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2004年8月27日 (金)

JENスタッフ逮捕?!

 前々回のこのコラムで、衛星テレビのアンテナについて書いたが、アンテナの写真を撮ってもらおうとJENのバクダッド事務所のスタッフにお願いしていたら、思わぬハプニングが起きた。バクダッド事務所から、「写真を撮っていたスタッフが、警察に捕まった」と電話があったのだ。聞くと、道端で店頭の写真を撮っていたら、何をしているのか尋ねられ、その上、パトカーで連行されたらしい。いきなり「逮捕された!」と電話を受けた私はかなり焦ったが、その後、事情を話したらすぐに解放してもらえたようだ。

 私がバグダッドに入った去年の夏は、ようやく警察が再編成され、交通整理や学校の警備にあたり始めたころだった。それまで、停電のため、市内の信号は機能しておらず、交差点ごとに大渋滞が起きていた。見かねた一般の人が、自分の車を置き去りにして、交通整理をしていることもあった。それが、ある時から各交差点に警官が配置され、かなりスムーズに車が流れるようになった。50度を超える気温の中、1日中交差点に立って、腕を回している警官に私は感謝したものだった。

 今、イラク各地で、警察が武装勢力の攻撃対象になっている。昨年、フセイン政権崩壊後、イラク警察は占領軍により解体され、全く新しい人たちを採用したため、今の警官たちは、人々からの信頼を得ていない上に占領軍の協力者と見なされているからだ。例えば、警察がある武装勢力の一味を逮捕すると、その日の夜にはその警察が襲われてしまうのだ。そして、若い警官はその場から逃げるため、逮捕された人たちも逃げ出すことができる。バグダッドでは、こうした事件が日常的に起きている。

 フセイン政権時代は、警察の力は圧倒的で、人々から敬意も払われていた。しかし今は、占領軍が設立した警察であるため、その力は軽視されており、危険をおかして警察の仕事についている警官たちにとって、こうした環境の中で任務がさらに難しいものになっている。そのような中、イラク警官が囚人に拷問をしているというニュースがあった。多くの同僚の警官たちが殺されていることへの報復との見方が強い。こうした暴力の連鎖がイラク人同士でも起きていることは、本当に残念だ。

 JENのスタッフを逮捕した警官たちは、話をしたら理解のある人たちで、元の場所まで送り届けてくれ、最後には写真も撮らせてもらったという。治安回復のために、警察の存在は欠かせない。彼らが人々の信頼を得ることがその鍵であり、そのために人権を尊重する教育や技術訓練を行い、様々な経験を積むことが必要だが、まだまだ時間がかかりそうだ。
 

8月 27, 2004 | | コメント (0)

2004年8月19日 (木)

気温50度を超える

025  緊迫した治安状況が続いているバグダッドですが、ジャパン・プラットフォームと協力し、新たに学校修復事業を実施することになりました。5月よりユニセフとの協同で実施している事業とあわせて、現在修復が進んでいます。このうち一部の小学校の修復作業が先週からスタートしました。地元の建設業者を公正に選定するため、見積書類の検討や各業者の修復現場への訪問を行い、また過去の業績や依頼主からの評価などを考慮し、6つの業者と契約を結びました。

 気温50度を超えるバグダッドですが、現在子どもたちは夏休み!来月から学校が始まりますが、修復中の学校では授業が行えないため少し離れた学校の校舎を借りての授業となります。子ども達が休みの間に少しでも作業を進めようと、現在、業者とJENのエンジニアチームが汗を流しながら一丸となって工事を進めています。

 1日でも早く、1人でも多くの子どもたちが新しい学校で楽しく勉強ができるよう、JENは職員の安全確保を最優先に考え、治安情報には細心の注意を払いながら、今後も可能な限りイラクでの教育支援を続けていきます。

8月 19, 2004 学校建設・修復 | | コメント (0)

2004年8月13日 (金)

バグダッド国連ビル爆破テロから1年

 8月19日。昨年、バグダッドの国連ビルで爆破があった日だ。私がバグダッドに入って、10日目の出来事だった。NGO関係者はインターネットを無料で使うことができたため、当時ホテル生活を送っていた私達は、毎日のように国連ビルに通っていた。東京の本部と連絡を取るためだ。爆破の被害が大きかったカフェテリアでも、何度かランチを食べた。運良く、その日にホテルからインターネットにアクセスできるように通信機器を設置したため、その日は国連ビルへは行っていなかった。

 ところが、JENのスタッフが1人、ちょうどあの時間にビルの中にいた。私は、別の場所でのミーティングに参加していて、そこで「国連ビルで大きな爆破があったらしい」という情報を聞いて、気が気ではなかった。ホテルに戻り、彼の無事を聞いて、ほっとしたのも束の間、テレビで流れる爆破後の映像を見て、その凄まじさに愕然とした。そして、無事に戻ってきたスタッフから、突然天井が落ちてきたことや、周りの人と手をとりあって、光のある方に逃げたという話を聞き、今まで漠然と「治安が悪い」と思っていたバグダッドの状況を、身近な危険として感じるようになった。

 あの日を境に、支援活動をとりまくバグダッドの雰囲気も一変した。それまで、どことなくのんびりしていたNGOのミーティングや各所で行われていたボディーチェックも、ピリピリしたものになった。そして占領軍だけだった攻撃対象が、外国人、警察など占領軍に協力する人々に広がっていった。イラクの一般市民が巻き込まれることも増えた。当然、支援活動を開始したばかりだった私達にも、外出や移動に大きな制約が生まれた。

 バグダッドでの生活は、道路を走る戦車や低空を飛ぶヘリコプターの大きな音、遠くで聞こえる爆破音が日常のものだった。車で普通の道路を走っていても、「今、この隣に停まっている車が爆破したら・・・」という意識を常に持っていた。東京に戻ってからもしばらく、この意識は消えることがなかった。日本で、「この車が今爆破したら」なんて想像をする人は、そういないのではないだろうか?

 あれから1年、バグダッドの治安は、また悪化している。毎日、いつどこで何に巻き込まれるかわからない状況の中で暮らしているイラクの人々の精神的負担は、かなり大きくなっている。昨年、戦争が終わったことを喜んでいた子ども達に、辛く感じることを聞いたら、「爆破や爆発の音がすること」と答えた子が多かった。治安回復の見通しがたたない中、こうした子ども達への心のケアも、今後の必要な支援になるだろう。
 

8月 13, 2004 | | コメント (0)