2019年4月26日 (金)
旧クラム管区でのノウルーズの祝祭
通常、新年は1月1日から始まります。一方で、世界には他に違った新年があります。中国の春節は最もよく聞く新年の祝祭の一つかもしれませんが、世界にはまだ実に多くの文化、国、宗教によって異なる祝祭があります。
ノウルーズとはペルシャのお正月としても知られているイランのお正月で、世界の色々な国で祝われています。その起源はイランであるにもかかわらず、ノウルーズは多様なコミュニティで行なわれてきました。いくつかの異なる信仰の人達にとっては楽しい休日ですが、シーア派のイスラム教徒のコミュニティでは、聖なる日として存続しています。
ノウルーズは春の始まりの印です。イラン暦の最初の月の最初の日を示します。通常は3月21日、あるいは更新された暦により、その前後の日に当たります。家族が集まって儀式を行います。今年は2019年3月21日でした。
ノウルーズの主な行事は、家の掃除や買い物、家族や友人を訪ねること、以下に一部だけ追って紹介します「ハフトスィ―ン (haft seen)」、「ハフト メワ (haft mewa:7つの違う種類のドライフルーツやナッツ類のシロップ漬け)」、「コンチャ(khoncha:小麦などの新芽を真ん中に置き、7つの皿に盛られた料理を並べるなど伝統的な陳列)」、「アム ノウルーズ(amu nowruz)とハジ フィルズ(haji firuz:明るい赤い服と帽子をかぶり、アムーノウルーズと同行、伝統的な歌を歌いタンブリンを演奏)」 、「キャムピーラク(kampirak:恩恵や自然の力を象徴するあごひげを生やした老人で、村々で施しを行う)」を含んでいます。
ハフトスィ―ンはとても面白い習慣で、ペルシャ文字“س ”(英語ではS)で始まる7つの食べ物(例えば、ペルシア語の表記で、小麦、大麦などの新芽、サマヌ(甘いプディング)、グミの果実、酢、リンゴ、ニンニク、植物スマック果実の香辛料)を意味します。テーブルの上に置かれたハフトスィ―ンの周りに家族で座ります。イランでは、ノウルーズの祝祭の伝統的な使者は「アムーノウルーズとハジ フィルズ」であり、かれらは新年を祝うために通りに現れます。
アムーノウルーズは子供達にプレゼントを届けます。サンタクロースのような存在です。彼はナネ・サルマの夫で、彼らは1年に1回しか会えないという伝統的なラブストーリーを共有しています。
今年のノウルーズの祝祭はパラチナル地域で行われました。パラチナルやアリザイ地域のシーア派コミュニティは、2019年3月21日の晩に新年の祝祭としてノウルーズを行いました。この日の朝には、ほとんどの有名な神殿で巨大な旗をたてます。数千人という人々がこの行事を宗教的美徳と共に祝いました。パラチナルの人々は、異なる神殿を訪れ、親戚や友人を訪ねて祝います。そして、子ども達はこの日を祝うため新しい洋服を着ます。彼らの家では色々な料理を準備し、それを親戚や友人に振る舞います。ミュージシャンは、この特別な時期にコミュニティの人々を楽しませるため演奏をします。
JENの現地スタッフは、近くのイマーム・バルガ(シーア派の聖なる建物)に供えられた料理のいくつかをいただきました。全体的に、ノウルーズの間、喜びと祝祭の雰囲気が町全体に溢れていました。そして、この祝祭は15~20日間続きました。
4月 26, 2019 文化、生活、習慣 | Permalink
2018年3月15日 (木)
パキスタンの気候と農業
3月 15, 2018 文化、生活、習慣政治、経済、治安 | Permalink
2018年2月 1日 (木)
ペシャワールの文化遺産
パキスタンでは武装勢力の掃討作戦が展開されたことにより、避難を余儀なくされていた多くの人びとが、少しずつ故郷に戻っています。くわしくはこちらから。
こうした状況に対してJENは、連邦直轄部族地域(FATA)ハイバル管区への帰還民を対象に、支援者の皆さまと日本政府のご協力のもと、家畜を通じた生計向上プロジェクトに取り組んでいます。
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JENは連邦直轄部族地域(FATA)での活動の拠点として近隣の大都市であるペシャワールに事務所を置いています。ペシャワールは文化遺産が豊富な町で、今回はそのいくつかをご紹介します。
ペシャワールの歴史は紀元前3世紀に遡り、南アジアで最も古い都市の一つです。
代表的な文化遺産の一つに「ゴーハトリ」があります。
これは1641年にムガール帝国皇帝のシャー・ジャハーンの王女であるジャハン・アラ・ベグムによって建てられた宿泊所です。
広さは4万5千平方メートル以上あり、複雑な構造をしています。王女はこれを「サライ(「宿泊所」の意味)・ジャーナバード」と名付け、モスクや内部への階段がついた井戸を作りました。遠方から来た人々はこの井戸で喉を潤したり水を汲んだりしたのです。
また、ゴーハトリはラクダ商隊の宿泊所ともなりました。東西に2つの門があり、それぞれに10の宿泊室を伴った2階建ての建物が併設されていました。
【ゴーハトリ】
他に「セティス・モハラー」という遺跡もあります。
これは大貿易商であったセティス一族によって建設された7軒の家の集合体です。ガンダーラと中央アジアの様式が融合したユニークな造りとなっています。最初の建物は1884年にハジ・アーメド・グルによって建てられました。
【セティス・モハラーのベランダ】
【セティス・モハラーの2階】
これは1900年に建設された旧市街の「ガンタ・ガー」(時計台)の近くにあります。この20メートルほどの高さの時計台は歴史的シンボルのようになっています。セティス一族は中国・アフガニスタン・イラン・中央アジアなどと貿易を行い、アフガニスタンのマザリシャリフやウズベキスタンのタシケントなどに拠点を構えていました。
【時計台】
セティス・モハラーは木造で、完成までに35年間を要し、ここでは交易のために通貨が交換されていたそうです。
【セティス・モハラーがあるペシャワール旧市街】
2月 1, 2018 文化、生活、習慣 | Permalink
2017年11月30日 (木)
FATAのスポーツ
パキスタンでは武装勢力の掃討作戦が展開されたことにより、避難を余儀なくされていた多くの人びとが、少しずつ故郷に戻っています。くわしくはこちらから。
こうした状況に対してJENは、連邦直轄部族地域(FATA)ハイバル管区への帰還民を対象に、支援者の皆さまと日本政府のご協力のもと、家畜を通じた生計向上プロジェクトに取り組んでいます。
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人びとが帰還するようになってから、政府と人道援助団体は彼らが元の生活を取り戻すための支援を始めました。
避難の前、人びとに人気があったスポーツはクリケット、ホッケー、バレーボール、サッカーでした。その中で特にクリケットは盛んでした。しかし、人びとは帰還後、生活を立て直すのに忙しく、スポーツを楽しむ余裕などありません。子どもたちは学校でスポーツを覚え、クリケットもしますが、学校施設や教育内容の整備も課題です。
スポーツの必要性を鑑みて、政府は2016年11月に総合運動公園を建設しました。この公園は有名なクリケット選手にちなんで「シャヒッド・アフリディ総合運動公園」と名付けられました。クリケット場、サッカー場、バスケットボールコートなどが整備されました。また、子ども用の公園も作られました。太陽光発電で稼働する給水施設も備え付けられています。
現在、この公園はそれほど活用されていませんが、将来、すべての人びとが帰還した後、利用者が増えるでしょう。FATAにもスポーツの才能をもった人びとがいると言われていますが、現在は資機材や施設の不足により、こうした人びとが能力を発揮できません。まだまだ先は長いものの、総合運動公園を第一歩として、国内的・国際的に活躍するスポーツ選手が出てくることが期待されます。
【総合運動公園の将来的見取り図】
【クリケット場】
【サッカー場】
【バスケットボールコート】
【太陽光発電式給水施設】
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11月 30, 2017 文化、生活、習慣 | Permalink
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2017年11月16日 (木)
ギルギット・バルチスタンへの旅
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パキスタンでは武装勢力の掃討作戦が展開されたことにより、避難を余儀なくされていた多くの人びとが、少しずつ故郷に戻っています。くわしくはこちらから。
今回はいつもの活動紹介と異なり、パキスタンの北部、ギルギット・バルチスタンと呼ばれている地域をご紹介します。
仕事に追われていた私はちょっと日常から抜け出そうと、友人達と小旅行に行くことにしました。都会の喧騒を離れた静かなところがいいということで、ギルギット・バルチスタンに行くことになりました。
私たちはカラコルムハイウェイを通ってフンザに行きました(ちなみにフンザは「風の谷のナウシカ」に出て来る風景のモデルになっていると言われています)。カラコルムハイウェイはパキスタンと中国を結び、カラコルム山脈を通る道路で、世界で最も高い標高を走る舗装道路として世界の8番目の不思議と呼ばれています。
道すがら、私達は世界で9番目に高いナンガ・パルバット山(標高8,125m)や27番目に高いラカポシ山(標高7,788m)を見ました。日暮れ時のラカポシ山山頂は絶景でした。
【カラコルムハイウェイ】
【日暮れ時のラカポシ山】
そしてフンザに着いたのですが、ここに11世紀に建設されたアルティットフォート(要塞)や8世紀に建てられたバルティットフォートなどのシルクロード沿いの遺跡があります。ギルギット・バルチスタンは昔、多くの国に分かれ、その中でフンザは最も豊かな王国だったのです。
その後、私達は中国との国境にも行き、2010年の地滑りでフンザ川がせき止められてできたアタバド湖などを見ました。
フンザは静寂でした。夜は遠くの川の流れしか聞こえません。15時間かけて交通や工場などの喧騒を逃れてきましたが、まったく疲れを感じませんでした。
会計オフィサー
サマー・バット
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11月 16, 2017 文化、生活、習慣 | Permalink
2017年10月12日 (木)
活動展示
パキスタンでは武装勢力の掃討作戦が展開されたことにより、避難を余儀なくされていた多くの人びとが、少しずつ故郷に戻っています。くわしくはこちらから。
こうした状況に対してJENは、連邦直轄部族地域(FATA)ハイバル管区への帰還民を対象に、支援者の皆さまと日本政府のご協力のもと、家畜を通じた生計向上プロジェクトに取り組んでいます。
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10月10日に行政とNGOがFATAなどパキスタン北西部への支援を振り返り、今後の支援について考えるイベントを、パキスタンに於いて共催しました。
【イベント会場】
このイベントでは行政・学界・国連・NGOの代表がスピーチを行い、人びとの災害などにおける自助努力・協力・回復力などの重要性について話しました。また、JENを含む20団体のNGOが活動展示を行いました。
【JENのブース】
JENは活動写真や支援している人びとに提供した資機材などを展示しました。
【熱心に質問をする来場者のみなさん】
参加者は各展示ブースを回り、NGOの活動について聞きました。JENが酪農を通じて人びとの収入創出を支援していることに感銘を受けていました。
参加者の中には学生もおり、多くの質問を受けました。人びとの啓発や家畜管理に関する技術移転などについて説明しました。
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10月 12, 2017 文化、生活、習慣 | Permalink
2017年3月30日 (木)
夢、それはきれいな空気を吸うこと
パキスタンでは武装勢力の掃討作戦が展開されたことにより、非難を余儀なくされていた多くの人々が、少しずつ故郷にもどっています。くわしくはこちらから。
きれいな空気を無料で手にすることが私たちの夢になるなんて、数十年前に誰が予想したでしょうか。現在の状況は悪くなる一方なので、そのうちマスクなしでは外出できなくなるのでは、と考えています。
パンジャブ州北部のラホールやその他の地域では、冬の到来とともに、日常生活に影響を及ぼすような深い霧に包まれるようになりました。報道によると高速道路は閉鎖され、航空便は遅れたり欠航したりしたそうです。しかし、ただの冬の霧と思われていた厚い霧の層は深刻な健康被害をもたらすスモッグだとわかりました。
濃いスモッグは激しい目の痛みや呼吸困難を引き起こしています。パキスタンでは大気汚染はもはや憂慮すべきレベルになってしまいました。実際、生活レベルの向上により、ここ数年、大気汚染は急激に悪化しました。その主な原因は、車の数の増加や人口密集地域の広がり、化学製品や製造業者の増加、さらに森林破壊などです。
何らかの公害対策を講じるのは政府の責任ですが、ここパキスタンでは公害対策の予算がなく公害への対応をしていません。パキスタン最大の都市カラチでも現在ゴミ問題が深刻です。通りからゴミを撤去する資金が政府にないのです。そんな状況ですが、できることからしなければなりません。
【下水の滞留でごみと汚水が滞留しているパキスタンの道路】
市民一人ひとりの力は微力ですが、大気汚染をなくすための環境保護活動にはいつでも参加できます。例えば、私たち自身の日常の小さな行動で、身近な環境汚染を減らすことができます。一番重要なのは電気などのエネルギーを賢く使い、家庭のゴミを適切に捨てることです。さらに、レジ袋、衣服、そして紙やビンなどを再利用すれば、大いに役に立ちます。
【溢れるごみと汚水と共に都市生活を送るパキスタンの人びと】
また、企業も廃棄物を適切に廃棄する責任があります。彼らは生産活動の過程で社会から利益を得ているので、その利益の一部を社会に還元するのは彼らの責任ですし、それは企業の利益にもなります。
人びとの健康や環境を守るため、公害対策は地球規模の大きな課題です。私たち全員が地球の住人なので、公害問題は誰もが関わりがあるのです。そして、地球の住人の一人ひとりの力は微力であっても、環境汚染防止のために活動できるのです。
環境保護は、自分たちの身の回りに関心を持ったり、子どもたちを愛したりすることの毎日の生活の延長線上にあるものであり、後に続く世代のため持続可能な未来を保障することなのです。
"Healing the earth is like healing ourselves."
