2007年12月20日 (木)

ボートの配布

Pc070465_2    9月末より支援を行っているバティカロア県ワカライ地区の漁協に対し、10艘のエンジン付2人乗りのボートを配布しました。このボートは、バティカロア市中心付近にある工場で製造され、トラックに積み込み、約6時間かけてワカライの中心部に運搬されました。その到着を待ち焦がれていた漁協の組合員たちは、ボートが到着するなりトラックに飛び乗り、嬉しそうに触ったり眺めたりしていました。
 

 ボートは漁協に配布され、漁協が組合員の生計向上のために有効な使用方法を決める事が期待されています。しかし、他団体が配布した同様のボートが、使用されずに放置されている状況が目に付く中、単にボートを配布するだけでは支援効果を保証できません。

 そこで、漁業水産局、各漁協のリーダーと話し合いを重ねた結果、当面、配布したボートの所有権をジェンに残す事にしました。そして、ジェンと漁業水産局がモニタリングを行い、漁協がボートを有効に活用している事が確認できた後、正式に所有権を引き渡します。Pc070459_2
 

 その一方、事業の一環として、漁協を対象に住民組織に関するワークショップを開催し、漁協の機能強化への側面支援を行っています。このように、ボートの配布と漁協の能力向上を平行して実施することで、支援の効果を高めることに務めています。

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12月 20, 2007 津波被害、避難生活, 緊急支援 |

2007年12月 6日 (木)

ひと時で終わらないために

Dsc00069  JENはバティカロワ県ワカライ郡で、5つの漁協において、住民の生計向上に向けた意識改革のためのワークショップを開始しました。帰還民支援事業の一環として、住民のキャパシティー・ビルディングを目的に行われています。

 事業地のワカライ郡はスリランカの東部に位置し、90年代から政府とタミル人反政府組織タミール・タイガーとの戦闘の舞台となってきました。これに追い討ちをかけるように、2004年12月の津波、2007年1月の政府による反政府勢力の掃討作戦が行われました。

 ワカライの住民は、過去20年間で8回もの避難と帰還を繰り返してきたのです。帰還した住民には、今回の平和も「いずれ、ひと時のもの」、といった平和に対する不信感や、自立復興への諦め感があります。こうした不信感を取り除くためには、住民が自立復興への希望を持ち、自信を取り戻すことが必要です。Dsc00179

 ワークショップでは、JENが派遣する専門家が、互助会の機能と意識改革について、各漁協で50人から80人の住民を相手に講義を行いました。講義の中で、ゲームなどを交えることによって参加者の興味を引くことができました。

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12月 6, 2007 津波被害、避難生活 |

2007年9月13日 (木)

バティカロアの訓練所建設にむけて

Puliyankandaladi_village8  ワカライ郡で、事業の一環として職業訓練(魚網作り)を実施することになりました。しかし2004年の津波被害、長きに渡る戦闘により、訓練に使用できる適当な施設が残っていません。そこでプレハブ構造の訓練所を建設予定です。

 しかし、ここで問題となるのが物流です。

 一棟あたり5トン相当の建材を、対象となる10の村に届けるために、大型トラックとクレーン付き小型トラックを手配します。現地へのアクセスが悪いため、業者の多くは引き受けることに躊躇気味でしたが、ようやくバティカロア県内で実績のある建材輸送業者と折衝が始まりました。

 避難民の方がたが帰還されて、既に6ヶ月(*)経ちましたが、本格的な復興には、まだまだ時間がかかります。皆さまの継続的なご支援を宜しくお願いします。Broken_village_by_war

*ワカライ地区(バティ北部)への帰還。他地域への帰還は3ヶ月ほど遅れた。

9月 13, 2007 津波被害、避難生活, 緊急支援, 魚網作り |

2007年8月30日 (木)

スリランカ東部での事業開始

P6220116   JENはジャパン・プラットフォームの資金協力により、スリランカ東部のバティカロア県で、紛争被災者に対する支援事業を開始致します。この地は、昨年夏以降にスリランカ政府軍とタミール人の武装組織であるLTTEが激しい戦闘を行った場所で、16万もの人々が生活の場を奪われ国内避難民となっています。

