2011年10月 6日 (木)

国内避難民の味方、ハビブ・ウル・レーマン

 デラ・イスマイル・カーンに住むハビブ・ウル・レーマンさんは、農業を営む一方で、肥料を扱う事業も手掛けている一人の男性です。 今回は、国内避難民や人道支援団体の強い味方となっている彼の話をお伝えします。

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 ハビブさんはイスラム勇士・モハマドとも呼ばれ、46歳という高齢にも関わらず(アフガニスタンの平均寿命は42歳*)、)本当にアクティブで、熱心な社会活動家でもあります。彼は、周囲でらハジ・サイブ(巡礼を実行し、人々に尊敬されるべき人物に与えられる名称)として知られています。

 ハビブさんはここ11年間、南ワジリスタン管区のサラロガ郡と、ジェンの事業地の一つであるデラ・イスマイル・カーン県のミアン・ワダ村の2か所で暮らしてきました。
 彼は以前このブログで触れた「季節性国内避難民」で、寒さの厳しい冬はデラ・イスマイル・カーンで暮らし、夏は過ごしやすい南ワジリスタンに帰ってくるという生活を送っていたからです。

 2009年の夏にパキスタン政府が反政府勢力掃討作戦を開始した時には、ハビブさんは家族と一緒に南ワジリスタンに戻っていました。
 しかし、今から約1ヵ月前に南ワジリスタンサラロガ郡の治安が急激に悪化したため、ハビブさん一家はデラ・イスマイル・カーン県へ避難してきました。同じエリアで暮らしていたマスード族の人々も、着の身着のまま逃げてきました。

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 「国内避難民にとっての問題は数多くありますが、宿泊場所と医療施設の不足が特に大きい、と感じています」とハビブさんは言います。

 彼はこう続けました。「私は(デラ・イスマイル・カーンに)家を2件所有しているので、両方の家を南ワジリスタンから逃げてきた人々に提供していますが、いまだに慣れない猛暑の中、デーツの葉を乾燥させて作った家で暮らしている人々のことを思うと、心が落ち着かず、悲しくなります。」

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 ハビブさんははたくさんの活動に従事し日々忙しい中、国内避難民の人々が持っている国際NGOに対する誤解が解消されるよう、日々活躍してくれています。彼は最も支援を必要としている人々の生活再建の為に手を差し伸べるのです。

 例えば、ハビブさんはパハル・プル市場で、ある国内避難民の為に、コカというお茶を売る小さな仮設店舗を立ち上げました。貧しい人々や、避難先でどう生活を立て直したらいいのか途方に暮れている多くの人々にとって、ハビブさんは生活再建のきっかけになっているのです。

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 ハビブさんはジェンが集落から遠く離れた場所で暮らす国内避難民を確認する際に手を貸してくれただけでなく、他にもいくつかの人道団体から、その貢献に対し感謝状を授与されています。ハビブさんの努力によって、多くの国内避難民の人々が救われているのです。

 *2010年WHO調べによる。

===== ご報告 =============

平成23年度 外務大臣表彰受賞しました。

これまで、JENの活動を温かくご支援くださいました、
支援者の皆様に、深く感謝申し上げます。
詳しくは、こちら

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10月 6, 2011 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2011年6月30日 (木)

洪水被災者のサクセスストーリー

 チャルサダ県はとても豊かな土壌に恵まれた地域です。この土地には灌漑の大切な水源となる3つの川が流れており、さとうきびやてんさい、たばこ、小麦、とうもろこし、オクラ、トマト、キャベツ、茄子、ほうれん草など様々な野菜が採れます。

 チャルサダ県で生産される野菜の中でも、ここ5年は特にニガウリの生産量が豊富です。ニガウリは国内の市場だけでなく、ドバイやアブダビ、アフガニスタンなどの国際市場でも売られています。

110630_a_glance_at_picking_in_the_f  タジャカイ村で20年以上農業を営むグル・マストさん(30歳)の一家もまた、ニガウリを商業用に大量生産しています。グルさんは二人の兄と一緒に、2006年から木製の枠組みを使ってニガウリの栽培を始めました。木製の枠組みを使用すると、生産性が高くなるからです。

 グルさん一家はもともと地元の市場で野菜を売ったり、都市部のお店に直接卸したりしていました。その一方で、チャルサダ県には卸売業者も入ってきており、農家から輸出用の野菜を集荷していました。卸売業者はニガウリをアラブ首長国連邦に輸出しており、グルさんも一年間は卸売業者に野菜を卸していましたが、自分で事業を起こし、ニガウリを世界中の国々に輸出したいと考えはじめました。グルさんがこの考えをお兄さん達に相談すると、二人は賛同し、輸出事業に必要な免許や資格の情報を集め始め、ついにグルさんたちは自分の会社を立ち上げました。そして2009年にはニガウリの輸出業を始めたのです。110630_bitter_gourd_crop_is_being_2

