバーにも出会います。
行政主導で道路の整備が開始されているようですが、雨季の中での作業のため、難航しているようです。
ジュバの経済安定のためにも、一刻も早い道路の復旧が望まれます。
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9月 20, 2007 政治、経済、治安 | Permalink
2007年4月19日 (木)
ジュバに到着
ケニアのナイロビから飛行機で約1時間半。南スーダンのジュバに到着しました。標高が高いために比較的涼しいナイロビから一転、ジュバでは35度の熱風に出迎えられました。
ジュバは南部スーダンの中心の都市ですが、スーダンは1956年の独立以来、1972年と1983年を除いては常に戦争状態にあったために、建物があまり多く見当たらず、物資も隣国のウガンダやケニアからの輸入品に頼っている状況です。2005年1月の停戦合意を受け、政府機関の建物の建設などが見られる中、国内避難民の人たちが居住する地区もまだ多く存在しています。
それでも停戦合意以降、状況は良くなってきていると、地元の人たちは言います。まだ途切れてばかりではあるものの市内に電気が通り始め、市場には以前はなかった卵が売られ、道路もまだアスファルトは一本しかありませんが平坦にするための整備が進んでいます。
南スーダンは戦後復興の道のりを歩み始めたばかりです。復興が一日でも早く進むよう、JENも微力ながら支援をしていきます。
4月 19, 2007 文化、生活、習慣政治、経済、治安 | Permalink