2017年12月21日 (木)
14年間の全スリランカプログラムが終了
JENスリランカ事務所は、2017年12月をもってスリランカでの活動を終了します。まだスリランカ内紛が続いていた2004年の津波被害支援から実に14年間という長い期間、皆さまに支えられて無事この時を迎えることができました。
津波や洪水被害の緊急支援から紛争避難民の帰還支援まで、さまざまなプロジェクトを通し、スリランカの人びとの自立、そして開発へ向けて努力を続けてきました。それは、スリランカのプロジェクト参加者による積極的な参加、スリランカ政府の協力、現地スタッフの根気、そしてJENのサポーターの皆さまからの応援なしでは到底なしえなかったことでした。
すべてが順調にいったわけではありません。スタッフ同士どのようにプロジェクト参加者の自立を促すことができるか、ぶつかることもありました。JENの目指す自立支援のあり方についてスリランカ政府と話し合いを重ねることもありました。貧困の苦しみや気候変化からくる不安で、参加者のモチベーションが上がらないこともありました。それでも、皆で励まし合い、最大限の努力をすることで、活動の成果を発揮してきました。
【話し合いをするJENスタッフたち】


スリランカでの気候変動は今後も続いていくと予想されています。今後また災害が起こったとしても、ともに学び、習得した知識を生かして困難に立ち向かっていくことを願っています。
改めて、皆さまの14年間にわたるご支援、本当にありがとうございました。
【スリランカ・キリノッチ事務所、コロンボ事務所スタッフ一同】

12月 21, 2017 緊急支援事務所・スタッフ生計回復事業帰還民支援 | Permalink
2017年8月27日 (日)
【ラトゥナプラ洪水支援】緊急支援が完了いたしました!
13地区、150世帯を対象に行ってきた、シェルターキットの配布緊急支援は、8月27日、すべての対象地区において緊急支援が完了することができました!みなさまのご支援に改めて感謝申し上げます。
今日、ご報告するのは、ラトゥナプラ県のニヴィティガラ群ワンニワッタ地区の避難民キャンプで行った、テント補強材配布についてです。
【晴れ間を縫って配布の説明を行うJENスタッフ(中央)】
そして簡易シェルターが完成し、被災者のみなさんが生活を再開した場所も訪ねてきました。険しい山道の先、山の中腹に家が位置しています。
【訪問途中で、JENスタッフの一人が足をくじいてしまったほどの急こう配】
【犬が完成した簡易シェルターから出てきてお出迎え】
緊急支援で配布したシェルターは、プラスチックシートでは防げなかった激しい豪雨にも耐えられるので、生活が落ち着き、家を再度建てられるまでの間に雨露がしのげます。
この支援をしている途中、インド、ネパール、シエラレオネなどで大規模洪水や土砂崩れのニュースが次々と入ってきました。被災された人びとのもとに、一刻もはやく支援物資が届きますように…。
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JENでは、皆様からのご寄付を受け付けています。ご協力をよろしくお願いします。
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8月 27, 2017 緊急支援支援物資配布地滑り | Permalink
2017年8月24日 (木)
【ラトゥナプラ洪水支援】簡易シェルターの設置開始
ラトゥナプラ県のニヴィティガラ群で、配布したシェルター資材を使用した簡易シェルターの設置が始まっています。
【熱帯雨林が広がるラトゥナプラ県の山道】
被災者のみなさんへの簡易シェルターの設置場所までは、上記写真のように一応舗装された狭い山道を通り、さらにジャングルの中の獣道のようなところを通って、たどり着くことができました。
途中コモドオオトカゲを車中から目撃したり、スタッフの足にヒルがくっついてしまったりと熱帯雨林ならではの驚きの体験もしました。
【設置途中の簡易シェルター(右端の女性が地区行政官)】
基礎部分は安全性と耐久性を確保するため、行政から派遣された専門の技術者により行われ、その他の部分については住民自身により設置が進められています。
天候不順が続く中でも、住民たちは一刻も早く簡易シェルターを建てようと、晴れ間をぬって作業を続けています。完成まであと少しです!
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8月 24, 2017 緊急支援支援物資配布地滑り | Permalink
2017年8月15日 (火)
【ラトゥナプラ洪水支援】 簡易シェルター資材が到着。譲渡式を行いました
今回の配布物資となる簡易シェルター用の資材8点が、被災地ラトゥナプラ県に到着しました。(物資調達の様子は、こちらから)
8月11日、佐藤在スリランカ日本大使館二等書記官およびラトゥナプラ県二ヴィティガラ郡長、アワンティ氏ご出席の下、譲渡式を開催しました。式を行ったロカデニヤ(LOCA DENIVA)小学校は、5月26日の大規模地滑り発生直後より約2週間、避難所となり14家族が暮らしていました。式には被災者をはじめ受け入れコミュニティの住民、地元メディアなど多くが集まりました。また、このセレモニーを計画した地元住民は、結婚式などの祝宴で披露するという音楽、ダンス、料理を振舞ってくださいました。
(写真:生徒たちによる伝統的な踊りの披露 )
セレモニー終了後、早速14家族への配布を行いました。続けて、合計14地区の120家族へ順番に簡易シェルター資材を、1地区の30家族へはテント補強資材を配布します。
(写真:資材の配布は校庭で。多くの若者ボランティアが参加してくれました)
セレモニー当日の早朝、被災地では大雨が降っていました。現地の人たちに聞くと、子どもたちは、雨の音におびえる日々を送っていると言います。簡易シェルターによって、雨の日も地滑りの恐怖を和らげることができます。人びとが安心して普段どおりの生活を送れれば、と願っています。
(写真:この日も大雨)
簡易シェルター資材の配布事業は、支援者の皆様、ジャパンプラットフォームのご支援で実施しています。このたびの洪水被災者緊急支援へ、ご寄付を託してくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。
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8月 15, 2017 緊急支援支援物資配布地滑り | Permalink
2017年7月27日 (木)
【緊急支援】支援をうける地域住民のみなさんへの聞き取り調査が終了しました
ラトゥナプラ洪水支援では7月12日から18日までの7日間をかけ、被災された地域住民のみなさんへ聞き取り調査を行いました。
調査内容としては、家庭や避難所を訪問し、各世帯の家族情報や現在の住環境、障がい者や高齢者、母子家庭であるかなどの脆弱性の確認に加え、一時避難ができる土地があるかなどの条件を調べました。
訪れた地区では脆弱性が高い家庭が多いうえ、人の少ない山中に住んでいるため、地域内でのサポートがままならず、大変厳しい生活を送る家庭が多数ありました。
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シリヤヴァティさんは家が地滑りで全壊し、現在行政から配布されたテントの中に4人で生活しています。テント内にはベッドが1台しかないため、2人がベッド、もう2人が床で寝ています。テント内では調理ができないため、テントの外に木の枝やトタンで小さな場所を作り、キッチンとして使用していました。