 グルさんとお兄さん達は他の同業者と同じように地区全体からニガウリを集荷していました。野菜の集荷と梱包の作業は10~15名の従業員にまかせて、格付けは自分たちで行いました。

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 しかし、グルさんによると、去年は大洪水でグルさん一家の土地も野菜の集荷先の農地も破壊されてしまい、ほとんど仕事にならなかったそうです。そのような状況の中、「ジェンの支援によって農地が再び野菜を生産できる状態まで回復し、元々自分たちの土地で育てていた種類の野菜の種を受け取ることができて良かった」とグルさんは言います。さらに、ジェンの収穫前・収穫後農業研修で得た知識・能力により、生産のムダを大幅に減らせるようになったことも感謝しているそうです。

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 今年、グルさんは6月初めから輸出を開始しました。6月19日までの間に、3150キロのニガウリを地元の市場に卸し、21550キロをドバイに輸出したそうです。今年は10月までニガウリの輸出と地元市場での販売を続けることにしているとグルさんは言います。グルさんは、今年の商売は前よりもずっとうまくいくだろうと期待に胸をふくらませ、倉庫や格付け用の小屋を設置する計画もたてています。110630_export_quality_crop_in_the_c

6月 30, 2011 北西部大洪水 被災者緊急支援 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 2日 (木)

タジャカイ村UCニサッタ地区での収穫トレーニング

農業の専門家が最新の安全な野菜の収穫方法を指導しています。

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農家は指導を受けたのち、ヘチマを収穫します。

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現場のアシスタントが農村地域で野菜の選別・梱包方法のセッションを行います。

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場の指導者が畑に出て、ゴーヤの適切な選別方法を指導します。

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ゴーヤの梱包方法が改善されました。

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収獲管理のセッションで学んだ後に梱包されたヘチマと農家の方たち。

6月 2, 2011 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2011年5月12日 (木)

洪水被災地のひび割れた畑が元通りに―もうすぐ収穫

110428_mrinyatullah_standing_in_his  イナヤトラーさんは、昨年パキスタンを襲った破壊的な洪水の被害者のひとりです。イナヤトラーさんの住むケルベラ村は、洪水の被害が最も大きかったチャルサダ地区のケヤリ河岸にあります。
 彼は息子4人を含む家族と共に、1エーカー(約0.4ヘクタール)の畑にサトウキビや麦などを栽培する農業を営んで生活していました。地主との関係は良好で、種、農薬、農具はイナヤトラーさんが負担し、農作物の利益は対等に分け合う方法を取っていました。

 2010年7月29日にケルベラ村を襲った洪水は、サトウキビ畑を含むすべての財産を奪ってしまいました。その後、イナヤトラーさん一家は親戚の家で一か月間の避難生活を送らざるを得ませんでした。その後、イナヤトラーさんは親戚からお金を借りて家を再建しました。

Mrinyatullah_field_before_rehabil_2  洪水の後の畑は耕すことができないほど地面が割れて乾燥していました。その土をまた使えるようにするには膨大な費用が必要です。洪水後すぐに現地入りしたJENのアセスメント・チームと農民組合が話し合い、イナヤトラーさんはJENの畑修復事業の対象者として選ばれました。110428_guring_rehabilitation

 

110428_mrinyatullah_land_after_reha 間もなくイナヤトラーさん一家の農地は整備され、野菜の種や農薬や農具もJENから供給されました。今ではイナヤトラーさんの畑は種まきが終わり、かぼちゃとオクラはすくすく育っています。あと一か月ぐらいで収穫できそうです!110428_weeding_okra_srop

5月 12, 2011 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2011年3月 3日 (木)

農地修復に向け、種子と農具を配布しました

チャルサダ県ニッサタ地区シャー・パサンド・ケライ村にて、第1回の配布を行った時の模様をご報告します。

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種子と苗床の為のビニールのパッケージ。

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農具の積み下ろし作業と同時に、配布作業員が数を数えています。

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農具を積み下ろす様子。


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袋に入った肥料が積み下ろされました。かたわらでは、JENチームが袋を数え、作業員を観察しています。

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農具を肩に担ぐ老人と肥料を運ぶ作業員。

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物資配布会場の入り口。配布作業員は農民の農業キット引換券と国民IDカードを確認しています。

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農家の人の一人が、種子と農具を持ち帰る様子。作業員は肥料の袋を運んでいます。

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家が近い農民は、この牛車を共同で使い、物資を家まで運びます。

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農家の人たちは物資配布会場に座り、物資を受け取る番を待ちます。

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物資配布会場で配布作業員が被災者に種子のパッケージを手渡す様子。

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作業員が、農具を運ぶ被災者を手伝う様子。

このようにして、無事に配布が完了しました。

3月 3, 2011 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2011年2月 3日 (木)

農地調査と修復作業、進行中!

