2023年3月20日 (月)

シンド州ダドゥ郡で洪水被災者緊急支援第二弾を実施しています。

国連衛星センター(UNOSAT)の画像によると、パキスタンで中部や南部を中心に広範囲に20226月以降に発生した洪水により、依然として推定で450万人が水にさらされ、またはその近くに住んでいます。推定110万人が、不十分な支援により、食料安全保障の状況は悪化していると言われています(UNOCHA・モンスーン洪水の状況報告27日付)

洪水で被災した人びとは、農業や家畜に頼って生活していますが、シンド州は約377万エーカーと農作物や果樹園被害が大きく、1,230万人が被災しました。中でも、ダドゥ郡はシンド州内でも最も浸水被害が大きい郡になります。97,330エーカーの農地が被害を受け、約95万人が直接被害を受けました。回復した農地は極めて小さいものの、野菜栽培に必要な種子や農具などを入手できる余裕が各世帯にありません。また、洪水被害に対応した野菜栽培に関する知識や技術も普及していません。

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未だに洪水の水で覆われる被災地域(シンド州ダドゥ郡)

 

ジェンのパキスタン事務所は、ピースウィンズ・ジャパン様と提携し、最も被害の大きいシンド州の中でも特に支援が行き届いていない郡の一つ、ダドゥで緊急支援第二弾を実施します。合計1,400世帯に、種子・野菜栽培道具キットを配付します。また、野菜栽培促進活動による洪水被害に対応した知識や技術の普及を通して、被災した農家の野菜栽培の再開を目指します。2月から4月の間に夏季の種の植え付けが出来れば、5月から7月の間に収穫が出来る予定です。

 

先日現地事業開始後の現地訪問(3月中旬)で、ダドゥ県ワリ・ダッド村に住むバニアさんからお話を聞きました。彼女は一人で仮設住宅に住んでいました。結婚していないため、家族はいません。洪水以前は自宅で小規模の野菜を作っていました。彼女は農作業で畑を耕し、そこから穀物(小麦)を得ていました。しかし、洪水で家も野菜畑も壊れ、農具も流されました。村人たちに助けられ、その場しのぎで家を建て直しました。今、自宅での野菜作りを再開することが切実に求められています。野菜は彼女の毎日の食事に欠かせないものだからです。

 

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台所のそばに座るバニアさん

 

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住まいの前に立つバニアさん

 

引き続き皆さまの温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

3月 20, 2023 緊急支援 |

2022年12月15日 (木)

シンド州ダドゥ郡で洪水被災者緊急支援を実施しています。

パキスタンで中部や南部を中心に広範囲に発生した洪水により90もの郡に被害が及び、3,300万人以上が被災しています。2022年6月以降のモンスーンによる異常な豪雨が原因です。死傷者は、14,606人(死者1,739人、負傷者12,867人)とされ、228万戸以上の家屋が全半壊しています。また、低所得の家畜農家の経済的な生命線であるにも関わらず、116万頭以上の家畜が死亡しました。1万3千キロ以上の道路と、439の橋が被害にあっています(パキスタン国家災害管理局・11月18日付)。

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洪水の水で覆われる被災地域(シンド州ダドゥ郡)

特に、シンド州の洪水被災者は、深刻な食糧危機に陥っています。調査では、シンド州で被災した回答者の90% が、家族に十分な食料を供給できない状況にあると分かりました。 

ジェンのパキスタン事務所は、ピースウィンズ・ジャパン様と提携し、最も被害の大きいシンド州の中でも特に支援が行き届いていない郡の一つ、ダドゥで緊急支援を実施します。合計2,538世帯に、食糧パッケージ1カ月分を配付します。また、被災地では既に、蚊が媒介する伝染病や水を原因とする病気などへの懸念が高まっているため石鹸、蚊帳等を合わせて配付する予定です。

先日事業開始後の現地訪問(11月下旬)で、村全体が洪水で流されたダドゥ郡の被災地「パリヤ」町を訪れました。平均60センチ程、家が水に覆われているものの、一部の場所では道路にアクセスできるようになりました。写真(下)の男性や他の村人たちは、水が引いたので最近戻ってきました。家屋の瓦礫を集め、自分たちの手で再建を始めています。家だけでなく、作物やその他の資産も破壊され、復旧にはこれから長い時間がかかると思われます。

引き続き皆さまの温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

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調査で訪問した村の様子。積みあがっているのは集めて再利用するという家のがれき。

12月 15, 2022 支援物資配布緊急支援洪水被災者支援食糧配布 |

2020年8月 7日 (金)

カシミール地方地震越冬支援事業完了の報告

今年1月中旬から実施してきた「パキスタン・カシミール地方ミルプール県の地震被災者のための防寒対策物資の提供および心理社会的サポート事業」が完了致しました。深刻な地震被害を受けた640世帯を対象に、緊急支援物資として、防寒テント、プラスチックマットレスやプラスチックシートを配布しました。

同時に、地震で被災しゼロからの再建に不安を抱えている人々に、コミュニティで心理社会教育セッションを実施しました。これらは、ジャパン・プラットフォームおよび皆様からの温かいご支援により、実施することができました。心より御礼申し上げます。

3月中旬になって、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、カシミール地方で会議や屋外での活動が禁止になったことから、一時的に事業の実施が困難になりました。しかし、苦情や問い合わせを受け付けるために、ミルプール県の事業地に設けていた女性委員会のメンバーが協力してくれたため、防寒テントの使用状況を確認するなど事業を継続することが出来ました。

心理社会教育セッションは、FMラジオ放送、地元テレビやソーシャルメディアなどの代替手段に切り替えて引き続き実施することができました。また重度の心理社会的苦痛を抱えている被災者を専門家や関係者に繋ぐ「住民の窓口としてジェンの学習会で勉強をしたメンバー」が冊子配布をサポートしてくれました。

地震被災者が、防寒テントによって寒さをしのぎ、心理的な苦痛から抜け出す方法を学び、状態の重い方は専門家につなぐ、という、こころのケアに重点をおいたこの事業を、地域住民のご協力を得たことで無事完了でき、感謝しています。

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ジェンは、心理社会教育関連のIEC資料を、ミルプール県サムウォル・シャリフのメンバーに手渡すことができました。

8月 7, 2020 緊急支援 |

2016年1月21日 (木)

ぬくもりを子どもたちへ

 パキスタンのシャングラ県は、昨年10月26日に発生した地震により、大きな被害を受けました。

 被災した山岳地帯に住む多くの人々は日雇い労働者として以前から貧しい生活を送っていましたが、そこに地震が起こったのです。山岳地帯はアクセスがあまり良くないため、支援が届きにくく、彼らは支援をもっとも必要とする人たちでした。

 そこでJENは、770世帯に越冬に必要な生活物資(マットレスや枕、暖かいご飯をつくるためのキッチン用具セットや衣類)を配布しました。衣類は、手袋、帽子、タイツ、靴下、ハイネックシャツなどで、それぞれに1-3歳用、4-8歳用、9-12歳用という風に、年齢別の配慮がなされました。

 配布後のモニタリングの際には、気温は0度に近くなっていました。子どもたちが受け取った服を着て、「もらった服がとても暖かいです。前はこういう服を持っていませんでした」と、話してくれたことが印象に残っています。

