ワウニア北部に住むJENコミュニティーワーカーの話
私の名前は、キィルシャンティと言います(Ms.V.Kirushanthy)。ワウニア・ノース郡のナイナマドゥ行政地区(Nainamadu GN Division)に住んでいます。 私は9カ月前に自分の家に戻って来ました。私は一人っ子で、紛争の間に母を亡くしました。 紛争による避難のため、高等学校に行くことをあきらめなくてはなりませんでした。私の家族は農家で、自宅には農業用の井戸と耕作地があります。紛争以前は、農業器具も持っていましたが、今は全てを失いました。
私が避難キャンプ「マニックファーム」にいた時は、いろいろなことに失望したり、不安な気持ちでいっぱいでした。私たち家族は、帰還して一から新しい生活の立て直しを始めなくてはなりませんでした。JENの名前を聞いたのは、私がマニックファームの6番目地区に住んでいた時、JENによる給水を実施の時でした。
JENのコミュニティワーカーとして、私は仕事をとても楽しんでいます。母が亡くなった時の悲しみを少しでも忘れることができるからです。私の母が亡くなってから、父の体の具合までも悪くなりました。また、私はコミュニティワーカーとして、同じような経験をして苦しんでいる多くの人たちに会います。それでも、人々と交流を深めることで私の苦しみも少しずつ癒されてきているように感じます。コミュニティワーカーの仕事を通して、新しい技術や知識を得ることができたり、他の村の人々や生活についても知ることができるので、私はこの仕事が好きです。この仕事でJENから自転車を借りていますが、仕事に凄く役立っているだけでなく、仕事で何もない地域や森の中を通る時に安全を確保してくれます。私は私の村を代表してJENに感謝を述べたいです。
(写真は、ジャパン プラット フォームや支援者の皆さまの協力で運営しているワウニア事務所でキィルシャンティを含む3人のフールドワーカーとフィールドオフィサーとの会議の様子。もう1枚は、キィルシャンティの写真。)