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タジャカイ村での農地調査の様子;
農民のグル・タシールさんがジェンのスタッフチームに間作予定地を見せながら説明をしています。

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タジャカイ村での農地修復の様子

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ジェンのスタッフチームが農地修復が行われる予定の農家の人と話し合いをしています。

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トラクターのブレードで農地から余分な土と雑草を取り除いています。

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ジェンのチームが農家の人々と一緒に、50%修復した農地を観察しています。

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農地修復事業が進んでいます。

2月 3, 2011 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2011年1月20日 (木)

農業支援が始まりました。

 ジェンが活動を行うチャルサダ県ニサッタ地区では、ニガウリをドバイへ輸出して、生計を立てています。ジェンでは、ニガウリのタネを配布して、現地の人びとが再び自立した生活が送れるよう、活動をしてまいります。

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シャー・パサンド村のニガウリ畑の様子
この写真は洪水の被害が小さかった区画

Image007_5 シャー・パサンド・ケライ村にある段ボール箱屋さん。
輸出業者はこの段ボール箱にニガウリを詰めます。

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同僚と座るイブラルさん(左)。
ニサタ地区よりニガウリを輸出しています。

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苦瓜栽培の為の枠を木製の棒とワイヤーで組み立てます。
ニサタ地区の農家のヨウナス・カーンさんが、ジェンのスタッフにニガウリの枠組みの説明をしています。

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シャー・パサンド・ケライ村で、次の苦瓜栽培の為の枠組みが行われます。

1月 20, 2011 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年12月22日 (水)

人びとは今 ~PART1

洪水の被害の激しかった地域の一つ、ラジャールⅠ地区に、先日シェルターキットの配布を行いましたが、
現地の人びとは、その後、どのような生活を送っているのか、モニタリングを行いました。


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モハメド・ラルさんは住居修復物資で自分の部屋の屋根を作りました。

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シェルターキットで作った日陰の下で、ラヒーム・グルさんの妻と子どもの様子。

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運転手のアラム・ザイブさんは、家族の為にシェルター・キットでベランダをつくりました。

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屋根へと有効活用されたトタン板。

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ランドリーボーイのアシフ・ジャンさんは、家族の為に修復物資で素晴らしい部屋を作りました。

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イスラム・ウディンさんは、ブランケットのお針子の家族の為に、洗面所の屋根と日陰を作りました。

12月 22, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年12月 9日 (木)

ラザ・カーンさんの物語

101209  ザンガル・コローナ村(森林の人家)はチャルサダ県アーグラ地区に位置する小さな村です。大半の住民は普段から貧しい暮らしをしており、日常的なニーズを満たすことも困難です。困窮しているこの村では、基本的な人権さえも知られていません。住民は農業で生計を立て、土で作った家の中で暮らしています。

 調査を行っていたある日、ラザ・カーンさんという家を失ったおじいさんと出会いました。その時、おじいさんは裸足でした。61歳のラザさんは3人の息子と5人の娘を授かっています。村の家は土で作られているので、2010年7月29日の壊滅的な大洪水は家を含む全てを奪っていきました。

 ラザ・カーンさんは次の様に語りました。

「私はこのまま冬が到来することが大変心配でした。家族の事はもちろん、家畜の2頭の牛の事で頭がいっぱいになっていました。ある日、誰かが被災家屋の調査に来ているという事を耳にしました。その後、その人たちはジェンであることを知ったのです。彼らは私の家を訪れ、全壊した家屋を調査しました。そして、その翌日、住居修復物資の引換券を手渡してくれました。私は住居修復物資を受け取ったら、すぐに、トタン板を使って家族と家畜の部屋を作り始めることができたんです」

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「この家は私にとって、とても大切なモノです。寝室であり、客間であり、台所であり、全てであります。とても意味のある支援に感激しています。ご多幸を祈ります。」

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ラザさんは、この家は私にとって、とても大切なものだと言っています。外壁に装飾された造花は嬉しさの現れのようです。

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ラザ・カーンさんと彼の部屋。

12月 9, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

住居修復支援物資はこのように活用されています(チャルサダ県アーグラ地区)

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 おばあさんのバフティアール・ビビさんは、洪水後に再建したこの部屋で姉妹と共に暮らしています。洪水は全てを奪い、この世で唯一の自分のものは、この住まいだけです。

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 石工職人であるアズマットさんは家族の為にこの家を再建しました。

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 片目が盲目のおじいさん、ナスルーラさんは、再建した住まいに腰を掛けながら、2010年7月29日に起こった壊滅的な洪水により、家族が面してしる問題やニーズの情報を語ってくれました。

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 マダド・カーンさんの、障がいをもつ息子、イムラン君が、ジェンのフィールド・アシスタントの右に座り、彼と家族の為にお父さんが作ってくれた住まいについてお話している様子。