 紛争が収束に向かった今年の春以降、約10万の人々が元の村に帰還しました。しかし、2004年暮れのインド洋津波の被害を受けた場所もあります。紛争と津波、ふたつの大きな被害によって、人々は生活基盤や生計の手段を失われました。

 今回の事業では、県内北部、ワカライ地区の漁民を対象に、紛争で失われた漁船の配布、魚網作りの職業訓練、漁業協同組合の活性化、心理カウンセリングなどを実施する予定です。Kokuvil2_idp_camp4

 まずは事務所の設立、現地職員の雇用、行政との事業実施合意書締結などの事務手続きから始まりますが、10月中旬以降は活動を軌道に乗せて行く予定です。

8月 30, 2007 心のケア, 津波被害、避難生活, 緊急支援, 野菜菜園, 魚網作り |

2007年7月 5日 (木)

癒される日がくることを

Mofa2_p3_cfv_270607_end_fntraining13  6月27日、職業訓練の第三期が終業式を迎えました。事業地4村のひとつで終業式を終えた後、車に向かった時のことです。

 道を挟んだ隣村の男性が、何やら叫んでいました。すると、通訳を介して男性の状況が明らかになりました。この男性は津波被災で子ども2人を失い、家屋、船・漁の道具など生計手段を全て失ったそうです。さらに話を聞くと、強いアルコールの匂いと共に、止め処ない憤りと痛みが溢れていました。隣の村は支援を受け、自分の村が除かれたと言いました。

 JENは公平中立を期すため、各村の規模・被災程度・人口構成・被災前後の経済状況の変化など、多くの要素から支援対象の村を決定します。この男性の村は、調査の結果、支援対象から外れていたのです。

 道路を挟んだ村で活発に行なわれる職業訓練。にぎやかな空間。楽しそうな人びとの声と笑顔。そこで男性が抱いたのは、やり場のない不満と怒りでした。

 私たちには、静かに男性の話を聞き、自分たちの力不足についてただ謝罪するだけでした。私たちの判断が生んだ周囲の影響に、多くを学んだ瞬間でした。「JENが、男性の望む物資を与えたとしても、津波が残した傷跡を癒すことはできない」と。

7月 5, 2007 津波被害、避難生活 |

2007年1月11日 (木)

あの津波から2年、その3

Photo_30   2005年の4月から9月まで生活改善事業を実施したスリヤワラナ村を、年末に久しぶりに訪問しました。

現地の人々はJENの事をよく覚えてくれていて、早速自分たちで作ったココナツロープやマットを見せてくれました。人々は、現在も農作業の合間にココナツの繊維からロープを作る作業を続けていて、3人がかりで40メートルのロープを一日で作り、約200ルピー(約220円)の収入を得ることもあるそうです。

その一方で、2週間前の大雨による農地や家屋の被害を語る村人もいました。一見、ただの大雨による被害のようですが、実は2年前の津波によって海岸線に自然に出来ていた堤防が崩れ、海水が簡単に村に入るようになってしまったのです。Photo_31

この地方では、多くの人が住んでいた村を離れ、再定住地に移住しました。しかしこの村のリ-ダー、ネランジャニ・ラタナヤクさんは、「まだ津波の被害は残り、収入も十分ではないが、この村で頑張って生きていく」と力強く語っていました。

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1月 11, 2007 津波被害、避難生活 |

2006年12月21日 (木)

あの津波から2年、その2

~ある津波被災者、ワサンティさん~

Photo_17  JENの野菜栽培事業に参加しているワサンティさんの家は津波で全壊し、旦那さんを失いました。

 「津波から2年が経ち、多くのNGOが既にハンバントタから去っていきました。新しい家に住み始めたものの、夫を失った私の家族には生計手段がなく、毎日ぎりぎりの生活をしていました。JENが今でも続けてくれている事業に参加して、庭で野菜を栽培できるようになり、とても助かっています。これからより多くの家族がJENの活動に参加できるようになるといいなと思います。」

