新たに流入した国内避難民の状況
連邦直轄部族地域(FATA)の南ワジリスタン管区は①ラドハ、②セルウォカイ、③ワナの3つの地区に分かれており、ラドハとセルウォカイでは今もなお戦闘が続いています。ワナは戦闘の被害を受けておらず、比較的安全な地域です。
2008年から2009年にかけての激しい戦闘により、ラドハとセルウォカイのほぼ全人口が、パキスタン国内の様々な地域へ避難を余儀なくされました。その多くはデラ・イスマイル・カーン県、タンク県、カラチ、北ワジリスタン管区、南ワジリスタン管区のワナ地区に移り住みました。
ディン・ボブライさんは、南ワジリスタン管区のティアルザ郡出身です。彼の故郷での職業は、日雇い労働者で、4人の娘と5人の息子がいます。長男は15歳で、カラチでガイドとして働いています。ボブライさん一家の1か月の総収入は、約10000パキスタン・ルピー(5000パキスタン・ルピーが彼の息子の月給で、あとは日雇労働の日給)でした。
戦闘の影響を受けたボブライさん一家は、南ワジリスタン管区のワナ地区シャカイ郡まで歩いて避難しました。シャカイにたどり着くまでに、一昼夜かかったといいます。それ以降5年間、ボブライさん一家はテント暮らしを続け、日雇い労働で生計を立ててきたそうです。
南ワジリスタンの状況は、2012年12月にワジール族の過激派指揮官の死後、最悪となりました。新たな戦闘によって、ワナ地区からも避難民が発生し、デラ・イスマイル・カーン県、タンク県やカラチへ約5000世帯が避難をすることになりました。
ボブライさんもその一人で、デラ・イスマイル・カーン県のパロア郡、ミラン地区の村に避難し、テント生活を続けています。WFPからは食糧の支援を受けているものの、他の人道支援機関からの支援は一切受けられていません。
ボブライさんはジェンスタッフに話しました。「故郷での紛争ですべての財産を失い、もう私も家族も完全におしまいです。2~3世代かかっても、私の財産を取り戻すことは不可能です。故郷に帰るより、避難民として生きていくほうがまだましです」
また、「私と息子が家族全員を養わなければならない。私の妹も、夫の死後一緒に暮らしているが 、妹は目が不自由で、その薬代を私が全部まかなっているんです」とも言いました。
ボブライさんの話によると、新しく流入してきた避難民の人たちは、シェルターや収入、生活に必要な基本設備の不足により、遊牧民のように転々と移動を余儀なくされています。そのような生活を続けてきたため、ピリピリして落ち着かない精神状態にあるといいます。
新たに流入してきて、支援を受けられない多くの避難民は、人道支援機関や政府からの援助を待っています。ジェンは今年ボブライさんが暮らす地域を対象に、生計復帰支援を実施します。
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