「地球を癒すことは、自分自身を癒すようなものです」
BY: Samar Butt
JEN パキスタン 経理担当
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3月 30, 2017 文化、生活、習慣 | Permalink
2017年1月26日 (木)
糞燃料:家畜の副産物
パキスタンでは武装勢力の掃討作戦が展開されたことにより避難を余儀なくされていた多くの人びとが、少しずつ故郷にもどっています。
支援対象のハイバル管区バラ地区の人々は牛や水牛の糞から燃料を作っています。これは主に女性の仕事です。この燃料は現地で「サピャカ」と呼ばれています。
【燃料の山です】
糞燃料は以下のようにして作られます。
1.水牛や牛の堆肥を集める
2.堆肥を円盤状にする
3.これを壁に貼り付ける
4.二日間乾燥させる
5.壁から取り外して燃料として使用する
【乾燥のため壁に貼り付けられた糞燃料】
4,5個の燃料で野菜料理を作るのを賄えます。また、冬場の入浴用に湯を沸かすために使用します。この燃料は大量に保管され、時々市場で売られます。1つあたり平均3ルピー(約3円)で、250~500個ほどを売って750~1,500ルピー(約750~1,500円)の売り上げとなります。多くの家畜を所有している世帯の女性たちにとって適度な収入源になっています。
【乾燥後の糞燃料。家庭内で用いたり販売されたりする】
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1月 26, 2017 文化、生活、習慣 | Permalink
2016年11月10日 (木)
牛乳と乳製品-農村及び都市部の人々の収入源
パキスタンの農村及び都市部に住む人々にとって、牛乳とその副産物である乳製品は、主な収入源になっています。畜産農家は毎日牛乳を農村から都市部に運び、牛乳店に売っています。JENのオフィスがあるペシャワール市にも、JENの事業地であるやKhyber管区Bara地域のAka-khel地区から牛乳が運ばれて来ます。
畜産農家の人たちは牛乳をペシャワール市の店や市場に持って来て売ります。牛乳1キロあたり80ルピーになります。1日につき、一農家が2頭の牛からとれる約8~10キロの牛乳を売るので、約640~800ルピーの収入が得られます。しかし、その大部分は農家の食費に消えてしまいます。
JENオフィスの近く、食料品店のオーナーによると、毎日550~600キロの牛乳を買い取り、店で売っているそうです。そのうち半分はヨーグルトやバターなどの乳製品に加工して売っています。牛乳を農村から町の市場に運ぶのに約1時間かかります。また、牛乳の取引は畜産農家や牛乳店の収入源ではあるのみならず、消費者に重要な食料を提供しています。
【お皿になみなみしているのはヨーグルト】
【ヨーグルトの入ったお皿が棚で売られるのを待っています】
これら地域の乳製品の需要と供給バランスを見て、JENは畜産農家の生計向上のため、牛乳サプライチェーンの販売体制の改善に取り組みます。
【大きなお皿から小分けして販売。250gあたり30円くらい】
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11月 10, 2016 文化、生活、習慣 | Permalink
2015年12月17日 (木)
FM-93バンヌー
ラジオ・パキスタン・バンヌーは2005年6月に政府によって設立されました。
通常8時から20時までの放送ですが、緊急事態の際には24時間放送になります。
カバーしている地域は半径60km圏で、ラッキーマルワットや北ワジリスタン管区、南ワジリスタン管区などの地域で聞くことができます。
スタジオ1つとアンテナ1つで放送されているこのラジオ局からは、教育情報、娯楽、若者、農業、文学、女性関連など、様々な番組が放送されています。
他に毎週、ラジオ・クリニック、政治行政番組、「サマ・ラー」(イスラム教の番組)、バンヌーやラッキーマルワットの開発に関する番組や、週1回のドキュメンタリー番組といった特別番組も放送されます。
これらの番組には、教授、医師、宗教指導者、政治家、地方行政や他の政府の代表者などの様々な職業や機関の人々が招かれます。各番組では、現在の課題を議論し結論を出そうとします。
このラジオ局は人々が番組に参加して関係者に質問したりコメントを送ったりできるよう、連絡先も提供しています。
FM-93はバンヌーとラッキーマルワットでの国内避難民の危機に際して、きわめて重要な役割を担いました。北ワジリスタンの国内避難民に特別放送が発信され、人びとはさまざまな情報を得ることができました。
国内避難民は今なお、現在の危機的状況や帰還作業における新しい動きについて情報を収集し続けています。
【ラジオ局のアンテナ】
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歳末募金にご協力をお願いいたします。
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12月 17, 2015 文化、生活、習慣緊急支援 | Permalink
2015年6月18日 (木)
バンヌー鳥園
バンヌー県は、ハイバル・パフトゥンハー州の南部にあり、カラック県、ラッキーマルワット県、連邦直轄部族地域の北ワジリスタン管区と隣接しています。居住民族はパシュトゥーン人ですが、民族は更に細かく4つの部族にわかれています(Banuchi、Niazi、 Marwat、Abbasies)。
この県に北ワジリスタン管区から逃れてきた国内避難民の支援のため、JENは2014年からバンヌー県にオフィスを置いています。
ハイバル・パフトゥンハー州の野生動物局は、絶滅危惧種の鳥たちを繁殖し、地域の人々の野生鳥類保護の意識を向上させるために、鳥園を作りました。
JENのバンヌーオフィスから1kmほどの所にあるこの鳥園は、広さが1.5エーカー(約6,070㎡)で、樹木や花で溢れる庭園エリアと、鳥たちの小屋のあるエリアに分かれています。
園内には様々な鳥がいますが、一番多いのはパキスタン、中国、カンボジアやスリランカからやってきたクジャクやキジたちです。鳥たちが卵を産むと大部分は種の保存のために園で繁殖され、残った卵は周辺コミュニティに売られます。
働いているのは獣医師と獣医師アシスタントが各1名、警備員が4名、庭師5名の計11名です。
バンヌー県内唯一のレジャー施設であるこの鳥園には、家族連れの人々が頻繁に訪れます。特に、国内避難民はこの施設に無料で入場できるということもあり、子供を連れた避難民の姿が良く見られます。自然や野生動物たちについて、日々楽しみながら学んでいるのです。
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6月 18, 2015 文化、生活、習慣 | Permalink
2015年4月23日 (木)
バンヌー市とその地に暮らす国内避難民の状況
バンヌー市は、ハイバル・パフトゥンハー州バンヌー県の県庁所在地で、アフガニスタン・ホースト州の東にあり、パキスタンの北・南ワジリスタン管区の東35km、コハート県の南127km、デラ・イスマイル・カーン県の北143kmに位置しています。
古代に造られた歴史ある都市ですが、現在の市の礎は1848年、イギリス人のハーバード・エドワーズ大尉によって築かれました。アフガニスタン国境に近く、立地条件も適していたため、かつて、国境付近にいるアフガニスタン部族に対する軍事作戦のための英国軍基地がおかれていました。
【市内に残る古代の門】
バンヌー市に住む人々は“Bannuchi”と呼ばれパシュトゥン語の方言を話しますが、ウルドゥー語、サライキ語、パンジャブ語などの言語も使っています。住民のほとんどがパシュトゥン人でBannuchi族が最多の民族ですが、ワジール族、メスード族、ダワール族、マルワット族、バンガッシュ族なども多く居住しています。バンヌーという名前はBanniGul (花のように美しい)に由来しており、人々の故郷への愛を表しています。
2014年6月に、北ワジリスタン管区で政府軍による反武装勢力掃討作戦が始まると、そこから近いバンヌー市に大勢の国内避難民が押し寄せました。約100万人が北ワジリスタン管区からハイバル・パフトゥンハー州の各地へと移動しましたが、そのうちおよそ80万人がバンヌー地方にやって来て、借家やテントなどで生活をするようになりました。
国内避難民によりバンヌー市の人口は約2倍になり、地方全体にその影響が及ぶようになりました。バンヌー地方の国内避難民たちは、それぞれの場所で厳しい状況下での生活を余儀なくされているのです。
バンヌー地方は農業生態学的に2つの地域にわけることができます。1つ目は豊かな水源と灌漑施設の備わった農業用地を含む地域、もう1つの地域は砂漠と、雨水によるわずかな植物が生えるだけの、乾燥した不毛の地域です。
国内避難民の居住地域は、土地の特徴と所有する家畜の数によって決められています。
家畜を多く持つ国内避難民たちは朝家を出て1日中家畜の餌を求め歩き、夜になると帰宅するため、乾燥・不毛地帯に定着しました。土地の所有者も、乾燥地帯では農作物が育たないためその土地での放牧を止めたりはしません。
家畜をあまりたくさん持っていない国内避難民は、灌漑地帯に定着しました。放牧により現地の人々の農作物が被害を受ける可能性があるため、彼らは家で飼料を与えて家畜の世話をしています。
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4月 23, 2015 文化、生活、習慣国内避難民支援 | Permalink
2014年5月15日 (木)
インダス川を渡る、おとぎ話の旅
ジェンの現地スタッフは先日、ハイバル・パフトゥンハー州の25番目の郡として新たに認定された「トルガル」郡を、ニーズ調査の為に訪れました。別名「ブラック・マウンテン」とも呼ばれている同郡は、面積が約54平方キロメートルで山岳地帯にあり、人口はおよそ30万人です。
トルガル郡はインダス川によって2つに分かれており、川を渡り、市場などに行く手段として、ボートが頻繁に使われています。ボートのほうが他の交通手段に比べ、時間がかからないのです。
ジェンスタッフが調査を行なうため対象地域にジープで移動した時は、約1時間かかりましたが、帰りにボートを利用したら移動時間はほんの15分でした。トルガル郡の近くには、インダス川流域に建設されたパキスタン最大のダムである、タルベラ・ダムがあります。
今回の訪問では、驚きの旅をすることになりました。インダス川は上からの眺めでは落ち着いて安定した流れに見えますが、実際川を下り始めて皆、びっくりしました。中流ではものすごい速さで水が流れ、浮き沈みがとても激しく、ぞっとするほどだったのです。それでも船乗りは自分がしっかり舵を取っているから心配する必要は無いと、約束してくれました。中流を通過し、川の深い流域にたどり着くと、流れも落ち着き、旅も快適になってきました。
インダス川が両側ともに山に囲まれているせいか、私たちはまるで、山あり谷ありの不思議な冒険をするおとぎ話の登場人物のようでした。今回の調査訪問はとても面白い旅となりました。
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5月 15, 2014 文化、生活、習慣国内避難民支援 | Permalink
2014年4月 3日 (木)
FATAでの課題の解決
JENは連邦直轄部族地域(FATA)において、2012年12月より帰還民を対象とした事業を実施してきました。(活動概要は、こちらから)
彼ら帰還民は、政府と反政府勢力間での戦闘により、故郷から逃れた人々です。長引く不安定な情勢のため、FATAはパキスタン国内において紛争地帯として知られてきました。