 その際に1つ気づいたことは、人々の身に着けていた衣類の汚れでした。原因は、コミュニティ全体における、衛生に関する知識と意識の不足です。これまで、教育を受けてこなかった村人は、清潔な生活を送ることの大切さを知らないため、子どもたちが汚れた洋服を着てもなんとも思っていませんでした。

 そこでJENは、各家庭に衛生的な生活の大切さを伝え、人々はそれを理解し、今後実行にうつしていくことを約束してくれました。

 パキスタンでの地震被災者緊急支援は、1月15日を以て終了しましたが、暖かい衣類を身に着けた子どもたちのことは、JENスタッフの心にずっと残るでしょう。

【配布した衣類を身につけた子どもたち】
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1月 21, 2016 支援物資配布緊急支援 |

2016年1月14日 (木)

JENとチャレンジ

 被災した地域は山岳地帯です。山奥に住む被災者のもとへたどり着くことは、ただでさえ容易ではありません。そこに更に冬の始まりと共に雪が訪れ、村々へのアクセスは困難を極めるようになりました。

 ニーズ調査時のシャングラ県では雨の日が多く、また時折雪が降っていました。舗装路を走ることはできても、舗装されていない山道を車で進むのは一苦労でした。また、地震の影響で地滑りが起こり、村への道がふさがれるかもしれない、ということも懸念されました。幸いにもそのようなことは起こりませんでしたが、余震でマグニチュード6規模の揺れが起こるなど、常に緊急時に備えていなければならない状況です。

 一筋縄ではいかない緊急支援ですが、困難に果敢に立ち向かい、生じた遅れは取り戻すのがJENのスタッフです。

 今週も、越冬物資やキッチン用具のセットなど、災害の中でも尊厳をもって暮らすための生活必需品が、シャングラ県の家庭に届けられています。

【テントで生活する人々】
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【物資引換券を手に持つ住民と、トラックに積まれた配布物資】
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1月 14, 2016 事務所・スタッフ支援物資配布緊急支援 |

2016年1月 7日 (木)

必要なものを、必要とされている場所へ

 シャングラ県に住む74歳の女性、グル・サナ・ビビさんは、娘さん、息子さんと3人で生活しています。
 娘さんは脳に障がいを持っていたのですが、充分な治療を受けることができませんでした。息子さんは貧しさから学校に通うことができなかったため働き口が限られており、村の中で日雇い労働者として働いています。しかし、日雇いの仕事も毎日あるわけではないため、地域の人々に助けてもらいながら生活していました。

 昨年10月26日、地震が起きた時、ビビさん一家はちょうど家から出るところでした。彼らが家から踏み出たその瞬間に家は崩壊し、娘さんは落ちて来た石や木でけがを負いました。家だけが自分たちの資産であったため、その瞬間は本当につらかったそうです。

 家が崩れてしまったため、ビビさん一家はしばらく近所の家に身を寄せ、その後県政府から配布されたテントでの生活を始めました。

 JENが、村で毛布などの越冬物資やキッチン用具を配布する話をすると、ビビさんはとても喜んでくれました。しかし、彼女にはテントよりもさらに頑丈なシェルターが必要だと訴えました。そこでJENは、ビビさんの村でシェルター支援を始める準備をしていた活動団体にビビさんの存在を伝え、その団体もビビさんの家にシェルター支援を約束しました。
 ビビさんは今後、新たなシェルターの中でJENから受け取る越冬物資を使って生活してゆきます。

 政府からテントの支援はありましたが、ビビさんはシェルターの必要性を感じていました。1つの機関や団体からの支援だけでは、生活に必要最低限のニーズさえも満たすことができないのです。ビビさんのような家族は地震被災地域においてまだたくさん存在します。

 JENは、パキスタンの地方政府や国内で活動する団体との情報共有など協力しあいながら、必要な支援を、必要としている人びとに届けます。

【テントの前でJENスタッフと話すビビさん】
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1月 7, 2016 支援物資配布緊急支援 |

2015年12月17日 (木)

FM-93バンヌー

 ラジオ・パキスタン・バンヌーは2005年6月に政府によって設立されました。
 通常8時から20時までの放送ですが、緊急事態の際には24時間放送になります。

 カバーしている地域は半径60km圏で、ラッキーマルワットや北ワジリスタン管区、南ワジリスタン管区などの地域で聞くことができます。
 スタジオ1つとアンテナ1つで放送されているこのラジオ局からは、教育情報、娯楽、若者、農業、文学、女性関連など、様々な番組が放送されています。

 他に毎週、ラジオ・クリニック、政治行政番組、「サマ・ラー」(イスラム教の番組)、バンヌーやラッキーマルワットの開発に関する番組や、週1回のドキュメンタリー番組といった特別番組も放送されます。
 これらの番組には、教授、医師、宗教指導者、政治家、地方行政や他の政府の代表者などの様々な職業や機関の人々が招かれます。各番組では、現在の課題を議論し結論を出そうとします。
 
 このラジオ局は人々が番組に参加して関係者に質問したりコメントを送ったりできるよう、連絡先も提供しています。

 FM-93はバンヌーとラッキーマルワットでの国内避難民の危機に際して、きわめて重要な役割を担いました。北ワジリスタンの国内避難民に特別放送が発信され、人びとはさまざまな情報を得ることができました。

 国内避難民は今なお、現在の危機的状況や帰還作業における新しい動きについて情報を収集し続けています。

【ラジオ局のアンテナ】
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12月 17, 2015 文化、生活、習慣緊急支援 |

2015年12月10日 (木)

シャングラ県の状況

 ハイバル・パフトゥンハー州にあるシャングラ県の面積は、1,586k㎡で、約733,000人が生活しています。
 県内にはたくさんの小さな谷や高い山があり、海抜は2,000~3,000m、県内で最も高い場所は3,440mにもなります。

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 2005年の地震や2010年の水害が起きた際、シャングラ県はパキスタン国内の他の地域に比べて被害が大きくありませんでした。しかし、今年10月26日に起こった地震では、人的、物的ともに非常に大きな被害を受けました。

 州災害対策本部の最新の情報によると、これまでに49人の死者と181人の負傷者が確認され、11,395棟の家々が半壊や倒壊の被害を受けています。
 シャングラ県の冬は厳しいため、寒さから身を守るためのシェルターや越冬支援が急務です。すでに冬は始まっており、現在夜間の気温は0度まで下がります。

 政府や人道支援団体の支援は始まっているものの、まだまだニーズには追い付いていない状況です。

 JENも、被害を受けた人々に対する越冬支援事業をスタートしました。冬を越すために欠かせない物資の配布を、迅速に行っていきます。

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12月 10, 2015 支援物資配布緊急支援 |

2015年11月12日 (木)

10月26日の地震

 2015年10月26日、マグニチュード7.5の大規模な地震がアフガニスタンとパキスタンを襲いました。

 パキスタン国内の被害としては、280人の死者、1,982人の負傷者、103,268軒の家屋の全壊、倒壊が報告されています。

 最も多く被害がでている地域はハイバル・パフトゥンハー州で、232人の死者と1,577人の負傷者、89,102軒の家屋の全壊、倒壊が報告されています。(National Disaster Management Authority, 2015年11月9日現在)