101209_image006_2  フサン・アフロザさんの住まいです。ジェンが支援した住居修復物資で皆で作った住まいと、彼女の子どもたち。

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 ニアズ・アリさんの住まいです。留守中でした。

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 トタン板を使って再建したトイレ。

101209_image007_3  トタン板は台所の屋根としても活用されています。

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 ラブ・ナワズさんは台所付きの住まいを家族の為に作りました。

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 ザル・シャドさんは、妻との2人の為の仮設住居を作りました。

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 カーン・シャドさんは家族の為にトタン板で住居を作りました。

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 ワヒド・レマンさんが、シェルター・キットで作った日陰の下で、弟と妹と座っている様子。

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 ラジ・ワリ・カーンさんと甥と姪。彼は物資で建設した小さな家に小さな手洗い場も設置しました。

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 優しい叔父でもありお父さんでもあるラジ・ワリ・カーンさんはトタン板を多様に活用しました。部屋や屋根、扉、そして窓などを家族の為に作ったのです。

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 タヒル・アリさんの小さな少年とジェンチームと彼の住まい。

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 勤勉なサイフォル・レーマンさんは家族全員の為に、住居修復物資を有効活用し、立派な家を再建することができました。

12月 9, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年11月17日 (水)

ラジャールⅠ地区。悲惨な状況。

1011171  ラジャールⅠ地区。ある家の悲惨な状況。洪水によって全てが押し流され、残ったのはカケラばかり。
 
 
 
 

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 家が破壊されてしまった家族。現在テント暮らし。厳しい冬は間近、さらなる支援を待っています。

 
 

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 笑顔の子どもたち。洪水前、この部屋で眠っていました。とても笑えるような状況ではないのに・・・両親が守ってくれているので安心を感じているようです。

 
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 家と生活の再建のための支援物資を待っている父と娘。平和な生活が戻ってくることを願う、希望に満ちた2人の眼差し。

11月 17, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年11月16日 (火)

支援はまだまだ足りません

 チャルサダ県ラジャールⅠ地区も大洪水によって荒廃してまった町の一つです。そこで暮らすアジーム・グルさんの娘であるファロカ・ビビさんは、洪水での経験を振り返り、語ってくれました。

1011161  その経験は、もちろん、洪水に見舞われた他の人々と同じような経験なのですが・・・ファロカ・ビビさんの顔を見てください!

 
 まだ45歳だというのに、まるで老婆のように見えませんか?
 彼女の顔には、洪水での悲惨な経験に加えた“苦難”が刻み込まれているのです。彼女は、幸せな生活を夢見ることはもうやめた、と言います。この世とおさらばしたい!!今彼女が望むのは、ただこれだけなのです。

1011162  「私は、この借家で、2人の姉妹と5人の兄弟と一緒に育ちました。両親は私が小さいときに亡くなり、5人の兄弟たちも幼くして亡くなってしまいました。そういうわけで、私は、2人の姉妹たちと女3人で、男性が強いこの社会で生きなければなりませんでした。幸い、2人の姉妹は、結婚することできました。しかし、結婚できなかった私は、今でも借家暮らしです。アシフ・カーンという大家一家の使用人として働くことで、なんとか住まわせてもらっているのです。」

話は洪水での体験に続きます。

1011163  「2010年7月29日、大洪水がこの町を襲ったとき、人々は自力で逃げなければなりませんでした。私と2匹のヤギ(彼女の唯一の収入源です!)は安全な場所まで逃げることができませんでした。降り続く雨の中、一晩中、ヤギたちと水浸しの家で過ごすことになったのですが・・・救助が来てくれ、ようやく助かりました。」

1011164  大洪水から13日が経って、ファロカ・ビビさんは家に帰りました。しかし、大洪水は彼女が家に残した全てを奪いさっていました。もちろん、近所の人たちは、避難場所に連れて行ってくれるなど、ある程度のことは助けてくれました。しかし、彼女への支援はまだまだ足りていないのが現状です。

11月 16, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年10月30日 (土)

ザンガルコロノ地区へシェルターキット配布

10月28日、ザンガルコロノ地区へシェルターキットを配布しました。

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1人のおじいさんがシェルターキットを受け取りました。JENのスタッフたちが、トタン板や竹など大きな資材を配布所の外へ運ぶのを手伝いました。

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JENのスタッフは、シェルターキット配布作業の他に、受け取りに来た人たちの登録作業を行います。

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牛の荷車でシェルターキットを運んでいる人も!