ここに住む人々はみな、伝統的に自分たちの武器を持っています。また、人々は、温かいもてなしの心や友情に厚いなどの特性を持っているとされる一方で、識字率は低く、長引く紛争に加担してきた一面も持ち合わせています。
FATAクラム管区での事業実施期間中、JENスタッフは、水供給施設建設に関するコミュニティ住民同士の対立などの課題に直面してきました。支援の成果を得るためには、そのような対立をすぐに解決することが最も大切です。コミュニティの困難な状況に留意し、JENスタッフはFATAの社会構造に順応するよう努め、帰還民とのよりよい課題解決の方法を身につけてきました。
現地スタッフは何事にも熱心に取り組みます。上述のような困難な状況の中、彼らは交渉力を発揮し、事業期間中、その時々で起こるあらゆる問題を適切に解決してきました。結果として、JENはクラム管区でのプロジェクトを成功裏に完了し、活動終了後の対象地域からの撤退も円滑に平和的に行うことができました。
これらの経験を活かし、今後も困難な課題に直面しても地道に一つずつ解決し、支援を行っていきます。
【コミュニティ住民の話し合い】
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4月 3, 2014 文化、生活、習慣国内避難民支援 | Permalink
2014年3月20日 (木)
国内避難民の想い
連邦直轄部族地域(FATA)で最近行われた空爆により、23,061世帯が住まいを失いました。
現在、FATAに隣接するコハート県では27,700世帯の国内避難民たちが仮の住まいで暮らしています。殆どの避難民世帯の平均月収は5,000ルピー(約5,000円)程度と非常に低く、最も一般的な収入源は日雇い労働です。
この状況の中、国連などの人道支援機関は食糧配布を毎月実施しています。
現在コハートのジャルマに住んでいる、FATAオラクザイ管区出身のアクバル・バズさんはJENが現地調査で訪れた際、こう述べていました。
「私は人道支援機関から毎月、食糧の配給を受け取っていますが、これによって私たちが失ったものが取り戻されるわけではありません。私の子ども達は避難民としての生活を5年間も続けています。家族はもうバラバラで、我々パシュトゥーン人たちの民族的価値観も失われつつあります。これらをどうすれば、元に戻せるのでしょうか?私たちは家に戻りたくても、戻れません。そして、いつまでここで暮らし続けなくてはいけないかも分かりません」。
【アクバル・バズさんに話を聞くJENスタッフ】
アクバル・バズさんの言葉はすべての国内避難民たちの気持ちを表しています。彼のような状況におかれてしまった人たちが国内避難民としての生活をこれ以上送らなくてすむよう、この問題には政府だけでなく、国際社会が取り組む必要があるのです。
【JENでは、皆様からのご寄付を受け付けています。ご協力をよろしくお願いします。
ご寄付は、こちらから受け付けております】
3月 20, 2014 文化、生活、習慣国内避難民支援 | Permalink
2014年2月20日 (木)
デラ・イスマイル・カーンのラクダフェスティバル
デラ・イスマイル・カーンのパハル・プル郡では毎年様々な場所で、ラクダフェスティバルが開催されます。このイベントでは、ラクダの重量挙げコンテストを行うのですが、これに参加するため、カイバル・パフトゥンハー州、バロチスタン州、パンジャブ州など、パキスタン中からラクダを連れた飼い主たちが集まってきます。
フェスティバルでは太鼓やフルート演奏、伝統舞踊が披露され、食べ物や小物などを売る屋台が軒を連ねるなど、とても賑やかです。主催者の一人によると、このイベントの人気は上昇中で、毎年数千人もの参加者が訪れるそうです。
イベントは全て地元の人々によって企画され、重量挙げができれば誰のラクダでもコンテストに参加することが出来ます。
最近ですと2014年2月に、パハル・プル郡のダッキ村でこのフェスティバルが開催されました。約1万5千人が訪れて、50頭のラクダが重量挙げコンテストに参加しました。
コンテストに優勝するのは小麦袋を一番多く持ち上げることが出来たラクダです。各袋は重さ84キロで、今回の優勝者はなんと1176キロ相当となる、14個の袋を持ち上げました。優勝したラクダはその後オークションで900万ルピー、日本円にしておよそ900万円の価格で買い取られました。
ジェンスタッフがインタビューをしたハミッド氏によると、このコンテストは地元の人々にとって、大切な娯楽の一つであるとのことでした。また、同時にこのイベントは現地文化をパキスタン中から訪れる人々に紹介することが出来る機会でもあり、経済的にも好影響をもたらす、とてもポジティブなお祭りだそうです。
【袋を背負ったラクダ】
【自分のラクダが勝って喜ぶ少年】
【優勝したラクダ】
【84キロの袋】
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ご寄付は、こちらから受け付けております】
2月 20, 2014 文化、生活、習慣 | Permalink
2014年2月 6日 (木)
デラ・イスマイル・カーンの地元ラジオ局
今回はパキスタン、特にデラ・イスマイル・カーンにおけるラジオ事情についてお伝えします。
ラジオは公共の安価で手軽な情報源であり、またコミュニケーションツールでもあります。お年寄り、若者、子ども、女性、信仰心の厚い人、教養のある人から読み書きのできない人まで、様々な人々が日常的にラジオを聴いています。
リスナーの98%は地方在住者です。デラ・イスマイル・カーンにはラジオ・パキスタン‐FM‐93、キャンパス・ラジオ104.6(デラ・イスマイル・カーンのゴマル大学が管理)、グローバルFM‐91デラ・イスマイル・カーンの3つのラジオ局があります。
グローバルFM‐91デラ・イスマイル・カーンは民営のラジオ局であり、地方の政治家、社会活動家が創設者となり、地方市場とそのオーナーの共同出資のもと、2006年12月に設立されました。地方市場からの平均収入は月70000ルピー(約70000円)であり、これは総資金額の40%に相当します。
このラジオ局のオフィスはデラ・イスマイル・カーンのジェンの事務所近くにあります。かつては高さ160フィート(49メートル)、放送電波の受信可能地域が半径約50kmに及ぶ電波塔がありましたが、2008年の台風により崩壊しました。
現在の電波塔は高さ60フィート(18メートル)、電波の受信可能地域は半径約15kmです。
【電波塔】
毎日、音楽・芸能・ニュース・時事問題等様々な内容を放送しています。主に若者の問題に焦点を絞っていることから、90%のリスナーは若者ですが、市民の関心事である政府当局の問題にも注目しており、市民全体の40~50%が関心を寄せている問題がここで取り上げられていることになります。
また、このラジオ局はアドボカシー分野と、洪水や南ワジリスタンにおける紛争で被害を受けた国内避難民・地域コミュニティへの啓蒙活動にも非常に精力的に取り組んでおり、番組はパシュトゥー語、サライキ語、ウルドゥー語でも放送されています。このラジオ局は洪水時の警告、事前の注意喚起に活用されたこともありました。
ジェンの現場チームも携帯電話を通して日頃からこのラジオ番組を聞いており、支援活動に関連する情報を収集しています。
【ラジオに出演したジェンスタッフ】
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ご寄付は、こちらから受け付けております】
2月 6, 2014 事務所・スタッフ文化、生活、習慣 | Permalink
2012年11月29日 (木)
連邦直轄部族地域(FATA)の現実
ジェンが現在活動しているハイバル・パフトゥンハー州の西隣には、アフガニスタンと国境を接する連邦直轄部族地域(FATA)という地域があります。FATAの一部の地域では今もなおパキスタン軍と反政府武装勢力による戦闘が続いています。
部族民として知られるFATAの人びとは、独自の文化規範を持っています。パキスタンの他の地域の人びとや、他の国の人びとの多くは、FATAが周辺地域の問題の中心となっていて、そこに住む人々は残虐で無知な人々である、というイメージを持っているかもしれません。しかし、一度ATAを訪れると、その考え方が100%変わると私は信じています。
FATAの人びとは残虐でも無知でもなく、愛情深く気遣いがあり、とても親切でホスピタリティにあふれています。教養もあり、世界に対してとても前向きです。実際に会ってみると、この地域の人たちは皆素朴で、気難しい人を見つけるのが逆に難しいのではと感じるほどです。
FATAの地域・人々そのものが問題の中心なのではなく、その素朴さゆえに様々な国の政治的な利害関係や欲の影響を受け、結果的に戦乱に巻き込まれてしまっているのです。
私が現地調査でFATAを訪れた時、現地の受け入れ担当者は、お茶とドライフルーツで伝統的なおもてなしをしてくれました。担当者は、「戦争による被害を見る前にFATAの美しさを見てほしい」と言い、一日目は被災地以外のエリアの案内をしてくれました。もしかすると彼は、「第一印象が最後まで人の記憶に残る」ということを知っていて、私たちが最初に見るものが戦争の被害であってほしくなかったのかもしれません。
FATAの空はこれまで見てきた中で最も青く、夜にはたくさんの星がくっきりと輝いていました。
川の水は対岸に住む人同士をつなぐように流れ、遠くには見渡す限り美しい山のパノラマが広がっていました。
また、花があちこちに咲き、赤く染まった楓が景色に秋の色を添えていました。
もしFATAに平和が戻ったら、パキスタンで指折りの行楽地になると思います。日常の喧騒や人工的な物に疲れた時、FATAの自然、素朴な人々に触れると、澄んだ気持ちをきっと取り戻せると思います。
イスラマバード事務所長 アズマット・アリ
11月 29, 2012 文化、生活、習慣国内避難民支援 | Permalink
2012年11月 1日 (木)
イード・アル・アドハー
パキスタンでは、10月26日~29日は「イード・アル・アドハー」というイスラム教の大きなお祭りの期間です。
イード・アル・アドハーは最も長い祝日の一つで、パキスタン以外の世界中のイスラム教国でもお祝いします。このお祭りは、イスラム預言者のイブラヒムが神であるアッラーへ自分の息子イシュマエルを犠牲として捧げようとした事を記念したものです。
この期間中、人々は自分の家畜をアッラーへ捧げます。通常、家畜の肉のうち1/3は貧しい人々へ、もう1/3は近所や友人へ分け与え、最後の1/3は自宅で食されます。このイベントはもちろん宗教的な意味においても重要ですが、イスラム教徒としての親切さ・慈悲深さを実践する日でもあります。
この時期、家畜である牛、山羊、ラクダの市場価格(肉ではなく、動物そのもの価格)は高騰します。パキスタン国内の大都市にはイード用の動物市場があり、あちこちの村の農家がイード用に販売するため家畜を連れてやってきます。
この時期、人びとは家畜の価格高騰はさほど気にせず買ってくれるので、これらの農家にとっては商機であり、もちろん値引き交渉も可能です。
多くの人はこの時期自分の村へ帰り、特別な休日を家族と一緒に過ごします。そのような点では、このお祭りは日本の新年のお祝いに似ているともいえるでしょう。イード期間中は街中のあちこちで家畜の屠殺を見かけますが、これはアッラーへの信仰心と貧しい人々への慈悲の表れなのです。
このような行事を、世界で10億人以上ものイスラム教の方々が行っていると考えると、とても壮大で尊く感じます。もちろん、イスラム教徒でなければイードのお祭りに参加しなくても良いのですが、現地にいると、この文化・宗風は敬わずにはいられません。
皆さん、イード・ムバラク(イードおめでとう)!