【テントでの避難生活。雨が降るとテントに水が入ってきます】
【キッチンの様子】
テント生活の懸念事項は主にセキュリティと水はけです。テントはドアがチャック式になっており、中から鍵がかけられないため、特に女性や子どもの多い世帯などは家庭を守るために仕事を休むなど、避難生活での支障が出ています。
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また、地滑りの危険性から強制退去を命じられているにもかかわらず、突然の出来事に受け入れ先が探せないため、危険を冒しながらも自宅に住まざるを得ない家庭などもありました。
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スサンサ・クマールさんはまたいつ起こるかも知れない地滑りに怯えながら半壊した自宅に住んでいます。雨が降るたびに山を下り、避難場所を探していると話してくれました。
【半壊したスサンサ・クマールさんの家。裏の山が再度崩れる心配があるため、雨が降ると下山をしているそうです】
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そのような環境下でも、災害に会いながらもできる限り立ち上がろうとしている姿も多くみられました。JENではいち早くシェルター建設資材が配布できるよう、行政との連携と資材調達を進めていきます。
【家の中まで入りこんだ泥。寝ている時に急いで逃げ出したと聞きました】
【地区案内役のスニルさんと被災者に話を聞くJENスタッフ】
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7月 27, 2017 緊急支援支援物資配布地滑り | Permalink
2017年7月18日 (火)
【緊急支援】ラトゥナプラ県で洪水被災者支援を活動開始しました
JENは7月10日より、今年5月にスリランカ南部で発生したモンスーンにより被災をした住民を対象とした緊急シェルター支援活動を開始しました。事業の対象地域となるスリランカ南西部に位置するラトゥナプラ県では洪水や地滑りが多発し、死者86名に加え、全壊した建物が860棟、半壊した建物が7,846棟と甚大な被害規模でした。
被害を受けた建物の多くは、屋根や壁が破損しており、基盤に亀裂が入っているなど、住居には適しません。そのために親戚の家や避難所での生活を強いられている家庭を対象に、住居の再建が完了するまでの間、安定した場所で生活をすることができるよう、簡易シェルターを建設するための資材を配布する事業を行っています。
事業対象地のラトゥナプラ県はスリランカの主要産業の一つである宝石の産地です。県内の川や山からはキャッツアイやサファイアなどの原石が採れるため、県内のいたるところで宝石を掘る人たちの姿が見られます。ラトゥナプラ県では他にもお茶やゴム、ランブータン、アボカドなど北部では見られない作物の生産も盛んです。
【ゴムの木農場】
JENスタッフは11日に現地入りし、事務所設置などの業務を行いながら早速、行政の事業承認を取得し、現地の支援を希望する人びとが何を必要としているかの事前調査を始めました。多くの世帯が車では行かれない山奥に被災しているため、JENスタッフは徒歩での調査となります。調査が終わり次第、支援品などの配布の準備に入っていきます。
【険しい山道を歩いて調査を行うJENスタッフ】
【地滑りで全壊した建物】
【住民に話を聞くJENスタッフ】
【土で作られた家が多いため、水害で崩れやすくなっている】
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7月 18, 2017 緊急支援支援物資配布災害支援地滑り | Permalink
2017年6月22日 (木)
【洪水・地滑り】中部ラトゥナプラ県の被災状況~調査チームからの報告~
5月24から25日にかけてスリランカを襲ったトロピカルサイクロンは、昨年に引き続き、スリランカ中部と南部に多大な被害をもたらしました。
スリランカの12県で起こった洪水や地滑りは合計で213人の死者を出し、多い時は66万人を超える被災者、そして7万人余りの避難者を出しました。スリランカ災害管理センターの情報によると、この災害で全壊した建物は3,124棟、半壊は20,814棟にも上るそうです。
JENスタッフは被害状況と災害後の現地の需要を調査するために、甚大な被害を受けたスリランカ中部のラトゥナプラ県へ行ってきました。ラトゥナプラ県は山に囲まれているためアクセスが悪く、支援の手が行き届きにくい地域に位置します。同県では洪水に加え、各地で起きた地滑りにより、多く人びとが被災しています。
調査で訪れたのは県内で被害の大きかった4郡で、災害管理センター、地区行政や被災者から話を聞きました。
【調査地まで、車一台通れるか通れないかの山道が延々と続く】
被災者のみなさんから話を聞いていて学んだことは、洪水や地滑りで家を失くし、甚大な被害を直接受けている人びとがいます。加えて今回は、被災を免れたものの、家屋が地滑りの危険区域にあるために、避難および恒久的な強制移動を余儀なくされている人びとが600世帯以上いるという事でした。
これらの家庭には政府から新しい土地が与えられ、新たな生活の基盤を築く支援を受けられる予定があります。しかし、今まで養ってきた生活を捨て、新しい土地の配分が終わるまでの数か月間、避難生活を送らなければならない状況を心配する人びとがいます。
【避難所で生活する人びとに話を聞くJENスタッフ】
【何件もの家を巻き込んだ、大規模な地滑りのあと】
【山崩れにより発生した鉄砲水により全壊した家】
スリランカでは毎年のようにサイクロンによる大雨で洪水が起きています。被害規模は違うものの、今後の被災者の数をなるべく軽減するため、国全体の減災・防災対策を強化していく必要があることも感じられます。
本調査結果から、新しく緊急支援事業を始められるかを検討しています。
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6月 22, 2017 緊急支援事務所・スタッフ災害支援地滑り | Permalink
2017年6月12日 (月)
【緊急支援】 中南部集中豪雨、地滑りの被災地へ職員を派遣しました
支援者の皆様には、ご心配をおかけし、また支援の可能性についてお問い合わせをいただきましてありがとうございます。
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5月24日から25日にかけてスリランカを襲ったトロピカルサイクロン(集中豪雨)と、これに伴う地滑りにより数十万人が被災しています。
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JENでは、スリランカ事務所に対策チームを設置、本日6月12日に職員を現地に派遣しました。
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派遣職員
太田千晶 (おおた・ちあき) / JENスリランカ事務所長代行
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.写真は、現在JENスリランカで行っている北部紛争帰還民支援に従事する太田です。
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北部キリノッチで行っている活動の支援速報は、
こちらから。.
