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2010年10月30日 (土)

ザンガルコロノ地区へシェルターキット配布

10月28日、ザンガルコロノ地区へシェルターキットを配布しました。

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1人のおじいさんがシェルターキットを受け取りました。JENのスタッフたちが、トタン板や竹など大きな資材を配布所の外へ運ぶのを手伝いました。

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JENのスタッフは、シェルターキット配布作業の他に、受け取りに来た人たちの登録作業を行います。

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牛の荷車でシェルターキットを運んでいる人も!

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ザンガルコロノ地区の住民たち。シェルターキット受け取りの順番が来るまで座って待ちます。

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シェルターキットを100セット配布した後。

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おじいさんと孫。受け取ったシェルターキットを運ぶ牛の荷車が来るのを待っています。

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配布終了後、地元の住民とJENのスタッフで記念撮影。

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シェルター配布作業を行った若者たち。配布作業を終え、これから倉庫に戻ります。

10月 30, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年10月22日 (金)

ザンガルコロノ地区を調査

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洪水が家の門以外すべてを奪い去りました。

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JENのスタッフが調査をしている様子。

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家財道具の中で、唯一残ったのがこのテーブル。
しかし、壊れてしまっており、使いものになりません。

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もう、家とは到底呼べない家。
ここに暮らしていた家族は、家の隣にテントを張って暮らしています。

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洪水後、泥で自分たちの家を作っている人たちもいます。

10月 22, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年10月20日 (水)

一人の小作人の苦しみ

 2010年7月29日に起こった大洪水はハイバル・パトゥンハー州のいくつかの地域に大きな被害をもたらしました。チャルサダの集落にまで水が押し寄せ、洪水を予期していなかった住民たちは着の身着のまま避難しようとしましたが、一日かけても避難できず取り残された人たちも多くいたのです。

 大洪水によっておきた被害は想像をはるかに超えるものでした。道路、橋、道、建物といったインフラや水衛生施設はもちろん、農地や家畜なども大きな被害を受け、特に、農地に関しては、何千エーカーもの農地は水につかり、収穫された農産物までが全くものにならなくなりました。

101020mr_taj_mohammad_2  カティガーン(チャルサダ県のウトマンザイ地区労働組合)に所属する住民であるムハンマドさんは33歳、大洪水の被害者の一人であり、もともと身体が不自由な方です。実は、彼は25歳のときに事故に遭い、意識は回復したものの、一人では立てず、歩くことさえできなくなりました。にもかかわらず、ムハンマドさんは、挫けることなく兄弟たちとともに再び働き始めたのですが、7月29日襲った大洪水は彼らを悲惨な状況に陥れることになったのです。

 ムハンマドさんは言います。

「7月29日、私たちは、政府施設である集会所まで逃げました。そこで一週間以上滞在したのち帰宅するのですが・・・戻ってみると、家には食べ物はおろか、食べ物以外の家財道具が元の姿ではないのです。3週間も続けて9フィートにも達する水に浸っていたわけですからね。被害を受けなかった家財道具は一つもない。これまでの人生で得てきた全てのものを失ってしまったのです。ここで生活を再開するのは難しいことを思い知らされました」。

101020mr_taj_is_exhibiting_the_cor  一方、農地に関しては、大洪水によって緑豊かだった土地は荒れ果て、実がよく育ったトウモロコシ畑も変わり果てた姿になりました。

 ムハンマドさんは農地を所有していません。地主の指示に従って農地を耕しているのです。小作人の場合、種やスプレー、肥料といった農業に必要な資本は持てますが、収穫物から得る利益については、地主からその50%だけをもらうことになっています。このように農業で生計を立てているムハンマドさんですが、今回の大洪水は農地をめちゃくちゃにし、彼自身の農業資本をも奪い去ってしまったのです。

10月 20, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

ウトマンザイ地区の農地の様子

 洪水で土砂が堆積し、その後、水が干上がって、乾燥してひび割れた農地の写真が届きました。このような土地は、もう一度地面をならして、耕さなければいけません。

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現地の農民たちとJENのスタッフで、農地や穀類について話合いを行いました。

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ひび割れた農地。
上の写真で、左側の農地では農民がトラクターを使って土地をならし、耕しています。

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洪水前は豊かな小麦畑でしたが、このように悲惨な風景へと変わってしまいました。

10月 20, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年10月18日 (月)

被害に遭った畑の様子

ウトマンザイ地区に住むモハメド・タジさんの畑の様子が届きました。

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タジさんがトウモロコシの被害を説明してくれました。

10月 18, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年10月 6日 (水)

