2012年5月17日 (木)

ミルク・フェスティバル (ドゥードゥ・マイラ)

これまで何度か触れてきたとおり、パキスタンでは家畜が国内経済においてとても重要な役割を果たしています。農村部で暮らす多くの人々にとって、家畜は重要な生計手段です。

 JENが活動しているデラ・イスマイル・カーン県は、紛争が続く南ワジリスタン管区に隣接しています。同県は、以前はパキスタン国内でも比較的平和な地域として人びとに親しまれていました。しかし、近年の宗派間闘争や対テロ戦争による治安の悪化が、デラ・イスマイル・カーン県内の経済にも影を落としています。

そこで、同県のファー・プル地区家畜調査・開発局は今年の4月13日に、山羊や羊、牛などを持つ畜産農家を対象に、ミルク・フェスティバルを開催しました。このお祭りの目的は次の通りです。

・畜産農家の人々の家畜・乳製品開発に関する知識を改善する
・宗派間対立やテロによるストレスを抱えた人びとにリフレッシュの機会を与える
・色々な品種の家畜を飼育する意欲を取り戻してもらう

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ミルク・フェスティバルでは、家畜による様々な対決イベントが催されました。ラクダの重量挙げ、牛や水牛のミルク搾乳量対決、雄山羊の体重・体長比べなどもありました。上位3位までの勝者の中には、なんと昨年JENが山羊を配布した国内避難民の一人、ナセーブ・カーンさんの姿がありました。勝者インタビューの際には、家畜局の役人の一人がJENの活動を評価してくれました。

 デラ・イスマイル・カーンでは治安問題もあり、避難先での厳しい生活は続きますが、支援を届けた人の元気そうな姿を見て嬉しく思いました。
 

5月 17, 2012 生活、風土、習慣, 生計復帰事業 |

2012年4月26日 (木)

現地スタッフの故郷、スワビ地区

現地スタッフの故郷、スワビ地区
 
今日は、イスラマバード事務所で働く現地スタッフの故郷のご紹介です。

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 私はスワビ地区・バタカラ村出身です。スワビは、ハイバル・パフトゥンハー州のインダス川右岸に位置し、周囲をマルダン、ブネルおよびハザル地区に囲まれた地区です。
 スワビ地区の住民は、パタン族のユーサフザイ部族かウトマンザイ部族に属しており、その文化やホスピタリティで良く知られています。

 2009年にスワット地区で起きた反政府武装勢力と政府軍との戦闘によって、多くの国内避難民が発生しました。

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 スワビの人びとはこれらの避難民を温かく迎え入れ、紛争が収まるまでの間、自分たちの住居の一部を提供しました。

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 また、スワビの住民はとても社交的で礼儀正しく、同地区で活動する個人や援助団体に敬意を払っていました。2009年の国内避難民発時には、JENを含む多くのNGOがスワビ地区で活動しましたが、スワビの人びとはその活動もサポートしました。

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 スワビの人びとの主な収入源は農業・牧畜で、多くの人びとが小麦やトウモロコシ、タバコ、サトウキビ、野菜を育て、羊、山羊、水牛や山羊を飼育しながら素朴な生活を送っています。人々はこれらの作物や家畜を日々の食事に利用するとともに、客人にも振舞います。

【換金作物であるタバコ畑】
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【山羊を家畜として育てる農民】.
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 また、スワビ地区の若者の多くは教育を受けており、公的機関や民間企業において様々な仕事に従事しています。スワビ地区の就学率はハイバル・パフトゥンハー州内の他地区と比べても高く、工科大学として名高いパキスタンGIK大学も同地区にあります。

【GIK大学全景】
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 JENのスタッフにもスワビ出身者が私を含め数名おり、地元で様々なコミュニティ団体の社会活動に従事しています。

4月 26, 2012 生活、風土、習慣, 紛争国内避難民支援 |

2012年4月12日 (木)