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プロフィール:.
米ジョージタウン大学卒業後、同大学法科大学院で国際法や人権法を学び、同大学の法務事務所に勤務。フィールドで難民や避難民問題に取り組みたいという強い思いから、2013年12月にJENに入職、1年3ヶ月間シリア難民支援担当としてヨルダンに駐在。2015年2月から2016年1月まで、イラク・ドホーク事務所駐在。2016年2月1日よりスリランカ・キリノッチ事務所で紛争帰還民支援を担当。アメリカ・イリノイ州の弁護士。神奈川県鎌倉市出身。
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太田がこれまでに担当したシリア難民支援、イラク国内避難民支援、現在従事しているスリランカ紛争帰還民支援について、くわしくはこちらから。
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調査の状況、結果は、現地から情報が届き次第、随時ご報告いたします。
また、最新情報は、メールマガジンでもお知らせいたします。
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引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
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JEN東京本部事務局
6月 12, 2017 緊急支援事務所・スタッフ地滑り | Permalink
2017年6月 1日 (木)
洪水・土砂災害の状況
スリランカ洪水・土砂災害被災者支援について。
JENでは、5月24日以降甚大な被害をもたらしている洪水の被害状況について、
情報収集をはじめました。
JENが現在活動を行っているのは北部ですが、これまでに南部ハンバントタ県で活動をおこなっており、同県は今回の被災地域です。
緊急支援物資などは、順次被災地に届いている、という情報がありますが、
その状況、進捗を含め、情報収集を継続します。
続報が入り次第、ウエブサイトでご報告いたします。
なお、この洪水によるJEN職員への影響はなく、全員の無事を確認しております。
6月 1, 2017 緊急支援事務所・スタッフ地滑り | Permalink
2015年2月 5日 (木)
月刊スリランカ -10年間の支援を振り返って- <第1回>
2004年12月末日からおよそ10年間で、多くの支援者の皆さま(※)からおおよそ6億2千万円のご支援をいただき、20万人以上の人々の生活をサポートする事ができました。
【南部での津波被災者への支援での3年間】
2004年12月に発生した津波で、3万人以上の人々が亡くなりました。JENは津波が起きた翌日にスタッフを派遣し、ハンバントタ県の仮設住宅に移り住む予定の世帯に対して、緊急に必要な日用品の配布を開始しました。
津波により家族、家、家財だけでなく、収入源を失い、厳しい生活を送る被災者が、新しい技術を身に付け前向きな力を取り戻せるように、職業訓練(ココナッツロープ作り、漁網、野菜菜園など)や児童への課外活動を通したグループカウンセリングなどを行いました。
3年間で3万3千人以上被災者の生活を立て直す一歩を後押しする事が可能になり、2007年12月末日までに南部での最後の自立支援事業を終えました。

【この続きは3月に掲載します。ぜひお待ちください】
(※)味の素様、外務省、花王様、損保ジャパン様、ジャパンプラットフォーム様、JHP学校を作る会様、Chabo!様、フェリシモ様、三井住友スマイルハート様、郵便貯金・簡易生命保険管理機構様、読売光と愛の事業団様、その他個人でご寄附を頂いた大勢の皆様
【JENでは、皆様からのご寄付を受け付けています。ご協力をよろしくお願いします。
ご寄付は、こちらから受け付けております】

2月 5, 2015 心のケア緊急支援支援物資配布生計回復事業津波被害支援 | Permalink
2010年1月28日 (木)
タイ・ポンガル
タイ・ポンガルは、タミル人にとって大切な、収穫を祝うための1月半ばにあるお祭りです。「タイ」は「1月」という意味、「ポンガル」は「煮こぼす」という意味です。
西洋や日本の人にとっては1月1日が1年の始まりですが、タミル人にとってはタイ・ポンガルが1年の始まりです。この日には伝統的に、この時期に収穫したコメを使ってミルク・ライスを作り、太陽の神様に感謝をささげます(その際、伝統的な土鍋でミルクを煮こぼす方法でミルク・ライスを作ります)。
写真の男の子は、ポンガルを祝う時に着る新しい服を買うために、薪を運び、売っているところです。私がこの男の子にポンガルについて尋ねると、「お店で米とミルクを買って、ミルク・ライスを作り、太陽の神様に感謝をします。前は自分の土地で収穫したコメを使ってポンガルを祝ったのですが、避難先から帰ってきてから、まだ自分の土地でコメを収穫できていません。だから、ポンガルを祝うために日雇いの仕事をしてお金を稼がなければいけないのです。」
2年近くに及んだ避難生活からもとの居住地に帰った人々には、紛争で破壊された生活を再建する苦難に加え、降雨パターンなど気候の変化という課題も待っていました。
気候の変化は、人々の生計活動の様式だけではなく、伝統行事にも大きな影響を与えています。ジェンは農業井戸の掘削を通して、気候変動に負けない生計活動を支援しています。
(デービッド、ワラチェナイ事務所 プロジェクト・オフィサー)
1月 28, 2010 緊急支援文化、生活、習慣 | Permalink
2009年12月24日 (木)
2009年を振り返って
2009年は、スリランカにとって、25年以上にわたった内戦が終結するという歴史的な1年でした。
年が明けてすぐ、政府軍が北部の反政府勢力の中心都市であったキリノッチを攻略し、徐々に北部全域を制圧、5月19日には大統領が勝利宣言をしました。これをうけ、ジェンは、2009年の6月より北部での避難民支援を行ってきました。