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12月 21, 2006 津波被害、避難生活 |

2006年12月14日 (木)

あの津波から2年、その1

~もうすぐクリスマス~

Photo_16  もうすぐクリスマスがやってきます。しかし、スリランカの沿岸地域の人々にとっては25日のクリスマスよりも大切な日があります。それは2004年12月26日、津波により沿岸地域で多くの尊い命が奪われた日です。

 村の家々の玄関には黄色いココナツの葉が飾られています。それは、その家で追悼行事が行われるサインです。今年も年末に向けて、ハンバントタ県では、クリスマスのイルミネーションではなく、津波被災者追悼のためのココナツの葉が村を飾っています。

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12月 14, 2006 津波被害、避難生活 |

2006年11月23日 (木)

事業に関わる人びと

061108n  日本政府の支援による津波被災者への生活再建支援事業がついに始まりました。今回も経験豊富なスリランカの専門家であるソーシャルワーカー、インストラクター、心理学専門家と共に津波被災者への職業訓練を通した心のケアを行っていきます。

 事業村で活動を開始する前に、スタッフへのトレーニングを実施しました。そこではJENやJENの事業について学ぶと共に、社会心理事業へかかわり方やカウンセリングについての指導を行いました。指導を行った心理学専門家は「主役は自分たちではなく、あくまで人々の持つ力を最大限に引き出すのが私たちの仕事です」と語りました。

 

 職業訓練開始日前日、スリランカ大使館の担当官が事業村を訪れ、津波被災者の激励をしてくださいました。

「日本の税金が確かにスリランカの人々のために使われ、そして何より人々やコミュニティーに日本のNGOが受け入れられている姿を確認することができてうれしいです」というコメントを頂きました。

 

JENの事業はJENスタッフの力だけでは成功しません。このようにたくさんの人々の協力や支援を受けて、スリランカの人々と共に活動を行っています。

11月 23, 2006 心のケア, 津波被害、避難生活 |

2006年2月 2日 (木)

感謝を詩にのせて

P1090003_thumb  野菜作りを実施しているバタアタ村から、美しい詩が届きました。

 スリランカでは自分の気持ちを詩で伝える文化があります。今でも若い男女が恋の始まりには詩を詠いあいます。

 バタアタ村の人たちは、JENへの感謝の思いを詩に綴って送ってくれました。題名は“Humanity”(現地語でミニスカマ)。人間らしさ、博愛の意味です。

 

 突然の津波は私たちからすべてを奪っていった。
 私たちが何をしたというのだ?
 突然の波で私たちは着のみ着のままになった。
 そして生きる力も失った。
 しかし、JENは私たちに手を差し伸べた。
 私たちに生を取り戻してくれた。
 私たちはもう二度と崩れたりはしない。
 強さが私たちの生命という船の舵を取っている限り。
 私たちは幸せな未来を探している。

P1090002_thumb  津波後、家族や家屋を失い、生きる力を失いかけていた人々が多くいました。波がすべてをさらった後、JENの支援は、津波被災者に未来への希望を運び込むことができました。

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2月 2, 2006 心のケア, 津波被害、避難生活 | | コメント (0)

2006年1月19日 (木)

津波から1年経って

1_6_thumb  2005年12月26日。津波から1年が経ったその日、JENの事業地南部ハンバントタ県でも、さまざまな追悼式典が行われました。また、津波犠牲者の冥福を祈るため、道沿いには白いろうそくが並べられ、あかりが灯されました。多くかけがえない命と幸せな生活を奪い去った津波は、1年たった今も人々の生活に深い傷跡を残しています。

 魚網作り活動に参加するジャヤティラカさん(46歳)は津波で妻を亡くしました。

 『妻は海岸沿いの朝市に出かけているときに、津波に遭いました。海岸に戻ってきて一日かけて、彼女の死体をあちこち探し回りました。やっと見つけた彼女の体は鉄パイプに巻きつけられていました。

 1年たった今も、あの時の気持ちははっきり覚えています。一生忘れられないと思います。その後、ずっと気がふさいでいましたが、JENの活動に参加して、少しずつ寂しい気持ちがまぎれるようになりました。新しい魚網技術を学ぶことができて、とても感謝しています。』