国内避難民の今

 パキスタンの連邦直轄部族地域(F.A.T.A)から避難してきた国内避難民の人びとは、もともとの出身地でもとても過酷な生活を送っていました。教育の重要性の認識は男性にとっても非常に低く、女性に到っては皆無に等しいものでした。収入は主に農業と牧畜に依存していました。

 これらの避難民の人びとは生来の頑固な気質に加え、その土地の文化的影響により、保守的でした。また、彼らの多くは言語の問題などから故郷を出ることに抵抗があったため、現在の避難先の村や都市へ出たことがほとんどありませんでした。
そのため、これらの人々にとってはキャッシュカードで銀行口座から現金を引き出すこと一つですら、とても難しい作業です。物の見方も偏りがちで、人道支援機関は文化を壊すものとして、ネガティブな印象を持っていました。

 こうした国内避難民の多くが、出身地で起きた戦闘により土地を追われ、デラ・イスマイル・カーン県、タンク県もしくはカラチ市での避難生活を送ることになりました。

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 避難先では、人道支援機関がシェルター、食糧、食糧以外の物資を配布し、団体スタッフたちが辛抱強く、丁寧に避難民の人びとの対応をしていました。これらの人道支援機関による効果的な働きかけによって、避難民自身の考え方に変化が表れ、自分達の力で生活を回復させようと希望を持つようになりました。

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人道支援機関による様々な能力開発トレーニングや、避難先の地域住民との交流を通して、国内避難民は、徐々に避難先の生活に順応しつつあります。

 外のコミュニティや部族への偏見も和らぎ、教育の重要性についての認識が高まり、自分の子どもを学校に通わせたいと望む人が増えました。また、生計手段として農業や牧畜以外の方法にも関心を示すようになりました。JENを含む人道支援機関の役割や、被災者の権利についても理解が深まってきたようです。

 人道支援機関や地域住民の協力、そして国内避難民自身の努力により、避難民の人たちは新しい生活・考え方・知識を受け入れつつあるのです。

4月 12, 2012 紛争国内避難民支援 |

2012年3月29日 (木)

デラ・イスマイル・カーン県における最初の山羊の配布

 今年も、山羊配布の時期がやってきました。

 山羊配布は、JENが現在デラ・イスマイル・カーン県で実施している国内避難民の生業回復支援において、中核となる活動です。山羊配布を待ちわびている避難民の方も多いのですが、実際に山羊が各避難民の家庭へ配布されるまでには、あと1週間~10日間待ってもらわなければなりません。配布の前に、まず山羊の検疫を済ませなければならないからです。

 この期間を経ることで山羊はより健康になり、避難民の方々もこれらの健康な山羊を受け取ることになるので、検疫を済ませるのは双方にとってよいことと言えるでしょう。

 現在JENの倉庫には190頭のメス山羊と10頭のオス山羊がいます。これらの山羊は、パンジャブ州でJENの家畜専門家が選定してきたものです。選定基準はとても面白く、典型的なローマ型の鼻、長く平らな耳、小~中サイズの角、大きな胴体、多色毛、そして妊娠3・4ヶ月であることです。

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 検疫期間の山羊はスイートホーム(倉庫/母屋)に滞在します。この倉庫は山羊の数に比べ広々としていて、外にはフェンスで囲まれたとても大きな牧場も併設されており、贅沢空間とも呼べそうなほどです。
 倉庫内は幾つかのパートに仕切られており、妊娠後期の山羊、比較的体の弱い山羊、病気の山羊は別々の区画に置かれます。

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 検疫期間中、これらの山羊全てに対して、命に関わる病気に対する免疫を持たせるため、風土病用のワクチンが投与されます。
 倉庫内には、山羊が餌や水を十分に摂取できるよう、木製の食事スペースやセメント製の水飲み場があちこちに設けられており、餌のバルシーム(麦わらを細かくしたもの)の他、栄養補充用にワンダという飼料も与えられています。

