バグダッドのピカチュウ
バグダッドで最初に出会った日本のモノは、「ポケモン」のぬいぐるみだった。現地スタッフの家に遊びに行った時に、机の上に置いてあるのを発見した。そして、市内には、「ピカチュウもどき」のキャラクターが看板になっているレストランもあった。イラクでは、ゲームボーイがあるわけでも、アニメが放送されているわけでもないのに、どうやってこのポケモンがやってきたのかは謎であったが、「恐るべし、日本のアニメ」と思ったものだ。
フセイン政権時代、イラクは経済制裁の対象となっていたため、長年にわたり日本製品が輸出されることはなかった。しかし、湾岸戦争以前は、多くの日本企業が現地に支社や工場を持ち、もちろん日本製品も売られていた。今のバグダッドで、その名残を目にすることができる。市内を車で走っていると見かける日本企業の看板だ。SONY、Canon……大手メーカーの古びた看板が、今もそのままかけられているのだが、どれも一世代前のロゴが使われているところに時が感じられる。以前、某メーカーに勤務していた私は、その会社の看板を目にする度に、一人郷愁の念にかられたものだ。
今、日本からバグダッドに行くには、ヨーロッパや中東で飛行機を乗り継ぎ、隣国ヨルダンに入り、そこから空路もしくは陸路で行かなくてはならない。2~3日がかりの行程だ。しかし、かつては、日本とバグダッドを結ぶ直行便だって飛んでいた。バグダッドの国際空港は、ヨルダンの首都アンマンの空港に比べれば、はるかに大きく施設も立派だ。今は、軍用機と一部の民間機のみが離着陸をしており、利用する人も限られているため、閑散とした状態だが、かつては活気のある空港だったことが想像できる。
しばしイラクから遠ざかっている日本製品・日本企業ではあるが、イラクの人々は、かつての好印象を持ちつづけており、今も日本製品・技術への高い信頼を寄せている。そして、日本が敗戦後、高度成長を遂げたように、自分達も長年の戦争・制裁で疲弊した国家を立て直し、経済成長を遂げたいと考えている。そのためにも、早く日本企業がイラクに戻ってきてほしいという。
今のイラクは、外資企業で働く人も攻撃や拉致の対象となっているため、とても日本企業がビジネスを再開できる状況にはない。企業が経済活動を行えるようになるまでの間、復興の土台を作るのが、国際機関やNGOの仕事なのではないかと思う。治安改善の兆しが見えない中、その支援活動でさえままならない状態ではあるが、いつか活気が戻ったバグダッドの空港に降り立つことを想像しながら、私たちは今日も活動を続けている。