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ザンガルコロノ地区の住民たち。シェルターキット受け取りの順番が来るまで座って待ちます。

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シェルターキットを100セット配布した後。

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おじいさんと孫。受け取ったシェルターキットを運ぶ牛の荷車が来るのを待っています。

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配布終了後、地元の住民とJENのスタッフで記念撮影。

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シェルター配布作業を行った若者たち。配布作業を終え、これから倉庫に戻ります。

10月 30, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年10月22日 (金)

ザンガルコロノ地区を調査

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洪水が家の門以外すべてを奪い去りました。

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JENのスタッフが調査をしている様子。

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家財道具の中で、唯一残ったのがこのテーブル。
しかし、壊れてしまっており、使いものになりません。

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もう、家とは到底呼べない家。
ここに暮らしていた家族は、家の隣にテントを張って暮らしています。

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洪水後、泥で自分たちの家を作っている人たちもいます。

10月 22, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年10月20日 (水)

一人の小作人の苦しみ

 2010年7月29日に起こった大洪水はハイバル・パトゥンハー州のいくつかの地域に大きな被害をもたらしました。チャルサダの集落にまで水が押し寄せ、洪水を予期していなかった住民たちは着の身着のまま避難しようとしましたが、一日かけても避難できず取り残された人たちも多くいたのです。

 大洪水によっておきた被害は想像をはるかに超えるものでした。道路、橋、道、建物といったインフラや水衛生施設はもちろん、農地や家畜なども大きな被害を受け、特に、農地に関しては、何千エーカーもの農地は水につかり、収穫された農産物までが全くものにならなくなりました。

101020mr_taj_mohammad_2  カティガーン(チャルサダ県のウトマンザイ地区労働組合)に所属する住民であるムハンマドさんは33歳、大洪水の被害者の一人であり、もともと身体が不自由な方です。実は、彼は25歳のときに事故に遭い、意識は回復したものの、一人では立てず、歩くことさえできなくなりました。にもかかわらず、ムハンマドさんは、挫けることなく兄弟たちとともに再び働き始めたのですが、7月29日襲った大洪水は彼らを悲惨な状況に陥れることになったのです。

 ムハンマドさんは言います。

「7月29日、私たちは、政府施設である集会所まで逃げました。そこで一週間以上滞在したのち帰宅するのですが・・・戻ってみると、家には食べ物はおろか、食べ物以外の家財道具が元の姿ではないのです。3週間も続けて9フィートにも達する水に浸っていたわけですからね。被害を受けなかった家財道具は一つもない。これまでの人生で得てきた全てのものを失ってしまったのです。ここで生活を再開するのは難しいことを思い知らされました」。

101020mr_taj_is_exhibiting_the_cor  一方、農地に関しては、大洪水によって緑豊かだった土地は荒れ果て、実がよく育ったトウモロコシ畑も変わり果てた姿になりました。

 ムハンマドさんは農地を所有していません。地主の指示に従って農地を耕しているのです。小作人の場合、種やスプレー、肥料といった農業に必要な資本は持てますが、収穫物から得る利益については、地主からその50%だけをもらうことになっています。このように農業で生計を立てているムハンマドさんですが、今回の大洪水は農地をめちゃくちゃにし、彼自身の農業資本をも奪い去ってしまったのです。

10月 20, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

ウトマンザイ地区の農地の様子

 洪水で土砂が堆積し、その後、水が干上がって、乾燥してひび割れた農地の写真が届きました。このような土地は、もう一度地面をならして、耕さなければいけません。

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現地の農民たちとJENのスタッフで、農地や穀類について話合いを行いました。

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ひび割れた農地。
上の写真で、左側の農地では農民がトラクターを使って土地をならし、耕しています。

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洪水前は豊かな小麦畑でしたが、このように悲惨な風景へと変わってしまいました。

10月 20, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年10月18日 (月)

被害に遭った畑の様子

ウトマンザイ地区に住むモハメド・タジさんの畑の様子が届きました。

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タジさんがトウモロコシの被害を説明してくれました。

10月 18, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年10月 6日 (水)

イサヌーラさんと障がいを持つ娘

1006ihsanullah_2_2  イサヌーラさんはチャルサダ県ウトマンザイ地区のアラート・コロナに住んでいました。
大洪水が彼の村を襲った夜、イサヌーラさんと妻と3人の子ども(娘1人と息子2人)は、家の中で身動きがとれなくなっていました。しかし、水かさは次第に増し始め、そこでイサヌーラさんは、子どもの頃から障がいをもっている娘、タヒーラ・ナズさんを肩にかつぎ、暗く泥だらけの水の中を、家族と共に安全な場所へ避難し始めました。少しして、洪水のものすごいスピードとパワーに圧倒され、彼らは見知らぬ人の家に避難しました。しかし水かさはさらに増し続け、彼は家族を屋根の上に避難させました。暗闇の中で、彼が家から持ってきたものは、懐中電灯だけでした。
 
 屋根の上に、家族は立ちつくしていました。洪水で建物が崩れ落ちなかったことは奇跡的なことでした。家族は翌日の晩までずっと屋根の上で過ごしました。やっと、地元漁師の船に乗った地元の人びとに救出されたのです。

