被災地で感じる人々の人生
コロンボから南部ハンバントタに向かう沿岸道路には、まだまだ津波の恐ろしさを物語る風景が続いています。破壊された建物が生々しく残り、その隙間にビニールテントや地面に刺した枝にビニールシートをかけただけの手製テントが建っています。
イスラムの祝祭日にあたる21日は、本来ならお祝いが行われるはずでした。ハンバントッタはスリランカでは少数派のムスリムが多い地域ですが、「今年は祝う気分にはなれない」と避難所にいた人々が悲しそうに言っていました。
ここのモスクは半分破壊されていましたが、人々は仮の建物で毎日5回、お祈りをしているそうです。この避難所はハンバントッタの海岸近くにあり、津波以前にその土地に住んでいた人々が、また同じ土地に住む、とテント生活を始めています。しかし彼らが同じ土地に引き続き住めるかどうかは、今後の政府の土地・住居再建政策にかかっており、その保証はありません。
避難キャンプで、イラクでの出稼ぎから戻ってきたばかりという男性に会いました。バグダッドの米軍基地でドライバーとして働き、戻ってきたら津波で奥さんと子供、家を失ったとのこと。イラクで活動を続けるJENにとって、バグダッドで外国人が米軍と働くということの危険性は十分理解できます。苦労を重ねて家族の元にやっと帰ってきたのに、家族やせっかく貯めたお金で手に入れた家を失ってしまった... その心の傷の大きさは、想像するだけでも心が痛みます。被災者一人一人がそれぞれに異なる人生を背負って生きていることを改めて痛感し、今後きめ細かい支援が継続して行われる必要性を強く感じています。