生存者のお話
2019年9月、マグニチュード5.6の地震は、アザド・ジャムー・カシミール(AJK)の2つ県(ミルプールとビンバー)の地元住民に大きな影響を与えました。40人が死亡し、約1,600人が負傷しました。地震は、住宅、道路、学校、病院など、AJKの2つの県のインフラに悪影響を及ぼしました。
JEN調査チームはミルプールを訪問し、地区管理当局社会福祉事務所との会議を実施し、ミルプールの2つの村の損傷した家屋を訪問しました。
現地訪問中、JENスタッフは、サムワルシャリフ町のモーラケケリ村のヌスラット・マトローブ夫人の家を訪問しました。彼女の夫は労働者ですが、うまく仕事が見つかれば一日に600ルピーを稼ぐことが出来ます。彼は年老いた親と4人の子供の大家族を養わなければならず、ヌスラット・マトローブ夫人も村人の服を縫うことで家族を財政的に支えていました。彼女はこれまでスーツ1着を縫って、200~300ルピーを稼いでいました。
破壊された家の様子
ヌスラット・マトローブ夫人によると、彼らの家には4つの部屋があり、家畜(牛、ヤギ)用に別の部屋があります。この壊滅的な地震で、彼らの家は完全に破壊されました。まだ若い彼らの娘は負傷し、彼女は祖父を避難させていました。彼女の夫は、地震後にトラウマになり、働くことができなくなりました。彼は家族のために再び仕事を始めましたが、時には仕事を途中で辞めていました。このうつ病は2週間続きましたが、その後あるNGOが彼の家族を訪問し、数日間カウンセリングを行いました。カウンセリングの後、彼と妻は家で瓦礫を片づけ始め、IDカードなどの貴重品を集めるようになりました。
マトローブ家の皆さんにお話を聞いている様子
彼らは十分な牛乳を産出する牛を所有していましたが、地震後安い価格で売らなければなりませんでした。理由は、その牛が地震で怪我をしたのですが、牛を飼い続けたり治療したりする余裕などなかったからです。また、彼らは3頭のヤギを持っていて、1頭は地震で死にましたが、まだ2頭のヤギがいます。唯一の収入源だったヌスラット・マトローブ夫人のミシンも、地震で壊れてしまいました。彼らは思春期の娘を母方の祖父の家へあずけました。理由は、仕切り壁も部屋もなく、このような不快な状況を避けるためです。また、彼女は、大雨とあられの嵐であった地震があった日の夜に、破壊された8フィートの長さのキッチンの他に眠る場所がなく、人生で最悪の数日間を過ごしました。緊急救援中に、AJK州政府は完全に損害を受けた世帯にテントを提供しました。 ヌスラット・マトローブ夫人も最初は2つテントを手に入れましたが、夜はとても寒いので十分ではありません。今は既に冬が近づいており、このテントで子どもや高齢者と一緒に暮らすことは不可能です。彼らの家畜のための避難小屋も必要です。家具、台所用品、瓦礫につぶされ無駄になった家畜飼料など、すべての家財道具が壊れてしまいました。 最後の訪問の際、彼女は防寒テントや台所にかかる費用を稼ぐために洋服の縫製用ミシンの提供を願っていたので、JENスタッフは、社会福祉局が縫製スキルを持つ女性たちにミシンを提供していることを伝え、彼女に社会福祉局を紹介しました。ジェンは、地震で被災した方々が生活を早く再建できる事をサポートしたいと願っています。