2016年7月3日、イラク・カラダで何が起こったのか?
皆さん、イラクのカラダ地区をご存知ですか?
カラダ地区は、首都バグダッド市のティグリス川の東側にある商業地区です。
1920~30年代は、多くのユダヤ教徒・キリスト教徒が居住していましたが、国家が君主制から共和制に変わった頃に、ユダヤ教徒は強制送還されてしまいました。1940年代になると、バグダッド随一の高級住宅街として発展しました。また、20世紀初頭から中頃にかけては、民が地域の発展を願い多くのイスラム教のモスク、キリスト教の教会が建てられました。地域の発展は順調に進み、カラダインと呼ばれる大通り周辺に多くの商業施設、モールやマーケットなどが建設されました。ここは、常に多くの人でにぎわっています。
2016年7月2日の深夜1時頃、この場所は多くの買い物客で賑わっていました。というのも、2,3日後に控えたイスラム教のラマダン(断食)明けのお祝い、イード・アル・フィトルの準備のための買い出しをするために、日中45度を超える猛暑を避け、気温が下がる夜になってから出かけてきたためです。
人びとが夕涼みや買い物を楽しんでいたその時です。突然、トラックが爆発する音が響き渡りました。火の手は一瞬のうちに商業施設に燃え移り、そこに集っていた人びと、建物、すべてを飲み込みました。子ども、女性、老人、お腹の中にいる胎児であろうと容赦なく、奪い去ったのです。事件発生後の深夜1時から陽がのぼる午前7時までの間に、全てが灰となってしまいました。それは誰が見ても、大惨事としか言えない出来事でした。陽が登りきった頃、そこは、前日とは異なる場所になっていました。
この事件は、イラク国内で大きなニュースとなり、衝撃、驚愕、悲しみ、恐怖が全土を埋め尽くしました。たった1台の車が爆発したことで、こんなにも全てのものが破壊されてしまうなんて、誰が想像したでしょう。爆発したものが何だったかなどは、専門家やこの惨事の目撃者が多くを語っています。ひとつ言えることは、もう、ここで失ったものは取り戻せない、ということです。死者500人、負傷者は300人にのぼりましたが、亡くなられた方の多くは遺体確認もままならない状況です。両親とともにイードに合わせて新調する衣服を買うために、わくわくした想いで買い物にやって来ていた子ども、家族や友達とともに卒業を祝っていた若者など、たまたま居合わせた多くの一般市民の命が失われてしまいました。どうすれば、わたしたちは気丈になれるのでしょうか。人びとは悲しみに暮れ、憤りを感じています。
いつになれば、国際社会はイラクの人びとに降りかかっているこの惨状に目を向けてくれるのでしょうか。
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