写真提供:Shehzad Khattak (旧ジェンスタッフ)
11月 1, 2012 文化、生活、習慣 | Permalink
2012年10月 4日 (木)
デラ・イスマイル・カーンのスポーツイベント
10月 4, 2012 文化、生活、習慣 | Permalink
2012年9月20日 (木)
デラ・イスマイル・カーンのモンスーン
ジェンが活動しているデラ・イスマイル・カーン県の現地語では、モンスーン(雨期)のことを「サワヌル」と呼びます。パキスタンのモンスーン期間は毎年7月中旬ころから始まり、9月中旬頃まで続きます。
2010年以降、モンスーンによる大雨はパキスタン各地で大洪水を引き起こし、インフラや農業に大きなダメージを与えています。被害がこれまでで最も大きかった22010年の大洪水では、ハイバル・パフトゥンハー州やシンド州、バロチスタン州、パンジャブ州で甚大な被害がでました。同年はデラ・イスマイル・カーン県の主要な地域も大洪水に見舞われ、住民約80万人と南ワジリスタンから避難していた国内避難民3万2千世帯が被災し、約15名が死亡、80名が負傷しました。
この時に被災した人々の一部はいまだに生活環境を回復できず、今もなお家を建て直して普通の生活を再開する為に苦労しています。
現在、現地災害対策本部の洪水予報部や気象庁はデラ・イスマイル・カーンを含む複数の地域に大雨・洪水注意報を発令しています。UNOCHA(国連人道問題調整事務所)によると、既に今年のモンスーンの雨によってデラ・イスマイル・カーン県の都市部では洪水が発生しているとのことです。この洪水による犠牲者は出ていませんが、一部の家屋や道路がダメージを受けており、ある場所では橋が完全に崩壊し流されてしまったそうです。
国連はモンスーンによるあらゆる被害に対応するために、国際NGOなどの協力を受け危機管理計画を策定しました。パキスタン政府当局も、正式な危機管理計画はありませんが状況を注視しています。JENも被害状況に注意を払いながら、活動を継続していきます。
9月 20, 2012 文化、生活、習慣 | Permalink
2012年7月26日 (木)
デラ・イスマイル・カーン第二位の果物、マンゴー
マンゴーはパキスタンで最も有名な果物の一つです。
ジェンが活動しているデラ・イスマイル・カーンでも第二位の生産高を誇る果物です。デラ・イスマイル・カーンには1500ものマンゴー果樹園があります。現地農民の大きな収入源の一つになっており、収穫時期には労働者たちにとっても稼ぎ時です。
マンゴーはインド亜大陸、ミャンマーやアンダマン諸島が原産で、仏教僧が五世紀にマンゴーの苗木と種をマラヤや東アジアに持ち帰りました。そこからアフリカ、ブラジル、東インド諸島、バルバドスやジャマイカへ広まりました。
他の熱帯性気候の国々と違って、パキスタンではマンゴーは夏にしか収穫できません。
様々な種類のマンゴーがデラ・イスマイル・カーンでは栽培されていますが、マンゴーの品種は英語では発音が難しいです。例えば、Anwar Rathor、Langrra、Cheeta Choonsa、 Fajiri、Doosiri、Samar Bahisht、Shan-e-khuda,Sindhri,12 number Rathor、 Golden、Maida や他にも現地の品種があります。
【さまざまな種類のマンゴーを売る行商人】
マンゴーが育って熟すまでには約3か月かかりますが、種類によっては3~4か月かかるものもあります。果実はまだ青く硬い状態で木から摘まれますが、伝統的には熟し切っていない状態のマンゴーが木から落ちた時が収穫の時期だと言われています。
【市場で売る準備ができた摘みたてマンゴー】
マンゴーは写真にもある通り、果実へのダメージが最小限になるよう現地で作られた網を使って単純な方法で収穫されます。
【マンゴーを収穫するためのネット】
1本の木からマンゴーを摘むには2人必要です。果樹園は通常現地の業者に1シーズン単位で売られ、業者が6エーカー(約24,282平米)の果樹園に対して8人の労働者を雇います。
私は様々な国でマンゴーを食べてきましたが(インドネシア、タイ、ハイチ、ドミニカ共和国など)、一番おいしいマンゴーはパキスタン産だと思います。他の生産国と比べても一番安く、旬の時期は1キロのマンゴーが80ルピー(約60円)で買えます。
7月 26, 2012 文化、生活、習慣 | Permalink
2012年5月17日 (木)
ミルク・フェスティバル (ドゥードゥ・マイラ)
これまで何度か触れてきたとおり、パキスタンでは家畜が国内経済においてとても重要な役割を果たしています。農村部で暮らす多くの人々にとって、家畜は重要な生計手段です。
JENが活動しているデラ・イスマイル・カーン県は、紛争が続く南ワジリスタン管区に隣接しています。同県は、以前はパキスタン国内でも比較的平和な地域として人びとに親しまれていました。しかし、近年の宗派間闘争や対テロ戦争による治安の悪化が、デラ・イスマイル・カーン県内の経済にも影を落としています。
そこで、同県のファー・プル地区家畜調査・開発局は今年の4月13日に、山羊や羊、牛などを持つ畜産農家を対象に、ミルク・フェスティバルを開催しました。このお祭りの目的は次の通りです。
・畜産農家の人々の家畜・乳製品開発に関する知識を改善する
・宗派間対立やテロによるストレスを抱えた人びとにリフレッシュの機会を与える
・色々な品種の家畜を飼育する意欲を取り戻してもらう
ミルク・フェスティバルでは、家畜による様々な対決イベントが催されました。ラクダの重量挙げ、牛や水牛のミルク搾乳量対決、雄山羊の体重・体長比べなどもありました。上位3位までの勝者の中には、なんと昨年JENが山羊を配布した国内避難民の一人、ナセーブ・カーンさんの姿がありました。勝者インタビューの際には、家畜局の役人の一人がJENの活動を評価してくれました。
デラ・イスマイル・カーンでは治安問題もあり、避難先での厳しい生活は続きますが、支援を届けた人の元気そうな姿を見て嬉しく思いました。
5月 17, 2012 文化、生活、習慣生計回復事業 | Permalink
2012年4月26日 (木)
現地スタッフの故郷、スワビ地区
現地スタッフの故郷、スワビ地区
今日は、イスラマバード事務所で働く現地スタッフの故郷のご紹介です。
私はスワビ地区・バタカラ村出身です。スワビは、ハイバル・パフトゥンハー州のインダス川右岸に位置し、周囲をマルダン、ブネルおよびハザル地区に囲まれた地区です。
スワビ地区の住民は、パタン族のユーサフザイ部族かウトマンザイ部族に属しており、その文化やホスピタリティで良く知られています。
2009年にスワット地区で起きた反政府武装勢力と政府軍との戦闘によって、多くの国内避難民が発生しました。
スワビの人びとはこれらの避難民を温かく迎え入れ、紛争が収まるまでの間、自分たちの住居の一部を提供しました。
また、スワビの住民はとても社交的で礼儀正しく、同地区で活動する個人や援助団体に敬意を払っていました。2009年の国内避難民発時には、JENを含む多くのNGOがスワビ地区で活動しましたが、スワビの人びとはその活動もサポートしました。
スワビの人びとの主な収入源は農業・牧畜で、多くの人びとが小麦やトウモロコシ、タバコ、サトウキビ、野菜を育て、羊、山羊、水牛や山羊を飼育しながら素朴な生活を送っています。人々はこれらの作物や家畜を日々の食事に利用するとともに、客人にも振舞います。
【換金作物であるタバコ畑】
【山羊を家畜として育てる農民】.
また、スワビ地区の若者の多くは教育を受けており、公的機関や民間企業において様々な仕事に従事しています。スワビ地区の就学率はハイバル・パフトゥンハー州内の他地区と比べても高く、工科大学として名高いパキスタンGIK大学も同地区にあります。
【GIK大学全景】
JENのスタッフにもスワビ出身者が私を含め数名おり、地元で様々なコミュニティ団体の社会活動に従事しています。
4月 26, 2012 文化、生活、習慣国内避難民支援 | Permalink
2012年3月15日 (木)
パキスタンの手工芸品
パキスタンはその歴史から豊かな文化的伝統を受け継いでおり、各地域に様々な伝統的・文化的手工芸品があります。
なかでも、世界的に有名なのは、カシミール地方のショール、バロチスタン及びシンド族の刺繍、ペシャワールのチャパル、サルゴダ及びデラ・イスマイル・カーンの木彫り工芸などです。
JENの現在の活動地であるデラ・イスマイル・カーンでは、木彫り工芸が昔から続く産業の一つとなっています。ここでは何十年も前から、多くの家庭が生計手段として木彫り工芸を行ってきました。この木彫り工芸は、壮大で歴史あるパキスタン文化を世界中に発信していると言えます。
ナジ―ル・フセインさん一家は、これまで100年以上にわたって木彫り工芸に携わってきました。ナジールさんのお店は、トパンワラ市場にある古い手工芸品センターの一角にあり、そのお店の品物一つ一つが文化的遺産と呼べるものです。
ナジールさんのお店の売りは、「ジンドゥリ」と呼ばれる手作りの木彫り工芸品です。ジンドゥリの作成は大変時間がかかり、高レベルな技術が要求されます。
ナジールさんの作品は小さな飾りから日用品まで多岐に渡ります(木彫りのおもちゃ、テーブル、灰皿、ティーセット、テーブルランプ、壁掛け時計、壷、木彫りの花、宝石箱、化粧台など)。また、注文を受けて木彫りのロゴや盾を作ることもあるそうです。
2010年7月の洪水と南ワジリスタンでの武力衝突により、同地域の他の産業と同様に手工芸業も大きな影響を受けています。ナジ―ルさんによると、トパンワラ市場はその魅力が薄れてきており、それにより彼のビジネスも影響を受けているそうです。
それでも、ナジールさんは自分の仕事に革新をもたらそうと、毎日希望を持って一生懸命働いています。
3月 15, 2012 文化、生活、習慣国内避難民支援 | Permalink
2012年3月 1日 (木)
ゴマル大学
パキスタンは国土の27%が耕作地で、農業が大変盛んな国です。
また、バッファロー、羊、山羊、ラクダ等の家畜によるミルク生産量が世界第4位と、畜産業も盛んです。
このため、パキスタン経済にとって農業・畜産業は重要で、この分野の継続的に成長させていくには、専門家の育成が不可欠です。
そのような専門家育成機関の一つとして、ジェンの現在の事業地であるデラ・イスマイル・カーンに、ゴマル大学という有名な農業大学があります。
ゴマル大学はパキスタン国内大学ランキング12位の評判の良い大学の一つで、学部レベル・学院レベル共に幅広い講義を提供しています。
学部は文学部、農学部、薬学部、理学部の4つがあり、全部で29の学科に分かれています。
(写真は農学部)
デラ・イスマイル・カーンのゴマル獣医化学カレッジでは、ゴマル大学と連携して5年間の獣医薬学博士課程を開始しました。これまでに何百人もの学生がここを卒業し、畜産分野で活躍しています。
現在のジェン事業地で畜産指導員研修を担当する家畜専門家も、そのうちの一人です。
ゴマル大学はパキスタン人の学生だけでなく、アフガニスタンやイラン、湾岸諸国など、様々な国から学生を受け入れており、特にアフガニスタンからは毎年30~40名の学生が上記の博士課程を履修しています。
3月 1, 2012 文化、生活、習慣 | Permalink
2012年1月 5日 (木)
デラ・イスマイル・カーンのれんが工場
デラ・イスマイル・カーンを含め、パキスタンの都市部の家は、ほとんどがれんがで造られています。
パキスタンで道や建物に使用するれんがは、泥と砂で作るのが一般的です。というのも、泥と砂のれんがはコストが比較的低く、頑丈だからです。
れんがはパシュトゥン語で「バタイ」と呼ばれる工場でつくられます。デラ・イスマイル・カーンにも約80カ所のバタイがあり、約6000人の労働者がそれらの工場で働いていると言われています。
今回は、そのバタイを経営している男性から聞いたお話を紹介します。
バタイには、オーナーが直接労働者を監督して経営しているところと、オーナーと年間契約を結んだ請負業者が経営しているところがあります。
デラ・イスマイル・カーンに住むバーズ・ムハマドさんは、バタイのオーナーと年間契約を結び、請負業者として経営をしているうちの一人です。ムハマドさんのバタイでは80人の労働者が働いているそうです。
丈夫なれんがを作るには、固めの泥を使用するのがポイントです。
バタイでは、まずトラックで仕入れてきた泥を24時間水につけ、
収縮を防ぐために砂と混ぜて、れんがの型となる専用の木枠に流し込み、
7日間天日干しにします。
乾いたれんがは、さらに強度を高めるため、加熱装置の中で21日間焼かれます。
1回のサイクルで作られるれんがの数は約350,000個に上るそうです。
こうして出来上ったれんがはトラックに積まれ、消費者のもとに届けられるのです。
1月 5, 2012 文化、生活、習慣 | Permalink
2011年12月 1日 (木)
デラ・イスマイル・カーンの憩いの場
ジェンが事業を行っているデラ・イスマイル・カーン県東部には、インダス川が流れています。インダス川はパキスタンで1番、世界で21番目に大きな川です。デラ・イスマイル・カーンでは、この川の川辺が有名な憩いの場となっています。
