ペシャワールの文化遺産
パキスタンでは武装勢力の掃討作戦が展開されたことにより、避難を余儀なくされていた多くの人びとが、少しずつ故郷に戻っています。くわしくはこちらから。
こうした状況に対してJENは、連邦直轄部族地域(FATA)ハイバル管区への帰還民を対象に、支援者の皆さまと日本政府のご協力のもと、家畜を通じた生計向上プロジェクトに取り組んでいます。
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JENは連邦直轄部族地域(FATA)での活動の拠点として近隣の大都市であるペシャワールに事務所を置いています。ペシャワールは文化遺産が豊富な町で、今回はそのいくつかをご紹介します。
ペシャワールの歴史は紀元前3世紀に遡り、南アジアで最も古い都市の一つです。
代表的な文化遺産の一つに「ゴーハトリ」があります。
これは1641年にムガール帝国皇帝のシャー・ジャハーンの王女であるジャハン・アラ・ベグムによって建てられた宿泊所です。
広さは4万5千平方メートル以上あり、複雑な構造をしています。王女はこれを「サライ(「宿泊所」の意味)・ジャーナバード」と名付け、モスクや内部への階段がついた井戸を作りました。遠方から来た人々はこの井戸で喉を潤したり水を汲んだりしたのです。
また、ゴーハトリはラクダ商隊の宿泊所ともなりました。東西に2つの門があり、それぞれに10の宿泊室を伴った2階建ての建物が併設されていました。
【ゴーハトリ】
他に「セティス・モハラー」という遺跡もあります。
これは大貿易商であったセティス一族によって建設された7軒の家の集合体です。ガンダーラと中央アジアの様式が融合したユニークな造りとなっています。最初の建物は1884年にハジ・アーメド・グルによって建てられました。
【セティス・モハラーのベランダ】
【セティス・モハラーの2階】
これは1900年に建設された旧市街の「ガンタ・ガー」(時計台)の近くにあります。この20メートルほどの高さの時計台は歴史的シンボルのようになっています。セティス一族は中国・アフガニスタン・イラン・中央アジアなどと貿易を行い、アフガニスタンのマザリシャリフやウズベキスタンのタシケントなどに拠点を構えていました。
【時計台】
セティス・モハラーは木造で、完成までに35年間を要し、ここでは交易のために通貨が交換されていたそうです。
【セティス・モハラーがあるペシャワール旧市街】