 今回の地震は私たちに2005年10月8日にパキスタン北部カシミール地域を襲った大規模地震を思い起こさせます。前回と同じような種類の被害が報告されており、ニーズの種類もとても似ています。2005年の地震ほどに今回の被害は大きくはないですが、被害地域の状況はその時と同じ様相を呈しています。

 JENは前回の地震の際、被災者の支援のためにカシミール地域で3年間活動しました。その期間、緊急支援物資の配布や教育分野の支援を行ってきました。

 前回の地震の時と同様、今回の地震で影響を受けた人びともとても悲惨な状況下にいます。すでに冬の時期を迎えている中、多くの人びとが屋根のない生活を強いられています。かれらは、災害や厳しい天候の影響を和らげてくれる、防寒着やシェルターや生活用品を必要としています。

 政府や他の人道支援団体が支援を開始し始めました。しかし、人びとの生計回復や災害リスクを軽減するようなシステムを確立するまでには、まだまだ長い道のりになります。

【シャングラ県の被害状況】
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11月 12, 2015 緊急支援 |

2015年3月26日 (木)

緊急支援における長老の役割

 短期間で実施する緊急支援では、きちんとした人選さえできれば、人道機関は効率的かつ迅速に支援を行うために、対象地域の長老の力を借りることができます。コミュニティに根差した活動をしている組織と活動したことのある長老は特に、コミュニティの協働の方法を知っているため、緊急時の協力者としてより適任といえます。

 昨年の秋から今年の1月にかけてJENが実施した洪水被災者緊急支援の対象地域であるパンジャブ州ムザファ・ガー県は、スタッフ全員にとって新しい土地でした。ですが、そこで短期間に緊急支援を実施する必要がありました。幸運にも、ニーズ調査で訪れた際、数名のやる気に満ちた長老に出会うことができました。そのうちの1人が、ミトーさん(現地語で「やさしい人」という意味)でした。

 コミュニティとの最初のやり取りの際、JENのスタッフはミトーさんのボランティア精神、献身的な姿勢や、過去にコミュニティ組織と働いた経験があることを知りました。ミトーさんはJENスタッフをコミュニティの方々に紹介し、かれらとのミーティング進行をサポートしてくれました。また、ミトーさんはJENの支援対象者選定基準を良く理解し、現地語(サライキ語)で自分が所属するコミュニティに説明してくれました。

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 その後、JENが各被災者の世帯を訪問し、選定基準にそって支援対象者を登録していく作業をする際にも、ミトーさんは案内役となって作業を手伝ってくれました。まさに、JENと被災者コミュニティとの懸け橋となってくれたのです。

 他にも、対象被災者の方々への物資配布引換券の配布や、配布スケジュールの告知、実際の配布実施まで、ミトーさんはずっと一緒にサポートをしてくれました。

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 さらに、女性や高齢の方々が物資を受け取った後安全に自宅に戻れるよう、ミトーさんは乗り物の手配までしてくれたのです。配布の時、現地では雨が降っていました。責任感の強いミトーさんは、その日の夜、JENスタッフに電話して、自分の村に住む支援対象者の人々が全員無事に物資を持ち帰ったことを報告してくれました。
 
 電話でミトーさんは「私たちは皆無事に家に帰ってきました。早速物資を使い始めましたよ。今日は本当に寒くて、この厳しい冬にキルトブランケットほどもらって助かるものはないです。とてもうれしく思います。JENの皆さんのご多幸をお祈りします」と話してくれました。

 支援が終了した今も、ミトーさんは時々イスラマバードにいるJENのスタッフに電話をしてきて、スタッフが変わりなく元気にしているかどうかを尋ね、またいつものように困ったことがあれば協力します、ということを伝えてくれます。

 私たちは、万一ムザファ・ガー県でまた何か緊急事態が起こったとしても、ミトーさんは自分のスキルとボランティア精神を生かし、支援団体と被災者の両方をサポートしてくれると信じています。JENスタッフは今後の災害発生の際の協力者として、現地政府へミトーさんを紹介しました。


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【緊急企画】イラク国内避難民緊急支援活動報告会を開催します。

イラク北部にて緊急支援に従事しているスタッフが帰国します。
今、イラク北部でなにが起こっているか、JENは国内避難民に対しどのような支援活動を行っているか、今後の活動の展開は、など、緊急支援活動報告会でご紹介いたします。
ふるってご参加ください。

くわしくはこちら

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3月 26, 2015 事務所・スタッフ支援物資配布緊急支援 |

2015年2月26日 (木)

洪水被災者、ラブ・ナワズさんの被災体験談

今回は、1月上旬に終了した、パンジャブ州の洪水被災者支援で対象となったラブ・ナワズさんのお話を紹介します。

***

 ムラッド・アバッド地区カンガンル・シュマリ村に住むラブ・ナワズです。昨年の洪水で、家も畑も住む村も破壊されてしまいました。今はNGOに貰ったテントで家族と生活しています。家や収穫目前だった畑が流されたことを思うと、とてもストレスを感じます。どうしたら生活を取り戻せるか考えています。明けない夜はなく、一所懸命働く者に神のご加護があるはずです。

Mr_rab_nawaz_in_front_of_his_ten_2  昨年末のある日、JENが村にやって来て、私たち被災者と話をしました。その人は日本の皆さんの代わりに、イスラマバードからこの村に来たと言っていました。パキスタンの他の州から、そして遠く離れた国から私たちにサポートの手を差し伸べてくれる人がいることを、非常に嬉しく感じました。JENが熱心に話を聞いてくれたことが、この数か月感じていたストレスの軽減になりました。その後、彼らは冬の寒さを凌ぐ物資や衛生用品を支給してくれました。

 その支援物資を受けるまでは、ほとんど生活を立て直せていませんでした。冬がすぐそこまで近づいていたので、配られた物資はとても役に立ちました。私だけでなく、近所の人も皆、守られていると感じ、安心できています。

 私たちは、日本の皆さんのタイムリーなサポートを心から感謝しています。今回の支援によって、私たちは尊厳ある生活を取り戻すことができました。

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2月 26, 2015 事務所・スタッフ支援物資配布緊急支援 |

2015年1月15日 (木)

パンジャブ州洪水:取り残された地域への支援

 前回に引き続き、パンジャブ州での洪水被災者支援の様子についてお話しします。

 2014年の秋にパンジャブ州やカシミール地方を中心に発生した洪水は大きな被害をもたらし、政府と民間の両方の支援を必要としました。多くの支援が計画・実行されましたが、被災した全ての家族のニーズを満たすことはできていません。洪水によって滞留しよどんだ水や、厳しい冬の到来は、洪水で被災した人たちの生活状況を悪化させているのです。

 前回お伝えした通り、JENはパンジャブ州ムザファ・ガー県の被災した地域において、最も脆弱で厳しい状況にいる人々を支援するために、支援を計画しました。対象となった地域の一部には、県の中を走るチェナーブ川によって他の地域から断絶され、孤立してしまった村もいくつかありました。チェナーブ川を渡る橋は無く、これらの地域へアクセスするにはボートで渡るしかありませんでした。

 JENの現場チームは、この支援から取り残された地域を支援するために全力で取り組みました。まず、河岸へ辿りつくために四駆車 を使用し、チェナーブ川を渡るのにボートを使い、その先は、被災した地域へ辿りつくためにバイクを使いました。厳しい冬の寒さと濃い霧のため、対象地域への道のりは容易なものではありませんでした。それでもなお、このような状況で日々生活する被災者に早く支援を届けるのだ、という決意のもと、現場チームは先を急ぎました。

