« デラ・イスマイル・カーン県における最初の山羊の配布 | トップページ | 現地スタッフの故郷、スワビ地区 »

2012年4月12日 (木)

国内避難民の今

 パキスタンの連邦直轄部族地域(F.A.T.A)から避難してきた国内避難民の人びとは、もともとの出身地でもとても過酷な生活を送っていました。教育の重要性の認識は男性にとっても非常に低く、女性に到っては皆無に等しいものでした。収入は主に農業と牧畜に依存していました。

 これらの避難民の人びとは生来の頑固な気質に加え、その土地の文化的影響により、保守的でした。また、彼らの多くは言語の問題などから故郷を出ることに抵抗があったため、現在の避難先の村や都市へ出たことがほとんどありませんでした。
そのため、これらの人々にとってはキャッシュカードで銀行口座から現金を引き出すこと一つですら、とても難しい作業です。物の見方も偏りがちで、人道支援機関は文化を壊すものとして、ネガティブな印象を持っていました。

 こうした国内避難民の多くが、出身地で起きた戦闘により土地を追われ、デラ・イスマイル・カーン県、タンク県もしくはカラチ市での避難生活を送ることになりました。

120412_a_humanitarian_mobilizes_idp

120412_representative_of_humanitari

 避難先では、人道支援機関がシェルター、食糧、食糧以外の物資を配布し、団体スタッフたちが辛抱強く、丁寧に避難民の人びとの対応をしていました。これらの人道支援機関による効果的な働きかけによって、避難民自身の考え方に変化が表れ、自分達の力で生活を回復させようと希望を持つようになりました。

120412_educating_idps_children
120412_mobilization_session_with_id
120412_young_idps_are_learning_ma_2


人道支援機関による様々な能力開発トレーニングや、避難先の地域住民との交流を通して、国内避難民は、徐々に避難先の生活に順応しつつあります。

 外のコミュニティや部族への偏見も和らぎ、教育の重要性についての認識が高まり、自分の子どもを学校に通わせたいと望む人が増えました。また、生計手段として農業や牧畜以外の方法にも関心を示すようになりました。JENを含む人道支援機関の役割や、被災者の権利についても理解が深まってきたようです。

 人道支援機関や地域住民の協力、そして国内避難民自身の努力により、避難民の人たちは新しい生活・考え方・知識を受け入れつつあるのです。

4月 12, 2012 国内避難民支援 |