東部では2007年から引き続き、紛争の被害を受けた地域の復興支援を行っており、人々が経済的にも精神的にも自立した生活を取り戻すためのサポートをしています。バティカロア県で活動しているジェンのチームは、2007年より事業参加者の前向きな気持ちを引き出し、精神的な自立を支える経験とノウハウを蓄え、「ジェンらしい」事業を実施するのに欠かせない存在でしたが、ますますチームとしての力を増してきました。
北部では徐々に避難民の帰還・再定住が進んでいます。今後、北部での帰還・再定住を支援できるようになった際には、東部のモデルを北部にも広げていきたいと考えています。東部のスタッフと北部のスタッフが相互に訪問し合って学びあう機会をつくりたい、という思いもあります。
2009年は、温かいご支援をたまわり、本当にありがとうございました。ジェン・スリランカは2010年も、より多くの人々の自立を支えるために努力してゆきます。引き続き、温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
12月 24, 2009 緊急支援東部帰還民支援北部緊急支援 | Permalink
2009年7月 9日 (木)
ともに働くために大切なこと
7月7日現在JENは、北部ワウニアの避難民キャンプで17台の給水車を使用して給水活動を行っています。
新しい場所で新しい活動を始める際は、拠点となる事務所とその機能をセットアップしながら同時進行で活動を進めていかなければなりません。なかでも活動の中核を担う現地スタッフのリクルートは、最も大切な仕事のひとつです。
今回、ワウニアで行った4人のフィールド・オフィサーの採用面接は、2005年以来、JENで働いている現地人のオペレーション・マネージャーとともに進めました。多数の応募の中から4人を選んだのですが、オペレーション・マネージャーとプログラム・オフィサー(筆者)との間で完全に意見が一致し、速やかに決定・採用という運びとなりました。
私たちが新しい仲間を選ぶうえで大切にしていることは、「支援を受け取る人の隣まで行って、支えることができる人」です。オペレーション・マネージャーとこの価値観をしっかり共有できていることが実感でき、とても嬉しく、また頼もしく感じたできごとでした。
新たにJENに加わった4人のフィールド・オフィサーは、毎日遅くまで、熱心にプロジェクト活動に従事しています。
緊急支援への募金へのご協力をお願いいたします。
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7月 9, 2009 緊急支援 | Permalink
2009年7月 2日 (木)
水のニーズ
6月30日現在、ジェンはスリランカ北部ワウニア県で14台の給水車を使った給水活動を行っています。
ワウニアの避難民キャンプは、人が非常に密集して暮らしています。避難している人々の仮の住まいは薄いビニール・シートでつくられたテントで、この時期は風が非常に強く、ビニール・シートは頼りなげに風に翻っています。
このキャンプ地が生活の場であるため、人々はテントの密集したこの場所で煮炊きをしなければいけません。そのため、キャンプは火事が起こる可能性が極めて高い状況にあります。
先日もキャンプ内で火事が発生しました。この緊急事態に対応するため、キャンプ内の水タンクに給水する予定であったジェンの給水車6台が出動し、火を消し止め、何とか大事には至りませんでした。
飲料水や洗濯・水浴びの水のニーズが高いのはもちろんですが、生活の様々な場面において水は必要不可欠なものであることを再認識した事件でした。
緊急支援への募金へのご協力をお願いいたします。
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7月 2, 2009 緊急支援 | Permalink
2009年6月24日 (水)
拡大する避難民キャンプ
JENが緊急支援を開始したワウニア県では、大規模な避難民キャンプ「マニック・ファーム」から20kmほど離れたところに、新たなキャンプ地が造営されています。現在ワウニア市内の学校や公共施設に避難している人たちに移動してもらうため、新しい避難先が必要とされているからです。
新たなキャンプ地は3つあり、そのうちのひとつのキャンプに暮らす人と話をすることができました。彼は、前の晩にワウニア市内の学校から移動してきたそうです。
現在、そのキャンプには、約26,000人の同じような人々がいますが、新しく作られたキャンプであるために、マニック・ファーム以上に給水などの支援が届いていません。飲み水は給水されていますが、洗濯や水浴びに使う水は提供されていない状態です。
キャンプ内に設置された水タンクには、水汲みを待つ人の行列ができていました。話をしている間にも、避難民を乗せた大型バスが続々と到着し、着々移転が行われていました。
もうひとつの新しいキャンプは、造営中です。10日くらいで完成するそうで、完成したら避難民が移住してくるとのことでした。
現在2台あるジェンの給水車は、19日からマニック・ファームで給水を始めました。今後は、水が届いていないこの新しいキャンプ地への給水支援も行ってゆく予定です。
6月 24, 2009 緊急支援 | Permalink
2009年6月18日 (木)
【速報】 スリランカ北部緊急支援 ー 明日、給水がスタートします
明日6月19日(金)より、7000リットル積載の2台でマニック・ファームにて給水を開始します。
今回の緊急支援では、ジェンは給水車を18台準備しています。明日、そのうちの2台が支援をスタートすることになります。
水不足が続くワウニア県の避難民キャンプに暮らす人々へ、ジェンは一日でも早く水を届け、安心して暮らせる環境づくりをお手伝いできればと願っています。
(写真:ジェンが準備している給水車と同モデル)
皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。