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 被災者が暮らす地域にたどり着いた現場チームは、被災者の方々が冬を越すために必要な生活物資を無事に渡すことができました。

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2014年12月25日 (木)

パキスタンにおける自然災害と緊急支援

 パキスタンは何十年にも渡り、頻繁に自然災害が発生している国です。特に、地震と洪水はパキスタンの人々をこれまで何度も苦しめてきました。

 中央アジアからパキスタンに続いているヒンドゥークシュ山脈は、地震が多いことで知られています。

 また、地球温暖化はパキスタンにも大規模な被害を与えています。中国とインドとの国境に隣接したパキスタン北部のヒマラヤ山脈で何世紀も昔の氷河が溶け、毎年ある時期に川が増水しています。
 さらに、温暖化は気候を変化させ、この地域ではモンスーンの雨も増えています。これらの変化により、川の水位が上昇し、川の水が平野部に溢れやすくなっています。

 パキスタンの平野部は、ハイバル・パフトゥンハー州からシンド州のアラビア海まで広がっています。この地域はとても肥沃で人口密度も高いため、洪水が起こるたびに大勢の人たちが被災しています。パキスタンの人たちの大部分は生計を農業に頼っており、近年ではほとんど毎年、洪水が農業に深刻な被害をもたらしています。

 2014年はパキスタンにとって、またもや最悪な年となりました。洪水がパンジャブ州とカシミール地方に大きな被害をもたらしたのです。

【村を襲った洪水】
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【破壊された家】
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 JENは2005年からパキスタンで活動しているので、この国の災害には可能な限り対応しようとしています。現在、JENは被害の大きかったパンジャブ州のムザ・ファ・ガー県の被災コミュニティーを対象に、緊急支援を実施しています。既に迫ってきている厳しい冬から人々を守るために、マットレス、キルト、衛生キット、プラスチックマット、プラスチックシーツなどの物資を提供しました。対象地域の人々は家の再建や畑の修復を始めています。

 しかしながら、大部分の人たちは極度の貧困生活を送っており、元の生活に戻るためには、まだまだ多くの支援が必要とされています。

【テントで暮らす家族】
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2014年11月13日 (木)

今年の洪水被災者支援

 パキスタンは、毎年のように地震や洪水など、自然災害に見舞われています。2010年の洪水は、約300万人が被災し、国土面積の5分の1が浸水するという建国史上最悪の自然災害となりました。毎年夏~秋にかけて降るモンスーンは近年長期化する傾向にあり、人々にとって大きな脅威となっています。

 今年も8月~9月にパキスタン各地で大規模な洪水が発生し、これまでに約250万人に被害をもたらしました。洪水が発生してから一部の人道支援機関が支援を開始しましたが、多くの地域において支援の手が足りない状況となっています。中には、ほとんど手つかずの状況となっているところも残っています。

 この洪水の被災者支援のため、ジェンは最も被害の大きかったパンジャブ州において緊急物資配布支援の実施を計画し、準備を進めています。

 ジェンが実施した現地調査では、被災者の方々は生活用品、食糧品、仮設シェルター、衛生施設や生計回復など様々な支援を必要としていることがわかりました。ジェンはまず、支援が行き届いていない地域を中心に、最低限の生活環境を取り戻してもらうため、衛生用品を含めた生活物資の支援を計画しています。

【テントに避難している被災した子ども】
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【被災した子どもたち】
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11月 13, 2014 支援物資配布緊急支援 |

2014年10月30日 (木)

大量の物資を配布する方法

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 バンヌー県での国内避難民支援の開始にあたり、JENの現場チームは、飼料パッケージと家畜用シェルター資材の配布モデルを決めるため、話し合いをしました。
 というのは、1家族当たりのパッケージ「麦わら5束、ワンダ(栄養補給食)2袋、防水シート1枚と竹10本、350ml ボトル2本の駆虫薬」はとても重いからです。

 話し合いで、現場チームは二手に分かれることに決めました。まず、獣医スタッフを含むチームは、集まった避難民世帯に対して、家畜管理説明会と避難民の受付を担当することになりました。一方で、ロジスティクスを担当するチームは、家族ごとに配布物資のパッケージを準備することになりました。

 配布時には、参加する世帯分のスペースが必要であることを考慮しながら、注意深く場所を選びました。1回の配布につき、200世帯をカバーすることとして、これまでに、400世帯に配布が行われました。

 最初の配布場所は、200パッケージの物資を置くのがやっとのスペースしかありませんでした。そのため、参加者の移動も含め、より簡単に配布できるようにもっと広い場所が必要であることがわかりました。

 これを受け、現地スタッフはコミュニティリーダーや長老と相談しました。彼らはとても広い土地をJENに教えてくれ、無償で利用させてくれました。そこは、JENが200世帯に200パッケージを配布するのに十分な広さでした。

 配布は予定通りの方法で実施されました。まず来場した対象者は1か所に集まり、家畜管理説明会にて、配布の手順、配布物の量や使い方について説明を受けました。

【家畜管理説明会】
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 説明会の後、事前に配布しておいた配布引換券を照会しながら、受付作業が行われました。これと並行してロジスティクスチームは配布パッケージを準備し、受付が完了次第、各世帯には飼料パッケージと家畜用シェルター資材が配布されました。

【準備された配布パッケージ】
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【配布場所にて】
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 これは、北ワジリスタンからの国内避難民を支援するために始まった最初のプロジェクトで、彼らにとって最も重要な収入源である、家畜を保護する支援となっています。JENは、これらの脆弱な立場にある人々の生計を安定させる為に、支援を続けていきます。

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10月 30, 2014 支援物資配布緊急支援国内避難民支援 |

2014年10月16日 (木)

支援物資配布場所の選定

 支援物資の配布場所の選定は、ジェンにとって難しい仕事の一つです。それは以下のように組織的な協議プロセスを経て行われます。

•企画会議 
•配布場所の特定・確認 
•治安状況についての情報マネジメントオフィサーの評価 
•最終選定および災害対策本部と軍による承認

 ジェンは配布場所を決める前に簡単な企画会議を実施します。この会議には情報マネジメントチーム、事業実施チーム、総務・経理・ロジスティックスチームが参加し、活発に話し合ってお互いに必要な情報を交換します。

 配布場所の選定においては、地理的な位置がとても重要です。
 支援対象者、納入業者、ジェン・スタッフ、他の関係者の誰にとっても、同じくらいの距離にあって行きやすい場所でなければなりません。
 さらに雨や強い日差し、暴力、武力攻撃などから対象者を守るために、適切な建物がなければなりません。配布作業を円滑に平和的に完了するには、場所の安全が一番重要なのです。
 ジェンは垂れ幕やパンフレットや看板を配置したり、配布作業中混雑を整理するための警官の派遣を政府に要請したりします。

 配布時間もまた大切な要素です。夕方暗くなる前に配布作業が終わらなければなりません。
 さらに、対象者の登録や、配布引換券・支援パックの配布作業に関して透明性を確保することは、ジェンや対象者、他の関係者の間の対立や不信を招かないために最も重要です。
 災害対策本部や地方政府、軍を含めた関係者との積極的な協力関係が、行き違いを減らし、活動をスムーズに実施するのに大変役に立ちます。

