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2009年8月27日 (木)

独立記念日を感じながら

090827_independence_day_image_2  パキスタンは、1947年8月14日、独立を果たしました。毎年、パキスタンの人びとはこの日を心待ちにし、国中がお祭り騒ぎとなって独立記念日を祝います。スワート県では特に愛国心が強く、熱狂的にこの日を祝うのです。

 しかし、今年は治安部隊と軍隊との戦闘により、スワート県の一部の人びとは、子どもや女性、お年寄りを戦闘から守るため、独立記念日の間、故郷を離れ、他の地域に避難して暮らしていました。

 独立記念日の日、ジェンのスタッフが支援現場に行くと、ちょうど避難民が、故郷スワートへ帰ろうとしているところでした。ジェンのスタッフは、その中の数名に、帰還と独立記念日を迎える心境を尋ねてみました。すると、次のように話してくれました。

 「私たちは、同時にふたつの独立を祝っているのです。ひとつはパキスタンの独立。もうひとつは、避難所から故郷へ戻ることが出来るという意味での独立です。

 自分たちの土地の安全が確認されて、うれしくなりました。戦闘が終わり、これからは以前と同じように安全な暮らしができるようになるのですから」

 彼らの目には、恐れや不安からくるものではない、嬉し涙がたまっていました。

8月 27, 2009 文化、生活、習慣緊急支援 |

2009年8月20日 (木)

帰還の先に

スワート県から戦闘を逃れてきた国内避難民は、避難民キャンプやホストファミリーの家で暮らしている間、それぞれ人道支援団体から緊急救援物資を受け取り暮らしていました。スワート県の一部地域の安全が確認された現在、その地域の人々は故郷へと帰還を続けています。

先日、スワート県へ帰る人びとに話を聞く機会がありました。ある男性は、JENのスタッフに次のように話してくれました。

「私たちが厳しい状況に直面し、助けを必要としていた時、多くの団体が私たちを支えてくれました。物資の支援は、私たちが本当に必要としているものを満たしてくれてとても助かりました。そして今、私たちは希望を持って故郷に帰ることができます。

 しかし一方で、故郷では、家や学校、病院、水道など、戦闘によって破壊されている場所もあるのが現実です。子どもたちが勉強する場所も不足しています。校舎が壊れてしまった学校の一部では、軍によって供給された、一時的に校舎の代わりになるテントがあるだけです。

 山岳地帯であるスワートの冬がもうすぐ始まろうとしています。戦闘によるトラウマは勉強にも影響が出そうですが、子どもたちが再び学校で元気に学べる日を願っています」

8月 20, 2009 支援物資配布緊急支援 |

2009年8月13日 (木)

パシュトゥーン人のもてなしの心

  上の世代の人々のあいだでは、北西辺境州に多く住むパシュトゥーン人はもてなしの心があることで有名でした。このもてなしの心は、パシュトゥーン人の文化にとって重要な要素だったのです。パシュトゥーン人の文化や習慣を紹介する本や記事には、彼らがお客さんに対して愛情を持ち世話をすることがいつも紹介されています。

  批判家の中には、ここ数年来パシュトゥーン人のもてなしの心の習慣が変わってきていると言う人がいます。それは、彼らを取り巻く世界が変わり、伝統や文化をあまり気にしなくなったからだといわれます。しかし、この4ヵ月のあいだに、批判家の言葉は間違いだったと言える、非常に良い例を北西辺境州で目の当たりにしました。

  ブネール県やスワート県での戦闘から逃れてきた国内避難民に対して、ホストファミリーは、お客さんとして迎えていました。ファミリーは、緊急避難のため何も持って来ることが出来なかった彼らに対して、食料や宿泊場所、トイレ、ベッド、料理器具、その他多くのものを共同で使用するもてなしをしたのです。

  JENのスタッフが国内避難民と会話した中で、その多くがホストファミリーを、自分の本当の家族のように感じたと言っていました。また、5人の子どもがいる国内避難民の家族が暑くて苦しんでいるのを見て、一つしかない扇風機を譲ってあげているファミリーを、JENのスタッフは見ました。その他にも、北西辺境州における素晴らしいもてなしの心を、スタッフはたくさん目にしたのです。

  現在JENの支援によりベッド、うちわ、ガスシリンダー、料理セット、衛生セット等を得た国内避難民は、ファミリーから借りた生活用品を、感謝の気持ちを込めて返しています。

8月 13, 2009 文化、生活、習慣緊急支援 |