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2010年5月20日 (木)

もとの生活を取り戻すために

 アジアで最も長い26年間にわたった紛争が終結してから、1年が過ぎようとしています。

 戦闘に巻き込まれた北部地域・タミル人住民のほぼ全員が、反政府勢力タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)に「人間の盾」として囚われ、政府軍の追撃を逃れる避難生活を送り、最後には激しい砲火にさらされながら逃げ延びて来ました。

 現在、およそ2年にわたる避難生活を終えた人々は、やっと荒廃した故郷に戻り、不安を感じつつも、生活を立て直すために奮闘しています。今日は帰還民のひとりの姿をご紹介します。

氏名:ナワム(47歳男性)
3月に自分たちの村に戻ってきた頃は、国連から、米や小麦粉などの穀物と砂糖・油しか受け取っていませんでした。そして4月、JENからカレー粉やココナツなどの食料品を受け取りました。7人家族なので大変助かります。JENから調理用食材を受け取った日は、久しぶりにおいしい味付けをした4種類のカレーを食べることができ、お祭りのような気分でした。
私は車の修理工なので、早く仕事を探そうと思っています。しかし、妻が戦争で亡くなったので、私が仕事で遠くに出かけることに、子どもたちは不安に感じているようです。これからどうしたらよいのか、今はまだ、何もできないでいる状況です。

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ナワムさんの子どもたち

5月 20, 2010 北部緊急支援 |

2010年5月 6日 (木)

力を合わせて建てたシェルター

100506_vavu_north_priyamadu_jpf_shl ~ワウニア北部シェルター配布後に村人から寄せられた便り~

 私の名前は、シバラサ。ナインナマド地区、ペリヤマド村に住む67歳です。 私には子どもが7人おり、若くして未亡人となった娘とその子ども(3歳)と一緒に暮らしています。私は最後の戦争で妻と自分の片足を失い、今は杖に頼っています。 

 1984年、私は元々住んでいた場所から追われ、大きな家や財産を全て失いました。 1997年、再び住みかを追われ、またもや家と財産を失いました。2004年、私はなんとか新しい家を建て、幸せに暮らし始めましたが、3年後の2007年、再び避難を余儀なくされました。 

 避難する以前、私は地元では有名な農家で、最新の技術を用いて農業に励み、大きな利益を得ていました。 しかし、かつて住んでいた場所に戻ってきたとき手にしたのは、たった一枚のテントだけ。私はそのテントを建てるのに大変な思いをし、安全なシェルターもなく3カ月間そこで暮らしました。テントの中のひどい暑さに悩まされ、夜には小動物や野生動物からおびえる毎日。亡くなった妻を思い出し、よく眠れない日々が続きました。 
今私は、JENの支援で10枚のトタン板と、6本のココナッツの木材とくぎを受け取り、少しのお金で鍵付きのドアがある小さな土壁の家を建てることができました。以前は働く気力すら失っていましたが、今は気持ちも安定して過ごせています。

 写真はジャパン・プラットフォームや支援者の皆さまの協力 をもとに、上記の村人が頑張って建てたシェルターです。

5月 6, 2010 東部帰還民支援 |