 津波の被害を乗り越え、新しい生活を築いていくにはまだまだ長い時間が必要です。スリランカの人々の生活再建は始まったばかりです。JENは2006年も、こうした被災者の人たちが、一日も早く元の生活を取り戻せるよう支援を続けて行きます。

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1月 19, 2006 心のケア, 津波被害、避難生活 | | コメント (0)

2005年1月27日 (木)

被災地で感じる人々の人生

050127_01  コロンボから南部ハンバントタに向かう沿岸道路には、まだまだ津波の恐ろしさを物語る風景が続いています。破壊された建物が生々しく残り、その隙間にビニールテントや地面に刺した枝にビニールシートをかけただけの手製テントが建っています。

 イスラムの祝祭日にあたる21日は、本来ならお祝いが行われるはずでした。ハンバントッタはスリランカでは少数派のムスリムが多い地域ですが、「今年は祝う気分にはなれない」と避難所にいた人々が悲しそうに言っていました。

 ここのモスクは半分破壊されていましたが、人々は仮の建物で毎日5回、お祈りをしているそうです。この避難所はハンバントッタの海岸近くにあり、津波以前にその土地に住んでいた人々が、また同じ土地に住む、とテント生活を始めています。しかし彼らが同じ土地に引き続き住めるかどうかは、今後の政府の土地・住居再建政策にかかっており、その保証はありません。

 避難キャンプで、イラクでの出稼ぎから戻ってきたばかりという男性に会いました。バグダッドの米軍基地でドライバーとして働き、戻ってきたら津波で奥さんと子供、家を失ったとのこと。イラクで活動を続けるJENにとって、バグダッドで外国人が米軍と働くということの危険性は十分理解できます。苦労を重ねて家族の元にやっと帰ってきたのに、家族やせっかく貯めたお金で手に入れた家を失ってしまった... その心の傷の大きさは、想像するだけでも心が痛みます。被災者一人一人がそれぞれに異なる人生を背負って生きていることを改めて痛感し、今後きめ細かい支援が継続して行われる必要性を強く感じています。

1月 27, 2005 津波被害、避難生活 | | コメント (0)

2005年1月 9日 (日)

6メートルの波

050109_02  1月8日、スリランカより事務局長・木山が帰国しました。国際スタッフ・村崎由紀子はコロンボにとどまり、今後も支援活動を続けていきます。

 日本のNGOブリッジ エーシア ジャパン(BAJ)の案内で、被害状況とニーズの調査のため、衣類配布を行った北東部ムラティブへ行きました。

 大学を一時的に使っているという大きな避難所では、コンクリートの床に小さな布を敷いて、人々が寝ころんだり座ったりしていました。ざっと30平米くらいしかないような小さな教室それぞれに14~5人以上の人がいて、随分窮屈そうでした。

 キャンプでお話を聞いた男性(20)は、早朝にドーンと大きな爆発音のようなものを聞いて逃げようとしたとき、既に高さ6メートルもの波が襲いかかってきたと言っていました。波で母親が倒れたところまでは見たけれど、その後気を失ってしまったので、何も覚えていないとのことでした。3日後の29日に、約100キロ離れたワウニア(Vavuniya)という大きな町の病院のベッドの上で目が覚め、家族全員が行方不明ということを聞いたそうです。また、着ていた服はすべて波でさらわれ、発見されたときは何も身に付けていない裸の状態だったそうです。本人は怪我をしただけでしたが、怪我が治っても、今後何をしていけばよいのかわからない、とのことでした。

 北部でも南部でも、10日には学校が始まるので、避難所の人々を他所に移す話をしていました。しかし移る先がないので、仮設住宅の建設が急務となっています。
 仮設住宅に移っても家の中にはなにもないので、生活の為に日用品が必要になります。JENは南部ハンバントッタで生活必需品の配布を予定していており、また北部での支援も調整中です。

1月 9, 2005 津波被害、避難生活 | | コメント (0)

2005年1月 7日 (金)