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6月 18, 2009 緊急支援 | Permalink
境界線
緊急支援を始めたワウニア県に入るには、途中にある街の検問所を通らなければなりません。ここまで乗ってきた車両のままワウニアに入る手続きは難しく、まずは検問所の手前で車を降ります。そして、県内に入るための手続きを済ませたあと、ワウニア側で手配した車両に乗り換えます。
検問所に着くと、目に入るのは現地の人々の長い長い列でした。我々もその列に混ざって待つことしばし。
猛暑の中、重い荷物を担ぎ、大勢の人とともに並びます。とにかく待ちました。やっとのことで、荷物検査と身体検査の場所にたどり着きました。検査を終えワウニアへの入域許可証を見せて、入国審査書のような書類を提出します。この一連の作業を済ませ、ようやく証明書を受け取ります。ワウニアから出る際には、この証明書を提出しなければなりません。これでようやく検問終了。
わずか300メートルほどの間に、国境を越えるとき以上の見えない境界線による隔絶を感じ、コロンボでの祝賀ムードが遠い世界のことのように思われました。時間のかかるさまざまな手続きをしながら、緊急支援を行うという実感とともに、その難しさを感じています。このような煩雑な手続きと並行して、スタッフは水を待ち続ける人びとのもとへ、給水活動を行う準備を着々と進めています。
緊急支援への募金へのご協力をお願いいたします。
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6月 18, 2009 緊急支援 | Permalink
2009年6月11日 (木)
【速報】 北部ワウニア県での緊急支援スタート
北部ワウニア県での活動が始まりました。
5月に内戦が終結し、祝賀ムードが冷めやらないコロンボでは、いたるところに国旗がはためき、先日は何度目かの大規模な祝賀パレードが催されました。
一方で、前回の支援速報でもお伝えしたとおり、ワウニア県には北部の戦闘地域から逃れてきた約26万人の国内避難民がいます。JENは、多くの支援者の皆さま、そしてジャパン・プラットフォームの協力を得て、ワウニア県の避難民キャンプに住む人々のための、給水支援を始めることになりました。
これまで行ってきた調査では、避難民キャンプはどこも収容能力を超える人々が暮らしています。水や食料をはじめ、生活に必要な物資のすべてが不足していることがわかりました。キャンプで生活する人々が、もともと住んでいた場所に帰還するまでのあいだ少しでも衛生的な生活を送れるように、キャンプ内の衛生状態を改善するために不可欠で最も緊急度の高い水の供給を通して支援していきたいと思います。
緊急支援への募金へのご協力をお願いいたします。
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6月 11, 2009 緊急支援 | Permalink
2009年5月28日 (木)
内戦の終結
スリランカでは、19日に国会で行われた大統領の勝利宣言により25年にも及んだ内戦が終結しました。
勝利宣言のテレビ中継に合わせて、コロンボ市内には国旗と大統領の看板がたくさん飾られ、事務所の近くでは祝福の爆竹が鳴り響いています。また、車の窓から体を乗り出して国旗を振り、叫びながら市内を周回している人々が多くみられました。コロンボ市内は勝利の喜びに包まれています。
一方で、最後まで戦闘が行われていた北部地域では、2006年からの戦闘で約28万人の住民が避難生活を強いられています。反政府軍の支配地域から脱出し、政府軍に保護されるまで、住民は食料や水も充分にないまま避難を続けていました。中には健康状態が悪化した人々もいます。
避難民の多くが、戦闘地域の南に隣接するワウニア県の避難民キャンプに収容されています。しかし、ここ1ヶ月で、一気に20万人も増えたキャンプでは、スリランカ政府や国連、NGOによる支援がなかなか追いつきません。仮設テントや簡易トイレの建設、水や食料、衣類、石鹸などの配布が急ピッチで進められていますが、林を切り開いて急造しているキャンプのため排水施設に問題が発生したり、支援物資の配布でも混乱したりしています。
東部で活動しているジェンも、この北部ワウニア県にて緊急支援を行なうための調査を進めています。中でも特に緊急性の高い支援を見極めている段階です。引き続き、皆さまのご支援、よろしくお願いします。
「母の日のブーケが野菜の種に」スマイルシーズ観察日記はこちらへ
5月 28, 2009 緊急支援文化、生活、習慣政治、経済、治安 | Permalink
2008年11月20日 (木)
待望の雨と種蒔き
例年なら9月の終わりころには降るはずの雨がなかなか降らず、乾燥し切っていたバティカロアですが、先週になって、ようやく雨が降りました。
土地を整え、種蒔きの時を今か今かと待っていた村人たちが、種を蒔き始めました。待ち望んだ雨の到来に、人々の顔には喜びと安堵の表情が見えました。
あとは、例年のようなパターンで、何度か雨が降るのを祈るのみです。気候変動の影響からか、近年は天候の予想が非常に難しくなっており、特に生活が不安定な帰還民の生活を脅かしています。同時に、ジェンのような天候に依存する帰還民の生計を支援する援助団体も、人材の投入や物資調達のタイミングなどに頭を悩ませています。
写真1.ジェンが配布した道具を使って土地を整えながら、雨を待つ村人
写真2.雨のあとに、ジェンが配布した種を蒔く村人
11月 20, 2008 緊急支援文化、生活、習慣 | Permalink
2007年12月20日 (木)
ボートの配布
9月末より支援を行っているバティカロア県ワカライ地区の漁協に対し、10艘のエンジン付2人乗りのボートを配布しました。このボートは、バティカロア市中心付近にある工場で製造され、トラックに積み込み、約6時間かけてワカライの中心部に運搬されました。その到着を待ち焦がれていた漁協の組合員たちは、ボートが到着するなりトラックに飛び乗り、嬉しそうに触ったり眺めたりしていました。