インダス川の川辺には、家族向けの公園が一つと、遊園地風の公園があります。遊園地風の公園には、小さな観覧車もあります。
また、そこには「ミッドウェイ」というデラ・イスマイル・カーンで最も有名なレストランがあります。「ミッドウェイ」ではパキスタン料理だけでなく、中華料理やイタリア料理も楽しむことができます。更に、ここではソバット(大きなポットで出てくるパンを粉々にした料理。4~6人で一緒に食べる)というデラ・イスマイル・カーン名物も食べることができます。
地元でちょっとした観光スポットとなっているのが、「ガジ」と呼ばれる川辺に乗り上げた古い船です。この船は川の水位が低下したため、川辺に乗り上げてしまったのでした。
週末になると、人々はボートで川を渡ったり、川で泳いだりして楽しい時間を過ごします。特に夏場の週末はあらゆる世代がここに集まり、沢山の人々でにぎわいます。川沿いにはアイスクリームや炒飯、果物など様々な食べ物を売る屋台が並び、そのお客さんでにぎわいます。
川辺での過ごし方はまだまだあります。ダンス好きな人たちが集まって、ダンスを披露したり、フットボールやフリスビー、バレーボール、コバッディ(レスリングのような競技)などのスポーツに興じる若者もいます。
インダス川は釣りスポットとしても最適なので、川沿いに住む人々の中には魚を釣って生計を立てている人もいます。
日本でも川辺でスポーツや散歩を楽しむ人々が見られますが、そのような点ではデラ・イスマイル・カーンの人びとの川辺での過ごし方も、共通する部分があるのかもしれません。
===== ご報告 =============
平成23年度 外務大臣表彰受賞しました。
これまで、JENの活動を温かくご支援くださいました、
支援者の皆様に、深く感謝申し上げます。
詳しくは、こちらへ
12月 1, 2011 文化、生活、習慣 | Permalink
2011年9月22日 (木)
ソハン・ハルワの街、デラ・イスマイル・カーン
デラ・イスマイル・カーンはハイバル・パフトゥンハー州にあるとても美しい街です。
この街の市場は「チョウガラ」と呼ばれる場所に集中しています。
「チョウガラ」とは、「4本の道が始まる場所」を意味する言葉で、そこには言葉通りトパ・ワラ市場、ムスリム市場、カラン市場、バティヤ市場の4つのメインストリートがあります。
デラ・イスマイル・カーンは以前お伝えしたデーツの他、マンゴーの生産地としても有名です。中でも、ラングラという種類はパキスタン中で人気の品種です。
更に、デラ・イスマイル・カーンは伝統的なお菓子‘ソハン・ハルワ’で有名です。このお菓子は、パキスタンや湾岸地域の国々で、思わず舌鼓を打つほどの美味しさで人気です。
ソハン・ハルワ屋は街のあちこちで見られますが、特にトパ・ワラ市場に集中しています。
この街では、ソハン・ハルワを売って生計を立てている人も多いのです。
ソハン・ハルワは通常牛乳、ソニ(小麦粉で作られた材料)、マイダ(小麦粉の一種)、バター、砂糖で作られ、パキスタンの主要なお祭り(イードなど)でゲストに振る舞われます。
デラ・イスマイル・カーンでは、様々な種類のソハン・ハルワが作られています。トパ・ワラ市場のソハン・ハルワ屋のオーナーによると、8種類のドライフルーツが入ったもの、アーモンド入りのもの、無糖のもの、無脂肪のものなど、全部で11種類が売られているそうです。
それぞれ値段は異なり、1キロ180パキスタンルピー(約155円)~300パキスタンルピー(約260円)で手に入ります。
市場では段ボール箱、錫の箱、プラスチック箱の3種類の梱包方法が可能です。カルダモンやココナッツ、ピーナッツ、アーモンド、ウォールナッツ、ピスタチオ等が風味付けの為だけでなく、飾り付けにも使われます。
パキスタンのデザートはとても魅力的で食欲をそそるものが多く、「良い食事」を語るには、ケール(ライス・プディング)やフェルニ(カスタード)、そしてもちろんソハン・ハルワ、といったスイーツが欠かせません。
ウルドゥー語では、「仕事は甘いものを食べてから」という意味のことわざもあるほど、パキスタンでスイーツは重要なものなのです。
====== ご報告 =============
平成23年度 外務大臣表彰受賞しました。
これまで、JENの活動を温かくご支援くださいました、
支援者の皆様に、深く感謝申し上げます。
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9月 22, 2011 文化、生活、習慣 | Permalink
2011年9月 8日 (木)
国内避難民とデラ・イスマイル・カーンの暑い気候
デラ・イスマイル・カーンの郊外に暮らす国内避難民は2つのタイプに分かれます。紛争国内避難民と、季節性国内避難民です。
この地域で暮らす紛争国内避難民は、南ワジリスタン管区で起きているパキスタン軍と過激派の戦いから逃れてきた人々です。戦闘をのがれた市民たちは、親戚やホストコミュニティの家、または借家へ避難しており、かたみのせまい、劣悪な生活環境で暮らしています。
一方、同じ地域で暮らす季節性国内避難民は、もともと安定した生活基盤があり、大抵は自分で事業を営むか、自分の土地で耕作をして暮らしている人たちです。
これらの人々は、冬期だけデラ・イスマイル・カーンに移住してきます。季節性国内避難民の出身地の冬は、豪雪と氷点下の気温によって生活がとても厳しくなるからです。
そして、夏になってデラ・イスマイル・カーンの気温が耐えられないくらい暑くなる頃に、過ごしやすい気候の出身地へと帰るのです。
しかし、今年は例年と状況が異なります。季節性避難民の出身地も紛争のため、夏になっても帰れずにいるのです。そして、通常しのぎやすくなる夏の最後の2ヵ月に入ってもなお、デラ・イスマイル・カーンの気温はずっと40度前後のままです。
紛争国内避難民も、季節性国内避難民も、このような暑い気候の中の生活には慣れていません。
それでも、季節性国内避難民はもともと安定した生活基盤を持っているため、どうにか暑さをしのいで生活していくことができます。
一方、経済力の低さゆえに物を満足に買うことのできない紛争国内避難民にとって、このお湯の中にいるような暑さは、日常生活を一層困難にすることに繋がってしまっています。
====== ご報告 =============
平成23年度 外務大臣表彰受賞しました。
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9月 8, 2011 文化、生活、習慣国内避難民支援 | Permalink
2011年8月11日 (木)
2011年のラマダン
ラマダンは、イスラム暦では9月にあたります。この月には、世界中のイスラム教徒達が断食を行います。丸一ヶ月の断食は、心身の健康にとても良い影響を与えます。
ラマダンで面白いのは、毎年イスラム暦と西暦に10日ずつずれが生じることです。毎年、ラマダンの開始日は前年より10日早くなっていきます。例えば、2010年のラマダンは8月10日に開始しましたが、今年は8月1日に始まりました。
昨年私たちは洪水被災者とともにコハート地区で断食を行いました。ジェンは同地区でラマダン1週目に、最初の事業として食糧以外の物資の配布を行いました。毎日平均気温40~45度という猛暑の中、最も被害が大きく、最も脆弱な被災者へ支援を届けるのが当時の目的でした。
去年の洪水からちょうど1年経った今、ジェンはデラ・イスマイル・カーン県の国内避難民の生業復帰支援を開始しようとしています。
今回の支援対象は同県パハル・プル郡の3村です。同事業地はデラ・イスマイル・カーン県とミアンワリ県をつなぐチャシュマ・ロード沿いに位置しています。パハル・プル郡には肥沃な土地と、インダス川からあちこちの農耕地へ流れる用水路があり、小麦やトウモロコシ、野菜など様々な農作物がとれます。
中でもデーツ(ナツメヤシ)はパハル・プル郡では最も重要な生産物の一つです。パハル・プル郡のダッキという場所は美味しいデーツが取れることで有名で、パキスタン国内の他の地域にも出荷されています。デラ・イスマイル・カーン県は一年中暑い気候なので、デーツや様々な品種のマンゴーが取れるのです。
ラマダンの期間中、デーツは最も重要な食べ物です。イスラム教徒はデーツと水を切望しながら空腹に耐え、毎日15時間の断食の後に休憩を取ることになっています。
ジェンスタッフは、デラ・イスマイル・カーンにいる機会を利用して、家族のために地元の市場でラマダン用のデーツを買いました。
====== ご報告 =============
平成23年度 外務大臣表彰受賞しました。
これまで、JENの活動を温かくご支援くださいました、
支援者の皆様に、深く感謝申し上げます。
詳しくは、こちらへ
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8月 11, 2011 文化、生活、習慣 | Permalink
2011年6月16日 (木)
花の町、ペシャワール
JENが現在活動しているペシャワールは、南アジアと中央アジアへの玄関口として古くから交通・商業の要地として栄えてきました。その歴史は、紀元前6世紀のガンダーラ王国の時代にまで遡ります。
現在ペシャワールの人口は約300万人、東はイスラマバードやラホール、南はカラチへと道路がつながり、流通の要となっています。そして、有名なジャムロッド・ロード(Jamrod Road)はアフガニスタンにつながっています。
ペシャワールは10年ほど前まで、花が溢れる町として知られていました。パキスタン北西部ハイバル・パフトゥンハー州の州都であり、高等教育や病気の治療を受けるために沢山の人々がペシャワールを訪れていました。町中の公園では、多くの人々が一日の仕事の疲れを癒したり、家族や友人と楽しい時間を過ごしたりしていたものでした。
ペシャワールはホスピタリティの豊かな場所としても知られています。70年代後半、アフガニスタン紛争が起きた際は、多くの難民が命を守るためにパキスタンに逃げなければなりませんでした。その難民の多くがペシャワールの難民キャンプや親戚、友人の家に避難したのです。彼らがペシャワールを選んだ理由は、カブールやその他のアフガニスタンの都市と文化的背景がとても似ていたからです。
2009年に、スワット渓谷や連邦直轄部族地域(FATA)で衝突が起きた際も、多くの住民がペシャワールに避難しました。
しかし、頻繁にテロが発生するようになり、今のペシャワールは「戦争の町」もしくは「爆発の町」と呼ばれるようになってしまいました。今、毎日のようにペシャワールの人々の尊い命がテロによって失われています。治安上の問題から、自国民にペシャワール地域への訪問を制限している国もあります。
このような状況の中でも、ペシャワールの人々は自分の生まれ故郷に残ること選び、熱心に学校や仕事に通っています。テロや事件が起きる度に救出活動を手伝い、献血に協力もします。いつかこの戦争とテロの時代に終わりが来ることを信じているからです。
ペシャワールの人々は、近い未来、この街がまたたくさんの花で溢れ、古い町並みやパシュトゥーン文化を楽しむために世界中から旅行客が訪れる日が来ることを信じています。
6月 16, 2011 文化、生活、習慣 | Permalink
2009年9月 3日 (木)
全ての人に平等な支援を
パキスタン政府は、スワート県やブネール県などの出身の国内避難民へ緊急支援を行う際、IDカードを持っている国内避難民にのみ難民登録をし、支援を実施していました。JEN を含めた他のNGO団体でも同じように、支援する基準はIDカードを持っているかどうかでした。しかし調査を継続していると、IDカードを持っていないことが理由で難民登録をされていない国内避難民が多くいることに、JENのスタッフは気付きました。
ある日、スワビ県にあるJENの事務所に一人の女性が訪れました。警備員は彼女を止め、JENのスタッフに彼女のことを知らせました。スタッフが直接話を聞くと、彼女は一人で五人の子どもを育てている女性で、年老いた義理の父親も一緒に暮らしているようでした。夫は病気で数年前に亡くなったそうです。
彼女たちはスワート県でも郊外に住んでおり、IDカードを持っていなかったのです。それどころか、彼女はIDカードが彼女にとってそれ程重要なものだとは思っていなかったため、家から二時間ほど離れたIDカード事務局へ行ったこともなかったようです。義理の父親は、IDカードは持っていましたが、緊急避難のため故郷から持ってこられなかったのです。
JENのスタッフは翌日話し合い、国内避難民問題を担当している地区の首長のところへ彼女について相談にゆきました。そして首長とともに調査に行き、その家族が本当に支援を必要としていることを確認しました。一家は、泥でできた小さな一室にホストファミリーとひどい状況のなか暮らしていました。
すぐにJENのスタッフは一家の支援を行い、翌週の他のNGO団体との会議でこの問題点を挙げました。そして、避難民登録された人びとだけでなく、様々な理由でIDカードを持ち出せなかった、避難民登録に未登録の貧しい国内避難民も支援することを強く主張しました。