ゴミ箱をひっくり返したような町

050107_02  インドネシアのスマトラ島沖で12月26日朝に発生した地震・津波被害を受けて、JENはスリランカで緊急支援活動を行っています。1月2、3日には、事務局長・木山啓子と国際スタッフ・村崎由紀子が、被害状況とニーズについて情報収集を行うため、スリランカでも特に被害が大きかったと言われる南部ハンバントタ(Hambantota)を訪れました。

 「1月2日復旧したコロンボからハンバントタへの海岸沿いの道路を車で7時間かけて移動しました。 これまでJENの活動で旧ユーゴスラビア、イラクなど紛争地や災害地をいくつも訪れましたが、ハンバントタには、かつて見たことのない惨状が広がっていました。倒れた木々、二つに折れたバス、レンガの家々は崩壊し、崩壊したレンガのがれきにからみつくビニールや衣類など・・・まるで町じゅうごみ箱をひっくり返したような光景でした。 こうした光景は、スリランカの一部の海岸沿いを除いて全域で、延々と続いており、現在、国をあげて急ピッチでごみの撤去作業が行われています。この撤去作業が終わらなければ本格的な復興支援を開始できません。

 ハンバントッタでは避難所を回り、被災された方々から話を聞きました。『家、家財道具、魚をとる網、ボートすべてを津波によって失ってしまった。』、という漁師の男性は、8人家族のうち6人を今回の災害で失ったといいます。まだ死臭がただよう中でこのような生の声を聞いて、緊急物資の支援だけではなく、心のケアを含めた復興支援が必要であることを強く感じました。」

 1月6日は、衣類の配布を行った北東部ムラティブ(Mullaittivu)へ向かいます。

1月 7, 2005 津波被害、避難生活 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年1月 2日 (日)

全てを失って・・・

murasaki  12月30日よりスリランカ入りしている事務局長・木山啓子と国際スタッフ・村崎由紀子からの第一報が届きました。

 『1月1日午前4時、スリランカ北東部トリンコマリの海岸にあるムトゥールに向けて出発 しました。コロンボから4時間で現地に到着するという話だったので日帰りで予定を立て ていたのですが、道が悪く、結局片道8時間かかり、コロンボに戻ったのは夜中の12時過 ぎになってしまいました。

 ムトゥールではすでに305体の遺体を火葬後、埋葬しており、まだ行方がわからない45人 の住民を捜索中でした。前日の雨のおかげで死臭はだいぶおさまっていましたが、まだ においが強い場所もありました。湖のように海水がたまった所には、水が引かないの で、遺体があるのがわかっていながら、遺体を引き上げることができない、という話で した。

  浜辺では、35歳のモハマッド・ラフィーさんが2歳の息子を失ったときの様子を聞かせ てくれました。モハマッドさんは漁師なので、津波についての知識があり、海水が浜辺 から沖まで引いたときにすぐに逃げようとしたそうです。しかし、走る速さより、 波の方が速かったため、息子を抱きかかえて逃げましたが、あっという間に波が胸まで 上がってきて、足をすくわれ倒れてしまい、息子を波にさらわれてしまった。そして、波が家に押し寄せた時、窓やドアから入った水は、洗濯機のよ うに渦を巻き、家の中の物をすべて持ち去ってしまったので、着る物も何もかも失ってしまったそうです。今、着ている物も、全部寄付でもらった物とのこと。050107_01

 悲しい話を、厳しい顔でたんたんと語るモハマッドさんの表情が、胸を打ちました。 これほど多くの人命と生活を一瞬にして飲み込んだとは思えないような穏やかな海を 前に、浜辺でモハマッドさんと話をしていると、大勢の人々が集まってきて、口々に 津波に襲われたときの状況を話してくれました。それはまるで、言葉と一緒に恐怖と 悲しみをはきだそうとしているかのようでした。緊急物資の支援は当然急務ですが、 心のケアも急務だと痛感しました。

 1月2日は、特に被害が大きかったといわれる南部ハンバントッタに 向かいます。』

1月 2, 2005 津波被害、避難生活 | | コメント (0)