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2018年2月22日 (木)

働き者の女性

 パキスタンでは武装勢力の掃討作戦が展開されたことにより、避難を余儀なくされていた多くの人びとが、少しずつ故郷に戻っています。くわしくはこちらから。

こうした状況に対してJENは、連邦直轄部族地域(FATA)ハイバル管区への帰還民を対象に、支援者の皆さまと日本政府のご協力のもと、家畜を通じた生計向上プロジェクトに取り組んでいます。

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 働き者の女性は家事だけでなく家畜の世話や園芸を行います。

 ハナムさんはそうした女性の一人です。JENが2015年に人びとに野菜の種を配り、園芸についての研修を行いました。ハナムさんもそこで学びました。

 今、ハナムさんは3人の子どもたちを学校に送った後、2時間ほど掃除・洗濯などの家事をし、庭の畑に向かいます。冬にはほうれん草の種を蒔きます。畑の準備から野菜を育てるまで、すべてが彼女の仕事です。夫は有機肥料を持ち込みます。

「家族が食べられるだけのほうれん草が収穫できます。お金の節約になりますし、ほうれん草は栄養分が高いです。たまに親族や近所の人びとに分けています」とハナムさんは言います。
 彼女は賢明で、次の種蒔きのために一部の種を取っておきます。

【親戚の子どもを抱きながら子どもたちの昼食のためにほうれん草を収穫するハナムさん】
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【収穫できるまでに成長したほうれん草】
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【種蒔き用のほうれん草の種】
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写真③

2月 22, 2018 生計回復事業, 農業支援 |

2018年2月15日 (木)

FATAの学校の実情

 パキスタンでは武装勢力の掃討作戦が展開されたことにより、避難を余儀なくされていた多くの人びとが、少しずつ故郷に戻っています。くわしくはこちらから。

こうした状況に対してJENは、連邦直轄部族地域(FATA)ハイバル管区への帰還民を対象に、支援者の皆さまと日本政府のご協力のもと、家畜を通じた生計向上プロジェクトに取り組んでいます。

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ハイバル管区には以前からたくさんの学校がありましたが、机・椅子などの生徒用の備品や、トイレなどの水衛生施設が整っていない学校が多く、そのため親も子どもたちを学校に通わることにあまり関心をもたず、子どもたち皆が学校に行っている状態ではありませんでした。

 管区での戦闘が激しくなり、人びとは近隣のペシャワールなどに設けられた避難民キャンプに移りました。そこではNGOなどの支援団体が教育支援活動を行っていました。学校に水衛生施設を併設した仮教室が作られ、男の子・女の子双方にとって教育が必要であることが伝えられました。
 こうしたことを通じて、避難した人びとは教育の重要性を理解していきました。

 戦闘が終わると、人びとは故郷に戻りましたが、家や学校、病院などが破壊されているのを目にしました。

 そのうちの1つ、人びとが避難する前には900人の生徒がいたスピーン・カバール中学校は、建物がなくなっていました。2014年以降、ユニセフがプレハブやテントで仮教室を設置しましたが、電気や水・トイレといった施設がありません。屋外で勉強しなければならない子どもたちもおり、雨が降ると授業が中断されます。こうしたことにより、現在生徒数は600人程度に留まっています。

「人びとは教育の重要性を認識し始めているのですが、施設の不足がその思いをくじいています。生活や地域を向上させていくには教育が必要なのですが、適切な施設がないと教育は行えないのです」
 そう話す学校の先生たちは、この地域の教育環境が整うことを祈っています。

【スピーン・カバール中学校の様子。校舎は仮の建物で、子どもたちは外で勉強しています】
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2月 15, 2018 学校修復・建設, 教育支援 |

2018年2月 1日 (木)

ペシャワールの文化遺産

 パキスタンでは武装勢力の掃討作戦が展開されたことにより、避難を余儀なくされていた多くの人びとが、少しずつ故郷に戻っています。くわしくはこちらから。

こうした状況に対してJENは、連邦直轄部族地域(FATA)ハイバル管区への帰還民を対象に、支援者の皆さまと日本政府のご協力のもと、家畜を通じた生計向上プロジェクトに取り組んでいます。

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JENは連邦直轄部族地域(FATA)での活動の拠点として近隣の大都市であるペシャワールに事務所を置いています。ペシャワールは文化遺産が豊富な町で、今回はそのいくつかをご紹介します。

 ペシャワールの歴史は紀元前3世紀に遡り、南アジアで最も古い都市の一つです。

 代表的な文化遺産の一つに「ゴーハトリ」があります。
 これは1641年にムガール帝国皇帝のシャー・ジャハーンの王女であるジャハン・アラ・ベグムによって建てられた宿泊所です。
 広さは4万5千平方メートル以上あり、複雑な構造をしています。王女はこれを「サライ(「宿泊所」の意味)・ジャーナバード」と名付け、モスクや内部への階段がついた井戸を作りました。遠方から来た人々はこの井戸で喉を潤したり水を汲んだりしたのです。
 また、ゴーハトリはラクダ商隊の宿泊所ともなりました。東西に2つの門があり、それぞれに10の宿泊室を伴った2階建ての建物が併設されていました。

【ゴーハトリ】
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 他に「セティス・モハラー」という遺跡もあります。
 これは大貿易商であったセティス一族によって建設された7軒の家の集合体です。ガンダーラと中央アジアの様式が融合したユニークな造りとなっています。最初の建物は1884年にハジ・アーメド・グルによって建てられました。

【セティス・モハラーのベランダ】
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【セティス・モハラーの2階】
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 これは1900年に建設された旧市街の「ガンタ・ガー」(時計台)の近くにあります。この20メートルほどの高さの時計台は歴史的シンボルのようになっています。セティス一族は中国・アフガニスタン・イラン・中央アジアなどと貿易を行い、アフガニスタンのマザリシャリフやウズベキスタンのタシケントなどに拠点を構えていました。

【時計台】
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 セティス・モハラーは木造で、完成までに35年間を要し、ここでは交易のために通貨が交換されていたそうです。

【セティス・モハラーがあるペシャワール旧市街】
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2月 1, 2018 文化、生活、習慣 |