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2004年6月28日 (月)

フセイン札

昨年12月にイラクから帰国した時、職場の同僚や友人にお土産として持ち帰ってきたものがある。フセイン元大統領の肖像がついたお札だ。10月に新紙幣が発行され、以後使えなくなったこの「フセイン札」は、1991年の湾岸戦争以降、イラクで流通していたものだ。

イラクの通貨単位はイラクディナールで、新紙幣発行までの間一番流通していたのは、250ディナール札(約14円=私の駐在期間にも大幅に変動した)だった。一番流通していたどころか、それ以外の紙幣を見ることはまれだった。100ディナールや50ディナールは、たまに見かけたが、250ディナールより大きな紙幣は4ヶ月の間に一度も遭遇しなかった。つまり、現金の支払いは、全てこの250ディナール札で行っていたのだ。例えば、八百屋さんでりんごを6個買うと1,250ディナール(約90円)で、お札を5枚支払うわけだ。「1,250ディナール」ではなく、ただ単に「5枚」と言われることもある。

ところで、これが仮に1,100ディナールだったとして、お札を5枚出しても、150ディナールのおつりは返ってこない。250ディナール以下は無視されるので、多めに払うと損をした気分になる。慣れない間は、いつも言われた金額より多いお札を出していたが、そのうち、1,100ディナールの買い物に対しては、1,000ディナールしか払わないようになった。郷に入っては郷に従えの精神だ。

この250ディナール札しかない世界で、大きな買い物をすると困ったことになる。レストランでの食事が、25,000ディナール(約1,790円)だったとする。当然250ディナール札を100枚数えないと支払いができない。レストランならまだしも、夕食の買い物で混雑するスーパーのレジで、何十枚ものお札を数える居心地の悪さは格別だ。並んでいる客から早くしろ!といわんばかりの痛いような視線を感じながら、間違えてはいけないと数えるのだ。自分のポケットマネーならまだいいけれど、こと事業に関わるお金となると一枚の誤りもあってはならない。ぼろぼろのお札を数える私はいつも必死だった。

両替だって大仕事だ。通常100ドル単位で、ドルからイラクディナールに換金するのだが、一枚の100ドル札は700枚程のくたびれたディナール札になる。100枚ごとに輪ゴムでまとめてあるのだ。その場でも数えるが、黒いビニール袋に入れてもらって持ち帰り、一束ずつ枚数を確認する。私が見たって「偽モノ」とわかるようなうさんくさい印刷のお札がまぎれていることもよくあった。

そんな生活から、解放された時は、とても嬉しかった。新しい紙幣は、502501,0005,00010,00025,000ディナールの6種類で、大きな紙幣も簡単に手に入るようになった。100枚の紙幣を数えた買い物も、5,000ディナール5枚で済むようになったのだ!イラクの人々にとっても、嬉しい生活の改善だったと思う。

主権移譲が完了し、今後新しい国づくりに向けた動きが加速する。治安回復や選挙に向けて課題は山積みだが、1日も早く一般の人々の生活が少しでも改善されることを期待している。

6月 28, 2004 | | コメント (0)

2004年6月16日 (水)

1,000人の生徒に一つの蛇口

 イラクの学校は、その半分以上で水が出ないという環境だ。修復校の選定のために私が訪問した学校の中には、1,000人以上もの生徒がいる校舎に水が出る蛇口が校庭に1つ、というところもあった。信じられない本当の話である。水飲み場はあっても蛇口はなく、トイレにいたっては、水が流せないため汚物がそのまま放置されていて、足を踏み入れることすらできないような学校をいくつも見た。当然、手を洗うことはできない。そして子どもたちは、気温40度、停電で扇風機も動かない学校へ、飲み水として、ペットボトルに水道水を入れて登校する。

 バグダッドの水道水は、目で見てわかるほど濁っている。それでも、一般の人々は、その水を飲料水として使用している。ミネラルウォーターは1.5Lのペットボトルが20円ほどで買え、どこでも売られているのに、私の周りにいた現地の人でそれを買っている人はいなかったと思う。
 学校や一般家庭を訪問すると、暑い季節にはよくコップと水を差し出された。暑くなると50℃を越えるバグダッドで、水はとても有り難かったが、失礼とわかっていながらも、その水を飲むのは遠慮していた。ペットボトルに入った水を持ってきてくれる場合も油断はできず、中身は明らかにミネラルウォーターではなく、「濁った水」のことが多い。

 バグダッド市内の水源といえば、世界史の教科書に登場するメソポタミア文明発祥の地、チグリス川である。雄大な川の流れを見ていると、この地で水に困るということは無さそうに見える。それでも、今のバグダッド市内に、十分な水が供給されているとは言いがたい。水源はあっても、それが市内に行き届く上下水道のネットワークが十分機能していないからだ。日本のように一度にたくさんの水は使えない。
 昨年8月の猛暑の中での事務所への引越しの日、私はバグダッドの水事情をまだ知らなかった。あまりに砂埃が積もっていたので、床中に水を蒔いて掃除をしたら、急に水が出なくなった。その後、屋上にあるタンクに水が貯まるまで数時間かかり、引越し作業の後でシャワーも浴びられず、料理も作れず、困り果てた。その後、シャワーも洗濯も節水、が教訓となったのは言うまでもない。

 それでも、JENの事務所では蛇口をひねれば水が出ていたのでまだ良かった。バグダッド市内では給水設備が稼動していないため、今でも水がほとんど来ない地域もある。さらに、下水処理はほとんど機能していない。生活廃水はそのままチグリス川に流れ、それが不十分な浄水設備を通して、一般家庭に流れるわけだ。水道水が濁っている理由はここにある。首都でさえそのような状況なのだから、イラク全土の状況は深刻である。
JENは今、こうした稼動していない給水設備の調査をしている。少しでも多くの人々が安全な飲料水を確保できるように、一刻も早く支援を開始したい。夏の盛りは目の前である。

6月 16, 2004 | | コメント (0)