« 2004年6月 | トップページ | 2004年8月 »

2004年7月28日 (水)

三種の神器

 日本で、最近「三種の神器」と言えば、デジタルカメラ・DVD・薄型テレビだが、戦後のバグダッドで、「三種の神器」と言えば、衛星テレビアンテナ・インターネット・携帯電話だろう。どれもフセイン時代には禁止されていたが、戦後、より広い世界とつながるアイテムとして、一躍脚光を浴びる存在となった。

 1つ目の衛星テレビのアンテナは、私がバグダッドに行った昨年の夏、すでに一般家庭に設置されているのをあちこちで見かけた。電気屋に行っても、山積みで売られていたので、その盛況ぶりは一目瞭然だった。旧政権下では、見られるチャンネルは国営の3放送だけだったが、衛星アンテナをつけられるようになり、外国のテレビも含め何十ものチャンネルが見られるようになった。「アルジャジーラは、嫌いだから見ない」というようなやりとりを現地スタッフがしているのを聞いたことがある。見たいものと見たくないものを自由に選択できるようになったことが、イラクの人々にとっては大きな変化であったと思う。

 パソコンは高級品のため、どこの家庭にもあるというわけではない。学校や職場では、普及しつつあるようだが、「仕事で使っている」と言っても、エクセルの計算式の入力はわからないと言ったレベルの人が多い。それでも、戦後のバグダッドでインターネットは大きなブームとなっている。市内を車で走ると、「Internet Cafe」という看板を良く目にした。カフェの利用者は、米軍や支援団体の関係者など外国人が多いが、地元の人々もメールやネットサーフィンを楽しんでいる。料金は、1時間200円程度だ。日本に帰国した後、現地スタッフが、たまにインターネットカフェから、メールを送ってくれる。遠い日本と瞬間的にやりとりができることも、1年前の彼らには想像できなかったことなのではないだろうか。

 そして、3つ目の携帯電話。バグダッド市内で使える携帯電話は、戦後、いち早く米企業がネットワークを構築し、CPA(暫定占領当局)や占領軍、外交官、国連機関、NGOなどに無料で配布されていた。私達にも配布され、現地スタッフにも持ってもらった。彼らは最初は操作に慣れず、応答できなかったり、充電を忘れたりしていたが、少しするとすっかり使いこなし、待ち受け画面や着信音を変えるなどして楽しんでいた。そして、一般の人が手にできる携帯電話は、今年の3月頃に登場した。携帯電話本体と通話カードで17,000円程度。段々と持つ人が増えていると聞く。

 戦争終了から1年以上が経ち、旧政権時代には考えられなかった自由や便利さが得られるようになっている。しかし、これらの物を手にできるのは、まだまだ限られた人だけだ。インターネットカフェがあるのも、携帯電話が使えるようになったのも、首都バグダッドと一部の都市に限られている。その中でも実際に利用できるのは、ある程度の安定した収入のある人々だけだ。そして、携帯電話が使えるようになる一方で、一般の電話回線は、復旧しないままの状態が続いている。電話が通じないから行かないと話せない現状から、電話すれば用が済むという当たり前の状況に戻るまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。

7月 28, 2004 | | コメント (0)

2004年7月15日 (木)

元バース党のスタッフ

 JENのバグダッド事務所には、現在、13人の現地スタッフが働いている。シーア派が半数を占めているが、もう半数の職員はスンニ派、キリスト教徒、クルド人と、まるでイラク社会の縮図のような構成だ。
 
 昨年8月にJENが事務所を開設した時から働いているスタッフの一人に運転手のイヤドがいる。恰幅が良く、声も大きく、「ガハハ」という豪快な笑いが良く似合う。一見すると強面なのだが、笑顔はチャーミングなおじさんだ。あまりにお腹が大きいので、「赤ちゃん元気?」というのが、彼とのおきまりの挨拶だった。そうすると、いつも満面の笑みで、「僕の赤ちゃん!」とお腹をたたいてくれる。
 
 そんな彼も、今回の政権崩壊により失業した人の一人だ。彼は、スンニ派の元バース党員で、戦争前は公務員として働いていた。決して、「お金持ち」ではないが、バグダッドの郊外に家があり、一帯に大きな土地を持っている。その敷地内に新しい家を建てていた。乗っている車は、日産のサニーだが、動くの?というようなおんぼろ車が多いバグダッド市内では、明らかに新しく良い方だ。イヤドが旧政権下でどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らないが、彼の家や車を見る限り、それなりの特権を得ていたものと考えられる。他のスタッフにイヤドの「過去」について聞いても、旧政権への恐怖心からなのか、はっきりとした答えは返って来ない。政権崩壊により多くの公務員、特に公安や秘密警察として働いていた人々が職を失った。彼もそんな一人なのかもしれない。
 

 旧政権下で自由に外国に行くことができなかったイラクの人々だが、イヤドは昨年11月のラマダン明けの休みに、ヨルダンのアンマンにいる親戚を訪ねて、初めての外国に出かけて行った。その期間、私もアンマンにいたため、一緒にレストランで夕食をした。食事時のイヤドは、いつも楽しそうだが、その日はいつになく、はしゃいでいて、生演奏に合わせて歌ったりしていた。初外国の感想を聞いたら、「アンマンは、物価が高いけれど、キレイなお姉ちゃんがたくさんいる!」と嬉しそうだった。
 
 JENの現地スタッフを見ても、今回の戦争・政権崩壊に伴い、大きく生活が変わっている。多くの人は仕事を失い、生活が苦しくなった。新しい職に就き、外国にも行き、楽しそうに生活しているイヤドにとっても、支援事業と言う期間限定の仕事の将来は不透明だ。このためJENは、一人でも多くの人たちが、将来安定した雇用を得られるような事業を実施する様工夫を凝らしている。
 
 現地スタッフに、主権移譲後の暫定政府に関して聞いてみると、「少なくとも彼らはイラク人であり、問題解決に向けて取り組んでいる。街の警察官も増え、治安は良くなってきた。」と治安改善に期待を寄せているようだ。私も、一般の人々が生活に少しでも明るさが取り戻せるような変化を暫定政府に期待している。

 

7月 15, 2004 | | コメント (0)