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2014年7月31日 (木)

イラクにおける教育

 イラクでは1921年に教育システムがつくられました。1970年代前半には、教育は公共的なものと位置づけられ、小学校までが義務教育となり無料で提供されるようになりました。
 

 現在イラクでは、2つの省庁が教育システムを管轄しています。1つはイラク教育省(MOE)、もう1つは高等教育及び科学研究省(MOHSR)です。イラク教育省は、就学前教育、小学校、中学校、職業訓練を担当し、その他は高等教育及び科学研究省が担当しています。

 1970年~1984年は、イラクで教育分野が最も盛んな時期でした。この時期に、15歳~45歳の非識字者に対する対策がとられました。当時のイラクに住むこの年代の人々の識字率は10%という低い水準でした。イラク政府は、イラク全体の政府予算のうち20%にあたる予算を教育分野に割り当てました。これは生徒一人当たり平均620ドルという計算になります。

 しかし、1980年にイラン・イラク戦争がはじまり、1984年~1990年は政府予算の多くが公共サービスではなく軍事費に割かれることになりました。これによって必然的に、社会保障分野への予算が急速に減っていき、教育分野の予算も赤字となり何年にも渡って同じような状況が続き、またこうした状況に対応する戦略的な計画も立てられずにいました。
 

 1991年~2003年には、教育機関が衰退していきました。政府予算全体の8%程度の予算しか教育分野に割り当てられず、教育分野の全盛期であった生徒一人当たりの予算620ドルは、47ドルまでに落ち込みました。教師の給与も月額500~1000ドルであったのが、1994年~1999年には月額5ドルまでになってしまったのです。

 その後2003年以降から現在にかけて、教育分野の状況は少しずつ回復してきています。多くの学校がイラク教育省、国際機関やその他機関による支援で再建されました。また多くの私立大学、学校、中学校などがこの期間に設立されました。

 しかし、まだまだイラクにおける教育分野での支援ニーズは多くあります。JENもこの教育分野での支援を続けていきます。


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7月 31, 2014 政治、経済、治安文化、生活、習慣 |

2014年7月17日 (木)

学校のための建物が大幅に不足

 イラクの地区行政が設置している学校数に対して、圧倒的に施設の数が不足する状態が発生しています。

 例えばバビル県では、学校の数を1,280校と設定しているのに対し、実際の建物は830しかなく、1つの建物を複数の学校が使用するという状況になっています。キルクーク県の多くの学校では、1つの建物を3つの学校が使用しており、場合によっては、1つの建物を5つの学校が共同で使用しています。またキルクーク県内の別の地域では、小学校が1つあるだけで、中学校や女子児童のための中学校は建物がありません。

 そのような場合、短期間だけキャラバン(仮設の簡易な建物)を教室として使用するケースもあります。キャラバンを1つの小さな教室として使用し、50~60人の児童がそこで学習します。こうした形で教室を運営する学校が、イラクには469校存在します。

 イラク中央政府は、イラク国内で約4,000校が建物を必要としており、一時的な解決策として500個のキャラバンを提供すると発表しています。

【女子児童の中学校(キャラバンを教室として使用)】
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7月 17, 2014 学校建設・修復 |

2014年7月 3日 (木)

イラクの難民の現状

 アンバール県、ニーナワー県、ディヤラ県、サラハディン県などから戦火を逃れて避難するイラク難民は厳しい状況下に置かれています。

 最近の情報では、今年の1月頃から武装勢力による襲撃が開始した現在までに、アンバール県だけで約30万人の難民が自分たちの住む町を離れ、クルド人自治区やサマーラといった別の都市に避難しています。

 その他の3つの県でも、合わせて約32.5万人の難民が戦闘が激化している都市から逃れています。イラク第二の都市であるモスルからの難民の多くは、クルド人自治区内のアルビルやドホークといった都市に避難しています。またタラーファからの難民の多くは、同じクルド人自治区でも貧しいクルド人やスンニ派の人々が暮らす町に逃れており、そうした町では電気や食料が限られているなか、難民に対する何の対策も取られていません。

 サラハディン県からの難民の約70%は、北部のクルド人自治区に逃れ、アル・セニヤとベギという中部にある都市のおよそ半分の難民は、周辺の都市やクルド人自治区に避難しています。また、ディヤラ県に住む人々の約半数が、より安全で戦闘下にない別の都市に避難しています。

 こうしたイラク難民に対して、イラク政府やクルド人自治区の政府も支援を行っていますが、その予算は限られており、難民の人々は避難場所や食料の確保などにおいても厳しい状況下にあります。

 国際機関は、ニーナワー県(モスルやタラーファなどから)からの避難民発生後約10日~2 週間ほどして、現地での支援を開始しています。UNHCRもアルビルやドホークなどで、テントや食料の配布、給水タンクの設置などを始めました。しかし、UNHCRや他の人道支援組織は、安全なクルド人自治区内での支援に留めており、ディヤラ県やサラハディン県周辺などの危険な地域での支援活動は行っていません。このような、クルド人自治区以外のリスクの高い地域に避難している難民は、イラク移民省からの支援を待っていますが、こうした難民には十分な支援が届いていない状態です。

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7月 3, 2014 国内避難民支援 |