ボートは漁協に配布され、漁協が組合員の生計向上のために有効な使用方法を決める事が期待されています。しかし、他団体が配布した同様のボートが、使用されずに放置されている状況が目に付く中、単にボートを配布するだけでは支援効果を保証できません。
そこで、漁業水産局、各漁協のリーダーと話し合いを重ねた結果、当面、配布したボートの所有権をジェンに残す事にしました。そして、ジェンと漁業水産局がモニタリングを行い、漁協がボートを有効に活用している事が確認できた後、正式に所有権を引き渡します。
その一方、事業の一環として、漁協を対象に住民組織に関するワークショップを開催し、漁協の機能強化への側面支援を行っています。このように、ボートの配布と漁協の能力向上を平行して実施することで、支援の効果を高めることに務めています。
☆★☆ 2007年歳末募金へのご協力をおねがいします ☆★☆
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12月 20, 2007 緊急支援 | Permalink
2007年10月25日 (木)
再び海に出る日が近い
ジャパン・プラットフォーム様と支援者の皆様のご協力により、バティカロア県ワカライ郡で実施している帰還民支援事業の一環として、現地の漁協組合に供与するボートの製造が始まりました。
バティカロア県の漁業水産省の記録では、今年1月の戦闘によって、ワカライ地区の漁民が合計109艘のボートを失っています。そのうち、ジェンは紛争被害の大きかった10の漁協組合に、2艘ずつ計20艘のボートを供給し、彼らの生活再建をサポートします。(写真左は、配布予定のボートと同じモデル)
この地は2004年暮れの津波でも大きな被害を受け、その後、支援団体により多くのボートが配布されました。しかし、当時は質よりも速さを重視する傾向があり、また、コロンボなど遠隔地の業者が、現地の地形や環境を考慮せずに製造したボートも含まれていました。従って、せっかく配布されたのに使用に耐えないボートが多くありました。
今回の事業では、過去の経験を踏まえ、住民や行政と協議を重ねた結果、ボート製造のエキスパートとして漁民からの評判の良い地元の業者に製造を委託しました。(写真右:ボート製造の模様)
製造が始まったこのボートは、耐久性や防水性を考慮し、ファイバーグラスを何十にも張り合わせて作り上げます。それ故、5、6人の熟練工が作業をしても1艘を作るのに4日かかります。全20艘のボートは1月末に完成する予定です。
10月 25, 2007 緊急支援 | Permalink
2007年9月27日 (木)
津波被災者生活再建支援事業終了
昨年の10月以降外務省の支援によって実施していた南部ハンバントタ県での津波被災者を対象にした生活再建支援事業が、9月22日を以って終了致しました。
この事業では、新たに開拓された13箇所の再定住地において、職業訓練や児童の課外活動、精神的なカウンセリングを行ってきました。それぞれの再定住地では、訓練中に率先して住民をまとめる人や訓練終了の式典では感謝の気持ちを伝えてくれる人など、陽気で個性のある人々がいて、とても懐かしく思い出されます。
ジェンからも1箇所の再定住地に2ヶ月間に渡ってソーシャルワーカー、インストラクター、心理カウンセラーなど多くの職員が出入りしていた為、住民との間に信頼関係を築くことができました。出身村が異なる人々が共に生活している場所もありましたが、この事業を通して住民の間にまとまりができていく様子が感じられました。
職業訓練終了後の調査においては、住民が事業で得た知識や技術を生かしながら、野菜の収穫を増やしたり、魚網の修復を通して収入を得ている様子が記録されています。まだ、津波からの完全な復興には長い道のりがありますが、彼らにはこの調子で頑張って欲しいと思います。
一方、本事業終了によって2年以上ジェンの事業に関わってきた多くのスリランカ人職員との契約も終えることになりました。彼らの活躍なくして事業の成功はなかったので感謝すると同時に、今後他団体に移っても同様に活躍してくれる事を期待しています。
皆様からも長期に渡りご支援を頂きまして、誠に有難うございました。
9月 27, 2007 緊急支援 | Permalink
2007年9月13日 (木)
バティカロアの訓練所建設にむけて
ワカライ郡で、事業の一環として職業訓練(魚網作り)を実施することになりました。しかし2004年の津波被害、長きに渡る戦闘により、訓練に使用できる適当な施設が残っていません。そこでプレハブ構造の訓練所を建設予定です。
しかし、ここで問題となるのが物流です。
一棟あたり5トン相当の建材を、対象となる10の村に届けるために、大型トラックとクレーン付き小型トラックを手配します。現地へのアクセスが悪いため、業者の多くは引き受けることに躊躇気味でしたが、ようやくバティカロア県内で実績のある建材輸送業者と折衝が始まりました。
避難民の方がたが帰還されて、既に6ヶ月(*)経ちましたが、本格的な復興には、まだまだ時間がかかります。皆さまの継続的なご支援を宜しくお願いします。
*ワカライ地区(バティ北部)への帰還。他地域への帰還は3ヶ月ほど遅れた。
9月 13, 2007 魚網作り緊急支援 | Permalink
2007年8月30日 (木)
スリランカ東部での事業開始
JENはジャパン・プラットフォームの資金協力により、スリランカ東部のバティカロア県で、紛争被災者に対する支援事業を開始致します。この地は、昨年夏以降にスリランカ政府軍とタミール人の武装組織であるLTTEが激しい戦闘を行った場所で、16万もの人々が生活の場を奪われ国内避難民となっています。
紛争が収束に向かった今年の春以降、約10万の人々が元の村に帰還しました。しかし、2004年暮れのインド洋津波の被害を受けた場所もあります。紛争と津波、ふたつの大きな被害によって、人々は生活基盤や生計の手段を失われました。
今回の事業では、県内北部、ワカライ地区の漁民を対象に、紛争で失われた漁船の配布、魚網作りの職業訓練、漁業協同組合の活性化、心理カウンセリングなどを実施する予定です。
