全てを失って・・・
12月30日よりスリランカ入りしている事務局長・木山啓子と国際スタッフ・村崎由紀子からの第一報が届きました。
『1月1日午前4時、スリランカ北東部トリンコマリの海岸にあるムトゥールに向けて出発 しました。コロンボから4時間で現地に到着するという話だったので日帰りで予定を立て ていたのですが、道が悪く、結局片道8時間かかり、コロンボに戻ったのは夜中の12時過 ぎになってしまいました。
ムトゥールではすでに305体の遺体を火葬後、埋葬しており、まだ行方がわからない45人 の住民を捜索中でした。前日の雨のおかげで死臭はだいぶおさまっていましたが、まだ においが強い場所もありました。湖のように海水がたまった所には、水が引かないの で、遺体があるのがわかっていながら、遺体を引き上げることができない、という話で した。
浜辺では、35歳のモハマッド・ラフィーさんが2歳の息子を失ったときの様子を聞かせ てくれました。モハマッドさんは漁師なので、津波についての知識があり、海水が浜辺 から沖まで引いたときにすぐに逃げようとしたそうです。しかし、走る速さより、 波の方が速かったため、息子を抱きかかえて逃げましたが、あっという間に波が胸まで 上がってきて、足をすくわれ倒れてしまい、息子を波にさらわれてしまった。そして、波が家に押し寄せた時、窓やドアから入った水は、洗濯機のよ うに渦を巻き、家の中の物をすべて持ち去ってしまったので、着る物も何もかも失ってしまったそうです。今、着ている物も、全部寄付でもらった物とのこと。
悲しい話を、厳しい顔でたんたんと語るモハマッドさんの表情が、胸を打ちました。 これほど多くの人命と生活を一瞬にして飲み込んだとは思えないような穏やかな海を 前に、浜辺でモハマッドさんと話をしていると、大勢の人々が集まってきて、口々に 津波に襲われたときの状況を話してくれました。それはまるで、言葉と一緒に恐怖と 悲しみをはきだそうとしているかのようでした。緊急物資の支援は当然急務ですが、 心のケアも急務だと痛感しました。
1月2日は、特に被害が大きかったといわれる南部ハンバントッタに 向かいます。』 |
1月 2, 2005 緊急支援 | Permalink
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