 相互信頼の構築や今後の改善のため、配布完了後には事務所で評価ミーティングも行います。



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10月 16, 2014 支援物資配布緊急支援国内避難民支援 |

2014年10月 2日 (木)

コハートのシェルター支援

アブドゥル・ワッハーブさんは24歳で、連邦直轄部族地域(FATA)クラム管区のタッパ・メルマット・ハイルという地域の出身ですが、現在は家族とともにハイバル・パフトゥンハー州コハート県のシャープール地区に住んでいます。アブドゥルさんの家族は母、父、妻、娘3人、息子1人の7人です。クラム管区にいたころ、アブドゥルさんは日雇い労働者として働き、他の家族は小さな農場で働いて生計を支えていました。

2009年にクラム管区内で政府軍と反政府軍による戦闘が発生したため、アブドゥルさん一家は避難を余儀なくされ、コハートの親戚のもとに身を寄せたのでした。コハートで国内避難民支援を開始したジェンのスタッフは、アブドゥルさんのお父さんに話を聞くことができました。「ここへ避難してくるとき、私たちは家に何もかも置いてきてしまいましたが、戦闘によってすべてが破壊されてしまいました。戦闘の影響でアブドゥルは精神疾患を患い、そのため私が家族を支えなくてはならなくなりました。私はこの年になって家族のために、労働者として働いているんです」

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アブドゥルさん一家は非常に貧しかったため、ジェンの国内避難民支援活動の対象者として選ばれました。アブドゥルさんたちは、ホストファミリーである親戚の家で暮らしていますが、家族8人全員が小さな1つの部屋で生活しています。部屋にはベッドがないため地べたで寝起きをし、コミュニティからのサポートや、世界食糧機関(WFP)による食糧支援を受けながら生活してきました。

ジェンはアブドゥルさん一家へ、シェルターと生活用品の配布を行いました。アブドゥルさんのお父さんは、「これまでの人道支援では、私たちが必要とするものを満たすことはできませんでしたが、シェルターと生活用品の配布は非常に助かります。これで、少し生活が楽になるのではないかと思います」と話してくれました。 

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コハートに避難している避難民の方々にとって、シェルターは生活の基盤として非常に必要性の高いものになっています。人間にとっても、家畜にとっても、シェルターは生きていく上でとても重要です。コハートでホストファミリーと暮らす避難民の多くは、非常に狭い空間を複数人数で共有することを余儀なくされ、面倒を見るホストファミリーにとっても大きな負担となっています。シェルターを必要とする人はまだまだ多く、政府や他の支援機関からも、より多くのシェルター支援が提供されることを願っています。

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10月 2, 2014 緊急支援国内避難民支援 |

2011年7月14日 (木)

洪水被災者支援から、紛争国内避難民支援へ

 2011年7月10日をもって、ジェンの洪水被災者支援事業は、無事終了しました。
この事業はパキスタンが破壊的な大洪水に見舞われ、国内全土が重大な被害を受けた2010年8月に開始しました。緊急事態への対応を専門とするジェンは、この状況を受けすぐに動き出し、はじめにハイバル・パフトゥンハー州南部のコハート県へ入りました。ジェンは洪水被災者にテント・ベッド・毛布・ストーブ・衛生用品・キッチン道具など、食糧以外の物資を配布しました。

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 その後、ペシャワールから約30km北東に位置するチャルサダ県において、3ヵ月間のシェルター支援事業を実施しました。この事業では、2800世帯の被災者を対象としたシェルター作成キットの配布を行いました。

 緊急対応期の支援が順調に進み、ジェンは活動の分野をシェルター支援から農業支援へと転換しました。この支援は緊急・回復期の活動に位置付けられます。

生計のための農業支援事業は、洪水により被災したチャルサダ県の農家の方々の収入源を回復させることを目的として設計されました。この事業では、7ヵ月間にわたり、農家2375世帯の土地の修復・整地、農業に必要な物資の配布、効果的に農作物を育て販売するための専門家による研修を行いました。

110714_110222_distributionuc_utmanz この支援によって、農家の方々は収穫した農作物を家族の食糧に充てるだけでなく、市場で販売し、来季の作付け用に蓄えることが出来るようになりました。同事業は政府当局や、コミュニティの年長者達にも高く評価され、同事業もってジェンの洪水対応の支援は終了となりました。

 今後ジェンのパキスタンでの活動は、デラ・イスマイル・カーン県で暮らす国内避難民を対象とした比較的長期の事業へと転換していきます。支援の対象となるのは、南ワジリスタン管区から紛争を逃れてきた避難民の方々です。

 この新事業はペシャワールから約280km南、パンジャブ州と接するデラ・イスマイル・カーン県で開始します。同事業では、ヤギの配布と飼育トレーニングにより、国内避難民の方々が生計手段を取り戻し、自立した生活ができるようになることを目的とした支援を行っていく予定です。

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7月 14, 2011 緊急支援 |

2009年10月 1日 (木)

花はまだそこに

090924_20090912swatassessment_gul_2  スワート渓谷では、最近の紛争で約300校が完全に崩壊しました。ジェンは、2005年にカシミール地方で震災が発生した際に支援事業を行いましたが、現在のスワートの光景は、その時の光景と似ています。しかし今回は地震ではなく、紛争によってこうなってしまったのです。

 スワートの学生たちは、勉強にとても熱心です。その結果、スワートには公務員が多くいます。しかし一方で、この地の生徒数は男女比はほぼ同じですが、文化的・宗教的な理由により、女子学生の教育は好意的とは見なされていません。

 スワートのある学校で、崩壊する以前は、すばらしい校舎の学校がありました。その学校の生徒や先生は、校舎のみならず、庭や花も大切にしていました。紛争後ジェンのスタッフがこの学校を訪問した時、校舎は崩壊していましたが、とてもきれいな花が咲いていました。校舎がなく、生徒もいませんでしたが、生徒と先生が大切に育てた花はまだ咲いていたのです。近隣の人びとは、新しい校舎で子どもたちが勉強し、また同じ花を育てるような良い日が戻ってくることを願っています。

 スワート県において、教育分野は支援が必要な状況なのです。

10月 1, 2009 緊急支援 |

2009年9月17日 (木)

住む人のいない新築の家

 景勝の地として有名な、スワート渓谷を訪れ、さきの戦闘でスワートを逃れ、避難を終えて帰還した人々の様子をうかがうとともに、プロジェクトのニーズ調査を実施しました。

 この調査に同行したスタッフは、約2年半前にこの地を家族と訪れた時には人びとが平和に暮らしていたにも関わらず、今回多くの建物が破壊されているのを見て信じられない、と言います。2年半前は、人びとは楽しそうに仕事に従事し、子どもたちは学校へ行き、女性はマーケットへ買い物に出かけていました。しかし、紛争により、生活が変わってしまったのです。

 人びとは、何かが起こるのではないかという不安に絶えずかられ、外出を控え、家で過ごすことが多くなりました。我々は、新しく家を建てたもののそれが紛争により崩壊してしまった人に会って話を聞きました。

 「私は、この家を建てるために農地を売りました。息子の結婚も予定していました。しかし、治安状況が悪化して突然全てが変わってしまったのです。

 紛争が始まったため、私たち一家は、家を去り国内避難民となりました。2ヵ月後、家に戻ると、そこにあったはずの家はなく、がれきと化していたのです。私の年老いた母親は、ショックで意識を失ってしまったほどです。

