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2012年4月26日 (木)

現地スタッフの故郷、スワビ地区

現地スタッフの故郷、スワビ地区
 
今日は、イスラマバード事務所で働く現地スタッフの故郷のご紹介です。

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 私はスワビ地区・バタカラ村出身です。スワビは、ハイバル・パフトゥンハー州のインダス川右岸に位置し、周囲をマルダン、ブネルおよびハザル地区に囲まれた地区です。
 スワビ地区の住民は、パタン族のユーサフザイ部族かウトマンザイ部族に属しており、その文化やホスピタリティで良く知られています。

 2009年にスワット地区で起きた反政府武装勢力と政府軍との戦闘によって、多くの国内避難民が発生しました。

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 スワビの人びとはこれらの避難民を温かく迎え入れ、紛争が収まるまでの間、自分たちの住居の一部を提供しました。

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 また、スワビの住民はとても社交的で礼儀正しく、同地区で活動する個人や援助団体に敬意を払っていました。2009年の国内避難民発時には、JENを含む多くのNGOがスワビ地区で活動しましたが、スワビの人びとはその活動もサポートしました。

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 スワビの人びとの主な収入源は農業・牧畜で、多くの人びとが小麦やトウモロコシ、タバコ、サトウキビ、野菜を育て、羊、山羊、水牛や山羊を飼育しながら素朴な生活を送っています。人々はこれらの作物や家畜を日々の食事に利用するとともに、客人にも振舞います。

【換金作物であるタバコ畑】
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【山羊を家畜として育てる農民】.
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 また、スワビ地区の若者の多くは教育を受けており、公的機関や民間企業において様々な仕事に従事しています。スワビ地区の就学率はハイバル・パフトゥンハー州内の他地区と比べても高く、工科大学として名高いパキスタンGIK大学も同地区にあります。

【GIK大学全景】
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 JENのスタッフにもスワビ出身者が私を含め数名おり、地元で様々なコミュニティ団体の社会活動に従事しています。

4月 26, 2012 文化、生活、習慣国内避難民支援 |

2012年4月12日 (木)

国内避難民の今

 パキスタンの連邦直轄部族地域(F.A.T.A)から避難してきた国内避難民の人びとは、もともとの出身地でもとても過酷な生活を送っていました。教育の重要性の認識は男性にとっても非常に低く、女性に到っては皆無に等しいものでした。収入は主に農業と牧畜に依存していました。

 これらの避難民の人びとは生来の頑固な気質に加え、その土地の文化的影響により、保守的でした。また、彼らの多くは言語の問題などから故郷を出ることに抵抗があったため、現在の避難先の村や都市へ出たことがほとんどありませんでした。
そのため、これらの人々にとってはキャッシュカードで銀行口座から現金を引き出すこと一つですら、とても難しい作業です。物の見方も偏りがちで、人道支援機関は文化を壊すものとして、ネガティブな印象を持っていました。

 こうした国内避難民の多くが、出身地で起きた戦闘により土地を追われ、デラ・イスマイル・カーン県、タンク県もしくはカラチ市での避難生活を送ることになりました。

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 避難先では、人道支援機関がシェルター、食糧、食糧以外の物資を配布し、団体スタッフたちが辛抱強く、丁寧に避難民の人びとの対応をしていました。これらの人道支援機関による効果的な働きかけによって、避難民自身の考え方に変化が表れ、自分達の力で生活を回復させようと希望を持つようになりました。

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人道支援機関による様々な能力開発トレーニングや、避難先の地域住民との交流を通して、国内避難民は、徐々に避難先の生活に順応しつつあります。

 外のコミュニティや部族への偏見も和らぎ、教育の重要性についての認識が高まり、自分の子どもを学校に通わせたいと望む人が増えました。また、生計手段として農業や牧畜以外の方法にも関心を示すようになりました。JENを含む人道支援機関の役割や、被災者の権利についても理解が深まってきたようです。

 人道支援機関や地域住民の協力、そして国内避難民自身の努力により、避難民の人たちは新しい生活・考え方・知識を受け入れつつあるのです。

4月 12, 2012 国内避難民支援 |