人びとが難民として登録されていようといまいと、平等に支援されるべきなのです。
9月 3, 2009 文化、生活、習慣緊急支援 | Permalink
2009年8月27日 (木)
独立記念日を感じながら
パキスタンは、1947年8月14日、独立を果たしました。毎年、パキスタンの人びとはこの日を心待ちにし、国中がお祭り騒ぎとなって独立記念日を祝います。スワート県では特に愛国心が強く、熱狂的にこの日を祝うのです。
しかし、今年は治安部隊と軍隊との戦闘により、スワート県の一部の人びとは、子どもや女性、お年寄りを戦闘から守るため、独立記念日の間、故郷を離れ、他の地域に避難して暮らしていました。
独立記念日の日、ジェンのスタッフが支援現場に行くと、ちょうど避難民が、故郷スワートへ帰ろうとしているところでした。ジェンのスタッフは、その中の数名に、帰還と独立記念日を迎える心境を尋ねてみました。すると、次のように話してくれました。
「私たちは、同時にふたつの独立を祝っているのです。ひとつはパキスタンの独立。もうひとつは、避難所から故郷へ戻ることが出来るという意味での独立です。
自分たちの土地の安全が確認されて、うれしくなりました。戦闘が終わり、これからは以前と同じように安全な暮らしができるようになるのですから」
彼らの目には、恐れや不安からくるものではない、嬉し涙がたまっていました。
8月 27, 2009 文化、生活、習慣緊急支援 | Permalink
2009年8月13日 (木)
パシュトゥーン人のもてなしの心
上の世代の人々のあいだでは、北西辺境州に多く住むパシュトゥーン人はもてなしの心があることで有名でした。このもてなしの心は、パシュトゥーン人の文化にとって重要な要素だったのです。パシュトゥーン人の文化や習慣を紹介する本や記事には、彼らがお客さんに対して愛情を持ち世話をすることがいつも紹介されています。
批判家の中には、ここ数年来パシュトゥーン人のもてなしの心の習慣が変わってきていると言う人がいます。それは、彼らを取り巻く世界が変わり、伝統や文化をあまり気にしなくなったからだといわれます。しかし、この4ヵ月のあいだに、批判家の言葉は間違いだったと言える、非常に良い例を北西辺境州で目の当たりにしました。
ブネール県やスワート県での戦闘から逃れてきた国内避難民に対して、ホストファミリーは、お客さんとして迎えていました。ファミリーは、緊急避難のため何も持って来ることが出来なかった彼らに対して、食料や宿泊場所、トイレ、ベッド、料理器具、その他多くのものを共同で使用するもてなしをしたのです。
JENのスタッフが国内避難民と会話した中で、その多くがホストファミリーを、自分の本当の家族のように感じたと言っていました。また、5人の子どもがいる国内避難民の家族が暑くて苦しんでいるのを見て、一つしかない扇風機を譲ってあげているファミリーを、JENのスタッフは見ました。その他にも、北西辺境州における素晴らしいもてなしの心を、スタッフはたくさん目にしたのです。
現在JENの支援によりベッド、うちわ、ガスシリンダー、料理セット、衛生セット等を得た国内避難民は、ファミリーから借りた生活用品を、感謝の気持ちを込めて返しています。
8月 13, 2009 文化、生活、習慣緊急支援 | Permalink
2009年7月30日 (木)
交通渋滞
国内避難民の人びとの一部は、故郷での安全がある程度確認された後、故郷へ帰り始めています。毎日、何台もの車やバス、トラックがスワート県に向かって走っています。家畜を連れて帰郷する人びとは、トラックを借りて家畜を運んでいます。
このように帰郷する人々で、ジェンが事業を実施している地区に続くマラカンドへの主要道路は、毎日交通渋滞が絶えません。渋滞が何時間も続くことすらあります。ジェンでも、調査や支援物資配布が遅れてしまうことがあります。しかし、毎回暗くなるまでには仕事を終わらせ、約75キロ離れたスワビ県の事務所に帰っています。
真夏の7月でも、毛布をかけて寝る必要があるほど涼しいスワート県やブネール県の北で暮らしてきた人々にとって、マルダン県やスワビ県の暑い夏はとても過酷なものでした。彼らは、故郷では、新鮮できれいな湧き水を飲んで暮らしていました。ところが、避難先では、政府が所有する貯水池から給水車が運んでくる水を飲まざるを得ない状況でした。避難民の中には、スワビ県やマルダン県の厳しい気候に適応するのが難しく、肌に炎症を起こしている子どもたちもいました。
渋滞は困ったのものですが、彼らの避難所での厳しい生活がようやく終わったのです。
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このたびの緊急支援に、
皆さまの、ご支援をよろしくお願いいたします。
ご寄付は、こちらまで
その他、お問い合わせは、電話:03-5225-9352
または、info@jen-npo.orgまで
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7月 30, 2009 支援物資配布文化、生活、習慣緊急支援 | Permalink
2009年6月18日 (木)
故郷から続く川
武装勢力とパキスタン政府軍との戦闘は、パキスタン北西辺境州で続いています。その中でも、スワート県は、紛争の中心地にあり、沢山の避難民を出しています。
ここに住む人々は、新鮮で冷たい湧き水や氷河から流れ出る水など自然の恵みを享受してきました。そして、フルーツ、牛乳や肉、その他必要な栄養を摂り、バランスのとれた食生活を送ってきました。豊富な自然の中での生活は、市街地に住む人々よりも豊かであるとすら言われるほどです。高地にあるスワートの夏は、とてもさわやかで避暑地として有名です。パキスタン各地からたくさんの家族連れが訪れ、また、心地よい気候や、壮大な氷河の景色、美しく豊かな湖や緑の渓谷を楽しむのです。
わたしたちは、このたびの緊急支援のために、スワートから南に下ったマルダン県や、スワビ県で活動を開始しました。スワート県を美しく彩っている沢山の川やその支流は、やがてマルダン県やスワビ県に流れ込み、この地域の人々の農業や飲み水に使われているのです。
マルダン県で、川沿いに暮らす国内避難民のおじいさんに話を聞きました。
「この川を見るたびに嬉しさと、そして悲しさがこみ上げてきて、とても複雑な気持ちなります」
その理由を尋ねると、
「この川は、私の故郷スワート県のカラムというところにある氷河から流れ出てきてるのです」と教えてくれました。
「私の故郷では、農業や飲み水、また水浴びも、すべてこの川の水を使っていました。この川を見て懐かしむたびに悲しくなるのです。でも、故郷から100キロ以上離れたこのマルダンの地においてさえ、私は、この水を使って生きることができます。同じ川の水を使っていることをとてもうれしくも思うのです。川の水は、スワートで見るよりは澄んでいません。それでも、私たちは同じ川の水で水浴びをします。私たちの故郷から続くこの川は、マルダン県とスワビ県の広大な土地に水を運んでいるのです」
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このたびの緊急支援に、
皆さまの、ご支援をよろしくお願いいたします。
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6月 18, 2009 文化、生活、習慣緊急支援 | Permalink
2009年1月29日 (木)
ジェンでの3年間、その2 ~現地スタッフ アズマット~
私は、毎日楽しくジェンで働いています。チームの仲間とは、意見の交換を行ったり、常に提案に対して耳を傾けてくれるだけでなく、知識や経験を共有してくれるからです。事業を行っている間に何か失敗したとしても、決して声を荒げることなく、どうやって改善すればよいか、どうやってそのような失敗を回避できるかを教えてくれます。これは何かを学ぶためには最も良い方法だと思います。
睡眠が十分取れなかったり、食事も不十分だったりすることもある現場での仕事は、時には非常にハードなものです。それでも、支援を必要としている人のためと思うと、よりやる気がでてきます。
私たちは、カシミール地方で、数多くのプロジェクトを行いました。現在は、昨年末に発生した地震で甚大な被害を受けたバロチスタン州で被災者支援活動を行っています。この地域は、文化も生活様式もカシミールとは全く異なっています。カシミールは、インドの国境近くに位置するのですが、停戦合意がなされているため治安は安定しています。また住んでいる人びとも比較的に開放的です。JENの現地事務所からの距離もそれほど遠くはありません。
一方、バロチスタンは正反対の状況です。事業地はアフガニスタンの国境近くなので、常に治安の問題があります。また、クエッタに設立した事務所からも片道110キロの場所にあり、毎日往復220キロを移動しなければなりません。事業地の人びとは、宗教心に篤く保守的で、家の周りにも高い塀をめぐらせています。
このプロジェクトに携わっているジェンスタッフは全員、現地の文化やルールを尊重しながらコミュニティとの共同活動を行っています。そのためか、現地の人びとからの反応も良好です。尊重の気持ちを忘れずに活動を行っているからこそ、地震発生直後に家の中の写真を撮ることを許された最初の団体になれたのだと思います。
コミュニティと協働し、プロジェクトを進めることは、とても重要です。今回も、カシミールの時と同様に、ジェンが配布した越冬用のテントを、ジェンスタッフの指導を受けながら受益者が自分たちで建てています。そして、非常に良い状態で、住民自らがテントの維持管理を行っています。
これまでの私たちの活動は、現地政府からも注目されています。先日は、地区調整会議長から自宅での食事に招かれました。また、現地新聞2誌で、バロチスタンでのジェンの活動が写真入りで報道されました。
将来のジェン事業も、バロチスタンの事業同様スムーズに進むことを願っています。
ジェンは現在、バロチスタン地震の被災者へ、緊急支援を実施しています。皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。 ご寄付はこちらまで クレジットカードによる寄付
1月 29, 2009 事務所・スタッフ文化、生活、習慣 | Permalink
2009年1月22日 (木)
ジェンでの3年間、その1 ~現地スタッフ アズマット~
私がジェンで働き始めたのは2005年10月15日に発生したカシミール大地震の直後からでした。その前は、国際機関で働いていました。大地震が発生したとき、救援ボランティアとしてカシミールか北西辺境州に行きたいと考えていました。まさにその時、ジェンで通訳として働いていた友人からの電話で、ジェンがスタッフを探していることを聞きました。NGOの活動に加わることは、支援を必要としている現地の人たちを組織的にサポートできる、最も適切な方法なのではないか、と考え、早速ジェンにコンタクトを取り、フィールドオフィサーとして採用されました。
ジェンのスタッフになって最初の1週間、カシミールの被災地で国際スタッフとともに働き、非常に感銘を受けました。というのも、仕事の仕方が同じ地域で活動している他の組織と大きく違ったからです。当時、私が一緒に働いた日本人スタッフは非常にプロフェッショナルでハードワーカーでした。時間も食事も天気も気にせず、気にかけていることは唯一、一刻も早く必要な人びとに支援を届けることだったのです。
私は主に現場で働いていましたが、イスラマバードで働いているスタッフにも感銘を受けました。この女性の日本人スタッフは、連日、朝の3時まで働いているのです。フィールドとイスラマバードで働く2人の姿を見て、私も彼らと同じように働こうと努力しました。これまで成功しているかどうかわかりませんが!?!、今も最善を尽くしています。
続く
皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。 ご寄付はこちらまで クレジットカードによる寄付
1月 22, 2009 事務所・スタッフ文化、生活、習慣 | Permalink
2008年12月11日 (木)
農家の朝食
スタッフが「伝統的な朝食をみんなで食べよう」と言い出したので、スタッフ全員いつもより早く出勤してオフィスで朝食を取ることにしました。
写真がその朝食です。脂で光を反射している写真奥の料理は、ビーフを煮込んだ「ニハリ」というシチューです。時計回りに、右手がダール(豆)のカレー、手前がゼラチンたっぷりの羊の足のシチュー、左がプラタというチャパティ(パン)を油で焼いたものです。左手手前は、クスクスのような小麦粉でできた甘いデザートです。私にとっては考えられないほど重い朝食ですが、スタッフはみなおいしそうに食べていました。
これは、伝統的な農家の朝食で、人びとは重労働に耐えるため、朝から肉と油をたっぷり取るそうです。ジェンのスタッフは、日頃はライトな朝食を食べます。
読者の皆さんも、パキスタンにいらっしゃったら、ぜひ異文化体験としてチャレンジしてみてはいかがでしょう?
