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2009年2月26日 (木)

○○をより遠くまで飛ばすゲーム

Dsc06490_resize   新しい事業のため、子どもたちやコミュニティに対してインタビューを行っています。その過程で毎日、面白い発見があります。

 インタビューシートには、子どもたちの遊びやスポーツについて質問する項目があります。これまでのインタビューでは、どの子からも、遊び場やスポーツ道具がない、という答えを聞きました。

 遊びとも、スポーツとも子どもたちの生活に無縁であるはずがない、と思い、いったいどういうことなのか、さらに聞いてみました。すると、「ある場所に行こう」と誘ってくれました。私たちは、子どもたちに連れられ、家の裏手にあるちょっと離れた場所に行きました。そこには、沢山の子どもたちが小さな広場に集まっており、何人かはビー玉で遊んでいました。遊びに集中している子どもの姿に、私たちはとても勇気付けられました。この姿は、大地震が子どもたちの心に暗い影響を与えていないことの証拠であり、苦しい中でも子どもたちは楽しむ時間を忘れていないことを知ることができたからです。Dsc06486_resize_2

 同じ広場で、私たちは数人の子どもたちが生きたニワトリを使ったゲームで遊んでいるのを見かけました。多くのアジア諸国や南米諸国で人気のある闘鶏は、紀元前2千年頃のインダス文明に発祥する娯楽です。しかし、今回見たものは闘鶏と少し違っていました。それは、「雄鶏をより遠くまで飛ばす」というゲームだったのです。遊び方はというと、子どもたちが雄鶏を抱えて横一列に並びます。そして笛が鳴ったら、抱えた雄鶏を空に放ちます。より遠くの地面に着地した雄鶏が勝ちになります。子どもたちはこのゲームをとても楽しんでいました。

 しかし、雄鶏は家畜でありペットではありません!ある男の子に、両親はこの遊びを知っているのかと聞いてみました。その子は、親はその遊びを知らず、夕方、放し飼いにされた雄鶏を家に戻す前に捕まえて、この広場に集まって遊んでいることを教えてくれました。また、このゲームについて、どう思っているのかを聞いてみると、サッカーボールもクリケットの道具もバレーボールも何も持っていないから、雄鶏で遊んでいると答えてくれました。もし、サッカーボールやクリケットの道具を持っていたら、この遊びを止めるのかさらに聞いてみました。すると、すぐに止めると答えてくれました。

 今までどおり、子どもたちがこの興味深い雄鶏飛ばしゲームで遊ぶのが良いのか、それとも近代的なゲームで遊ぶのが良いのか・・・・・。とても難しい質問です。

2月 26, 2009 |

2009年2月19日 (木)

どうして冬服がないのか

090219_20081203jpfassessmentmangai_  前回ご報告したように、支援者の皆様およびジャパン・プラットフォームのご支援のもと、ピシン県とジアラット県での越冬用テントと日用品の配布を無事終了することができました。現在、支援者の皆様のご寄付のもと、冬服の配布準備をしています。

 まず、効果的に支援を被災者の皆さまに届けるために、被災地で調査を行いました。その結果、特に女性や子ども達への冬服が必要であることが確認できました。この地域の人びとはとても貧しく、地震の前でさえ暖かい服を持っていませんでした。地震の前は寒さを防ぐことのできる家があったので、冬用のジャケット等がなくても問題なく生活することができたのです。しかし、地震は彼らを最悪の状況につき落としました。家を失っただけでなく、寝具や衣服、調理器具や食器など、生活に必要なあらゆるものを奪ったのです。

 今も多くの団体がこの地域で活動を行っていますが、子どもたちへの冬服の必要性を認識し、配布をはじめている団体はまだありません。被災者の皆さんには、まずはどのような災害の後でも基本的なニーズとなる家や食料を提供してきました。09021920081126jpfassessmentsamandsa

 しかしこれからは、4月までとても寒い気候が続く被災地で暮らしていくための、更なる支援が必要になります。冬服は、子どもたちを寒さによる病気から守るだけでなく、3月の第1週から始まる学校に通う時に、着ることもできる大切なものなのです。

2月 19, 2009 |

2009年2月12日 (木)

私たちの事業完了証明書

090212_for_pr_report_10low   最初に被災地に到着した時、人びとは支援物資のトラックに群がり、多くの組織が支援物資やテントを幹線道路上で配布していました。けれども、それらの物資は被災者が本当にほしいものではありませんでした。初冬を迎え、気温はすでに非常に下がっていたにもかかわらず、彼らが配布していたテントは夏用のものだったのです。非常事態に一刻も早く対応するため、多くのNGOが彼らの倉庫などに残っていたテントを配布していたからでした。

 私たちは、最初の配布活動をテョンギ・バラ村から開始しました。家は破壊され、人びとは夏用のテントに住んでいました。多くの子どもたちが夜の寒さで体調を崩し、病気になっていました。生活物資を配布し、越冬用テントを建設した後、人びとは、少なくとも来るべき厳しい冬を過ごせる環境を手に入れたと安心した様子でした。

