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2011年11月 2日 (水)

ヌール・マリクさんの話

 パキスタンで活動するNGOは、国内各地の紛争や災害の被災者のそばで働き、様々な境遇で生活する被災者に出会います。

 今回は、ジェンスタッフが現事業地であるデラ・イスマイル・カーンで出会ったヌール・マリクさんの家のお話をお伝えします。

 ヌール・マリクさんとマリクさんの奥さんの間には子どもがおらず、家族はマリクさんと奥さんの二人きりです。マリクさんは75歳前後、奥さんは68歳になります。

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 二人は紛争で最も大きな被害を受けている南ワジリスタンのカマ・ゴラミー村というところに住んでいました。マリクさん夫妻にはとても小さな家と、唯一の収入源である4頭のヤギ以外、財産と呼べるものはありませんでした。

 もちろん、それだけでは生活に充分とは言えませんが、時には近所の人から寄付をもらいながら、どうにかやりくりをして生活をしていました。

 2年前のある日の真夜中、マリクさん夫妻は突如、他の村人たちとともに家を離れ、デラ・イスマイル・カーンへ逃げなくてはならなくなりました。軍がマリクさんたちの村に近づいており、どこか安全な場所へ避難するように呼び掛け始めたのです。戦火が迫っている状況下で、二人が南ワジリスタンの自宅で暮らし続けることは、もはや不可能でした。

 村を出た後の避難先までの道のりは、耐え難いものでした。食糧も、水も、着替えもないまま、デラ・イスマイル・カーンまでの道のりを歩かなければならなかったのです。二人は高齢で、長い時間歩き続けることはできません。唯一の収入源であった4頭のヤギも、村に残さざるをえませんでした。

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 多くの国内避難民がそうであったように、マリクさん夫妻は避難民登録に間に合わず、WFP(国連世界食糧計画)による食糧支援を受けることができませんでした。
 マリクさん夫妻はデラ・イスマイル・カーン県にたどりついた後も、数日間は何も食べることができなかったと言います。

 その後二人は同県のパハルプル郡に住む親せきの家に身を寄せることになりました。親戚とはいえ、他人の家で暮らすのは少々居心地が悪いけれど、そうする以外の選択肢はないから、とマリクさんは言います。二人は毎日の食糧を確保する手段すらなく、何か奇跡でも起こらないものかと考える日々を送っていました。

 しかし、今年7月にジェンがデラ・イスマイル・カーンでの活動を開始した後、二人の生活は変わり始めました。

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 マリクさん夫妻は支援対象者として登録され、妊娠したメスのヤギを受け取ることができたのです。ヤギは配布後間もなく仔ヤギを生み、ミルクがとれるようになりました。ミルクは自分たちの毎日の食事に利用しますが、余った分は売ることもできるため、少しずつ収入を取り戻せるようになったのです。

 ジェンはこれからもパキスタンで最も支援を必要としている被災者のために、活動を続けて行きます。

===== ご報告 =============

平成23年度 外務大臣表彰受賞しました。

これまで、JENの活動を温かくご支援くださいました、

支援者の皆様に、深く感謝申し上げます。

詳しくは、こちら

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11月 2, 2011 国内避難民支援 |

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