 今は、売る土地もなく、家の再建もできません。この事件から正常な状態に戻ることができるかどうかわかりません。それでも、私たち家族が幸せに暮らしてゆけるよう願っています」

9月 17, 2009 緊急支援 |

2009年9月 3日 (木)

全ての人に平等な支援を

 パキスタン政府は、スワート県やブネール県などの出身の国内避難民へ緊急支援を行う際、IDカードを持っている国内避難民にのみ難民登録をし、支援を実施していました。JEN を含めた他のNGO団体でも同じように、支援する基準はIDカードを持っているかどうかでした。しかし調査を継続していると、IDカードを持っていないことが理由で難民登録をされていない国内避難民が多くいることに、JENのスタッフは気付きました。

 ある日、スワビ県にあるJENの事務所に一人の女性が訪れました。警備員は彼女を止め、JENのスタッフに彼女のことを知らせました。スタッフが直接話を聞くと、彼女は一人で五人の子どもを育てている女性で、年老いた義理の父親も一緒に暮らしているようでした。夫は病気で数年前に亡くなったそうです。

 彼女たちはスワート県でも郊外に住んでおり、IDカードを持っていなかったのです。それどころか、彼女はIDカードが彼女にとってそれ程重要なものだとは思っていなかったため、家から二時間ほど離れたIDカード事務局へ行ったこともなかったようです。義理の父親は、IDカードは持っていましたが、緊急避難のため故郷から持ってこられなかったのです。

 JENのスタッフは翌日話し合い、国内避難民問題を担当している地区の首長のところへ彼女について相談にゆきました。そして首長とともに調査に行き、その家族が本当に支援を必要としていることを確認しました。一家は、泥でできた小さな一室にホストファミリーとひどい状況のなか暮らしていました。

 すぐにJENのスタッフは一家の支援を行い、翌週の他のNGO団体との会議でこの問題点を挙げました。そして、避難民登録された人びとだけでなく、様々な理由でIDカードを持ち出せなかった、避難民登録に未登録の貧しい国内避難民も支援することを強く主張しました。

 人びとが難民として登録されていようといまいと、平等に支援されるべきなのです。

9月 3, 2009 文化、生活、習慣緊急支援 |

2009年8月27日 (木)

独立記念日を感じながら

090827_independence_day_image_2  パキスタンは、1947年8月14日、独立を果たしました。毎年、パキスタンの人びとはこの日を心待ちにし、国中がお祭り騒ぎとなって独立記念日を祝います。スワート県では特に愛国心が強く、熱狂的にこの日を祝うのです。

 しかし、今年は治安部隊と軍隊との戦闘により、スワート県の一部の人びとは、子どもや女性、お年寄りを戦闘から守るため、独立記念日の間、故郷を離れ、他の地域に避難して暮らしていました。

 独立記念日の日、ジェンのスタッフが支援現場に行くと、ちょうど避難民が、故郷スワートへ帰ろうとしているところでした。ジェンのスタッフは、その中の数名に、帰還と独立記念日を迎える心境を尋ねてみました。すると、次のように話してくれました。

 「私たちは、同時にふたつの独立を祝っているのです。ひとつはパキスタンの独立。もうひとつは、避難所から故郷へ戻ることが出来るという意味での独立です。

 自分たちの土地の安全が確認されて、うれしくなりました。戦闘が終わり、これからは以前と同じように安全な暮らしができるようになるのですから」

 彼らの目には、恐れや不安からくるものではない、嬉し涙がたまっていました。

8月 27, 2009 文化、生活、習慣緊急支援 |

2009年8月20日 (木)

帰還の先に

スワート県から戦闘を逃れてきた国内避難民は、避難民キャンプやホストファミリーの家で暮らしている間、それぞれ人道支援団体から緊急救援物資を受け取り暮らしていました。スワート県の一部地域の安全が確認された現在、その地域の人々は故郷へと帰還を続けています。

先日、スワート県へ帰る人びとに話を聞く機会がありました。ある男性は、JENのスタッフに次のように話してくれました。

「私たちが厳しい状況に直面し、助けを必要としていた時、多くの団体が私たちを支えてくれました。物資の支援は、私たちが本当に必要としているものを満たしてくれてとても助かりました。そして今、私たちは希望を持って故郷に帰ることができます。

 しかし一方で、故郷では、家や学校、病院、水道など、戦闘によって破壊されている場所もあるのが現実です。子どもたちが勉強する場所も不足しています。校舎が壊れてしまった学校の一部では、軍によって供給された、一時的に校舎の代わりになるテントがあるだけです。

 山岳地帯であるスワートの冬がもうすぐ始まろうとしています。戦闘によるトラウマは勉強にも影響が出そうですが、子どもたちが再び学校で元気に学べる日を願っています」

8月 20, 2009 支援物資配布緊急支援 |

2009年8月13日 (木)

パシュトゥーン人のもてなしの心

  上の世代の人々のあいだでは、北西辺境州に多く住むパシュトゥーン人はもてなしの心があることで有名でした。このもてなしの心は、パシュトゥーン人の文化にとって重要な要素だったのです。パシュトゥーン人の文化や習慣を紹介する本や記事には、彼らがお客さんに対して愛情を持ち世話をすることがいつも紹介されています。

  批判家の中には、ここ数年来パシュトゥーン人のもてなしの心の習慣が変わってきていると言う人がいます。それは、彼らを取り巻く世界が変わり、伝統や文化をあまり気にしなくなったからだといわれます。しかし、この4ヵ月のあいだに、批判家の言葉は間違いだったと言える、非常に良い例を北西辺境州で目の当たりにしました。

  ブネール県やスワート県での戦闘から逃れてきた国内避難民に対して、ホストファミリーは、お客さんとして迎えていました。ファミリーは、緊急避難のため何も持って来ることが出来なかった彼らに対して、食料や宿泊場所、トイレ、ベッド、料理器具、その他多くのものを共同で使用するもてなしをしたのです。

  JENのスタッフが国内避難民と会話した中で、その多くがホストファミリーを、自分の本当の家族のように感じたと言っていました。また、5人の子どもがいる国内避難民の家族が暑くて苦しんでいるのを見て、一つしかない扇風機を譲ってあげているファミリーを、JENのスタッフは見ました。その他にも、北西辺境州における素晴らしいもてなしの心を、スタッフはたくさん目にしたのです。

  現在JENの支援によりベッド、うちわ、ガスシリンダー、料理セット、衛生セット等を得た国内避難民は、ファミリーから借りた生活用品を、感謝の気持ちを込めて返しています。

8月 13, 2009 文化、生活、習慣緊急支援 |

2009年7月30日 (木)

交通渋滞

 国内避難民の人びとの一部は、故郷での安全がある程度確認された後、故郷へ帰り始めています。毎日、何台もの車やバス、トラックがスワート県に向かって走っています。家畜を連れて帰郷する人びとは、トラックを借りて家畜を運んでいます。

Traffic_jam1_2  このように帰郷する人々で、ジェンが事業を実施している地区に続くマラカンドへの主要道路は、毎日交通渋滞が絶えません。渋滞が何時間も続くことすらあります。ジェンでも、調査や支援物資配布が遅れてしまうことがあります。しかし、毎回暗くなるまでには仕事を終わらせ、約75キロ離れたスワビ県の事務所に帰っています。