 現在、彼らは、食糧やその他の物資支援を受けています。イサヌーラさんは、家族を支えるために働き、洪水による爪あとを回復したい、と熱く語りました。

10月 6, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

スロー・ツナミ

20100929_jpf20102assessmentutmanzai モンスーンシーズンに降リ続いた雨で、7月29日頃から発生した洪水は、パキスタンを南北に背骨のように走るインダス川を1ヵ月近くかかって南下しました。その後、アラビア海に面したシンド州まで被害は広がり、9月末頃、ようやく新たな洪水が起こらなくなりました。

 今回の洪水ではパキスタンの国土の20%(約16万K㎡)が浸水したと言われています。これは、北海道2つ分、またはオーストリア+オランダ+スイスの国土を合わせた面積に相当します。そして、洪水はインダス川とその源流沿いに南北1,400キロ近い範囲に渡って発生しましたが、 この長さは日本の本州の長さとほぼ同じです(青森県北端~東京~山口県西端)。

 また、被災者はパキスタン国民の10%以上である約2,000万人、死者は約1,600人、壊れた家屋は190万軒に上りました。被災者数は、オーストラリアやスリランカの全人口に相当します。洪水の被害に加え、洪水後の不衛生な環境で、被災者たちは、皮膚病、眼病、呼吸器疾患などに悩まされています。

20100929_jpf20102assessmentutmanz_2  2004年の津波被害を上回る規模にも関わらず、世界の注目を浴びないこの災害。
国連は“スロー・ツナミ”と呼び、この災害は65年続く国連の歴史の中で、最大規模の災害と呼ばれています。また、大規模災害に対して国際社会の緊急支援を呼び掛ける国連の緊急支援アピールが、ハイチの15億ドルを上回る20億ドルとなり、過去最高額となりました。

 この未曽有の災害に対して、パキスタン政府、現地NGOに加え、各国のNGOや国連機関などの国際社会が日夜緊急支援を提供していますが、あまりの規模に支援が追いついていない状況です。JENも引き続き洪水被災者の支援を続けて参りますので、ご支援をよろしくお願いいたします。

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10月 6, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年10月 5日 (火)

ウトマンザイ地区の展望

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 ウトマンザイ地区では、洪水によって多くの井戸が壊れてしまいました。村人たちは、これらの井戸を直そうとしたのですが、瓦礫は取り除けても、水の汚染は直せません。特に飲料水の不足が、今最も問題になっています。
 
 
Image005  ウトマンザイ地区の家々の様子。洪水ですべてが流されてしまいました。
 
  

   

   

 ウトマンザイ地区のあるKPK州では、997校の学校が洪水により被害を受けています。一方、学校の制服やカバンを洪水で無くしてしまって、学校に通学できない生徒も多くいます。

 

Image007_6 ウトマンザイ国立高等学校6組の生徒・シャー君。家と一緒に、制服もカバンも流されてしまい、学校に通うことができません。そして、シャー君の父親には、制服や鞄を揃えるためのお金もありません。

10月 5, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年9月24日 (金)

物資の手配

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 イスラマバードにあるシェルターキット(住宅再建用資材と工具類)の倉庫に、サンプルチェックに行きました。

100924_p9200015_2  この会社は、救援物資を主に扱っています。既に国連機関、国際NGO等から多くの依頼があるらしく、物資の在庫が倉庫に積み上げられていました。倉庫の至るところで、スタッフが出荷の準備に忙しそうに働いていました。

100924_p9200014  

 この会社の社長によると、洪水前と後で取り扱う物資の価格がおよそ30%~40%値上がりしているとのことです。特に、テントは国内での生産が間に合わず、ドバイからも輸入した、と言っていました。

9月 24, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年9月22日 (水)

洪水の破壊力

 今回の大洪水は、過去80年間で最も大きいものでした。
写真は、大洪水後のウトマンザイ市ピルノ村。

100922_1_2   


 ウトマンザイ市の水害被災者支援委員会の集合写真。
地域の人々の多くは、とても冷静で協力的です。
私たちが訪問すると、いつも、近況を教えてくれます。

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 この写真は、9月21日に、私たちが初めてウトマンザイ市ガライ・チャルサダ村に訪問した時のものです。
屋根の高さまで水が到達し、家の中を水浸しにした痕が残っています。
この町全体で、被害を受けてない家は一軒もありません。
嵐が去ったあと、人びとは壊れた家の瓦礫をかき集め、可能な限りの材料で、家の修復を始めています。
洪水は破壊力は、すさまじいものでした。

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9月 22, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年9月 8日 (水)

人生は生きる価値あるもの

100908_02_rahman_guls_children_livi  ラフマン・グルはグンバットという町の住民ですが、今回の洪水で2人の娘を亡くし、家も深刻な被害を受けました。この取り戻すことのできない喪失に耐えることは、山よりも高い悲しみであり、自分たちはもう終わりだと思いました。2人の娘を失った悲しみに耐え、家を再建する計画を立て、働くことの意味を見つけ出さなければならないのです。