まずは事務所の設立、現地職員の雇用、行政との事業実施合意書締結などの事務手続きから始まりますが、10月中旬以降は活動を軌道に乗せて行く予定です。
8月 30, 2007 心のケア魚網作り緊急支援 | Permalink
2005年8月25日 (木)
キリンダ村火災緊急支援
魚網作り活動を行ったキリンダ村では、福祉センターと呼ばれる集合仮設住宅に約90世帯の津波被災家族が、避難生活を続けています。この仮設住宅地で、8月11日に火災が発生し、5家族が住んでいた1棟が全焼しました。幸い、けが人は出ず、翌日から空き家となっていた仮設住宅に移ることができました。しかし、津波で何もかもを失い、そのショックから少しずつ立ち直り始めていた津波被災者にとって、この火災による物理的、精神的ダメージは計り知れません。
JENは火災の知らせを受け、翌日火災にあった5家族に調査を行い、生活に必要なバケツ、蚊帳、マット、制服用の布地等の必需品を調達し、すぐに配布しました。
津波発生当時に比べ、支援する団体の数が減っている今、津波被災者の人々のことを忘れず、応援してくれている人たちがいると知ることは、彼らにとって大きな励みとなります。
8月 25, 2005 緊急支援 | Permalink
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2005年1月10日 (月)
日々変化する現地のニーズ
自然災害などの緊急支援では、目の前にあるニーズがどんどん変化します。
多くの団体が様々な支援とともに現地に駆けつけるからです。ニーズ調査で現地を訪れ、『今食糧がない!』と言われても、私たちが食糧の調達をするために現地を離れた後に、別の団体が食糧を持って訪れるかもしれません。ですから、これまでの経験に基づいて的確に予測した物資を調達した上で現地に入ること、どんどん変化するニーズに柔軟に応えること、そしてニーズを把握したらできる限り早く実施することが大変重要です。
JENは、北部での緊急支援活動のパートナーのブリッジ エーシア ジャパン(BAJ)とともに、食糧(炊き出しとビスケットの配布)→水タンク→衣類→歯磨き粉と、どんどん変わるニーズに対応して、夫々の時点で最も必要とされるものを配布することができました。
難しいのは、被害の規模が大きいこと。被害の規模が大きいと調達しなければならない物資の量も多くなり、簡単には調達できません。先日も長靴500足を調達しようとした団体が、数十足ずつ何軒もの店からやっと購入できたと言っていました。
これから、南部ハンバントッタでの生活必需品配布事業を始めるに当たり、調達で走り回る日々が始まります。これも随時ご報告させて頂きます。
※12月30日の号外メルマガで、ムラティブで世界食糧計画(WFP)が全面的に食糧支援を行うため、JENが予定していた食糧配布を衣類配布に変更します、とお伝えしましたが、JENはムラティブで炊き出しとビスケット配布をWFPの食糧支援の前に実施いたしました。現地との連絡状況が悪く、正しい活動内容をお伝えできなかったことをお詫び申し上げます。
1月 10, 2005 緊急支援 | Permalink
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2005年1月 9日 (日)
6メートルの波
1月8日、スリランカより事務局長・木山が帰国しました。国際スタッフ・村崎由紀子はコロンボにとどまり、今後も支援活動を続けていきます。
日本のNGOブリッジ エーシア ジャパン(BAJ)の案内で、被害状況とニーズの調査のため、衣類配布を行った北東部ムラティブへ行きました。
大学を一時的に使っているという大きな避難所では、コンクリートの床に小さな布を敷いて、人々が寝ころんだり座ったりしていました。ざっと30平米くらいしかないような小さな教室それぞれに14~5人以上の人がいて、随分窮屈そうでした。
キャンプでお話を聞いた男性(20)は、早朝にドーンと大きな爆発音のようなものを聞いて逃げようとしたとき、既に高さ6メートルもの波が襲いかかってきたと言っていました。波で母親が倒れたところまでは見たけれど、その後気を失ってしまったので、何も覚えていないとのことでした。3日後の29日に、約100キロ離れたワウニア(Vavuniya)という大きな町の病院のベッドの上で目が覚め、家族全員が行方不明ということを聞いたそうです。また、着ていた服はすべて波でさらわれ、発見されたときは何も身に付けていない裸の状態だったそうです。本人は怪我をしただけでしたが、怪我が治っても、今後何をしていけばよいのかわからない、とのことでした。
北部でも南部でも、10日には学校が始まるので、避難所の人々を他所に移す話をしていました。しかし移る先がないので、仮設住宅の建設が急務となっています。
仮設住宅に移っても家の中にはなにもないので、生活の為に日用品が必要になります。JENは南部ハンバントッタで生活必需品の配布を予定していており、また北部での支援も調整中です。
1月 9, 2005 緊急支援 | Permalink
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2005年1月 7日 (金)
ゴミ箱をひっくり返したような町
インドネシアのスマトラ島沖で12月26日朝に発生した地震・津波被害を受けて、JENはスリランカで緊急支援活動を行っています。1月2、3日には、事務局長・木山啓子と国際スタッフ・村崎由紀子が、被害状況とニーズについて情報収集を行うため、スリランカでも特に被害が大きかったと言われる南部ハンバントタ(Hambantota)を訪れました。
「1月2日復旧したコロンボからハンバントタへの海岸沿いの道路を車で7時間かけて移動しました。 これまでJENの活動で旧ユーゴスラビア、イラクなど紛争地や災害地をいくつも訪れましたが、ハンバントタには、かつて見たことのない惨状が広がっていました。倒れた木々、二つに折れたバス、レンガの家々は崩壊し、崩壊したレンガのがれきにからみつくビニールや衣類など・・・まるで町じゅうごみ箱をひっくり返したような光景でした。 こうした光景は、スリランカの一部の海岸沿いを除いて全域で、延々と続いており、現在、国をあげて急ピッチでごみの撤去作業が行われています。この撤去作業が終わらなければ本格的な復興支援を開始できません。