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 現在、これらの山羊は1週間の検疫期間中です。この検疫に合格した山羊は、飼い主となる各国内避難民の家庭へ配布され、不合格となったものは業者へ返送されるか、倉庫での家畜専門家による厳格な管理・熟慮の後、次の検疫の機会を待つことになるのです。

3月 29, 2012 紛争国内避難民支援 |

2012年3月15日 (木)

パキスタンの手工芸品

パキスタンはその歴史から豊かな文化的伝統を受け継いでおり、各地域に様々な伝統的・文化的手工芸品があります。

 なかでも、世界的に有名なのは、カシミール地方のショール、バロチスタン及びシンド族の刺繍、ペシャワールのチャパル、サルゴダ及びデラ・イスマイル・カーンの木彫り工芸などです。

 JENの現在の活動地であるデラ・イスマイル・カーンでは、木彫り工芸が昔から続く産業の一つとなっています。ここでは何十年も前から、多くの家庭が生計手段として木彫り工芸を行ってきました。この木彫り工芸は、壮大で歴史あるパキスタン文化を世界中に発信していると言えます。

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 ナジ―ル・フセインさん一家は、これまで100年以上にわたって木彫り工芸に携わってきました。ナジールさんのお店は、トパンワラ市場にある古い手工芸品センターの一角にあり、そのお店の品物一つ一つが文化的遺産と呼べるものです。

 ナジールさんのお店の売りは、「ジンドゥリ」と呼ばれる手作りの木彫り工芸品です。ジンドゥリの作成は大変時間がかかり、高レベルな技術が要求されます。

 ナジールさんの作品は小さな飾りから日用品まで多岐に渡ります(木彫りのおもちゃ、テーブル、灰皿、ティーセット、テーブルランプ、壁掛け時計、壷、木彫りの花、宝石箱、化粧台など)。また、注文を受けて木彫りのロゴや盾を作ることもあるそうです。
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 2010年7月の洪水と南ワジリスタンでの武力衝突により、同地域の他の産業と同様に手工芸業も大きな影響を受けています。ナジ―ルさんによると、トパンワラ市場はその魅力が薄れてきており、それにより彼のビジネスも影響を受けているそうです。

 それでも、ナジールさんは自分の仕事に革新をもたらそうと、毎日希望を持って一生懸命働いています。

3月 15, 2012 生活、風土、習慣, 紛争国内避難民支援 |

2012年3月 1日 (木)

ゴマル大学

 パキスタンは国土の27%が耕作地で、農業が大変盛んな国です。
 また、バッファロー、羊、山羊、ラクダ等の家畜によるミルク生産量が世界第4位と、畜産業も盛んです。

 このため、パキスタン経済にとって農業・畜産業は重要で、この分野の継続的に成長させていくには、専門家の育成が不可欠です。

 そのような専門家育成機関の一つとして、ジェンの現在の事業地であるデラ・イスマイル・カーンに、ゴマル大学という有名な農業大学があります。
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 ゴマル大学はパキスタン国内大学ランキング12位の評判の良い大学の一つで、学部レベル・学院レベル共に幅広い講義を提供しています。
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学部は文学部、農学部、薬学部、理学部の4つがあり、全部で29の学科に分かれています。
(写真は農学部)
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 デラ・イスマイル・カーンのゴマル獣医化学カレッジでは、ゴマル大学と連携して5年間の獣医薬学博士課程を開始しました。これまでに何百人もの学生がここを卒業し、畜産分野で活躍しています。
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 現在のジェン事業地で畜産指導員研修を担当する家畜専門家も、そのうちの一人です。

 ゴマル大学はパキスタン人の学生だけでなく、アフガニスタンやイラン、湾岸諸国など、様々な国から学生を受け入れており、特にアフガニスタンからは毎年30~40名の学生が上記の博士課程を履修しています。
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3月 1, 2012 生活、風土、習慣 |

2012年2月16日 (木)