12月 11, 2008 文化、生活、習慣 | Permalink
2008年10月30日 (木)
現地スタッフ能力向上 その1.フィールドでの食事
イスラマバードを出て8時間、ようやく到着したバーグ事務所で我々を出迎えてくれたのは、ガードのチョキさん(皆からはパルアン<お相撲さん>と呼ばれています)と、料理担当のバシャラット。
二人のコンビは、心優しいジャイアンと、のびたくんのようです。
カシミールへの道中、スタッフが揃って「バシャラットは臆病だ、メシもまずい、愛想もない、チャイも甘すぎるし、そもそも暗い」「いや、昔に比べると随分良くなった」どうすれば、我々が満足する仕事(料理のこと)をしてくれるか、異口同音に互いの提案を重ねます。
翌朝、バシャラットは、やはり無表情で淡々と朝食の準備をしています。もちろん笑顔なぞこぼれません。
寝起き顔のわたしがテーブルにつくや、サササと紅茶とチャパティをくれて、素早くキッチンに隠れてしまいます。
女性だからかな?と思っていたら、他のスタッフに対しても同じ動作。
やがて、バシャラットを教育中のスタッフが席につきました。サササと紅茶とチャイを運んだバシャラット。
ところが、出されたアツアツのチャパティは遊び心満載、三角形(通常は丸いです)をしています。「これが、あいつの表現方法なんだ」スタッフは言います。
さて、ランチの時間になりました。
メニューは、ジャガイモとヒヨコ豆をお米と一緒に炊いた塩味の程よいピラフ、そして香草の風味が絶妙のヒヨコ豆のカレー。
予測していたオイリーな食事とはほど遠い繊細な味付けに感動し、忙しく歩き回るバシャラットを強引に呼び止めました。「おいしいよ、バシャラット。ありがとう!」
想定外の呼びかけに、はっと立ち止まるバシャラット。
ビクッとして一歩後ずさりし、一瞬でしたがニコっと笑みがこぼれました。
その瞬間、共にテーブルを囲んでいたスタッフ全員から歓喜の声が!
「バシャラットが笑った、バシャラットが笑った!!!」
夜ご飯は、更に磨きのかかったチキンの香草煮でした。
明日からもよろしくね、バシャラット。
★☆☆★★☆☆ オンライン寄付のご案内 ☆★★☆☆★☆
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皆さんのお気持ちを、その温かさそのままに、
JENが確実にお届けします。
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10月 30, 2008 事務所・スタッフ文化、生活、習慣 | Permalink
2008年9月18日 (木)
カシミールのモッタイナイ精神
支援の届きにくい地域・人びとへの支援をモットーに活動するJEN。パキスタン地震被災者支援を行っているバーグ県ハベリ郡は、カシミールの山々と未舗装の悪路をいくつも越えた先にあります。
そんなハベリ郡で見かける車はジープや4WD、トラックなどが多いです。中でも乗用車で一番よく見かけるのは、写真のようなトヨタカローラの1974年モデルです。
日本では博物館に展示されている、いまや“クラシックカー”の部類に入る車です。しかし、カシミールでは、より燃費の良いディーゼルエンジンに変え、外装はそのまま。カシミールへの道を元気にたくましく走り回っています。30年も前の車を大切に乗り続けるカシミールの人たちはすごいですね。
ではJENパキスタンは?トヨタカローラ、ではなく4WDで山道をすすみ、日本の皆さまの支援を届けています。
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写真①カシミールで走っているトヨタカローラ
写真②地元で‘悪魔の通り道’と呼ばれる難所
9月 18, 2008 文化、生活、習慣 | Permalink
2008年8月21日 (木)
カシミールの男の子はお化粧好き?
JENはバーグ県ハベリ郡にて衛生教育を実施しています。
今、その準備として学校の先生、子どもたちへのインタビューを行っています。
このインタビューの結果を基に学校の先生への衛生教育トレーニングとそれに続く先生による子どもたちへの衛生教育ワークショップの内容を改善していきます。。
そこでパキスタンの面白い文化を見つけました。写真の男の子は目の下にアイライナーをしています。
これは「ソルマ」と呼ばれ、特別な黒い石を粉にして目の周りに塗るそうです。
こうするとものがより良く見え、また寝ている間に塗ると充血した目の疲れが取れるそうです。
首都イスラマバードではあまり見かけませんが、日ざしの厳しい高地にあるハベリ郡ではこのような文化がまだまだ健在です。
子どもの死の60%近くが不衛生な水が原因で発生する病気によると言われるパキスタン。
ジェンによる衛生知識の普及がコミュニティーの生活向上に大きく役立つことを期待し、事業を行っていきます。
8月 21, 2008 文化、生活、習慣 | Permalink
2008年7月10日 (木)
マンゴーの季節到来
今年もパキスタンにマンゴーの季節がやってきました。
パキスタンのマンゴーのシーズンは5月~9月です。
この時期は、イスラマバードのあちこちにマンゴー売りの人々が登場します。
パキスタンのマンゴーの種類はなんと約150種類あるといわれており、どのマンゴーも「世界一おいしい」といわれています。
この季節、事業地の人々の家へ招かれると、山のように積んだマンゴーをご馳走してもらえます。
「お皿にのってあるマンゴーを食べきるのが礼儀」とJEN現地スタッフに言われ、おなかがいっぱいになるほどのマンゴーを、ほぼ毎日食べることになります。
パキスタンでは1つ20円ほどからマンゴーを買うことができます。安くても一つ300円ほどする日本と比べると、マンゴー好きには天国のような国です。
7月 10, 2008 文化、生活、習慣 | Permalink
2008年5月 1日 (木)
クリケットの奥義
パキスタンの人気スポーツは何といってもクリケットです。JENの事務所がある首都イスラマバードでも、子どもたちがクリケットをしている姿をよくみかけます。
クリケットが盛んな国はパキスタンの他にイギリス、スリランカ、インド、南アフリカ、オーストラリアなどです。JENスタッフによると、パキスタンのクリケットの特徴は、「オーストラリアや南アフリカは“頭”でプレーするが、パキスタンは“ハート”でプレーする」ところだそうです。
治安の悪化ばかりが注目されがちなパキスタンですが、街角でクリケットを楽しむ子どもたちを見るとほっとした気持ちになります。JENの事業地バーグでも、地震により心に傷を負った子どもたちを癒せるよう、スポーツを通した心のケア事業を続けて行っていきます。
5月 1, 2008 文化、生活、習慣 | Permalink
2008年4月 3日 (木)
春の表情
雪で覆われた山々も雪解けが始まり、カシミールに春がやってきました。イスラマバードから事業地バーグまでは、ひたすら曲がりくねった山道を車で8時間走ります。車窓からの風景は、まるで日本の田舎を思わせます。
春、果物の花が咲く季節。今は杏の花やりんごの花が咲き乱れています。事業地までの道すがら、インド側に広がる雪山を眺めながらのお花見は、日本の風情さながらです。事業地も少しずつ暖かくなり、厳しい冬を乗り越えた地震被災者の方々の表情も穏やかに見えます。
4月 3, 2008 文化、生活、習慣 | Permalink
2008年3月 6日 (木)
カシミール流冬休み
雪が積もる間、標高の高いところにある学校では3ヶ月ほどの長い冬休みがあります。JENの学校建設現場も1月から雪に覆われていましたが、やっと雪解けが始まりました。
ある日、冬休み中の生徒の家をのぞいてみると、女の子たちが集まっていました。「学校がお休みの間、いつも何をしているの?」と聞いたところ、口をそろえて「もちろん宿題」と答えます。しかし手元にはノートとペンではなく、小石が転がっています。そこで、「先生には内緒だから本当は何をして過ごすの?」と聞いてみると、「かくれんぼとお手玉」という答えが返ってきました。
カシミールの子どもたちは小石を使ってお手玉をします。大自然と一緒に生きる子どもたちならではの遊びだと感心するのと同時に、子どもたちの楽しみは日本もパキスタンも一緒なのだと思いました。
参考情報:バーグ県ハベリ郡にある学校の冬休み期間は12月15日~3月1日
(左上写真:雪に埋もれる建設現場、右下写真:小石でお手玉)
3月 6, 2008 文化、生活、習慣 | Permalink
2007年10月18日 (木)
バーグは朝の3時
一ヶ月続いたラマダンがようやく終了しました。ラマダン中の事業地訪問はとても印象深いものでした。
パキスタンのフィールド事務所ではスタッフ全員と寝食を共にします。ラマダン中は、日中の食事を取ることができません。朝3時に起きて朝食、少し仮眠をとり、日中は事業地の視察、そして夕方6時頃の日没と共にイフタール(断食後の食事)をとります。
この期間、スタッフの間のもっぱらの話題は
「どこでイフタールをとるか」ということ。
事業地を歩いているとさまざまな人が、「今夜はうちに来ないか?」と誘ってくれます。学校の校長先生のお宅、自治会長さんの家、事務所の大家さんの家などを毎日渡り歩いて、毎日おいしいイフタールを楽しみました。
ラマダン中は、日中水を飲むこともできません。学校へ安全な水を提供する事業を実施しているため、おいしそうに水を飲んでいる子ども達に出会うのに、自分の喉はからから、というちょっと辛い経験をしました。と同時に、水道の蛇口をひねればいつでも水が飲めることのありがたさを知ったラマダンでした。
10月 18, 2007 文化、生活、習慣 | Permalink
2007年9月20日 (木)
食欲の秋 ~りんご編~
40度を越える夏が終わり、パキスタンに秋がやってきました。
八百屋さんには真夏のフルーツであるマンゴーや桃に代わり、秋のフルーツのりんご、ぶどう、ざくろが棚を飾っています。
JENが新しく学校再建事業を始めるハベリ郡チャンジャル区は、りんごの産地で知られています。建設現場の視察に行くと、何処からともなく子ども達がやってきて、もぎたてのりんごをプレゼントしてくれます。
しかし、食を楽しむ秋はとても短く、11月に入るとすぐに冬がやってきます。
パキスタン地震の復興事業は大幅に遅れているために、地震から3度目の冬を迎える事業地の子ども達は、未だにテントや仮設シェルター、もしくは外での勉強を余儀なくされています。
JENは、今年の冬もセーター配布などの越冬支援も視野に入れながら活動を続けていきます。
★ ★ パキスタン 活動報告会 ★ ★
~ 新たなミッションに着手したJENのプロジェクトとは? ~
■ 報告者:大野 健太 (写真:左端)
(JEN東京本部事務局 海外事業部プログラムオフィサー)
■日時:10月9日(火)18時半~20時半
お申し込み、お問い合わせはこちら
9月 20, 2007 文化、生活、習慣 | Permalink
2007年6月14日 (木)
ジャネワラ男子小学校の男の子からのメッセージ
JENは2006年5月~12月にかけて、ジャパンプラットフォーム様支援のもと、バーグ県ハベリ郡の学校2校を対象に耐震構造の学校を再建しました。この学校に通う子ども達からメッセージが届きました。
ジャネワラ男子小学校に通う、アザズ・メームッド君(10歳)からのメッセージです。
「地震が起こったとき、僕は教室の中にいました。突然、大きな波の音のようなものが聞こえてきたと思ったら、なにもかもが揺れ始めました。あっという間に壁が教室が壊れていくのが見えました。JENが建ててくれた学校はとてもきれいで強そうです。僕は本を読むのが好きで、JENがくれた色とりどりの本を読むのがとっても楽しみです」
ジャネワラ男子小学校は地震によって校舎が全壊し、学校が再建される前は、JENが配布した学校用テントの中で勉強していました。現在、教師3名、143人の子どもが元気に通っています。次回はJENが再建したもう一校の学校、ルーヤンカルサン女子小学校の子どもからのメッセージをお伝えします。
6月 14, 2007 文化、生活、習慣学校修復・建設地震教育 | Permalink
2007年4月 5日 (木)
みんなで力を合わせれば!