090212_archand_27012009_13_low  配布活動を終了した後、村の人びとが、伝統的な食事であるラーンデイ(羊の干し肉を使った料理)を私たちにふるまってくれました。地震の直後であり、人びとが非常に困難な状況であったので、そのようなもてなしを受けるのは大変気が引けることでした。しかし、とても強く勧められたため、彼らの伝統に従っていただきました。

 地震から2ヶ月半が経ち、同じ村で最後の配布活動である瓦礫を運ぶ一輪車の配布が終了しました。再び村の人たちが食事をふるまってくれました。食べ物の内容は同じでしたが、私たちの気持ちも、そして村の人びとの気持ちも前回とは全く違い、とても晴れやかでした。村人たちの生活が改善し、夜も寒さに震えることはなく、子どもたちも寒さのせいで病気になることもなくなりました。多くの村で電気やガスの供給が再開されましたが、まだ再開されていない場所でも、JENが配布したガスシリンダーで電気や暖をとることができています。090212_20090124jpfgascylinderdist_3 

 私たちが村を離れる時、一人の老人が私たちの車を止めました。彼は微笑んで、私たちに感謝するとともに、私たちのために神に祈りをささげてくれたのでした。私は、同僚たちと話しました。あの老人の微笑みは、私たちの事業の完了証明書であり、事業の成功の証しだと。

2月 12, 2009 |

2009年2月 5日 (木)

バロチスタンの伝統衣装

090205_balochi_shoes_low  バロチスタンの伝統衣装はとても有名です。ショールや衣装、靴、帽子など。これらすべてが手作りで、この地方の豊かな文化を表しています。

 女性たちは、自宅でショールに刺繍を施し、大きな市場の店主に売ります。豪華なショールは、2000ルピー(約25ドル)もします。

「ブグティ・ショルワー」と「カミーズ」は、バロチ族の伝統的な衣装です。人びとは皆、この服を着ています。

 「ブグティ」というのは、バロチ族の有名な一族の名前です。この「ブグティ・ショルワー」と「カミーズ」を作るには、一般的なショルワーとカミーズを作るより倍の布が必要です。バロチ族の男衆は、この布をたくさん使ったカミーズを着て、大きなターバンを頭に巻いた装束をしています。

 バロチ族の帽子もまた、民族の特徴的な衣装です。裕福な人びとは、おしゃれで、衣装と同じ色の帽子を作ってかぶっています。帽子にはとても美しい刺繍が施され小さな鏡が縫い付けられています。これらの帽子は市場で購入することができ、その価格は320ルピー(約4ドル)から1500ドル(約19ドル)と幅があります。090205_caps_shop_low

 さらに、男性の衣装で興味深いものは、デザインや色などバラエティあふれるバロチの靴です。とても履きやすく、美しいものです。クエッタには地元で作られたこれらの靴を売る大きな市場があります。お店では、足のサイズを測った後に靴を作ります。既成靴も沢山売られていますが、足のサイズを測って作られたオーダーメードの靴に比べると履き心地はよくありません。靴底は丈夫なタイヤで、その他の部分は羊の皮で作られています。底が丈夫なので、固い地面や山歩きに向いています。また、とても丈夫で履き心地が良いので、JENのスタッフもフィールド業務の時に使っています。

2月 5, 2009 |

カシミール エピローグ

 ハベリ郡での3年に渡る日本からの地道な支援は、地元の人たちからとても感謝されています。そのためJENの現地事務所閉鎖は、スタッフのみならず、地元の人たちにとっても悲しい出来事となりました。

 現地事務所を閉めてスタッフがイスラマバードに戻る最後の日、スタッフは、悲しい別れを避けるため早朝に出発しようとしました。にも関わらず近所の人たち、国際機関や地元NGOのスタッフが見送りに来てくださり、以下のような温かい言葉を贈ってくれました。

「JENのスタッフは、厳しいカシミールの気候の下で非常に一生懸命仕事をしてくれました。また、彼らの誰に対しても敬意を払う態度は、非常に印象的でした。あなたたちに神のご加護がありますように。(地元のソーシャル・ワーカー)」

「JENのスタッフと私たちは、非常に良い時間をともに過ごしたので、そのような良い隣人が去っていくということを考えもしませんでした。あなたたちは、我々にとって家族のような存在です。あなたたちの健康と平和を、いつも神に祈ろうと思います。もし、将来たとえ小さなプロジェクトでもハベリに戻ってくることがあれば、いつでも歓迎します。あなたたちがまた戻ってくる日を待っています。(JEN事務所近辺のコミュニティーの人たち)」

 人びとに支援を与えるのではなく、支援者の皆さまの気持ちを現地に届け、現地の人たちが自ら立ち上がることを支える触媒であろうとするジェンにとって、地元の人たちとこのように良好な関係を築き上げられたことは大きな喜びです。

 現地事務所閉鎖をもって、ジェンのカシミール地震被災者支援は一区切りとなりました。今後は、2008年11月に地震が発生した南西部バロチスタン州の震災被災者支援に比重を移して継続して参ります。

 支援者の皆様、日本政府、企業ほか、3年以上の長きに渡る皆さまからの温かいご支援に心から感謝するとともに、今年以降も続くパキスタンの地震被災者支援への変わらぬご支援をお願い申し上げます。

2月 5, 2009 パキスタン地震 緊急支援 |