イサヌーラさんと障がいを持つ娘

1006ihsanullah_2_2  イサヌーラさんはチャルサダ県ウトマンザイ地区のアラート・コロナに住んでいました。
大洪水が彼の村を襲った夜、イサヌーラさんと妻と3人の子ども(娘1人と息子2人)は、家の中で身動きがとれなくなっていました。しかし、水かさは次第に増し始め、そこでイサヌーラさんは、子どもの頃から障がいをもっている娘、タヒーラ・ナズさんを肩にかつぎ、暗く泥だらけの水の中を、家族と共に安全な場所へ避難し始めました。少しして、洪水のものすごいスピードとパワーに圧倒され、彼らは見知らぬ人の家に避難しました。しかし水かさはさらに増し続け、彼は家族を屋根の上に避難させました。暗闇の中で、彼が家から持ってきたものは、懐中電灯だけでした。
 
 屋根の上に、家族は立ちつくしていました。洪水で建物が崩れ落ちなかったことは奇跡的なことでした。家族は翌日の晩までずっと屋根の上で過ごしました。やっと、地元漁師の船に乗った地元の人びとに救出されたのです。

 現在、彼らは、食糧やその他の物資支援を受けています。イサヌーラさんは、家族を支えるために働き、洪水による爪あとを回復したい、と熱く語りました。

10月 6, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

スロー・ツナミ

20100929_jpf20102assessmentutmanzai モンスーンシーズンに降リ続いた雨で、7月29日頃から発生した洪水は、パキスタンを南北に背骨のように走るインダス川を1ヵ月近くかかって南下しました。その後、アラビア海に面したシンド州まで被害は広がり、9月末頃、ようやく新たな洪水が起こらなくなりました。

 今回の洪水ではパキスタンの国土の20%(約16万K㎡)が浸水したと言われています。これは、北海道2つ分、またはオーストリア+オランダ+スイスの国土を合わせた面積に相当します。そして、洪水はインダス川とその源流沿いに南北1,400キロ近い範囲に渡って発生しましたが、 この長さは日本の本州の長さとほぼ同じです(青森県北端~東京~山口県西端)。

 また、被災者はパキスタン国民の10%以上である約2,000万人、死者は約1,600人、壊れた家屋は190万軒に上りました。被災者数は、オーストラリアやスリランカの全人口に相当します。洪水の被害に加え、洪水後の不衛生な環境で、被災者たちは、皮膚病、眼病、呼吸器疾患などに悩まされています。

20100929_jpf20102assessmentutmanz_2  2004年の津波被害を上回る規模にも関わらず、世界の注目を浴びないこの災害。
国連は“スロー・ツナミ”と呼び、この災害は65年続く国連の歴史の中で、最大規模の災害と呼ばれています。また、大規模災害に対して国際社会の緊急支援を呼び掛ける国連の緊急支援アピールが、ハイチの15億ドルを上回る20億ドルとなり、過去最高額となりました。

 この未曽有の災害に対して、パキスタン政府、現地NGOに加え、各国のNGOや国連機関などの国際社会が日夜緊急支援を提供していますが、あまりの規模に支援が追いついていない状況です。JENも引き続き洪水被災者の支援を続けて参りますので、ご支援をよろしくお願いいたします。

クレジットカードでのご寄付
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郵便振替口座
→→→
00170-2-538657 口座名  JEN
*通信欄に「パキスタン」とご記入ください*

10月 6, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |

2010年10月 5日 (火)

ウトマンザイ地区の展望

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 ウトマンザイ地区では、洪水によって多くの井戸が壊れてしまいました。村人たちは、これらの井戸を直そうとしたのですが、瓦礫は取り除けても、水の汚染は直せません。特に飲料水の不足が、今最も問題になっています。
 
 
Image005  ウトマンザイ地区の家々の様子。洪水ですべてが流されてしまいました。
 
  

   

   

 ウトマンザイ地区のあるKPK州では、997校の学校が洪水により被害を受けています。一方、学校の制服やカバンを洪水で無くしてしまって、学校に通学できない生徒も多くいます。

 

Image007_6 ウトマンザイ国立高等学校6組の生徒・シャー君。家と一緒に、制服もカバンも流されてしまい、学校に通うことができません。そして、シャー君の父親には、制服や鞄を揃えるためのお金もありません。

10月 5, 2010 北西部大洪水 被災者緊急支援 |