花の町、ペシャワール
JENが現在活動しているペシャワールは、南アジアと中央アジアへの玄関口として古くから交通・商業の要地として栄えてきました。その歴史は、紀元前6世紀のガンダーラ王国の時代にまで遡ります。
現在ペシャワールの人口は約300万人、東はイスラマバードやラホール、南はカラチへと道路がつながり、流通の要となっています。そして、有名なジャムロッド・ロード(Jamrod Road)はアフガニスタンにつながっています。
ペシャワールは10年ほど前まで、花が溢れる町として知られていました。パキスタン北西部ハイバル・パフトゥンハー州の州都であり、高等教育や病気の治療を受けるために沢山の人々がペシャワールを訪れていました。町中の公園では、多くの人々が一日の仕事の疲れを癒したり、家族や友人と楽しい時間を過ごしたりしていたものでした。
ペシャワールはホスピタリティの豊かな場所としても知られています。70年代後半、アフガニスタン紛争が起きた際は、多くの難民が命を守るためにパキスタンに逃げなければなりませんでした。その難民の多くがペシャワールの難民キャンプや親戚、友人の家に避難したのです。彼らがペシャワールを選んだ理由は、カブールやその他のアフガニスタンの都市と文化的背景がとても似ていたからです。
2009年に、スワット渓谷や連邦直轄部族地域(FATA)で衝突が起きた際も、多くの住民がペシャワールに避難しました。
しかし、頻繁にテロが発生するようになり、今のペシャワールは「戦争の町」もしくは「爆発の町」と呼ばれるようになってしまいました。今、毎日のようにペシャワールの人々の尊い命がテロによって失われています。治安上の問題から、自国民にペシャワール地域への訪問を制限している国もあります。
このような状況の中でも、ペシャワールの人々は自分の生まれ故郷に残ること選び、熱心に学校や仕事に通っています。テロや事件が起きる度に救出活動を手伝い、献血に協力もします。いつかこの戦争とテロの時代に終わりが来ることを信じているからです。
ペシャワールの人々は、近い未来、この街がまたたくさんの花で溢れ、古い町並みやパシュトゥーン文化を楽しむために世界中から旅行客が訪れる日が来ることを信じています。