カシミール州ハベリ郡では、山頂に残る雪も少なくなり、緑が一斉に芽吹いてきました。ここ3、4日は夜間に扇風機が必要なほど暖かくなっています。パキスタンへ赴任して始めての厳しい冬を乗り越えて温かい春を迎えましたが、相変わらず雨はよく降っています。
2月中旬から3月下旬までは毎日のように雨が降り続き、現在進行中の教育環境改善と水衛生の事業の進捗に影響がでましたが、できるところから住民の力強い協力を得て、進められてきました。
JENの事業地は震災で大きな被害を受けたバーグ県の中でも特にアクセスの厳しい山岳地帯です。そんな過酷な環境にあるにもかかわらず、テントに机を配布する作業では、道路から2キロも離れた険しい山道を登ったところにある学校テントまでの机の運搬を雨の中、女子生徒までもが手伝ってくれました。
震災後、2度目の厳しい冬を自分たちの力で乗り切った住民には、自信を取り戻しつつある穏やかな表情が浮かんでいます。
4月 5, 2007 文化、生活、習慣教育支援 | Permalink
2007年3月22日 (木)
事業を支える人びと
JENパキスタンの現地スタッフの多くは、現場で事業を進めていますが、少ないながらもイスラマバード事務所にも現地スタッフがいます。彼らは、主に事業に必要な資器材の調達や現場への輸送、車両の手配、総務・会計業務の補佐などを担当しています。いわば現場をサポートする「縁の下の力持ち」的存在です。
彼らは直接現場で活動こそしないものの、事業の実施には不可欠な存在です。例えば、どんなに正確な学校テントの設置計画を立てても、予定どおりにテントが届かなければ、現場での設置はできません。このため、現場とイスラマバード事務所の間で、毎日連絡を取り合って調整することがとても大切です。
このように、イスラマバード事務所の現地スタッフは、現場でスムーズに事業を進められるよう、今日も「黒子」としてサポートをしています。
3月 22, 2007 事務所・スタッフ文化、生活、習慣 | Permalink
2007年2月15日 (木)
大自然の中に生きる人びとの知恵
今年の冬は、例年より1ヶ月早く始まり、11月中旬には、標高約1800メートルのここバーグで、早くも雪が降り始めました。
カシミールは非常に雨が多く、3日に1度は雨か雪が降るため、冬場の学校トイレの建設作業などは大変困難なものとなりました。しかし、住民の積極的な参加で、雪や雨の中でも何とか作業を進めることができ、特に、厳しい寒さのもと、一日の作業を終え住民からそっと差し出される温かいチャイは、格別なものでした。
それでは、朝の気温がマイナス5度というJEN事業地の住民は、どのように厳しい冬をしのいでいるのでしょうか。実は、ここに地元の知恵が隠されています。住民の大半は、冬用の家と夏用の家を持っており、秋の終わりになると山の麓にある家に下ります。
まるで優雅な避暑地での生活のように聞こえますが、家は土と藁葺き屋根でできた質素なもので、季節ごとに住処を変えるのも、厳しい夏の暑さと冬の寒さを乗り越えるためのカシミール人の知恵なのです。
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2月 15, 2007 文化、生活、習慣衛生教育 | Permalink
2006年11月16日 (木)
ジン
現地スタッフによれば、事業地のルーヤンカルサン校で、地震・防災教育を一緒に行っている地元の女性から「来週家にジンが来るからJENスタッフも一緒にみにこないか」と誘われたことがあった。ジンというのは、コーランにも登場する、人間には見ることのできない、人の形をした生き物でいわば「いたこ」のような存在らしい。
ジンの存在は、広くパキスタンで信じられており、スタッフの中には叔母を、ジンに体をのっとられて殺された、と本気で信じている者もいる。悪いジンは人間の体を乗っ取って、気を狂わせ、自殺に追い込ませることがあるという。ただし良いジンは、失し物の場所を教えてくれたり、危機を知らせてくれるそうだ。
バーグでは、夜、山の斜面にたいまつの行列ができることがあり、それはジンの行列だと信じられている。この深い緑に覆われた土地では、このような人智の及ばない精霊のようなものがいてもおかしくない気がした。
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11月 16, 2006 事務所・スタッフ文化、生活、習慣 | Permalink
2006年8月17日 (木)
土砂崩れ
現在パキスタン北部は雨季のため、連日豪雨が続いており、JENの事業地でもバーグでも土砂崩れが多発しています。JENの事業地へ行く山間部も土砂崩れのため、
何ヶ所か道路が封鎖されました。JENのスタッフは、村人たちと協力して土砂を撤去し道路はすぐに開通しました。
JENの事業地から車で5時間のところに位置する難民キャンプでは、土砂崩れにより子どもを含む12人の避難民が亡くなりました。目撃者の話によると、火山から溶岩が噴出したような光景だったとのことです。堆積した土石流は1m~から1.5mもの厚さになっていました。
自然の恐ろしさを前に、JENスタッフ皆、身の引き締まる思いでした。
被害者の方々のご冥福を心からお祈りします。
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8月 17, 2006 文化、生活、習慣 | Permalink
2006年7月20日 (木)
女性のおしゃれは万国共通
パキスタンというと、イスラム教。だからと言って、全ての女性が顔を隠したり、袖があって、丈の長いサルワカミーズという民族服を着ているというわけではありません。
繁華街に一歩出れば、ノースリーブとまではいかなくても、腕を大胆に出した若い女の人や、体の線がばっちりでている服を着ている人もけっこういます。スカーフも顔をかくすためではなく、おしゃれのひとつとして、服の色にあったものをいろいろと考えて巻いています。
パキスタンでは、ジーンズなやスカートを着ている女性はほとんどおらず、ほとんどの女性が好きな布を買って、仕立て屋で自分の好みに合わせたサルワカミーズを作ってもらっています。
週末ともなると、布地屋は、おしゃれ心いっぱいの女性でごったがえしています。銀行などで働いている女性は、つま先から髪形まで、毎日、びしっときめています。やはり女性のおしゃれは万国共通!
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7月 20, 2006 文化、生活、習慣 | Permalink
2006年7月 6日 (木)
リサイクル
パキスタン全土、特にイスラマバードは空き地や河川にごみがあちこちに投げ捨ててあり、お世辞にもあまりきれいとは言えません。事務所の前にある川も、ごみで水が溜まり、蚊の大量発生する理由となっています。日本のように、ビン、缶、紙、電池などのリサイクルはまだされていないようです。
先日は正規の大手プリンターインク販売店に、カートリッジをリサイクルにと持っていったら、不思議な顔をされました。パキスタンでは、日本のようなインクカートリッジをリサイクルするのではなく、インクを入れなおしてまた使用するのです。形はちがいますが、立派なリサイクルです。
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7月 6, 2006 文化、生活、習慣 | Permalink
2006年5月25日 (木)
季節の食材
パキスタンの市場は今、季節の野菜、果物で賑わっています。キュウリ、オクラ、メロンやスイカなどが手頃な価格で購入できます。
また、近隣の子どもたちがお小遣い稼ぎに取ってきた川魚も、夏の食材として味わいを添えています。
事業地のハベリ区でも、こうした旬の食材をいただくのですが、やはり全てがカレー味。オクラとトマトのカレー。そして、日本では、鮎は塩焼きにしてカボスかレモンを絞って醤油を垂らすところですが、パキスタンではやっぱり、鮎もカレー味のフライになります。
油とスパイスで胃がもたれそうなメニューばかりですが、50℃に迫る厳しい暑さを乗り切るのに、こうした季節の食材とがスタッフを支えてくれています。
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5月 25, 2006 文化、生活、習慣 | Permalink
2006年4月20日 (木)
おしゃれな牛
学校の調査チームと一緒にハベリ区のインド国境沿いのチャンジャル郡に行った時のことです。いくつもの検問を通って、山道を登って、下ってまた登って行った果ての村で、とても、おしゃれな?!牛を発見しましたこちらではよくヘナで髪やひげを染めた人を見かけますが、写真のおじさんのひげように、牛の毛を染めているのは初めてでした。
さすがにおしゃれな牛だけあって、カメラを向けるとポーズをとってくれました。きっとあの村1番の美人牛でしょう。 一緒にいた牛使いの女の子も自慢そうでした。
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4月 20, 2006 文化、生活、習慣 | Permalink
2005年12月15日 (木)
新鮮なチャイ
パキスタンでは一日に何度もチャイと呼ばれるお砂糖のたっぷり入ったミルクティーを飲みます。
支援物資を配布するためイスラマバードからバーグに行く道中の昼食時のレストランでのこと。チキン、野菜、豆カレーを国際スタッフ、現地スタッフ皆でおいしくいただき、食後のチャイがテーブルに運ばれ、さっそく飲み始めたところ、現地スタッフは皆、顔をしかめてチャイの入ったコップを置いてしまいました。店主に文句を付けに行くスタッフもおり、理由を聞いたところ、テーブルに運ばれたチャイは、古いチャイを沸かしなおしたもので、新鮮なチャイではないとのこと。
チャイが古いとわかった理由は、色にあり、絞りたてのミルクは色が少し薄いが古くなると若干濃くなるそうです。今日もJENスタッフは新鮮なチャイを飲んで、配布作業に励んでいます。
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12月 15, 2005 パキスタン地震 緊急支援文化、生活、習慣 | Permalink
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2005年11月24日 (木)
チャパティ
被災者の方々が必要とするものは様々です。JENはテント、毛布、暖かい上着などの越冬支援物資や衛生用品、台所用品など生活になくてはならないものを配っています。一方、食料を配布する団体もあります。その筆頭が小麦粉です。小麦粉を水で丸めて伸ばしたものを鉄板で焼いた薄いパンをチャパティと呼んで、人々はカレーと一緒に食べます。ご飯(お米)もお肉も好きだけれど、どちらも値段が 高いので、頻繁には食べられないそうです。
いよいよ本格的な冬を前に、寒さから風邪をひいている人が多いので、少しでも栄養のあるものを食べてもらえたら良いのですが。
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11月 24, 2005 パキスタン地震 緊急支援文化、生活、習慣 | Permalink
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