 JENは彼の悲しみ、哀悼の気持ちを分かち合った最初でただ一つの団体でした。人生は生きる価値のあるものだと勇気づけ、生活支援物資を配ることによって再び前を向いて人生をスタートするきっかけを作りました。今、彼は地元の市場で荷物の積み下ろしをする仕事をし、再び働き始めました。そんな父親の姿は子どもたちの人生の指標となることでしょう。

9月 8, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年9月 7日 (火)

夢が現実になった時

100908_01_children_on_wreckages_of_  ジャナス・ハーンとシャー・ナワズは、グンバットという町に住む兄弟です。そして、5人と4人の子どもを育てています。二人は、馬車を使ってグンバットの市場から隣の村に積荷を運ぶ仕事をしています。

 ある日、深夜2時に、子どもたちと一緒に眠っていたところを、突然水が押し寄せてきました。目覚めてすぐに目に入ってきた光景は、自分たちの家が水に浸かっていく様子でした。とっさの判断で家から安全な場所へ、避難することを考えました。すさまじい速さで家が水に浸かっていく中、9人の子どもたちをつれて一目散に逃げることは、至難の業でした。逃げまどう中、子どもたちのうち何人かがケガをしてしまいましたが、幸運にも安全な場所に避難することができました。

 

100908_01_a_child_in_front_of_his_d  翌朝早くに家を見に行ってみると、建物は全壊しており、残骸だけが残っていました。もちろん、唯一の財産である馬も、洪水という容赦のない自然災害により流されてしまいました。家を失っただけでなく、収入を得る手段さえも失ってしまいました。わたしたち一家に、かつてない試練が訪れた現実を目の当たりにし、希望を失ってしまいました。大家族を抱えて洪水前の暮らしに戻ることは想像すらできませんでした。100908_01_cart_is_there_while_hor_2

 

 

 

 

100908_01_family_is_living_in_tent_  それからというもの、近所の人々が食べ物をくれる以外、誰も助けにきてくれませんでした。そんな時、JENの調査チームがやってきて、何が必要か尋ねてくれました。それから2日後、JENは支援物資を届けてくれました。一家は再び希望の光を見いだしました。受け取った支援物資はすべて、生活をスタートするために必要最低限のものでした。生活必需品を手にした今、私たちは、家を建てなおし、再び働くために、歩み始めました。

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9月 7, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年8月27日 (金)

【速報】洪水の爪あと

現地から、調査の報告が届きました。
被害の最も激しかった地域の一つ、チャルサダ県の様子です。

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皆さま、ご支援いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。


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8月 27, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年8月25日 (水)

【速報】配布のこと

 コハート県で実施中の物資配布は、順調に進んでいます。

 25日の時点で、202世帯に配布を完了しています。洪水により、家が全壊してしまった93世帯、部分損壊した109世帯。そのうち、16世帯は、コハート県の高校に避難しています。

20100822_jpf2010distributiongumbat_  コハート県は戦闘の続いている地域に近いため、セキュリティーには細心の注意を払っています。
物資の配布は、周囲を塀で囲まれ、門がある場所で行います。そして、配布の際は、警備員と地元警察が見守る中で行います。

20100825_jpf2010assessmentuc_rajjar  25日は、配布と並行して、最も被害の大きかった県の1つであるチャルサダ県で調査を開始しました。

 

 

 

 

皆さま引き続き、ご支援いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

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8月 25, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年8月23日 (月)

【速報】物資配布開始!

昨日(22日)、何とか物資配布を開始できました。

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20100822_jpf2010distributiongumba_6 配布先はグンバット地区の60世帯です。
今日(23日)は昨日配布した60世帯に残りの物資を届け、更にグンバット地区の15世帯に支援物資を配布して、同地区での配布は完了する予定です。

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また、今日から新たにスタッフが1名加わりました。そして、明日から、最も被害の大きかったチャルサダ地区に向かい、ニーズ調査を行う予定です。皆さま引き続き、ご支援いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

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8月 23, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年8月19日 (木)

【速報】洪水の夜のこと

100819picture1  ラフマン・グルさんはグンバット地区で妻と4人の娘、2人の息子と暮らしていました。

 あの日の夜、ラフマン・グルさんが家族と部屋で寝ていると、部屋の中にものすごい勢いで水が入ってきました。彼は起き上がり、部屋が水で満たされていく様子を見て、どうしたらこの部屋から脱出できるか考えました。それと同時に、この部屋の壁があと何分位、水の勢いに耐えることができるのかを考えました。そして、すぐに14歳の息子を起こし、隣人に助けを求めるように言いました。ラフマンさんが息子と共に外へ出ると、隣人の家は既に崩れていました。再び家の中に戻ると、部屋は水で溢れていました。