山羊管理研修スタート

 JENがデラ・イスマイル・カーン県で実施している、国内避難民を対象とした生計復帰事業において、畜産指導員の研修は重要な要素の一つです。

 フィールドチームはJENが定めた基準に基づき、事業対象地域から畜産指導員を選びます。選ばれたメンバーは皆若く、教養があり、ボランティア精神にあふれ、学ぶことに熱心です。

 これらの畜産指導員は、まず10日間の山羊管理研修に参加し、その後補習コースも受講して、他の避難民世帯に対して山羊の飼育・管理に関する知識を広めていく役割を担います。

 2012年は、畜産指導員80名を20名ずつの4グループに分け、順番に研修を実施していきます。
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 先日行われた第1グループの研修初日では、畜産指導員たちから研修のねらいや研修受講のメリットについてなど、多くの質問が出ました。同研修を担当した家畜専門家は、これらの指導員の関心事に対して、興味深く耳を傾けていました。
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 以下は研修に参加した畜産指導員からのコメントです。
・私たちにとって家畜は主要な収入源ですが、これまでは家畜を主に自分の家で消費するために育てていたため、そこから得られる利益は限られていました。
 この研修を通して、家畜を活用して得られる利益についてより深く知ることが出来ました。

・私たちは教育を受けていますが、避難先では時間を無駄にするばかりで、1日中何もすることがありませんでした。
 この研修のおかげで、働くためのスキルを習得し、無力で支援を必要としている自分たちのコミュニティに貢献することが出来ます。

・研修により、適切な山羊管理方法、社会動員、企業開発について知ることが出来ました。
 これからは家畜の利用を自家消費用からビジネス用に変えていこうと決心しました。

・私たちマスード族のコミュニティはそのホスピタリティに定評があります。
 この研修を受けたことで、私たちは更により良い方法で他の人々を助ける機会を持てると思います。
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2月 16, 2012 生計復帰事業, 紛争国内避難民支援 |

2012年2月 2日 (木)

リアズさんの心の傷

自然災害でも人災でも、その影響は被災者の生活に長期間残り続けるものです。

 リアズ・ウッディーンさんの心の傷はその1例です。

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 南ワジリスタンのリアズさんが暮らしていた地域で、武装勢力と政府軍の戦闘が起こりました。
 戦闘機や武装ヘリコプター、マシンガン、迫撃砲などによる戦いが激化し、リアズさんの家族を含め、周辺の住民は避難を余儀なくされました。

 リアズさんの家は破壊され、爆撃によってたくさんの人々が亡くなりました。
 近所の人や大切な人を失ったこと、故郷から強制的に避難させられたこと、家を破壊されたこと、財産を失ったことなどがリアズさんのこころへ直接の打撃となり、彼は精神的な健康を失ってしまいました。

 リアズさんの父親は全財産を使って彼をペシャワールの精神病院へ数週間入院させましたが、何の効果も得られなかったと言います。

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 現在、リアズさんはデラ・イスマイル・カーンで両親と7人の兄妹とともに、UNHCRから配布されたテントを使用し、貧しい生活環境のもとで暮らしています。

 父親と兄は日雇労働で働いていますが、家族の生活やリアズさんの高額な治療費を賄うにはとても足りません。

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 ジェンの現場チームによる支援対象者登録の際、リアズさんは自身でインタビューに答えることができなかったため、 ジェンはリアズさんの父親から話を聞きました。

 リアズさんは頻繁に意識障害を起こす為、精神安定剤を処方してもらっているそうです。

 リアズさんのように、紛争を原因とする精神障害や喪失感に苦しんでいる人たちが、この地域にはまだまだたくさんいます。

 少しでも多く、心に傷を負った人たちへ支援を届けられるよう、ジェンは活動を続けて行きます。

2月 2, 2012 紛争国内避難民支援 |

2012年1月19日 (木)