ハンバントッタでは避難所を回り、被災された方々から話を聞きました。『家、家財道具、魚をとる網、ボートすべてを津波によって失ってしまった。』、という漁師の男性は、8人家族のうち6人を今回の災害で失ったといいます。まだ死臭がただよう中でこのような生の声を聞いて、緊急物資の支援だけではなく、心のケアを含めた復興支援が必要であることを強く感じました。」
1月6日は、衣類の配布を行った北東部ムラティブ(Mullaittivu)へ向かいます。
1月 7, 2005 緊急支援 | Permalink
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2005年1月 2日 (日)
全てを失って・・・
12月30日よりスリランカ入りしている事務局長・木山啓子と国際スタッフ・村崎由紀子からの第一報が届きました。
『1月1日午前4時、スリランカ北東部トリンコマリの海岸にあるムトゥールに向けて出発 しました。コロンボから4時間で現地に到着するという話だったので日帰りで予定を立て ていたのですが、道が悪く、結局片道8時間かかり、コロンボに戻ったのは夜中の12時過 ぎになってしまいました。
ムトゥールではすでに305体の遺体を火葬後、埋葬しており、まだ行方がわからない45人 の住民を捜索中でした。前日の雨のおかげで死臭はだいぶおさまっていましたが、まだ においが強い場所もありました。湖のように海水がたまった所には、水が引かないの で、遺体があるのがわかっていながら、遺体を引き上げることができない、という話で した。
浜辺では、35歳のモハマッド・ラフィーさんが2歳の息子を失ったときの様子を聞かせ てくれました。モハマッドさんは漁師なので、津波についての知識があり、海水が浜辺 から沖まで引いたときにすぐに逃げようとしたそうです。しかし、走る速さより、 波の方が速かったため、息子を抱きかかえて逃げましたが、あっという間に波が胸まで 上がってきて、足をすくわれ倒れてしまい、息子を波にさらわれてしまった。そして、波が家に押し寄せた時、窓やドアから入った水は、洗濯機のよ うに渦を巻き、家の中の物をすべて持ち去ってしまったので、着る物も何もかも失ってしまったそうです。今、着ている物も、全部寄付でもらった物とのこと。
悲しい話を、厳しい顔でたんたんと語るモハマッドさんの表情が、胸を打ちました。 これほど多くの人命と生活を一瞬にして飲み込んだとは思えないような穏やかな海を 前に、浜辺でモハマッドさんと話をしていると、大勢の人々が集まってきて、口々に 津波に襲われたときの状況を話してくれました。それはまるで、言葉と一緒に恐怖と 悲しみをはきだそうとしているかのようでした。緊急物資の支援は当然急務ですが、 心のケアも急務だと痛感しました。
1月2日は、特に被害が大きかったといわれる南部ハンバントッタに 向かいます。』 |
1月 2, 2005 緊急支援 | Permalink
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2004年12月30日 (木)
避難所で衣類配布
JENは、日本のNGOブリッジ エーシア ジャパン(BAJ)の協力により、子ども、 女性、男性用の計5種類の衣類をスリランカ国内にて購入し、30日に東北部 の海岸に面しているムラティブ県に届けました。12月31日から地元住民ボラン ティアが配布を行います。
コロンボから車で11時間以上かかるムラティブ県は支援の手が届きにくい 地域です。津波が来たのは沿岸1キロの範囲で、住宅や公共施設が崩壊、車が転倒、 悪臭がただよっています。
この地域には現在、17ヶ所避難所があり、全体で約22,000人が避難生活を送っています。 避難所のひとつである学校には、約200世帯、1,000人が避難しています。 死傷者も多く、人々のショックは大きく、あらゆる面での支援が必要となっています。 避難所の人々は津波の再発を恐れて、まだ帰りたくないと思っている人が大半です。
※昨日(12月29日)配信の号外JENメルマガで、食料配布を行なうとお伝えしました が、世界食糧計画(WFP)が食糧支援を全面的に実施することになりWFPとの協議の 結果と、現地の要請を受け、JENは急遽食糧以外でニーズの高い衣料配布を行なう ことにしました。
12月 30, 2004 緊急支援 | Permalink
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2004年12月29日 (水)
JENスタッフ、スリランカ入り
12月26日朝(日本時間午前10時)にインドネシアのスマトラ島沖で発生した大規模な地震とそれにともなう津波の被害は、スリランカやインドネシア、インドなど12カ国に及び東南アジアで史上最大規模となっています。犠牲者数は23万人を超え、被災者は数百万人と報じられていますが、まだ被害状況すら確認されていない地域もあります。
JENは、これまでの2001年1月のインド西部地震、2003年12月のイラン南東部地震、今年10月の新潟県中越地震などでの地震被災者の緊急救援の経験を踏まえ、スリランカでの緊急支援を決定しました。
事務局長・木山啓子(きやまけいこ)が、国際スタッフ・村崎由紀子(むらさきゆきこ)とともに12月30日から現地入りします。まずは被害状況とニーズについて情報収集を行いながら、日本のNGOブリッジ エーシア ジャパン(BAJ)と現地NGOと協力して生活必需品の配布などを開始しました。
JENでは、この地震・津波被災者への緊急支援のため、緊急募金の受付中です。
より多くの人に、迅速・的確・柔軟に支援を届けるために、皆さまのご協力をお願いいたします。
12月 29, 2004 緊急支援 | Permalink
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