 真夏の7月でも、毛布をかけて寝る必要があるほど涼しいスワート県やブネール県の北で暮らしてきた人々にとって、マルダン県やスワビ県の暑い夏はとても過酷なものでした。彼らは、故郷では、新鮮できれいな湧き水を飲んで暮らしていました。ところが、避難先では、政府が所有する貯水池から給水車が運んでくる水を飲まざるを得ない状況でした。避難民の中には、スワビ県やマルダン県の厳しい気候に適応するのが難しく、肌に炎症を起こしている子どもたちもいました。

 渋滞は困ったのものですが、彼らの避難所での厳しい生活がようやく終わったのです。

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7月 30, 2009 支援物資配布文化、生活、習慣緊急支援 |

2009年7月23日 (木)

故郷への帰還

090723_idp_return_2_resize  パキスタン政府と軍が、スワートの一部安定した地域への、国内避難民の帰還を宣言しました。宣言後間もなく、多くの家族が一斉に荷造りを始め、車の手配など帰還の準備に取り掛かりました。避難民キャンプに住む人々に対しては、政府がバスやトラックなどを用意しました。他方、避難民キャンプの外で暮らす多くの人々は、自ら公共交通機関を手配し、出来るだけすぐに帰れる準備を整えています。中には、帰還したい気持ちを抑えきれず、治安の心配からまだ帰還が認められていない地域へ帰ろうとする人もいます。

 スワートにいる軍関係者は、帰還に安全が確保できなそうな地域では、マルダン県やスワビ県に多くの家族を戻すこともしています。地域の安全性を鑑みて、政府は帰還政策を決定しているようですが、危険で不安定な地域への帰還は、未だ認められていません。これらの地域に故郷のある人々は、帰還の日がくるのを切に待ちわびています。090723_idp_return_3_resize

 JENは、ホストファミリーの家や学校で暮らすキャンプ外の国内避難民に対して支援を行っています。ある日スタッフが、学校で暮らす家族のもとを訪れました時のことです。3週間前にJENが支援物資を配布したこの家族は、帰還の準備を整えているところでした。子ども、お年寄り、女性、みんなの顔に笑顔があふれていました。

090723_idp_return_resize  一方、JENの支援地域では、まだ多くの人々が帰還できないままです。多くの家族は、一時的な避難生活に必要な備品を十分持ちあわせていませんでした。台所用品、ベッド、衛生用品等、不足しているものばかりでした。JENの支援によって、ようやく学校の教室やホストファミリーの家で、生活を送れるようになったと言う家族もいます。

 将来のことは、誰にもわかりません。しかし、故郷でいつも通りの暮らしができることを誰もが願っているのです。

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7月 23, 2009 支援物資配布緊急支援 |

2009年7月16日 (木)

来春への希望

 去年の春先、スワートに住む誰もが、大きな災難がこれから自分たちに襲い掛かるとは思ってもいませんでした。農民たちはみな農地を耕し、小麦やタマネギを育てる準備をしていたのです。小麦はこの地域の主要作物であり、またスワートは早春に花を咲かせる桃の産地でもあります。

 JENパキスタンスタッフと話をした人々はみな、口を揃えてこう言いました。
 
「去年の春は農業にとって理想的でした。春から初夏にかけて、ほどよく雨が降り、作物や果物の収穫にとっての条件が整っていました。作物が豊かに実ればお金を蓄えることができ、そのお金で、古い家を修理したり、子どもの教育や、娘の結婚、家族の治療費に当てることが出来るだろう」

 このような期待を抱いて農民たちは暮らしていたのです。

 しかし、不幸なことに、この地域での戦闘により、そのどの願いも叶えられることはありませんでした。農民たちの作物や果物は熟していましたが、それらを収穫する人はいなかったのです。農民の多くは家を逃れ、村から遠く離れたところで生活しています。

しかし、彼らはこうも続けます。

「今ではもう腐ってしまった作物のことを考えるたびに、悔しい思いがします。しかし、また次の春がやってきて、畑で汗を流せると思うととてもうれしい気持ちになります」

 故郷では、彼らにとっての新しい生活が待っているのです。

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7月 16, 2009 支援物資配布緊急支援 |

2009年7月 9日 (木)

スワートからの家族との出来事

090709_swat_family_2_low  多くの国内避難民が暮らすマルダン県やスワビ県で支援活動をしていると、度々悲しい話を耳にします。ここでは多くの家族が、食べものや水、基本的な生活用品や衛生設備が足りていない状況で暮らしています。
先週、JENパキスタンのスタッフは、ニーズ調査の過程で10人の子どもをもつ女性が避難している家を訪ねました。

 スタッフが家の中へ入ると、子どもたちは泣いたり、けんかをしていました。その理由は、子どもたちもその母親も、前の日の晩からその日の朝まで食事を取っていなかったからでした。

 こういった話は、他の国々で起こっていると聞いたことはありましたが、自国パキスタンで同様の状況を目の当たりにし、胸が痛くなりました。というのも、パキスタンは、農業の栄える肥沃な土地として名を馳せていると思っていたからです。

 キッチンを見渡しましたが、そこには食べ物がありませんでした。ただ、空っぽのコップと、生ぬるい水の入った古いポットがあるだけでした。子どもたちは食べ物を求めて泣いていましたが、母親はどうすることも出来ないようでした。家にはベッドと古びたマットがいくつかあるだけだったのです。

 国内避難民の中には、政府に避難民登録が出来ていない家族が多くいます。この家族もまた、登録を出来ずにいました。登録所に行くことのできる男性もいなければ、子どもたちもまだ小さいため、長く時間のかかる登録所での登録は行えないからです。

 JENは国内避難民を対象に、緊急支援として生活支援物資を配布し、状況改善に努めています。食料に関しては、他の団体がすべての国内避難民を対象に配布を行っています。しかしながら、こういった緊急支援では100%すべての人々に届けることは不可能といわざるを得ません。090709_swat_family3_low 

 JENパキスタンスタッフは、事務所に戻り、この出来事について話し合いました。そして翌日、スタッフは、生活支援物資とともに、自分たちのお金を出し合って買った食料やおもちゃも一緒に、その家族へ届けました。

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7月 9, 2009 支援物資配布緊急支援 |

2009年7月 2日 (木)

同じ太陽の影で

090702_20090618_jpf_assessment_swab  スワビ県パンジュビル地区でニーズ調査のため、JENスタッフがある家を訪れ、女性に面会していた時のことです。老人が部屋に入ってきて、気分が悪そうにしていました。「どうしたのですか?」とスタッフが尋ねると、彼はこう答えてくれました。

 「国内避難民の登録所に来るのは今日が二度目なのです。食料や支援物資を受けるためには、家族の登録を行わなくてはいけません。そのため登録所へ向かったが、登録所では何千人もの人が長い列を作って順番を待っていました。お年寄りや女性にとって、太陽がジリジリと照り付ける中、何時間も自分の順番を待つことはとても大変なことなのです。どれだけ待っても自分の番がこないこともあります。
 一滴の雨もなく、異常なまでに暑い。多くの人がこの暑さに耐え切れず、意識を失う人もいます」