スタッフ自己紹介:ミアン・ハマド・アシフ

スタッフ自己紹介:ミアン・ハマド・アシフ

 私はミアン・ハマド・アシフといいます。29歳です。

 私はハイバル・パフトゥンハー州のノウシェラ郡ワライ村という小さな村の出身です。1年以上前から、JENパキスタンのプロジェクト・アシスタントとして働いています。

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 私は2005年にペシャワール大学大学院にて国際関係学修士課程を修了しました。在学中には多くのワークショップや地方会議、国際会議を企画し、参加してきました。

 修士号取得後は、事業開発スキルやコミュニケーション・プレゼンテーションスキルのコース、交渉力向上コースなど、企業による専門コースを受講し、その後すぐに開発分野で働き始めました。

 最初の3年間は国内、国際NGOで働き、2005年に起きたカシミール地震被災地、ハイバル・パフトゥンハー州マンセラで

①コミュニティの生計復活プログラム
②生計のためのビジネススキル開発研修
③生計改善・事業開発プロジェクト

に従事しました。

 これらの仕事を通して、異なる背景を持つコミュニティの人々と交流しながら、コミュニティとの上手な関わり方や多言語・多文化・多宗教の環境で働く柔軟性、ジェンダーへの配慮、そしてタイムマネジメントなどを学びました。

 上記のプロジェクトを終え、故郷に戻った2010年7月、パキスタンは新たな大災害に見舞われました。国内各地で甚大な被害をもたらした記録的な大洪水が発生したのです。

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私は、洪水発生直後2ヵ月間は被災した自分の故郷でボランティア活動に従事しました。その後、自分のスキルをもっと活用できる場所を探し、2010年9月にJENの一員となったのです。

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洪水被災地でのニーズ調査とチャルサダ県での被災者支援が、JENで最初に担当したプロジェクトでした。

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私がJENに関して好きな所は以下のとおりです。

1)マネージャーがフィールドスタッフの新しい考えを受け入れ、尊重する

2)スタッフの能力を強化するだけでなく、プロジェクトの目的達成を導くような指導を時として行ってくれる

3)フレンドリーで学びやすい環境を提供することで、忙しいスケジュールの中でもスタッフを励まし、サポートしてくれる

4)より少ない資源で、より大きな成果を産むことができるよう、常に心がけている

5)本部事務所でも現地事務所でも、全てのスタッフがオーナーシップの感覚を持って働いている

1月 19, 2012 事務所・スタッフ, 紛争国内避難民支援 |

2012年1月 5日 (木)

デラ・イスマイル・カーンのれんが工場

 デラ・イスマイル・カーンを含め、パキスタンの都市部の家は、ほとんどがれんがで造られています。
 パキスタンで道や建物に使用するれんがは、泥と砂で作るのが一般的です。というのも、泥と砂のれんがはコストが比較的低く、頑丈だからです。

 れんがはパシュトゥン語で「バタイ」と呼ばれる工場でつくられます。デラ・イスマイル・カーンにも約80カ所のバタイがあり、約6000人の労働者がそれらの工場で働いていると言われています。
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 今回は、そのバタイを経営している男性から聞いたお話を紹介します。

 バタイには、オーナーが直接労働者を監督して経営しているところと、オーナーと年間契約を結んだ請負業者が経営しているところがあります。

 デラ・イスマイル・カーンに住むバーズ・ムハマドさんは、バタイのオーナーと年間契約を結び、請負業者として経営をしているうちの一人です。ムハマドさんのバタイでは80人の労働者が働いているそうです。

 丈夫なれんがを作るには、固めの泥を使用するのがポイントです。

 バタイでは、まずトラックで仕入れてきた泥を24時間水につけ、
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 収縮を防ぐために砂と混ぜて、れんがの型となる専用の木枠に流し込み、
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7日間天日干しにします。
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 乾いたれんがは、さらに強度を高めるため、加熱装置の中で21日間焼かれます。

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 1回のサイクルで作られるれんがの数は約350,000個に上るそうです。
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 こうして出来上ったれんがはトラックに積まれ、消費者のもとに届けられるのです。
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1月 5, 2012 生活、風土、習慣 |