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2009年2月12日 (木)

私たちの事業完了証明書

090212_for_pr_report_10low   最初に被災地に到着した時、人びとは支援物資のトラックに群がり、多くの組織が支援物資やテントを幹線道路上で配布していました。けれども、それらの物資は被災者が本当にほしいものではありませんでした。初冬を迎え、気温はすでに非常に下がっていたにもかかわらず、彼らが配布していたテントは夏用のものだったのです。非常事態に一刻も早く対応するため、多くのNGOが彼らの倉庫などに残っていたテントを配布していたからでした。

 私たちは、最初の配布活動をテョンギ・バラ村から開始しました。家は破壊され、人びとは夏用のテントに住んでいました。多くの子どもたちが夜の寒さで体調を崩し、病気になっていました。生活物資を配布し、越冬用テントを建設した後、人びとは、少なくとも来るべき厳しい冬を過ごせる環境を手に入れたと安心した様子でした。

090212_archand_27012009_13_low  配布活動を終了した後、村の人びとが、伝統的な食事であるラーンデイ(羊の干し肉を使った料理)を私たちにふるまってくれました。地震の直後であり、人びとが非常に困難な状況であったので、そのようなもてなしを受けるのは大変気が引けることでした。しかし、とても強く勧められたため、彼らの伝統に従っていただきました。

 地震から2ヶ月半が経ち、同じ村で最後の配布活動である瓦礫を運ぶ一輪車の配布が終了しました。再び村の人たちが食事をふるまってくれました。食べ物の内容は同じでしたが、私たちの気持ちも、そして村の人びとの気持ちも前回とは全く違い、とても晴れやかでした。村人たちの生活が改善し、夜も寒さに震えることはなく、子どもたちも寒さのせいで病気になることもなくなりました。多くの村で電気やガスの供給が再開されましたが、まだ再開されていない場所でも、JENが配布したガスシリンダーで電気や暖をとることができています。090212_20090124jpfgascylinderdist_3 

 私たちが村を離れる時、一人の老人が私たちの車を止めました。彼は微笑んで、私たちに感謝するとともに、私たちのために神に祈りをささげてくれたのでした。私は、同僚たちと話しました。あの老人の微笑みは、私たちの事業の完了証明書であり、事業の成功の証しだと。

2月 12, 2009 |