 彼らの多くは、スワート、ブネール、カラムなど比較的涼しい地域の出身者です。この地域の夏はとても過ごしやすく、またピクニックコースも豊富なため、夏休みにはたくさんの観光客が訪れます。

 老人は続けました。
 「同じ太陽の下で、スワートでは何時間働いても暑いと感じたことはなかったのです。しかし、今は環境の違いを感じます。食べものも、ベッドも、フライパンも不足しているし、新鮮な湧き水もないのです。そして同じ太陽とは思えないくらい暑いのです。
 私は、この先、(避難民の)登録を済ませることも、政府や関係機関から支援を受けることもないでしょう」

 JENのスタッフは、政府登録の有無に関わらず、彼の家族に生活物資を届けたいと思いました。

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7月 2, 2009 支援物資配布緊急支援 |

2009年6月25日 (木)

スワートの勇敢な女性

090625_brave_lady_of_swat1_low  私はフィールドアシスタントの一人として、先週からJENでの仕事を始めました。

 スワビ出身の私は、以前は現地機関で働いていました。JENでの仕事は、コミュニティの人々と直接話をすることで、彼らの抱える問題を直に知ることができるので、とてもやりがいがあることだと感じています。

 JENが支援を開始したマルダン県ナライ地区で、私は国内避難民の家族が暮らす学校を訪ねました。生活環境は、日に日に悪化しているため、避難先で生活する人のなかには、そこに訪れた私たちJENスタッフをみて、まるで天使のようだという人々もいました。また、私は、ナライ地区で家族を支える一人の女性にも出会いました。

 彼女は、7人の子どもをもつ一方、夫は障がいを抱えているため十分な稼ぎがないことを打ち明けてくれました。かつて彼女たちは、紛争の中心地であるスワートでお店を営んでいましたが、この唯一の収入源だったお店から今は遠く離れ、国内避難民となった彼女らの生活を支える収入はありませんでした。090625_brave_lady_of_swat2_low

 しかし、その女性は一方で、マルダン県に来て、嬉しい経験も話してくれました。

「避難民としての生活が厳しくなる中、私は家族のために何かしなくてはと思い立ったものの、何をしたらいいか分からずにいました。そこで、近所の人々に相談をしてみました。

ある女性が私に、女性用の服を縫うことはできるか、と尋ねたので、私は、もちろん、と答えました。マルダンでホストファミリーと暮らすその女性は、何処からか調達したミシンと糸、そして針を私にくれました。私は近所に住む女性のために服を作り始め、お金を得ることができました。

すると、ほかの村の女性たちからも服作りの依頼があり、今では家族のための食料も、夫のための薬も買うことができています。すべては、私を助けてくれた近所に住む人々の優しさのおかげです。彼らの支えなしには、自分の技術を活かし、稼ぎを得ることはできなかったでしょう」

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6月 25, 2009 支援物資配布緊急支援 |

2009年6月18日 (木)

故郷から続く川

180609_idps_living_outside_camps__7  武装勢力とパキスタン政府軍との戦闘は、パキスタン北西辺境州で続いています。その中でも、スワート県は、紛争の中心地にあり、沢山の避難民を出しています。

 ここに住む人々は、新鮮で冷たい湧き水や氷河から流れ出る水など自然の恵みを享受してきました。そして、フルーツ、牛乳や肉、その他必要な栄養を摂り、バランスのとれた食生活を送ってきました。豊富な自然の中での生活は、市街地に住む人々よりも豊かであるとすら言われるほどです。高地にあるスワートの夏は、とてもさわやかで避暑地として有名です。パキスタン各地からたくさんの家族連れが訪れ、また、心地よい気候や、壮大な氷河の景色、美しく豊かな湖や緑の渓谷を楽しむのです。

 わたしたちは、このたびの緊急支援のために、スワートから南に下ったマルダン県や、スワビ県で活動を開始しました。スワート県を美しく彩っている沢山の川やその支流は、やがてマルダン県やスワビ県に流れ込み、この地域の人々の農業や飲み水に使われているのです。180609_idps_living_outside_camps__8 

 マルダン県で、川沿いに暮らす国内避難民のおじいさんに話を聞きました。

「この川を見るたびに嬉しさと、そして悲しさがこみ上げてきて、とても複雑な気持ちなります」

その理由を尋ねると、

「この川は、私の故郷スワート県のカラムというところにある氷河から流れ出てきてるのです」と教えてくれました。

180609_idps_living_outside_camps__9 「私の故郷では、農業や飲み水、また水浴びも、すべてこの川の水を使っていました。この川を見て懐かしむたびに悲しくなるのです。でも、故郷から100キロ以上離れたこのマルダンの地においてさえ、私は、この水を使って生きることができます。同じ川の水を使っていることをとてもうれしくも思うのです。川の水は、スワートで見るよりは澄んでいません。それでも、私たちは同じ川の水で水浴びをします。私たちの故郷から続くこの川は、マルダン県とスワビ県の広大な土地に水を運んでいるのです」

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このたびの緊急支援に、

皆さまの、ご支援をよろしくお願いいたします。

ご寄付は、こちらまで

その他、お問い合わせは、電話:03-5225-9352

または、info@jen-npo.orgまで

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6月 18, 2009 文化、生活、習慣緊急支援 |

2009年6月11日 (木)

緊急支援に向けて

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 6月4日、多くの支援者の皆さま、そしてジャパン・プラットフォームの協力を得て、パキスタン北西辺境州で発生している多くの国内避難民のための、緊急支援を開始しました。

 対象となる地域は、マルダン県とスワビ県です。約1,200世帯を対象に、テントやキッチンセット、衛生キット、蚊帳など、生活用品の物資を配布する予定です。

 JENにとって今回の支援は、パキスタンで行う3回目の緊急支援事業となりました。これまでの経験を大いに活かしてゆくことができる一方で、拠点となる場所の選定や一緒に働くスタッフのリクルートなど、一連の準備にはこれまで同様、慎調に行っています。

 現在、首都イスラマバードのJENオフィスでは、国内避難民に配布する物資の調達をはじめています。物資が揃うまでの間、現地スタッフは、事業地の行政官や社会福祉団体とコンタクトと調整をし、さらに、物資配布をサポートしてもらう新たなスタッフの確保に努めています。と同時に、現地の調整会議に参加して情報収集も行っています。

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 1日も早く被災者に支援の手を届けられるよう、スタッフ一同、事業の立ち上げに全力で取り組んでいます。

写真①:配布予定の生活支援物資の一部
写真②:業者倉庫での検品の様子

********************* 皆さまの、ご支援をよろしくお願いいたします。 現地の状況は、こちらまで ご寄付は、こちらまで その他、お問い合わせは、電話:03-5225-9352 または、info@jen-npo.orgまで *********************

6月 11, 2009 支援物資配布緊急支援 |

2009年6月 4日 (木)

北西辺境州での国内避難民への緊急支援がはじまりました

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アフガニスタンとの国境近く、北西辺境州にて避難生活を送る

国内避難民を対象に、生活用品の配布を含む緊急支援を始めました。

皆さまの、ご支援をよろしくお願いいたします。

現地の状況は、こちらまで

ご寄付は、こちらまで

その他、お問い合わせは、電話:03-5225-9352 または、info@jen-npo.orgまで

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6月 4, 2009 支援物資配布緊急支援 |