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2003年5月27日 (火)

フセイン政権崩壊から1年経って

サダム時代の生活について、JENの現地職員について聞いたことがある。真っ先にあがることは、やはり「自由がなかった」ということだ。常に刑務所に入れられる恐怖があった。話すこと、移動すること、仕事、宗教行事でさえ自由はなかった。男性は常に、身分証明書と兵役の義務を果たしたという証明書の携帯を義務付けられていて、道で警察や公安関係者に提示を求められた時に所持していなかったら、それだけで刑務所行きだったそうだ。休暇や仕事で旅行する場合は事前に国防省の許可が必要だった。結婚する時も国防省から証明書を得なければならない。どうして結婚が国防省?と思ったが、結婚を理由に兵役から逃れないようにするためだという。

私がバグダッドに滞在していた時、市内の交通渋滞はかなりひどかったが、それは電力不足で信号が機能していなかったため交通整理を警察官がしているからだった。しかし、サダム時代はそれよりもさらに渋滞がひどかったらしい。その理由は、政府や軍の都合ですぐに道路が閉鎖になるからだった。JENの事務所の近くには、高級レストランや電気屋さんなどお店が建ち並ぶ有名な通りがあるが、今は一般市民で賑わうその通りも、旧政権時代は政府高官のみが利用できるエリアだったという。何もかもが、旧政権とそれを支える人たちを最優先にして存在していたわけだ。

制約を受けていたのは大人ばかりではない。子ども達の生活にも、もちろん及んでいた。学校には各教室にフセイン大統領の肖像画や写真がかかげられ、授業で使う教科書にも必ず1ページ目に大統領の顔があった。例えば歴史の教科書は、彼の功績やイラク軍の活躍など、政権に有利なことばかりが書かれていたという。そして、例えばある子が「昨日、うちのお父さんが、大統領のことを悪く言っていました!」などと教室で発言しようものなら、その日のうちにお父さんが逮捕されてしまうのだ。昨年、修復した学校で「自由になって嬉しい。」と話す子どもがたくさんいたことに、私は正直、驚いた。小学生ですら、生活に「自由」がなかったということだ。

そのフセイン政権崩壊から、1年。あの時の方が良かったという声も現地スタッフから聞く。その理由の一番は、やはり治安である。あの時は、道で爆発に巻き込まれるようなことはなかった。宗派間の衝突もなかった。結婚式をしていたら空爆されるなんてこともなかったというのだ。そして、フセイン政権崩壊後、イラクの人々が期待したことは生活水準の向上だった。しかし、生活は向上するどころか失業やインフラの破壊により戦前のレベルにすら戻っていない。

今、国連の新決議案が検討され、主権移譲先の暫定政府も事実上発足した。しかし、イラクの人々はこの主権移譲にも懐疑的だ。国際社会が再び協力することで、治安の回復と国の復興がイラクの人々の手によって進むよう、私たち一人一人の協力も不可欠だ。

5月 27, 2003 |

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