バグダッド国連ビル爆破テロから1年
8月19日。昨年、バグダッドの国連ビルで爆破があった日だ。私がバグダッドに入って、10日目の出来事だった。NGO関係者はインターネットを無料で使うことができたため、当時ホテル生活を送っていた私達は、毎日のように国連ビルに通っていた。東京の本部と連絡を取るためだ。爆破の被害が大きかったカフェテリアでも、何度かランチを食べた。運良く、その日にホテルからインターネットにアクセスできるように通信機器を設置したため、その日は国連ビルへは行っていなかった。
ところが、JENのスタッフが1人、ちょうどあの時間にビルの中にいた。私は、別の場所でのミーティングに参加していて、そこで「国連ビルで大きな爆破があったらしい」という情報を聞いて、気が気ではなかった。ホテルに戻り、彼の無事を聞いて、ほっとしたのも束の間、テレビで流れる爆破後の映像を見て、その凄まじさに愕然とした。そして、無事に戻ってきたスタッフから、突然天井が落ちてきたことや、周りの人と手をとりあって、光のある方に逃げたという話を聞き、今まで漠然と「治安が悪い」と思っていたバグダッドの状況を、身近な危険として感じるようになった。
あの日を境に、支援活動をとりまくバグダッドの雰囲気も一変した。それまで、どことなくのんびりしていたNGOのミーティングや各所で行われていたボディーチェックも、ピリピリしたものになった。そして占領軍だけだった攻撃対象が、外国人、警察など占領軍に協力する人々に広がっていった。イラクの一般市民が巻き込まれることも増えた。当然、支援活動を開始したばかりだった私達にも、外出や移動に大きな制約が生まれた。
バグダッドでの生活は、道路を走る戦車や低空を飛ぶヘリコプターの大きな音、遠くで聞こえる爆破音が日常のものだった。車で普通の道路を走っていても、「今、この隣に停まっている車が爆破したら・・・」という意識を常に持っていた。東京に戻ってからもしばらく、この意識は消えることがなかった。日本で、「この車が今爆破したら」なんて想像をする人は、そういないのではないだろうか?
あれから1年、バグダッドの治安は、また悪化している。毎日、いつどこで何に巻き込まれるかわからない状況の中で暮らしているイラクの人々の精神的負担は、かなり大きくなっている。昨年、戦争が終わったことを喜んでいた子ども達に、辛く感じることを聞いたら、「爆破や爆発の音がすること」と答えた子が多かった。治安回復の見通しがたたない中、こうした子ども達への心のケアも、今後の必要な支援になるだろう。
8月 13, 2004 | Permalink
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