 彼の妻は、懸命に、2人の娘と1人の息子を食器棚の上に座らせようとしました。屋根の一部が崩れ落ちた時、彼女は1歳6か月と3歳の娘たちをきつく抱きましたが、娘たちは彼女の腕から離れてしまい、濁流の中に消えてしまったのです。翌日、隣人の助けで彼らの家の外で娘たちの遺体を見つけました。ラフマンさんは、神から授かった大切な贈り物を失ったことを、深く悲しみました。彼と彼の家族にとって、耐えがたいことでした。

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ラフマンさんの娘たちが濁流に飲み込まれた場所。

既に水はひいています。

 ラフマンさんは、街の市場で荷物を積み下ろす仕事をしています。彼は2人の娘を失っただけではなく、彼の家もかなりのダメージを受けています。今、彼は残された家族を養うために町に行くか、家を再建するかどうか、悩んでいます。彼の隣人たちは、彼らに住む場所や食事を提供してくれますが、2人の娘を失った悲しみから立ち直り、家が再建するまでには、まだまだ時間が必要です。そして、彼と彼の家族には、まだ何も支援が届いていません。

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8月 19, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年8月18日 (水)

【速報】フォトアーカイブ・その1

現地から写真が届きました。

16日、17日に調査を行ったグンバット地区とシャカルダラ地区の被害の様子です。

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8月 18, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年8月17日 (火)

【速報】現地の状況・追いつかない支援

16日、17日と現地スタッフ2名は2チームに分かれて、被害の大きかったグンバット地区とシャカルダラ地区の被災した家を訪問して調査を続けています。同時に調査や配布を行う要員を現地で雇用し、倉庫を選定するなど物資配布に向けた体制作りも並行して行っております。

100817humanitarian_coordination_cen 17日、イスラマバードのセレナホテルで開催された調整会議に参加してきました。
このホテルの中に国連のHumanitarian Coordination Centerという場所が作られ、被災地の
地図などを入手できます。

100817_3 16日はイスラマバードで集中豪雨があり、JEN事務所の裏手がまた水没しました。
パキスタン全土では、今回の水害で国土の約20%が浸水しましたが、国際社会の注目度が低く、被災地域は広大で支援が追いついていません。

(プログラム・オフィサー 成田俊介)

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8月 17, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年8月15日 (日)

【速報】被災地の調査に向かいます

Photo

本日、現地スタッフのトゥフェールとナビードが、コハート県に向けて出発しました。

当初は、今日中に被災したグンバット村(コハート県の中心地から40分程度)に行く予定でしたが、予想以上に到着が遅くなってしまったため、今日はコハート県中心地で支援物資を保管する倉庫を確認しました。明日は2チームに分かれて、グンバット地区とシャカルダラ地区へ調査に向かいます。

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8月 15, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年8月14日 (土)

【速報】配布物資が決定しました

今日はパキスタンの独立記念日でした。しかし、国民の10分の1近くが被災したため、派手な行事は行われませんでした。

さて、本日、配布物資を決定しました。全壊家屋300世帯にテント、衛生用品セット、キッチンセット、ベッド、ベッド用マットレス、ガス・シリンダーを、一部損壊家屋300世帯にプラスチックシート、衛生用品セット、プラスチックマットを配布いたします。

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事務所で物資及び配布の手配をする現地スタッフのトゥフェール(手前)とナビード(奥)

しかし、災害の規模が非常に大きいために支援物資の需要が一気に増え、サプライヤーが支援物資(テントなど)を製造する会社から買取る価格が高騰しています。プラスチックシートについては、ニーズが高く、手に入らない可能性も考えられます。

一日でも早く、ひとりでも多くの被災者に届けられるよう、引き続き配布に向けて調整を行ってまいります。

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8月 14, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年8月 5日 (木)

[速報]被害を受けた家々

現地から本日届いた写真です。

コハート県では水は既に引いていますが、被害の爪痕が残っています。

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樹木も住居も家の壁も、洗いざらい流されてしまっています。

JENは、引き続き、被害状況の情報収集、および必要とされている緊急支援物資の配布を行う予定です。

現地の最新の情報は、JENホームページおよびメールマガジン号外でご報告いたします。

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8月 5, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年8月 4日 (水)

[速報]現地から写真が届きました

現地から本日届いた写真です。

写真はペシャワールから南に50km、コハート県ムスリマバード村の様子です。

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8月 4, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

【速報】調査のためにスタッフが現地入り

 7月25日~8月2日にかけて北西部カイバル・パクトゥンクワ州(旧北西辺境州)、スワ―ト地区、シャングラ地区を中心に発生した大規模な洪水に関して、JENは、8月4日、イスラマバード現地事務所からスタッフ1名を被災地に派遣いたしました。現在、現地の状況を調査中です。

 8月3日時点で、被災者数は250万人に達していると言われています。また、降り続く雨により村が水没するなど、今後被害の拡大が懸念されています。

 JENは、引き続き、情報収集を行います。なお、現地の最新の情報は、JENホームページおよびメールマガジン号外でご報告いたします。

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8月 4, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |