2016年5月24日 (火)

人生の始まりから終わり旅路

本日は人生を死ぬまで謳歌する事について話をしたいと思います。若く元気な頃に悲しみや死について心の準備をするには良いタイミングだと思います。今回、こういった話にしようと思ったのは、JENアフガニスタンのプロジェクトオフィサーのイナヤトラさんの突然の死を目の当たりにしたらからです。

イナヤトラさんは、2002年の3月からフィールドオフィサーとして、チャリカ事務所で働き始め、2016年3月18日に亡くなられるまで、14年間JENのスタッフとして尽力してきました。

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(写真)イナヤトラさん
腎不全と診断された彼は生体腎臓移植を受けるため、カラチ(パキスタンのシンド州の州都)に向かいました。

最後に会った時、表面的には元気そうにしていたイナヤトラさん。でも実際は、両方の腎臓が機能していなかったのです。2週間前には、普段どおりに活動し、楽しそうに話したりしていたのに…。突然の訃報を聞いてスタッフ全員がショックを受けました。 

でも、いずれは誰もが死ぬのだから、死を肯定的に受け止められるように、心の準備をしておけば、悲しみが少しは和らぐのではないかと時折考えます。自分自身や自分の愛する人のためにも、何か起きたその時に平穏を保てるように、そんな心の準備をしておきたいと思いました。

サマール バット
総務会計補助
イスラマバード事務所

5月 24, 2016 事務所・スタッフ |

2015年10月26日 (月)

【速報】アフガニスタン北部地震

パキスタン側スタッフより続報が入りました。

アフガニスタン、パキスタン両国で活動に従事するスタッフの全員の無事を確認。
震源地がヒンドウークシュ山脈(パキスタンからアフガニスタンに、東西にのびる標高3000M級)近くであることから、両国の事業地への影響を懸念。
引き続き、情報収集を行います。

10月 26, 2015 事務所・スタッフ |

2015年9月10日 (木)

サムライ精神を持つアフガンチーム

 私はアフガニスタン事業担当のプログラム・オフィサーとして、パキスタンのイスラマバード事務所から遠隔体制にて事業運営に携わっています。いつも、現地にいるアフガンチームと共に働けることが光栄であり、誇りに思っています。なぜなら、彼らと働くことには、数え切れない学び、感動があるからです。

 彼らはどんなに大変なときでも文句一つなく、無言でひたむきに常にベストを尽くし、結果を必ず出してきます。約束は全身全霊をかけて果たし、まるでサムライ精神を思わせます。また、自国への復興・発展への想い、情熱を胸にJENの仕事に励む姿は素晴らしく、美しく、心を打たれます。
 
 アフガニスタン職員の気質、精神を表しているなと思う出来事が昨年ありました。
 昨年は事業予算額が減少したため、学校整備校の数が減り、2014年12月にはあるエンジニア職員1名の契約雇用ができなくなりました。
 私がそのことをこの職員に伝えたところ、「JENで働けた1年半は夢のようだった。本当に私を雇ってくれてありがとう。仕事は変わったとしても、一生の友人をJENで見つけ幸せに思っています。そして、日本からはるばる危険な地にきて、アフガニスタンの国の復興の為に働いてくれて心からお礼を言いたい。本当にありがとう」と、お礼を言われました。
 私は彼のまっすぐな言葉、想いに感動し、涙が溢れてきました。契約することができず大変申し訳ないと思っている中、逆に感謝の気持ちを受け取ったのです。人として大切なことを考えさせられました。
 その後、2015年4月にエンジニア職に空きが出、彼はJENに戻ってきてくれました。

 アフガニスタンは数々の戦争や内紛の被害者となり、治安状況が安定しておらず、テロリズムなどのネガティブな報道が多く、良い面が世界に伝わっていないことを残念に思います。いつか、アフガニスタンに平和がもどり、アフガニスタンの人々の美しさ、素晴らしさを知っていただけることを心から祈っています。

 アフガニスタン事業をいつもサポートしてくださっている皆さま、本当にありがとうございます。この場を借りて、心からお礼を申し上げます。
今後とも引き続きアフガニスタンへのご支援を宜しくお願い申し上げます。

【アフガニスタン職員がイスラマバード事務所へ出張時の会議の様子】
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【アフガニスタンチーム】
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 JEN・イスラマバード事務所駐在
 アフガニスタン・プログラム・オフィサー
 藤田めぐみ




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9月 10, 2015 事務所・スタッフ |

2015年7月30日 (木)

ラマダンを経験して

 アフガニスタンはイスラム教徒の多い国なので、毎年ラマダン(断食月)があります。
 イード休暇(断食月の終わりの祝日)が先週で終わり、パキスタンおよびアフガニスタン事務所は通常の業務時間に戻りました。

 今年は私もわずかな期間ですが、断食にチャレンジしてみました。
 日の出から日の入りまで、飲食は一切行わないのがラマダンです。自分の唾液すら飲み込んではいけないと聞きます。7月のイスラマバードのだいたいの日の出時刻は5:00、日の入り時刻は19:20であり、この間約14時間半、飲食を一切行わないことになります。
 
 ラマダンの時期はイスラム暦(太陰暦)によって決められるため毎年少しずつずれますが、今年はその中でももっとも日照時間の長い、そしてもっとも暑い季節に重なるラマダンとなりました。
 
 最初は水も飲まない完全断食をするつもりでしたが、さすがにそれでは仕事にならず、結局食事だけの断食を1週間少し行いました。

 食事だけでも断食をしてみると、これを1か月も、飲み物も一切取らずに行うということがどんなに大変かがわかり、改めてムスリムの人々に尊敬の念を抱くようになりました。
 それと同時に、ラマダンの期間中、国中の業務効率が落ちる理由もよくわかりました。空腹に耐えながら仕事をするだけでも難しいのに、さらにいつもの生産性を保つことが難しいのは当然です。

 しかし、イスラム教徒の人々はそれでも断食をします。イスラム圏外にいたときはその意味がわかりませんでしたが、やはり空腹に耐える苦しみを知ること、そのような状況に置かれている人たちの気持ちになること、普段あまり空腹にならずに食事ができることに感謝すること、そういう部分にラマダンの意味があるんだろうな、と思いました。今回わずかではあるものの、経験を通してわかったことです。

 JENの事務所があるパキスタンの南部・シンド州では毎年干ばつで死者が出ています。50度近くになる気温の中、水が飲めないというのはどんなに厳しい状況か、今回改めて想像しました。
 アフガニスタンも同様で、ラマダンを経験する国だからこそ、干ばつへの対策が取られることを願いますし、支援も広げていかなくてはならないと改めて思いました。

【イスラマバード事務所にて、スタッフとのイフタール(日没後の食事)】
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 JENパキスタン事務所
 総務経理担当
 堀 真希子



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7月 30, 2015 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2015年7月16日 (木)

現場の仕事と事務所での仕事

 NGOの一員として働いている人には、誰かを助けたい、自由な環境に身を置きたいなど、いろいろな人がいます。しかし、この業界に入ってみると、現場と事務所という2つの異なった仕事がある事実を知ることになります。

 現場で人々を直接支援するためだけに人道支援業界で働いている人もたくさんいます。特に緊急事態や自然災害の場では、多くの人がそのような気持ちで働いています。私も同じ気持ちで人道支援業界に関心をもった一人です。私が初めて仕事に応募したのは、ハンディキャップ・インターナショナルという団体でしたが、それは、そこでは障がいを持った人々への支援ができると考えたからでした。

 しかし実際は想像とは違っており、私の仕事は事務所での仕事でした。事務所での仕事もあるということ。今となっては笑い話ですが、私はNGOの仕組みを理解していなかったのです。それ以来、誰のために働いているのかという思いが心の中にあります。
 現場スタッフが支援しているのは、どのような人たちなのだろうか。私はその人たちのところへ行って会うことができないだろうか。
 今も事務所で仕事をしていますが、助けを必要としている人たちがNGOを通して支援を受けた時の表情を見てみたいです。

 私はいつも、現場スタッフは事務所のスタッフよりももっと仕事をしているという気がしています。現場スタッフは、治安、天候、困難な状況におかれた人たちや、現場の文化的・社会的な背景に関する問題、さらに自分自身も自宅や家族から遠く離れていることから来る問題など、様々な問題に直面しているからです。
 でも、現場で働けるのはラッキーなことですし、誰かを直接支援することに、大きなやりがいと満足感を感じているだろうと思います。私はかれらを尊敬しています。

 私はNGOの一員として、助けが必要な人たちのために働けていることにやりがいを感じていますが、やはり、いつかは現場で働きたいと願っています。

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 フメイラ・ワハブ
 総務&人事アシスタント


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7月 16, 2015 事務所・スタッフ |

2015年5月 7日 (木)

初めての出張

 
 私はJENアフガニスタンのチャリカ事務所で働いています。先日仲間のスタッフと共に、初めてパキスタンのイスラマバード事務所に行って来ました。
 一度JENを離れて戻ってきた私にとって、今回の出張は少し特別な意味がありました。イスラマバード事務所のスタッフたちと会う、初めての機会だったからです。

 私が所属するチャリカ事務所の仲間たちは皆、正直でハードワーカーです。アフガニスタンの人々の生活向上のために、1つのチームとして協力して働いています。皆とても親切で、私がJENに戻ってきた時にも色々と親切にしてくれました。

 今回の出張を通して、イスラマバード事務所のスタッフたちも同じように、全員が1つのチームとして協力していることがわかりました。アフガニスタンの人々、とりわけ教室もなく青空の下で学んでいる子どもたちの状況を変えよう、という目標があるのです。

 イスラマバード滞在中は、イスラマバードとアフガニスタンが、1つのJENアフガニスタンチームとして、現在進行中のプロジェクトやこれからの計画など、とても有意義で質の高い話し合いを行うことができました。こうして直接話し合うことは、実際の現場をフレンドリーで働きやすい環境にしていきます。そして、これまでメールでしかやりとりのなかったイスラマバードのスタッフと親睦を深めることで、刺激しあい、お互いの意識を高めあうことができたのです。

 JENを通してこのような出張の機会を得られてよかったと思います。今回改めて、強く思ったことがあります。それは、「母国の人々・子どもたちが希望の光に満ちた安全な生活を送れるように、そして戦争が教育に変わり、全ての人々が充実した環境で生活できるように、私も頑張ろう」ということでした。

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 モハマド
 (JENアフガニスタン土木技師)



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5月 7, 2015 事務所・スタッフ |

2015年4月23日 (木)

母親として働き続けること

 お子さんのいるお母さんたちには、今日の記事をよくわかっていただけると思います。

 私は産休に入る時、出産3か月後には仕事に復帰しようと決めていました。
その当時は、母親となった自分がどのような感情を抱くのか、あまりよくわかっていなかったのだと思います。

 妊娠37週目の11月28日に産休に入り、12月15日に女の子を出産しました。日が過ぎていくほどに赤ん坊への愛情は深まってゆき、3月末に仕事に復帰する時には、私は赤ん坊なしには生活できないほどになっていました。

 仕事復帰の初日は、とても辛かったです。
 赤ん坊が恋しくてトイレで泣いてしまうほどだったので、スーパーバイザーに頼んでオフィスの棚や物置でのファイル整頓の仕事をさせてもらいました。
 デスクに座っているとわが子のことを考えてしまい、仕事にならなかったからです。
 忙しく仕事をしながらそれでも、いつわが子に会えるかと時計ばかりを気にしていました。

 同僚たちは私の状況にとても理解があり、仕事の合間に授乳をしに帰宅させてくれました。赤ん坊を見ると頬には涙の痕があり、私を求めて泣きながら眠りについたことがわかりました。そんな時は私自身も辛く、泣く泣く仕事に戻りました。それでもJENという志ある団体の一員として、そして、主婦だけでないプロフェッショナルな女性として、働くことは続けたいと思いました。

 しかし食事はうまく喉を通らず、睡眠も浅く、仕事中に集中もできませんでした。あまりの辛さにこのままでは続けられないと思った私は、諦めて赤ん坊といようと決心しかけたほどです。

 しかし、日に日に私はその生活に慣れていきました。1日に2、3度、授乳の度に赤ん坊の顔を見られることが救いになったのです。

 1日に8、9時間働いた後に帰宅し、家で赤ん坊の世話をすることは簡単なことではありません。早くゆっくりしたいと夜を待ち望んでいるのに、赤ん坊はミルクを欲しがります。時々、忙しすぎて発狂してしまうのではと思うこともありますが、赤ん坊といる時の感覚は私を母親として幸せにしてくれ、そして働くことに対しても前向きな気持ちにしてくれるのです。

 仕事と育児の両立―― 私にでもできるのだから、どの女性にでもできるはずです。実際に、私のような女性は今たくさんいます。私の同僚たちは私に自信をくれ、私の思いと私自身をサポートしてくれます。

 どの職業であっても、母親たちが働きやすい環境であるようにと願います。

 総務・人事アシスタント
 フメイラ

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4月 23, 2015 事務所・スタッフ |

2015年3月12日 (木)

アフガニスタンの雪崩

 アフガニスタンは未だに、世界で最も脆弱な国の1つです。2015年が始まったばかりですが、悲惨な出来事が起きてしまいました。首都カブールからさほど離れていない渓谷で大規模な雪崩が発生し、200人近くの人が亡くなったのです。さらに、国の北西部の山岳地帯において、この30年で最悪の規模の雪崩が発生し、犠牲者数は合計で250人にのぼるとみられています。

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 救助隊員は、カブールの北西に位置するパンジシール渓谷において、ブルドーザーを使って除雪し道を確保しました。その地域の村人たちは、ほぼ1週間もの間孤立していたのです。パンジシール県は最も被害が大きく、雪崩と地滑りにより、5つの学校の校舎が全壊したと伝えられています。

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 現在、アフガニスタン軍は空中投下作戦によって、被災者へすぐ食べられる食糧を空から届けています。除雪作業は県の中央部まで進みました。当局によると、除雪作業は山岳地帯の奥深くに位置している最も被害の大きい地域に到達するまで、拡張する必要があるとのことです。同県のバザラクと、バハラクという地域では、2,000世帯以上が被災したとみられています。

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 アフガニスタンの大統領はあるインタビューで、今回の雪崩被害には3段階の対応が必要であると答えました。第1段階は緊急対応、第2段階は救出、第3段階は復興で、これらには国際社会の全面的な支援が必要であると訴えました。復興のための対応として、大統領は、自然災害に耐え得る新しい型のシェルターの再建を求めました。

 JENの現地スタッフは調査チームを立ち上げ、被災地の詳しい状況を把握するために、現地当局と国連機関に協力をしています。

Afghanistan

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3月 12, 2015 事務所・スタッフ |

2015年1月15日 (木)

スタッフ能力強化への取り組み

 JENアフガニスタンプログラムでは、アフガニスタンで支援を必要とするコミュニティに最大限の支援をするために、スタッフの能力強化を図っています。

 毎年、能力強化を目的とした様々な研修が計画され、私自身もいくつかの研修を受けました。それらは私の知識の向上に大いに役立っています。最近実施されたもののなかで、特に重要だったと感じる研修には、次のようなものがあります。

 2013年、私はプロジェクト・サイクル・マネジメントの研修に参加しました。この研修では、プロジェクト開始から終了、その後の評価に至るまでの、フェーズ(段階)の違いを理解するのに役立ちました。
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 2014年2月には、スタッフと組織全体の仕事の質を向上するため、報告書作成とコミュニケーションスキルについての研修が実施されました。この研修にはアフガニスタンとパキスタンプログラムの両方のスタッフが参加しました。
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 2014年の9月には、イスラマバードでモニタリングと評価についての3日間のワークショップに参加しました。この研修は主に、プロジェクト計画におけるモニタリングと評価の役割について焦点を当てたものでした。この研修を受けたことで、私はモニタリングと評価のコンセプトを理解し、プロジェクト計画書を準備するときに、その視点を含めて書いていくことができました。

 私は直接参加していませんが、2014年11月には、カブールでアフガニスタンの現地スタッフを対象とした研修が2つ実施されました。1つは報告書作成について、もう1つはモニタリングと評価についての研修で、先に述べた研修に参加していないスタッフが受講しました。これらの研修は、現地スタッフが2015年のプロジェクト計画策定に参加する際に必要な視点を身につけるという点で役立ちました。また、アフガニスタンの現地スタッフ自らがプロジェクトを評価し、自分たちで実施した支援の成功事例だけでなく、弱点を認識するのにも役立っています。
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 これらの研修とは別に、スタッフの身の安全を確保するために、基本的な応急処置の訓練や、セキュリティ研修も定期的に行っています。
 研修はスタッフの仕事の質を向上させ、結果的に組織の支援の質の向上につながっていくものと思います。

 イスラマバード事務所シニア・プログラム・アシスタント(アフガニスタン担当)
 ハニフ・カーン

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1月 15, 2015 事務所・スタッフ |

2014年11月27日 (木)

スルヒ・パルサの秋

 秋は私が最も好きな季節です。あらゆるものがとっておきの美しさであふれんばかりで、まるで自然がグランドフィナーレのために1年をかけて力を蓄えてきたかのようです。
 
 でもそれは、私の国であるアフガニスタンでの美しさでしょうか?それとも、私が働いている、治安や経済的な問題を抱えているスルヒ・パルサという小さな地域の美しさでしょうか?

 スルヒ・パルサは、貧しく、冬が早く訪れる標高の高い地域です。
この地域では、秋は美しさにあふれていますが、食糧や燃料の不足や、建物の弱い骨組みを壊してしまう雪への不安は、秋の美しさを愛でて楽しむことを人々に許さないのです。

 秋と冬について思いつく最も前向きなことは、子どもたちが雪で遊んだり、収穫した後に最後に残った芋をオーブンで調理して食べたりすることです。子どもたちは、それほど楽しくはなさそうですが、冬の間は学校として使われるモスクに通って学びます。

 秋の写真を2枚紹介します。私が仕事中、休憩を取りながら紅葉の広がりを眺めている時のものです。この時期の木々は人生の終わりを迎えようとしている人のように見えます。落ちていく木々の1枚1枚の葉を、たくさんの経験を重ねた長老のように、私は尊敬する気持ちで見つめます。でも、考え事をしているうちに、短い日は暮れて夜がやってきます。

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 私にとっては紅葉を眺めるのは楽しいことですが、木を植えたこの地域の人にとってはどうなのでしょう?

 この地域の人は、葉が落ちるのを待っていて、落ち葉を集めて家を暖める燃料として使います。また、かれらにとっては、冬の訪れとともに1世帯で5~10本しか持っていない果物の木に実がならなくなってしまうことは、非常につらいことです。子どもたちのための果物は、これらの木々からしか手に入れることができないのです。

 この地域の人にとって、日が短くなるにつれ畑仕事が減り、食べ物を家族に与えることができなくなるこの時期は、本当につらい季節の始まりです。
 それは同時に、家の中で仕事をする女性が、機織りや子どもたち用のセーターを作るための毛糸を紡ぐ作業を止めなければならないということを意味します。明かりがないので、夜の暗闇の中では仕事ができないからです。

 生活の困難さが、自然を楽しむことができないようにしてしまうのです。富める者から貧しい者まで、誰もがそれぞれの問題を抱えているのだと、ここで働いていると感じます。

総務・ITオフィサー
ワヒード・アフマド



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11月 27, 2014 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2014年11月13日 (木)

アフガニスタン、パキスタン、日本をつなぐ遠隔による人材育成

 ジェン・アフガニスタンプログラムでは、現場での支援活動はもちろん、職員の人材育成にも力を入れております。

 アフガニスタンプログラムの計画書やレポートの作成は、今までは国際職員が中心となって作成していました。しかし、昨年の1月からは、人材育成の一環として、現地職員が書類を作成出来るよう研修や実践の機会を増やし、英語での計画書作成を開始しました。

【2月12日実施のアフガニスタン・パキスタン職員合同レポートライティング研修の様子】
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【レポートライティング研修アイスブレイクの様子】
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【レポートライティング研修でのグループ発表の様子】
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 英語による計画書作成は、従来よりも多くの時間を要します。しかし、現場からのより多くの声が書類に反映されるとともに、英語という共通の言語を使用することで多くの職員が貢献することが可能となります。

 計画書作成を初めて経験した現地職員からは、次のような感想が挙がってきました。

「これまで計画書のことは全く知らず、今年から作成に初めて関わり、沢山のことを学びました。計画書作成を通して、ニーズを伝えることでサポートを得ることの大切さや、文書を作成していく中でポイントが整理されていくことを学びました。
 まだまだ、多くの知識を得、実践し、経験していく必要性を痛感しています。今後も引き続き、学び続けていきます」

 今年は、現地職員は現場の活動実施のみではなく、予算や支援内容案を出し、計画書類作成に深く関わっています。これにより、現場での活動へのオーナシップがはるかに高まり、士気が上がっているのを感じます。

 パキスタンプログラムでは、既に数年前から現地職員によって計画書のドラフトを作成しています。今回のアフガニスタン職員育成では、経験を積んだパキスタン現地職員の力も借りました。そして現地職員自ら今年の支援者の皆さまとジャパン・プラットフォームの協力によるアフガニスタン北部水害緊急支援の計画書ドラフトを作成し、実施にこぎつけることができました。

 10月には、来年実施予定の「パルワン県における学校環境整備及び衛生教育プロジェクト」の計画書も作成しました。

 アフガニスタン支援はイスラマバードの国際スタッフを中心に遠隔管理体制で行っているため、日々のチャレンジが多々あります。そのような中での人材育成の鍵の1つは、各事務所間の結束力です。東京本部職員、アフガニスタン事務所職員、イスラマバード事務所職員が1つのチームとなり、密に協力、サポートしあうことが、遠隔管理という障害を取り除き、人材育成を可能しているのだと実感します。

 
 今後も引き続き、現地職員による計画書作成をサポートしていきます。更なる人材育成を促進し、職員ひとりひとりの能力を向上させることで、人々の自立が可能となるよりよいプロジェクトを作り、よりよい支援につなげていきたいと思います。

【パキスタン事務所にてアフガニスタン・パキスタン職員と共に】
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 パキスタン・イスラマバード事務所
 アフガニスタン事業 プログラム・オフィサー
 藤田めぐみ




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11月 13, 2014 事務所・スタッフ |

2014年10月16日 (木)

手を洗うこと

 手洗いは人々の衛生にとって大変大切な習慣の一つです。感染症を防ぐ最も効果的な方法なので、手洗いは予防接種の一種と言っても過言ではないでしょう。

 一般に手洗いとは手を洗う行為で、泥やほこりや細菌を取り除くために、水や石けんやアルコール性殺菌剤等を使います。
人は何気なく他の人に触れることによって細菌を移してしまう可能性があります。また汚染された物に触ったあと自分の顔や口、目や鼻や体の他の部分に触れることで、細菌に感染することもあります。

 手洗いは時間もかからず、大きな努力も必要としませんが、病気の予防に大変役に立ちます。この小さな習慣を身に付けることは、私たちの健康を守るのにとても重要なのです。

 日常の手洗い、特に食事前やトイレの後などある種の行動の前後に行う手洗いは、細菌を取り除いたり、病気を予防したり、細菌を他の人に移すのを防いだりするための一番良い方法です。

 手洗いには通常5つのステップがあります。濡らす、石けんをつける、ゴシゴシと洗う、水で洗い流す、そして乾かす、です。手や腕にアクセサリーを付けていたら、手を洗う前に外した方がいいでしょう。

 料理をする前後、食べ物を食べる前後、病人の介護をする前後、傷やケガの手当の前後、トイレを使った後や子どもの世話をするとき、鼻をかんだり、くしゃみをしたり、動物やゴミに触ったりした後は、必ず手を洗わなければなりません。

 石けんや水が使えない場合は、アルコール性殺菌剤またはある種の細菌を除菌できる灰や泥を使います。灰は、アフガニスタンでは細菌を取り除く他の手段がない時によく使われます。

 ジェン・アフガニスタンは、教師に対する衛生教育のトレーニング、そしてその教師を通じての生徒に対する衛生教育を行うことで、生徒からその家族やコミュニティーに対して衛生教育が波及することをねらいとしたプロジェクトを実施してきました。
 
 その結果、生徒や教師やその家族たちの衛生に対する意識に大きな変化が見られるようになりました。つまり、健康でいるためには清潔な状態を保つことがとても重要だという意識が芽生え始めたのです。

【世界手洗いデーのセレモニーで、石けんで手を洗う子どもたち】
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【ジェンのHEモニタリングの際、石けんで手を洗う子どもたち】
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【フォローアップが実施された際、石けんで手を洗う子どもたち】
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 ジェンの20周年記念として、ジェンの各国事務所に「手を洗おう」という言葉をそれぞれの国の言語で描いたポスターが共有されました。アフガニスタン事務所スタッフも、自分たちが伝えている手洗いの大切さを忘れないよう、ポスターを事務所に掲げて活動を続けています。

【ジェン・アフガニスタンのスタッフたち】
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【ジェン20周年のポスターを持つ筆者】
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ジェン アフガニスタン事務所
シニア・フィールド・オフィサー
ハミードゥラ・ハミッド



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10月 16, 2014 事務所・スタッフ, 衛生教育 |

2014年7月10日 (木)

新スタッフ紹介 PART2

 総務・会計アシスタントとしてジェンイスラマバード事務所に着任しました、サミール・シャキール・バットと申します。 

 私は英国勅許公認会計士の資格取得後、国際会計事務所の職員として、イスラマバード事務所で働いていました。そこで私は努力を重ね、1年で2回昇進し、監査チームを外部監査で率いるリーダーとなりました。
また、大企業から中小企業、そして非営利組織など、広範囲の業種に関わる仕事を割り当てられ、国連を含む、パキスタンで活動している人道支援機関とも関わってきました。

 これらの非営利組織において監査をしている間、私はパキスタンの貧困層の人々の悲惨な生活状況に気付きました。私は昔から経済的に恵まれない人々、特に孤児たちの状況に関心を持っています。2005年、私はジェンが地震の被災者を支援しているところを見る機会を得ました。他にも、ジェンが行った仮設住宅、給水施設、緊急支援や教育などの様々な支援を自分の目で見てきたことで、ぜひ人道支援の仕事をしたいと願うようになりました。

 私は社会に貢献するという理想に、強く共感しています。人間はこの世の中に何も持たず生まれ、何も持たずにこの世を去っていきますが、この世にいる人間同士、助け合うべきだと信じています。この強い思いこそが、私が誇りを持ってジェンの総務・会計アシスタントとして人道支援の分野で働くこととなった原点でもあります。
 私は恵まれない人々を支えながら、プロフェッショナルとして能力を磨き、成長していきたいです。

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7月 10, 2014 事務所・スタッフ |

2014年6月26日 (木)

新スタッフ紹介

 5月28日にイスラマバードに赴任しました、総務経理担当の堀真希子です。

 日本に入ってくるパキスタン関連のニュースは自爆テロや爆撃など暗いものが多く、行く前は少し不安でもありました。最近治安が悪くなってきてはいるものの、それでも野原では子どもたちがクリケットをし、すぐそばにはトレッキングができる山もあります。また、イスラマバードは緑が多く、きれいな街並みの都市です。

 
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 まだ仕事も生活も手探りではありますが、親切で、ユーモアあふれるスタッフに助けられ、気づけば一瞬にして一か月が過ぎました。

 治安の問題から、事業地に行けないのが非常に残念ではありますが、それでも、ハイバル・パフトゥンハー州出身のスタッフたちと接し、パキスタン料理を食べ、同じ時間で生活し、この国の風を肌で感じるだけでも、少しは事業地にいる「彼ら」に近づけるかな、という思いでいます。

 現在、パキスタン軍の掃討作戦により、再び、北ワジリスタンにおいて国内避難民の数が膨れ上がっています。アフガニスタンにおいても、治安は改善の兆しが見えない状況です。両方の国に早く平和が訪れることを願いつつも、まずは被災した人々が自分たちの生活を取り戻せるよう、イスラマバードからサポートしていきます。

 アフガニスタン・パキスタンプログラム
 総務・経理担当 堀真希子

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6月 26, 2014 事務所・スタッフ |

2013年12月19日 (木)

イスラマバード事務所/縁の下の功労者たち

 JENのアフガニスタンへの支援活動は、イスラマバード事務所から遠隔管理体制で行っています。事業地やプロジェクトの管理にたくさんの人が従事している中、その活動を支えているスタッフ達がいます。
現在イスラマバード事務所には運転手4人、事務所清掃員、庭師、警備員が働いています。彼らもまた、JENにとって大切でかけがえのない人材です。

 事務所清掃員のナスリーンは、年長者で愛嬌深い女性です。いつも忙しそうに働いている反面、何かと相談や雑談をしてきて我々を楽しませてくれます。

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 運転手のアブドゥル・ワヒッドはひょうきん者で、みんなを笑わせてくれます。突然歌を歌ったり等、いつでも楽しい雰囲気を作ることができる貴重な存在です。

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 他のスタッフもそれぞれ愛らしく個性的な面々です。JENは国際NGOとして、厳しい環境の地域で支援活動を日々行っていますが、直接事業地で活動を行う人たちの陰にはそれを支えるたくさんのスタッフがいます。彼らも他のスタッフと同じく支援活動の一端を担っています。

 2013年も年の瀬で、アフガニスタンでは間もなく今期の事業が終了します。今年もご支援いただいた皆様へ心から感謝するとともに、縁の下で現場を支えるスタッフにも1年間お疲れ様と感謝しています。

イスラマバード事務所
アフガニスタン事業総務/経理アシスタント
フメイラ・ワッハーブ



【JENでは、皆様からのご寄付を受け付けています。ご協力をよろしくお願いします。
ご寄付は、こちらから受け付けております】

12月 19, 2013 事務所・スタッフ |

2013年8月29日 (木)

新スタッフ自己紹介~ナジブラ・ファイズ~

 今年の5月からジェンのスルヒ・パルサ事務所で働き始めましたナジブラ・ファイズと申します。

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 私はジェンが今年支援対象としているパルワン県スルヒ・パルサ地区のダルワズ村で生まれ、育ちました。モハメッド・アクバル・シャヒッド高校で教育を受け、カブールの商業高校を卒業しました。高校卒業後の2009年に、カブールの経営管理の国立専門機関(NIMA)に入学し、国立ドウニヤ大学の入学許可を得、財務学部にて勉強しました。
ジェンで働く前には、MTNコミュニケーション企業にて1年半その後ハシミ建設会社の財務オフィサーとして2年間働きました。

 ジェンのフィールド・オフィサーとしての仕事に就くことができ、幸運に思っております。この仕事は、私の愛するアフガニスタン国の復興、再建に活発に関わり、貢献することができるので、とても嬉しいです。アフガニスタンのジェンファミリーとしてチームワークを発揮し、パルワン県の保健・教育セクターが改善していくよう、誠意を込めて、貢献していきたいと思っております。

スルヒ・パルサ事務所フィールドオフィサー 
ナジブラ・ファイズ

【高校にて衛生キットを配布する様子】
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【事務所にて同僚たちとともに】
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【JENでは、皆様からのご寄付を受け付けています。ご協力をよろしくお願いします。
ご寄付は、こちらから受け付けております】

8月 29, 2013 事務所・スタッフ |

2013年5月23日 (木)

一緒になることが始まり~新スタッフの自己紹介~

こんにちは!
 私の名前はハニエフ カーンで、パキスタンのロワー・ディール郡出身です。社会学修士課程と都市・地方計画における哲学修士課程を修了しています。
この7~8年間は人道支援の分野で働いており、これまで上司や同僚、地域の方々から、たくさんのことを学んだと誇りをもって言えます。

 私にとって一番大切で、かつ一番楽しみなことは、チームのメンバーと共に働くことです。パキスタン中の各地から来た人々だけでなく、世界中の人々と共に働くことは、人道支援の仕事の素晴らしいところです。これらの人々と考えを分かち合い、お互いの文化や言語、宗教などを知ることは、素晴らしいことだといつも感じています。

 この度私は幸運にもJENで働く機会を得、5月からイスラマバード事務所のプログラムアシスタントとして着任しました。勤務初日から、私は素晴らしい職場に来たと感じていました。イスラマバード事務所はとても友好的で協力的な雰囲気で、皆とても親切に私を迎えてくれました。

 この仕事で興味深いのは、私がアフガニスタンプログラムのスタッフとして採用されているということです。私の出身地であるチャクダラ村では、アフガニスタンの人々が自国を逃れてきてから、難民キャンプが設立されています。そういうわけで、私には学生時代からそこに多くの友達がいます。私とその友人たちは過去30年間、お互いの行事に参加しあってきました。ですので、アフガニスタンプログラムで働くことは、古い友達の仲間になるような感覚です。まだアフガニスタンの現地スタッフに会って話したことはありませんが、ここの同僚から彼らは皆親切で協力的だと聞いています。ここで働くことで、私のスキルや能力を更に伸ばすことができると確信しています。

 私はここで素晴らしいチームに出会えたことを幸運に思います。私がこれまで学んできたチーム成功の鍵は、協力すること、相手の話を聞くこと、そして同僚に話しかけるということです。チームとして達成すべきことを理解するために、チームメイトと話し、交流することが大切です。

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“一緒になることが始まりだ。一緒に続けることが進歩である。一緒に働くことは成功である。”という有名な言葉があります。そういうわけで、私はもっともよい形で始めることができ、同僚のサポートにより成功することを確信しています。
よろしくお願いします。

イスラマバード事務所アフガニスタン事業プロジェクト・アシスタント
ハニエフ カーン 

5月 23, 2013 事務所・スタッフ |

2013年2月28日 (木)

遠隔事業管理のカギ

 以前ここでお伝えした通り、JENのアフガニタンプログラムはパキスタンのイスラマバードから遠隔で管理をしています。

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 プロジェクトの遠隔管理は、マネジメントの中でも非常に難しいものの一つとされています。これを行うためには、成功のカギとも言える以下のポイントに気をつける必要があります。

•オンラインのコミュニケーション: 電話やメールでは相手の表情やジェスチャーが分からないので、言葉のみに頼ることになります。そのため、チームのメンバーはオンラインコミュニケーションのテクニックを知る必要があります。

•適切な情報共有:情報共有する際には、常に細心の注意を払わなければなりません。例えば、情報を必ず共有しなければならないメンバーをメールの宛先に入れ忘れてしまったり、個人情報を関係の無いメンバーに誤って送信してしまったりといったミスは避けるべきで、適切な判断が必要となります。

•文化・地域的な違いの尊重:時差や、文化の違い、その他にも地域や社会的な背景は、自分の目の前にいない相手と話す時にも、常に意識しておかなければなりません。

•対面会議:遠隔管理とはいえ、時々はお互いの顔を見ながらミーティングをすることが重要です。現地スタッフが国際スタッフと会う機会をもつことで、お互いをよりよく知ることができますし、現地スタッフが自分を組織・チームの一員であることを実感できます。

•自分のチームを知ること: マネージャーは自分のチームメンバーの能力を知り、信頼することが大事です。また、チームメンバーが事業管理や事業そのものにどれほど重要か、本人へきちんと伝えなくてはなりません。

•平等な対応: 事務所スタッフも現地スタッフも組織にとって貴重な財産であるため、平等に接しなくてはなりません。勤務地に関わらず、チームのどのメンバーも各々担当する職務があり、その実績にもとづいて公平に評価される必要があります。

 これらのポイントに気をつけながら、JENのイスラマバードチームは、より効果的で効率の良いプロジェクトを目指して業務に取り組んでいます。

イスラマバード事務所 シャヒッド・カーン(プロジェクト・アシスタント)

2月 28, 2013 事務所・スタッフ |

2013年1月31日 (木)

チームで過ごすランチタイム

 イスラマバード事務所のスタッフは業務時間のほとんどを事務所内で過ごします。その為、機械的にひたすら働くだけでなく、人としてお互いの親睦を深める時間も私たちにとってはとても重要です。これによりオン・オフのバランスを保つことができ、仕事の質も高めることができるからです。

 私にとってチームの同僚とのランチタイムは、欠かせない大切な時間となっています。同僚とのランチは、文化的・宗教的背景の違う仲間と働くうえで、とても重要なことなのです。

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 ジェンのイスラマバード事務所には、パキスタン国内・国外スタッフ7名が働いています。業務時間に共有できる考えには限りがあり、仕事以外の部分で相手のことを知る機会はあまりありません。個人的にお互いを知り合う時間が無いと、仕事の時の不満も出やすくなります。ランチタイムは、それぞれが仕事や私生活で困っていることや嬉しかったことを共有するとても良い機会になるのです。

 上司も部下も皆でテーブルを囲んで話し、それぞれ近況や悩みを共有することで、仕事中にお互いの気持ちを察することもできます。昼食後は朝のような新鮮な気持ちで仕事に戻ることができます。

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 人はいつも決められた通りに動けるものではなく、仕事でも私生活でも時にはルール外のサポートが必要です。人が自分を助けてくれるのは、自分を信頼してくれている時だけです。このような信頼は、個人的で継続的な関係があってはじめて築かれるものです。私には良い友達がたくさんいますが、私の同僚が私に対して好意的でいてくれるのは、ランチタイムの交流で築いてきた信頼があるからだと思います。

 また、お互いに仕事以外で共通の話題を持つことも大切です。例えば、パキスタンではクリケットが人気なので、国内外のクリケットの試合について話すこともあります。家族の話題も、お互いを知るきっかけとして良いと思います。もちろん、お互いの意思を尊重し、相手が話したくないことを無理に聞くことはありません。ジェンの同僚と昼食をとるときは、スポーツや文化、洋服、ショッピング、料理、言語、宗教など、様々なことについて話します。政治や株式市場について話すこともあります。大事なのは、皆共通で関心のある話題をもつことなのです。
 

 イスラマバードチームのランチは、プロフェッショナルとしてもお互いをよく知る良い機会になっています。“単なる仕事上の同僚”よりも近い関係で働ける方が、きっと職場も明るくなると思います。私は良き同僚であり友達でもある仲間と、とても楽しく働けています。
私たちに神の御加護がありますように!

ジェンイスラマバード事務所 フマイラ・ワッハーブ

☆☆☆☆☆ 参加者大募集中! ☆☆☆☆☆

2/18、2/20 ニュージーランドワインのチャリティ試飲会を開催いたします!

東京会場
■日時:2013年2月18日(月)18:30 – 20:30(18:00開場)
■場所:ザ・リッツ・カールトンホテル東京 2階 グランドボールルーム

大阪会場
■日時:2013年2月20日(水)18:30 – 20:30(18:00開場)
■場所:ホテルモントレ大阪

お問い合わせ、お申込みは、こちら

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1月 31, 2013 事務所・スタッフ |

2013年1月17日 (木)

遠隔地で行う業務調整

 2007年にアフガニスタン国内の治安が悪化して以降、ジェンの国際スタッフは隣国パキスタンのイスラマバードからアフガニスタン国内の活動を管理しています。アフガニスタン国内での支援活動の実務は、ジェンの現地スタッフが国際スタッフと協力しながら行っています。
これまでのところ、国際スタッフがアフガニスタン国内に不在の状態であっても、大きな問題無く支援活動を続けることができています。インターネットやSkype、電話などの通信システムのおかげで、国際スタッフは遠隔地であっても現地スタッフからの情報をしっかり共有することができるのです。

 イスラマバードに駐在する国際スタッフは、毎日現地スタッフと密に連絡をとり、業務の調整を行っています。アフガニスタン現地チーム・イスラマバードチームの双方がプロフェッショナルとしての意識をもって働くよう心がけているため、人事異動によりメンバーが代わることもありますが、両チームの調整は徐々に向上してきています。

【イスラマバードチーム】
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 電話やインターネットを利用した遠隔地同士でも活動は可能ですが、時には顔を合わせて話すことも重要です。近年はイスラマバードの国際スタッフがアフガニスタンに出張することが困難であるため、ジェンは年に数回アフガニスタンの現地スタッフをイスラマバードに呼び寄せ、ミーティングを行っています。現地スタッフとの会議では、実行中の活動に関する問題点や今後の戦略などを話し合います。また、現地スタッフは国際スタッフが現地の状況についてより深く理解できるよう、プレゼンテーションも行います。
 ジェンはパキスタンのデラ・イスマイル・カーン県での支援活動も遠隔管理で行っているため、アフガニスタンの現地スタッフと、デラ・イスマイル・カーン事務所のスタッフの出張が重なる場合は、お互いの国の活動に付いて理解を深める良い機会となっています。

【現地チームのイスラマバード事務所訪問】
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 遠隔地からの活動管理は難しさもありますが、このような形であってもアフガニスタンの人びとに貢献できることを嬉しく思います。いつかアフガニスタンの治安状況が改善し、国際スタッフも再びアフガニスタンに駐在できるようになることを願っています。

イスラマバード事務所長 アズマット・アリ

1月 17, 2013 事務所・スタッフ |

2012年11月29日 (木)

イスラマバード事務所の誕生日会

 こんにちは。JENアフガニスタン事業のプログラムアシスタントとしてイスラマバード事務所に勤務しているシャヒッド・カーンです。
 今回は、JENイスラマバード事務所で去年から習慣になっている「スタッフ誕生日会」についてお伝えします。

 一般的には、誕生日を想像する時に思い浮かぶのは、ケーキ、バルーン、プレゼント、パーティー等だと思います。ですが、イスラマバード事務所ではそのようなイメージとは異なる形でスタッフの誕生日をお祝いしています。
ここでの誕生日会はとてもシンプルですが、スタッフ皆を元気にしてくれます。その方法とは、誕生日の主役自身がケーキを用意して、他のスタッフからお祝いの言葉をもらい、皆でお茶と一緒にケーキを楽しむ、というものです。

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 個人的には、この15分間のイベントはとてもポジティブな習慣だと思っています。この誕生日会でケーキを楽しみながらスタッフ同士で何気ない会話をすることで、スタッフが忙しい仕事のストレスから解放され、息抜きをする機会となるからです。スタッフ全員からお祝いの言葉をもらう、という部分も、やる気とモチベーションアップに繋がります。

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 また、この誕生日会で最も重要なポイントは、チームビルディングの機会をインフォーマルな形で実現できる、ということです。誕生日会はリラックスした雰囲気で、普段一緒にしている仕事を超えて、スタッフ同士がお互いについてよく知ることができます。このような繋がりによって、チームがゴール達成へ向けてより一層団結して働くことができると思うのです。

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 スタッフ同士の繋がりや、やる気の向上、チームを一つにするという意味で、私は職場でこのようなイベントが推奨されるべきだと思います。

11月 29, 2012 事務所・スタッフ |

2012年11月15日 (木)

職員研修

 以前この支援速報で、セキュリティー・トレーニングについて報告しましたが、JENには外部の専門家による研修だけではなく、団体内で行う研修も多くあります。各スタッフが持つバックグラウンドや専門性が多様なことと、支援内容が画一的ではないからです。

 
 JENの活動は、「どのような支援がしたいか」ではなく「どのような支援が現地で最も必要か」を基準にしており、必要な支援の実現のためには多方面の知識と広い視野が必要です。例えば、セキュリティー以外にも、一般的なプロジェクトマネージメントや、ジェンダーといったテーマの研修も行います。

 このような研修は国際スタッフだけではなく、事業地の現地職員同士でも行います。11月上旬、アフガニスタンでは、職員のコミュニケーション向上と情報共有の効率化のための研修を、現地職員のみで行いました。

 JENではアフガニスタンの支援活動を国際スタッフがパキスタンのイスラマバードから管理しており、現地職員との連絡をメールと電話を中心に行っています。そのため、コミュニケーションスキルは事業の要となっており、全員の能力向上は欠かせません。

 今回は現地職員の中で、コミュニケーション分野での専門知識を有する経験豊かなスタッフが講師となり、自主的に研修を行いました。このような研修を通じてスタッフの能力・組織力を高め、より効率的で質の良い支援を行えるよう、今後とも尽力してまいります。

11月 15, 2012 事務所・スタッフ |

2012年10月 4日 (木)

セキュリティー・トレーニング

 JENアフガニスタンで経理・総務を担当している二村です。JENでは現在パキスタンのイスラマバードにアフガニスタンとパキスタンの現地スタッフを呼びよせ、国際スタッフを含む総勢11名が5日間のセキュリティー研修に参加しています。研修の内容は多岐に渡っており、事前準備、危険の回避・対応・救助法等々、密度の濃い内容となっています。両国とも事業を実施するにあたり治安対策が重要なため、スタッフは真剣に研修を受講しています。

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 その中で、緊急支援での物資配布事業の事例が紹介されました。その事例は、ある途上国で食糧支援を行おうとしたものの、結果的に暴動に発展してしまったというものでした。人道支援の現場では、そのような事態を防ぐために、物資配布を行う際には「コミュニティーのリーダーと入念な調整をする」、「支援物資は支援対象者の目に触れないところに保管して一人ずつ配る」等の点に配慮します。

 私も、2011年の3月末から東北で緊急支援物資の配布を実施しました。当時は緊急人道支援での経験が浅く、上記のような基礎知識を持ち合わせておりませんでした。

 また、今回の研修では食料・水・地図等、事業地へ行く際の必須携帯備品についても学びました。2011年3月当時は余震が多く、万が一、道路の封鎖によって孤立してしまっていたら、多くの方に多大なご迷惑をおかけしたであろうことが今考えると容易に想像できます。

 今回のトレーニングを受けて、人道支援に携わる者として、まだまだ学ぶべきことがあると痛感しています。また、海外でも日本でも支援の現場で共通する心得はたくさんあります。皆様のご支援でよりよい事業を行えるように、この研修で学んだことを活かしていこうと思います。

10月 4, 2012 事務所・スタッフ |

2012年9月 6日 (木)

イスラマバード長期出張から見えるイスラム文化

 東京本部でアフガニスタン事業を担当している藤田めぐみです。 2012年の88月10日からパキスタンのイスラマバード事務所に長期出張にて来ております。到着してからまだ日が浅いのですが、パキスタンの首都であるイスラマバードや文化について感じたことを少しご紹介させていただきます。

 イスラマバードは緑豊かで、自然あふれる都市であります。実際に出張前のイスラマバードに対する自分が持っていた印象とはだいぶ変わりました。いたるところに緑があり、鳥のさえずりが聞こえてきます。JENの事務所内でもキツツキを何度か見かけました。町中には緑の生い茂る大きな公園、丘もいくつかあり、人々が家族や友人と共に来ています。また、イスラマバードには南アジア最大のファイサル・モスクもあります。

【丘の上から見えるイスラマバード】
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【丘の上のレストラン(MonalMonal)からのイスラマバードの夜景、アズマット・アリ撮影】
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【ラマダン時期のファイサル・モスクの夜の風景、アズマット・アリ撮影】
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 自分が到着した時期はイスラム教のラマダンである断食月(7月20日~8月18日)にあたり、イスラム教の人々は日が出ているときは食事を一切とることが出来ません。日没後から夜明け前までは食事をとることができます。日中は欧米系のファーストフードの飲食店などを除いては、全ての飲食店は閉まっています。イスラム教ではラマダンで、食べられないことを体験することによって、食べ物へのありがたみを得るとも言われています。

 また、イスラム教徒の人々は1日に5回お祈りをします。JENイスラマバード事務所の職員も事務所にてお祈りをしています。金曜日は、イスラムの祝日であり集団礼拝があり、お店などを閉めて、お祈りに行きます。 様々なお店が並んでいるマーケットのすぐ近くには必ずモスクがあります。生活の身近に宗教があり、生活と宗教が自然なかたちで一体となっているのを感じました。

 イスラム・ヒンズーの伝統習慣である、「メンディ」を体験してみました。メンディはヘナ(Henna)という植物の葉をペーストして、皮膚などに模様を描きます。パキスタンではメンディは化粧としてだけではなく、結婚式のときには手の平や甲に模様を描きます。また、メンディは「幸せ」や「幸運」を表すシンボルとも言われています。

 ペーストされたヘナは生クリームを出すような容器に入っており、絞りだしながら模様を描いていきます。ヘナが乾いたら、取り除き、模様が長持ちするように水と砂糖を混ぜたものをふりかけます。人によって違うのですが、模様は約1週間から2週間ぐらいは消えずに残ります。日本の美容院でもヘナで髪を染めたことのある方もいらっしゃるかと思いますが、ここでのメンディに使われるヘナとまさしく同じものです。

【メンディを描いているところ。描き手はJENイスラマバードの職員】
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【メンディを乾かしています】
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【メンディの出来上がり】
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 今後とも、長期出張中に、イスラム文化、生活や人々についても深く知り、さまざまな発見をしていきたいと思っております。日本ではなかなか伝えられないパキスタンの美しい文化、生活、人々などについてもお伝えしてきたいと思っております。

9月 6, 2012 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2012年7月26日 (木)

新スタッフ紹介

 私の名前はフメイラ ・ワハビです。7月22日よりアフガニスタン事業の総務・会計アシスタントとしてイスラマバード事務所で働き始めました。アフガニスタン事業に関わる現地職員の中では、初めての女性職員となりました。

 私はペシャワール大学でマーケティングと金融学を学びました。
2010年に卒業してから念願だった人道支援業界に足を踏み入れ、国際NGOIでの2年半の勤務を経て、この度JENへ転職しました。
 JENで働けることはとても嬉しく、またアフガニスタンの支援に携われることを誇りに思います。

 私は「失敗は成功の元」という言葉を信じており、JENのスタッフからたくさんのことを学びたいと考えております。ここの皆さんと楽しく、良い仕事ができることをとても楽しみにしております。

 私をここまで温かくサポートしてくれた家族に感謝します。

 (総務・会計アシスタント フメイラ ・ワハビ)

7月 26, 2012 事務所・スタッフ |

2012年6月14日 (木)

イスラマバード出張

 東京本部でアフガニスタン・パキスタン事業を担当している安藤怜子です。
 6月1日~6月7日にかけて、海外事業部部長と共にイスラマバードへ出張をしてきました。今回はその出張中の様子をお伝えします。

 JENのアフガニスタン事業は、治安上の理由から国際スタッフがアフガニスタン国内に駐在することができない為、国際スタッフ4名はパキスタンの首都・イスラマバードに駐在し、遠隔管理をしています。

 アフガニスタン国内には首都カブールとパルワン県のチャリカ地区の2箇所にJENの事務所があり、現地スタッフが事業活動を実施しています。今回はそこから3名の現地スタッフをイスラマバードへ呼び寄せ、ミーティングを行いました。

 ミーティングでは、主に今後のアフガニスタン事業戦略と、治安対策について話し合いました。JENが現在活動しているパルワン県は比較的安全とされていますが、残念ながら治安改善の兆しは見えず、慎重に活動を進める必要があります。
 大きな地図を広げ、今後どの地区にどの順番で進んでいくのか、どのように移動をするのが安全か、来年(2013年)はどこに拠点を置くべきかなど、真剣に話し合いました。
 



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 国際スタッフが現場を訪問することができない中、現地の様々な情報を共有してくれる現地スタッフは、本当に頼もしい存在です。

 お昼は同じくイスラマバードに集合したパキスタン事業の現地スタッフも一緒に、事務所近くのレストランでパキスタン料理を堪能しました。
 

 
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 アフガニスタン事業の成功には現地スタッフ・国際スタッフ・本部スタッフの連携が不可欠です。頻繁に会って話し合うことはできませんが、より良い支援を行う為に、それぞれの場所から最大限の努力をしていきたいと思います。

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6月 14, 2012 事務所・スタッフ |

2012年5月31日 (木)

~新スタッフ赴任~

新しくパキスタン事務所に赴任してまいりました二村 輔です。
パキスタンは暑い国なのだろうと思っていたら、やはり暑いです。
こんなに暑いのをパキスタンの方々はどう思っているのか聞いてみたら、やはりみなさんも暑いそうです。

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さて、私が住んでいる首都のイスラマバードは、英語が通じ、木々と野鳥が多く住み心地の良い都市です。日用品の調達には事欠かず、輸入食品や電化製品も売っています。ただし、この快適さはパキスタンの一部でしかなく、一歩外に出れば困難な生活を強いられている方々はたくさんいます。駐在中はたくさん話を聞き、目で見て肌で感じ、より良い支援事業を行えるように見識を磨いていこうと思います。
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私は昨年の4月からJENに入り、東北の支援事業を担当しておりました。東北では個人・団体・企業を問わず、国の内外からたくさんの方々が駆けつけてくれました。直接足を運ぶことが困難な方にも様々な形でサポートしていただき、たくさん学びたくさんお世話になりました。

パキスタンは日本にとっては遠い異国ですが、良い支援事業を行って東北のようにたくさんの方々から応援していただけるよう一意専心励みます。
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5月 31, 2012 事務所・スタッフ |

2012年2月 2日 (木)

新スタッフ自己紹介 ~ナイーム・カーン (総務・会計アシスタント)~

今回、JENの新しい職員として自己紹介ができることを光栄に思います。

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 私は、両親や母校(パキスタン・ハイバルパクトゥンハー州マラカンド大学)の教授の影響で、学生時代から人道支援に携わりたいと思っており、同教授方よりSWIFT(Society for Welfare Interaction&Tours) という学生福祉団体の代表に任命されていました。

 この団体は支援を必要としている学生を金銭面・道徳面など多方面からサポートする非政治・非営利の活動を行っており、大学副総長から大学史上の模範と称して頂いたこともありました。

 大学で経営学学士号を取得後、私は民間企業の人事部に就職しました。そこで私は人事・総務に関する知識を身に付けた一方、学業も並行して継続し、2年間で人材マネジメント学修士課程を修了しました。

 同企業での3年8ヵ月の経験と、修士号取得で自信を付けた私は、念願の国際NGOに入職し、事業が目標を達成し終了するまでの1年間、国際スタッフと共に働くことで、更にたくさんのことを学ぶことができました。

 JENのイスラマバード事務所でアフガニスタン事業に携わり、再び人道支援の為に働けることを、私は幸運に思っています。

 チームの仲間は皆とても協力的で、目標に向かって意欲的に働く姿はまさにプロフェッショナルです。
 また、ここで私は職員のキャリアの発展が個人の成長につながっていることに気づきました。

 このような環境は、長い間困難な生活を送ってきたアフガニスタンの人たちを支援していく中で、プラスに働くと思います。

 アフガニスタンの現地スタッフも、人望が厚く、協力的で、目標に向かって意欲的に働いています。

 私の目標は、本当に支援を必要としている人たちに人道支援を実施するJENのような団体で、専門的に、そして自発的に働いていくことです。

 私をここまで導いてくれた両親と教授方に感謝します。

2月 2, 2012 事務所・スタッフ |

2011年12月15日 (木)

JENスタッフ集合

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2011年12月11日より2日間で、アフガニスタンで活動する現地スタッフ5名がイスラマバード事務所へ集結し、2011年度事業の見直しや次年度事業の打ち合わせを実施しました。

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 同期間中に、パキスタンのデラ・イスマイル・カーンからも、パキスタン事業を担当する現地スタッフ6名が集合し、この2日間は両国の現地スタッフがお互いを刺激し合う良い機会になりました。
 

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 打ち合わせが終了すると、スタッフ全員でパキスタン料理の夕食を共にしました。

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また、夕食後には両国で実施している支援事業の発表会も行いました。各国事業のプレゼンを通して、イスラマバード駐在スタッフは現場の様子をより深く把握することができ、アフガニスタンとパキスタンの現地スタッフも相互理解を深めることができました。

 今回共有された各現場での有益な実例は、それぞれの国の現地スタッフがより良い支援活動を実施していくための参考として、役立てていくことができます。

 アフガニスタンを含むJENの各国での支援活動は、皆さまのご支援により支えられております。スタッフ一同、心より感謝しております。

最後になりましたが、アフガニスタンの現地スタッフからの感謝のメッセージをお届けいたします。

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===== ご報告 =============

平成23年度 外務大臣表彰受賞しました。

これまで、JENの活動を温かくご支援くださいました、

支援者の皆様に、深く感謝申し上げます。

詳しくは、こちら

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12月 15, 2011 事務所・スタッフ |

2011年10月20日 (木)

セキュリティ研修でスキルアップ

 10月2日より5日間、JENアフガニスタンとパキスタンスタッフ合同のセキュリティ研修を行いました。
参加者は、アフガニスタンとパキスタンの支援現場で活躍するマネジャークラスの現地スタッフ7名と、イスラマバード事務所に駐在する国際スタッフ2名です。

 上記スタッフが全員イスラマバードに集合し、イスラマバード・ポリス・アカデミーで研修を受講しました。

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 本トレーニングは、「パーソナル・セキュリティ(個人の安全)」と「セキュリティ・リスク・マネジメント(SRM=安全上の危機管理)」の二つのワークショップで構成されました。
フィールドで活躍する現地スタッフが、日常的に、また緊急時にも活用できる、アフガニスタンとパキスタンの地域に特化したプログラム内容でした。

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 普段身の回りで起こりうる様々なリスク、アフガニスタンとパキスタンの地域特有なリスク、危険地でのリスクについて、2人のセキュリティ・トレーナーによる解説や動画、グループディスカッションなどを通し、内容を把握していきました。

 そのリスクをマトリクス表にまとめ、評価し、管理する練習も実施しました。さらに、それらのリスクにどのように対処していくか、実際にチームに分かれて模擬訓練を行いました。

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 具体的には、人命救助、応急処置、GPS使用方法、ストレス・マネジメント、危機管理・危険回避の実践形式の訓練など、実用的な講座がありました。

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 JENが事業活動をしている地域の多くは、危険のリスクと隣り合わせです。そのような状況下では、特に現場のスタッフが現場での様々なリスクを把握し、それを対処できる能力を持つようになることが、とても大切です。

事業を運営するに当たり、訓練で経験したようなことが実際に起きないようにリスク管理に努めていかなくてはなりません。

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 引き続きアフガニスタンとパキスタンの支援を必要としている人たちをサポートするために、円滑な事業運営を努めていきます。

===== ご報告 =============

平成23年度 外務大臣表彰受賞しました。

これまで、JENの活動を温かくご支援くださいました、

支援者の皆様に、深く感謝申し上げます。

詳しくは、こちら

10月 20, 2011 事務所・スタッフ |

2011年6月16日 (木)

The Bananas

 アフガニスタン事業の遠隔管理拠点であるJENのイスラマバード事務所は、今年の1月に新しい事務所へ引っ越しました。お庭には、なんと、バナナが植わっています。
             

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 連日40度前後という猛暑が続き、気づけばお庭のバナナも大きく実っていました。収穫の時です。

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 いつもバナナの様子がとても気になっていたJENのドライバーのヤクーブおじさんが、バナナを切り落とす出番がついにやってきました。
     

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 大きなバナナの房を収穫できたヤクーブおじさんは、とっても満足できたようです。

           
 早速、JENスタッフでバナナの味見をしてみました!
(ちなみに、スタッフの背景の小さな畑で、トマトやオクラ、苦瓜など無農薬の家庭菜園を始めました。こちらも収穫できるのが楽しみです。)
   

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 ちょっとまだ渋みはありましたが、とっても美味しかったです!

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(左から:総務・会計担当 牛久保純平、プログラムオフィサー 鎌田真也、事務所長 アズマット・アリ・シャー。撮影:プログラムオフィサー 荒木名穂子)

6月 16, 2011 事務所・スタッフ |

2011年5月19日 (木)

新スタッフ紹介―ファルハド―

 私の名前はファルハド・ファトワトです。1984年に生まれ、アフガニスタンのヘラート州で育ちました。2002年にスルタン・ゲヤスディン・ゴリ高校を卒業し、2006年にヘラート大学の土木工学の理学士号を得ました。それから母国のアフガニスタンで、さまざまな組織で再建の仕事に携わってきました。

 ある日、JENが行っている支援活動の話を耳にしました。そのときから、この様な団体で仕事をしたいと熱望していました。幸運なことに、2011年3月30日よりJENチャリカ事務所でシビル・エンジニアとして入職することができたのです。

 アフガニスタンは30年間に渡る紛争の末、経済や社会、健康、教育、農業、そして建設などの多くの分野が壊滅しました。今はその穴を埋める時です。私の夢はアフガニスタンを立て直し自らの足で生きていくことで、これは国民みんなの願いでもあります。私たちはすべての側面において復興が進んでいくことを願っています。

 アフガニスタンの人たちは、平和と安定、そして国全体に復興の手が行き届くことを願っています。
国民のみんなが、この願いに誠実に働きかけていけるように、力になっていきます。

 シビル・エンジニア ファルハド・ファトワト

5月 19, 2011 事務所・スタッフ |

2011年4月28日 (木)

私の名前はハミーデュラ・ハミドです。

 私はパキスタンの難民キャンプに生まれ、育ちました。パキスタンの高校を卒業後、勉強を続けるためにアフガニスタンの大学に入学することを決意し、アフガニスタンに移住しました。2008年には家族が移住してきました。アフガニスタン・ナンガルハール大学農学部の学士号を得た後、2011年にアラマ・イクバル公開大学で人材マネジメントのMBAを取得しました。2008年以降は、地域の改善のための仕事に携わってきました。

 110428 ジェンが、アフガニスタン難民の生活のさまざまな側面に対して支援活動を実施していることを知ったときには、とても感激しました。幸運なことに、2011年3月30日より、ジェンのアフガニスタン事業のフィールド・オフィサーという役割を得ることができました。

 ジェンでの仕事は、懸命に働ける機会であるだけでなく、アフガニスタンの次世代の人たちのために明るい未来を作り上げていくことに貢献する、という熱意を抱かせてくれます。私は、勤勉さこそが私たちと次世代の人たちの明るい未来を保証する要素だと信じています。

「私たちアフガニスタン人は、自由と自然と調和を愛しています。私たちにとって、空はベッドであり、月はランプ、山は家、雪は毛布です。そして敬意と愛が私たちの文化であり自然です。私たちは、そよ風の音楽を聴き、天国のような故郷に住んでいます。今こそ一つになり、世界中の人たちのために、そして大自然の楽園であるアフガニスタンのために、共に働いていきましょう。」

フィールド・オフィサー ハミーデュラ

4月 28, 2011 事務所・スタッフ |

2011年4月20日 (水)

新スタッフ紹介(2)

 4月4日に、パキスタンのイスラマバードにある、ジェン事務所に到着しました。これから、この遠隔管理拠点より、アフガニスタン事業を担当していきます。110421

 学生時代は音楽に没頭していたこともあり、ジェンに入る前までは音楽放送会社に勤務していました。なに一つ不自由のない生活の中で、ふとしたときに、そんな生活のままでいいのか、何かの力になれないか、という想いをいだくようになっていました。そんな折、世界各地で紛争や災害などの被災者の支援をしているジェンと出会い、2010年8月から一員になりました。
 
 ジェンに入った当初は、パキスタンの大洪水が発生した直後で、パキスタン事業の本部担当として支援に携わることができました。その間にパキスタンという国の事を学び、実際に訪れてみたいと思っていました。

 今は願いが叶い、実際にパキスタンにいます。これからはアフガニスタン事業の担当として、心機一転、精一杯頑張っていきます。みなさまのサポートをアフガニスタンの助けを必要としている人たちに届けてまいりますので、よろしくお願いいたします。

 アフガニスタン事業担当 プログラム・オフィサー 鎌田真也

4月 20, 2011 事務所・スタッフ |

2011年3月31日 (木)

新スタッフ紹介 

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2月から、海外事業部のプログラム・オフィサーになりました。東京本部にてアフガニスタンを担当しております。
このチームに入る前は、民間企業で靴の輸入業務に携わっておりました。
前職からの大きな方向転換ではありますが、以前アフリカ・ザンビアで国際協力のボランティア活動に従事していた時期もあります。
NGOの分野は初めてですが、精一杯がんばります。
よろしくお願いいたします。

(アフガニスタン事業担当プログラムオフィサー 木村哲郎)

3月 31, 2011 事務所・スタッフ |

2011年3月17日 (木)

スタッフの自己紹介とアフガン農業についてのトピック

110317_jumadar 私はジュマダルと申します。1958年ジャララバード市に生まれ、チャパルハール高校を1977年に卒業しました。高校卒業後、カブール建設技術工科大学で学びました。1982年に同大学を卒業し、その後29年間、種々の企業のエンジニア部門に勤務しました。そして2011年2月20日より、アフガニスタン・パルワン事務所において、ジェンのスタッフとして勤務しております。

アフガニスタンの農家の様子

アフガニスタンの農業には昔ながらの農法が今も広く残っております。アフガンの農家は、どんな土地が農業に適しているか知らない状態です。また、どんな水が灌漑に適しているのかの知識、植物ごとの季節の適性についての知識も、あまりありません。さらに、農地ごとの養分組成とそれに適した作物種についての知識も乏しいのです。種を地中どれほどの深さに埋めるのか、いつ灌漑を行うか、2000平方メートルの農地にどれほどの数量の種子を播くべきか、といったこともよく知りません。

しかし農業部門は、国内および国際的な支援の協働により、日々発展をとげつつあります。

近い将来、アフガニスタンの農業が、よりすぐれたシステムとエキスパートたちによって発展していくことが、私たちの望みです。

ジュマダル

3月 17, 2011 事務所・スタッフ |

2011年2月17日 (木)

引越しに必要なもの

 アフガニスタン事業の遠隔管理拠点であるイスラマバード事務所が、1月中旬に移転しました。

 新事務所での仕事環境をなるべく早く整えようと思い、移転前から時間を見つけては準備を進めていました。しかし、実際移転すると、基本インフラほぼ全て(水、電気、ガス、電話、インターネット、、、)に問題が発生したのです。

 協力的な大家さんのもと、問題を一つ一つ解決していったのですが、ここは日本ではありません。

 今日来ると言った修理業者が一向に現れないのは当たり前。一度状況を見に来て、またすぐ来ると言っても現れず、次の日に来ることもしばしばありました。新事務所用のデスクセットを購入しても、約束の時間に届けてくれることは皆無でした。

 
 さて、最近ようやく、問題が落ち着いてきました。そこで思うのが、、事務所の移転も、支援活動の一例だということ。事業を遂行するためには、我々の想像以上に時間がかかります。継続してより良い支援を行なっていくためには、忍耐力が必要です。事務所の移転だって、例外ではありません。

移転から約1ヵ月が経過した今。事業に集中できる環境が整いつつあります。

Cimg1238_ks_2 新しい事務所の大きな窓からは、いつも明るい光が入ります。

2月 17, 2011 事務所・スタッフ |

2011年2月 3日 (木)

新スタッフの自己紹介

 110203_ajmal_acciri_3 私はこの度JENのアフガニスタン事業で働くことになった、アジュマリ・アシリと申します。カブール医科大学を卒業して、現在30歳になります。

 私はこれまでアフガニスタンの団体や外国の団体で様々なプロジェクトに参加してきました。
 今年の1月からはパルワン県の北部でJENが実施している衛生教育プログラムで、忙しく働いています。

 私は以前、アフガニスタンの公衆衛生省でソーシャルモービリゼーション・コーディネーターとして働いていました。この時は“参加型学習と行動”というプロジェクトのリーダーを務め、プロジェクト対象地域の人たちで構成される地域開発委員会の設立を支援しました。

 また、農村復興開発省で働いていた際には、カブールの衛生教育担当官として衛生教育プロジェクトに参加しました。私はプロジェクト開始前に地元の人びとの衛生に関する知識や習慣に関する調査をし、その後で政府の基準そって衛生教育トレーニングを実施していました。

 今後は私の経験を活かして、パルワンの人びとの衛生状態の向上に貢献したいと思います。
 よろしくお願いいたします。

 アジュマリ・アシリ

2月 3, 2011 事務所・スタッフ |

2011年1月20日 (木)

新しいスタッフが仲間入りしました。

1101120_m_shahid_khan  JENのアフガニスタン担当経理・総務アシスタントとしてJENイスラマバード事務所で働くことになったムハンマド・シャヒド・ハーンです。
今日は私の自己紹介をしたいと思います。

 私は、1984年にパキスタン北部の丘陵地帯にあるチトラール県の小さな町で生まれました。その頃私の父は、パキスタンのハイバル・パフトゥンハー州第2の都市・マルダンで働いており、家族でこの町に移住しました。この町で2003年まで学校に通った後、パキスタン最大の経済都市であるカラチに行き、ITの学位を取得しました。パキスタン中から様々な異なる文化の人たちが集まるこの大都市で人びとと交流したことは、私にとって貴重な経験になりました。

 その後はマルダンに戻り、2009年に地元の大学でMBAを取得しました。ちょうど私がマルダンで在学中の2008年に、パキスタン軍が北西部部族地域の武装勢力を掃討する作戦を開始しました。その結果、何千家族もの人びとが州都ペシャワールやマルダン、その他の都市にIDP(国内避難民)として避難し、ある家族はホストファミリーの家に滞在し、ある家族はキャンプで生活し始めました。私は友だちと一緒に、大学の講義の後にボランティアでIDPの人びとの支援を始めました。その時にキャンプである地元のNGOの人と知り合い、経理・総務アシスタントして働くことになりました。

 このNGOはしっかりした仕組みや組織を持つ団体ではありませんでしたが、この時の経験が私のキャリアの大切な出発点になりました。2010年4月にはOTIという団体で、パキスタンのFATA(連邦直轄部族地域)のバジョール管区で働くことにしました。ここはパキスタンで活動する武装勢力の拠点の1つであるため、世界で一番過酷な勤務地の1つです。私はここで、どんな状況下でも働けるという自信を得ました。

 そして現在、私はJENで勤務しています。仕事の環境や同僚はとても素晴らしく、これから長く働いていきたいと思っています。

1月 20, 2011 事務所・スタッフ |

2010年12月 9日 (木)

アフガニスタンの再建に関わる

 30年以上に及ぶ戦争を経験したアフガニスタンでは、多くの民間企業や政府の建物が破損したり、ときには崩壊したりしました。病院、学校、農業施設や道路などが壊れているため、病気の人々がテントで治療を受けたり、子どもたちがテントやモスクで勉強したりしています。

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 選挙によって発足した新アフガニスタン政府は、こうした状況をうけて、ビルや道路のインフラ建設に力を入れています。その結果、住宅建設分野の民間企業と市場が生まれ始めています。病院や学校、農業施設といった公共施設もNGOや国連機関の支援により修復されています。近隣諸国の協力により、道路建設も進んではいます。

 しかし、インフラ再建はまだまだ十分とは言えず、現場は依然大きなニーズを抱えています。それに、アフガニスタンでは質の高い建設工事のできる会社はまだ限られています。

 私はJENのエンジニアとして採用され、アフガニスタンの再建に直接携われることを誇りに思います。これからも、私たちの国に必要な知識を学び、必要なものやサービスを人々に供給していきたいと思います。

 JENアフガニスタン エンジニア
 ナジブラ・ハリルザイ

12月 9, 2010 事務所・スタッフ |

2010年10月28日 (木)

一時帰国を終えて

101028_1  イスラマバードに赴任後1年間、現地で喜怒哀楽さまざまなことを経験し、今回日本へ一時帰国する機会を得ました。
 帰国中の数日間は、主に支援者の方々への訪問や報告を行いました。普段は話をする機会のない方々と会って話をする中で、こうして支えて下さっている方々の存在があるからこそ出来る現地での事業だということを、再認識しました。
また、現地での日々の業務に追われる中でも、受益者の方々とともに忘れてはいけない支援者の方々の思いを、あらためて実感した日本滞在となりました。

 頂いた大きな力を秘めて、心新たにイスラマバードで頑張っていきたいと思います。
今後も、JENのアフガニスタン・パキスタン事業をご支援いただけますよう、よろしくお願いいたします。

101028_2  イスラマバード事務所 総務・経理担当 牛久保純平

10月 28, 2010 事務所・スタッフ |

2010年10月14日 (木)

日本の成功とアフガニスタンでの活動

 
 私の夢は日本の成功の鍵を学ぶことです。なぜなら、日本は天然資源が少ないにも関わらず、国際貿易では最先端を歩んでおり、世界有数の経済大国だからです。

 私はJENのアフガニスタン事業の経理・財務担当として2010年5月29日より勤務しています。私が受け取る書類のほとんどはペルシャ語やダリー語で書かれており、翻訳にとても苦労します。そのためインターネットや電話を通して口頭でやりとりすることになります。カブール銀行から受け取るJENの銀行口座計算書がパキスタンのものとは違い、初回取引がページの下から始まり一番上で終わっていることにも戸惑いました。JENで働き始めてから、初めての経験をたくさんし、多くのことに気づく日々です。
 
 日本人スタッフとともに働き、彼らを観察した結果、ある結論にいたりました。まず、彼らは使ったものや散らかしたものを綺麗に直すように気を配ります。次に、彼らは事務所で働いている間は仕事に集中して、政治問題や国別の問題などを議論しようとしません。そして一番重要なのは、日本の人はとても正直で、熱心で、勤勉だということです。彼らはほかの東南アジアの人々と異なり、汚職や個人的利得を得ることを嫌がります。そしてそれぞれの国の法律や起訴手続きを厳守します。こういった理由によって、日本は世界で最先端を歩む国のひとつになったのではないでしょうか。

 アフガニスタンは世界で最も豊富な天然資源を持つ国のひとつです。多くの国民がその資源を活かすための知識や技術を習得し、専門の大学が設立されれば、アフガニスタンがよりよい国になるのではないか、と思います。

 会計業務担当 カイゼル・カーン

アフガニスタン活動報告会開催!

2010年10月21日(木曜日)

18:30~20:30

@JEN 東京本部事務局

お申し込みは info@jen-npo.org

10月 14, 2010 事務所・スタッフ |

2010年7月22日 (木)

JEN現地スタッフ、サイード・イナヤトゥラ・ハシミの言葉

 私は1976年にアフガニスタンのパルワン県で生まれました。まだ幼いころにロシアとの戦争が始まり、8歳のときに父、母、3人の兄弟と共に、難民として国境を越えパキスタンのペシャワールへと避難しました。小さかったころアフガニスタンで聞いた砲撃や銃撃戦の音は、今もなお、はっきりと耳に残っています。

 避難先で大学を卒業し、2003年にアフガニスタンに帰還できた時は本当にうれしかったです。長い戦争がやっと終わり、人々が仕事を持つことができるようになったからです。また、たくさんの支援団体が、それぞれの活動を通じて私たちの国の復興と発展に貢献して下さったことには感謝しています。

 私には子どもがいます。質の高い教育を受けて、将来アフガニスタンと国民のために働いてほしいと願っています。

7月 22, 2010 事務所・スタッフ |

2010年1月21日 (木)

来年の休日は?

 アフガニスタンでは、イランのペルシャ暦を採用しており、新年の幕開けは春分の3月21日頃になります。

 日本の年末年始に、JENアフガニスタンにおける2010年の休日日程を確認していた時のことです。現地の政府、大使館などに問い合わせてみても、正確な休日の日程はまだ誰もわからないという回答なのです。インターネットで調べてみてもその情報源によって日程が若干ずれており、新年の3月にならないと、2010年の休日が確定されないとのことでした。

 さらに、宗教上の休日はイスラム暦に従って定められており、月齢により数日前に変更されることもあります。

 西暦との違いがあるとはいえ、次年の休日が決まらず予定がたてられないのではないかという心配をしているのは、日本人である国際スタッフだけなのでしょうか?現地アフガニスタンのひとびとの予定が気になります。

1月 21, 2010 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2009年10月 8日 (木)

イスラマバードで新たに

 10月5日にイスラマバード事務所に着任しました、牛久保純平です。

 主に、総務・経理担当としてアフガニスタン、パキスタンの事業に貢献できるよう頑張っていきます。今後、現地スタッフや関係団体を始め、仲間と良い関係を築くことが、当面の目標です。特にアフガニスタンの活動に関しては、2007年以来、遠隔管理体制で行なっているために、スタッフ同士が顔を合わせて話す機会が限られます。そのため、互いに意識して密に連絡を取り合う必要があります。

 イスラマバードは東京と比べると日中はまだ暑いですが、夜は涼しく感じられます。そのためか、アザーン(イスラム教徒への礼拝の合図、呼び掛け)が目覚まし時計となった初日の朝は、さわやかに迎えられました。こうした日常の喜び・楽しみを大切にしながら、生活を送っていこうと思います。

 支援者の皆さま、今後も更なるご支援をどうぞよろしくお願い致します。

10月 8, 2009 事務所・スタッフ |

2009年7月16日 (木)

チームワーク2

7月6日の深夜、東京本部事務局でアフガニスタン・パキスタン事業を担当するプログラム・オフィサーがイスラマバードに降り立ちました。
深夜にも関わらず空港は人で溢れており、パキスタンの暑さそして熱さを感じます。

翌日からは、既にパキスタン入りしていたアフガニスタン人スタッフ、パキスタン人スタッフを含め、「1チーム=2プロジェクト」の合言葉のもと、早速それぞれの国のプロジェクトの壁を取り払って情報交換をする会議が始まりました。
事業の進捗状況、課題、今後の戦略等の意見交換が行なわれます。普段お互い顔を見て話せていなかったこともあり、予定していた会議時間はあっという間に過ぎてゆきました。

ある晩、スタッフ全員で丘の上にあるパキスタン料理を食べに行きました。
丘の上からの夜景は一見の価値あり。時刻は21時を過ぎており、また平日でしたが、レストランには家族連れが多く、満席で活気付いていました。
おいしい料理を囲みながら、仕事以外のこともいろいろと話をしました。
ここはイスラムの国。お酒を飲みながら、というわけにはいきませんでしたが、スタッフ同士がお互いを理解する良い機会となりました。

治安の問題もあり、国際スタッフが支援現場へ行くことはかないませんでしたが、普段は日本とアフガニスタン、パキスタンと離れた地域で一緒に仕事をしているチームが、初めて顔をつき合わせて行った会議は、とても有意義でした。
今後、プロジェクトを推進していく上で良い影響を及ぼすことは間違いないでしょう。
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7月 16, 2009 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2009年7月 2日 (木)

チームワーク

 ジェンは現在、支援者の皆様そして日本政府の協力を得て、パルワン州チャリカで学校再建を行っています。アフガニスタンの治安が悪化の傾向にあるため、パキスタンのイスラマバードに駐在する国際スタッフ2名が、現地のアフガニスタン人スタッフとやり取りをしながら、プロジェクトを進めています。

 学校再建の現場で指揮を執るアフガニスタン人マネージャーが、7月上旬、イスラマバードへ出張することが決まりました。これに合わせ、東京からもアフガニスタン担当者がイスラマバードに出張し、めったにできない全体ミーティングを開くことになりました。

 アフガニスタンからは、隣の国パキスタンまでの飛行機が週に数便と少なく、ビザ申請手続きにも4日くらいかかります。また、東京本部スタッフの日程調整にも時間を要し、一堂に会することの難しさを感じています。

 普段はインターネット電話や携帯電話、メールなどの通信手段で、アフガニスタン、パキスタン、東京にいるスタッフが密にコミュニケーションを取り、強いチームワークのもとで活動しています。しかし、やはり顔を合わせて話をすることで、よりお互いを身近に感じることができるのだと思います。

 スタッフがフェイストウフェイスで話し合いをするというのは非常に貴重で、有意義な時間になるでしょう。関係スタッフの誰もがこの機会を待ち望んでいました。そして、このミーティングが、より強固なチームワークを生む場となることを期待しています。

7月 2, 2009 事務所・スタッフ |

2009年3月31日 (火)

カブール事務所長Blog柴田哲子の「雲外蒼天」終了のお知らせ

2009年3月31日をもちまして、終了いたしました。

長きにわたり、皆さまからのサポートを賜りましたこと、

厚く御礼もうしあげます。

http://jen-afghanistan.cocolog-nifty.com/

JENアフガニスタンのプロジェクトは、支援スタート8年目を迎えた今年も、引き続き実施しています。今後とも、アフガニスタンの人々への温かいご支援をよろしくお願いいたします。

JENスタッフ一同

3月 31, 2009 事務所・スタッフ |

2009年3月26日 (木)

「修理名人」の病

090326_qsaim_car   アフガニスタンでジェンのドライバーを務めるカシームは、いつも支援活動へ一番乗りします。彼は、どんな仕事にも全力で、特に大切な車の整備をおこたりません。支援地の村々へ赴くと、一日の終わりには丁寧に車を磨きあげることも忘れません。それだけではありません。事務所の発電機などの修理も得意で、私たちは彼を「修理名人」と呼んでいます。

 そんな彼が先月、病に倒れました、左半身に麻痺が出ているそうです。倒れた直後、彼はパキスタンのペシャワールにある病院で治療を受け、今はアフガニスタンに戻り治療を続けています。みんな彼をおそった麻痺に驚き、心配しました。現在、彼は自宅で療養を続けており、医師によると適切な治療を受ければ、6ヶ月後には仕事に復帰できるとのことです。

 カシームがジェンで働き始めて4年になります。いまや、すべてのスタッフにとってとても親しみやすく、協力的な頼れる存在です。彼の一番の友人は、今はもう帰任した元現地駐在国際スタッフです。カシームは、何度も私たちローカルスタッフに数あるエピソードを聞かせてくれます。090326_p8140021_low_2

 家族の大黒柱であり、奥さんと2人の男の子、1人の女の子と生活しています。私たちは、彼が元通りに復帰するまで、彼と家族も支えを続けるつもりです。

 先日、カブール訪問しましたが、彼の不在がとても寂しく、主人のいない車を見るのはとても心が痛みました。彼の一日も早い復帰を私たちは祈っています。

3月 26, 2009 事務所・スタッフ |

2008年11月13日 (木)

パキスタンの仲間達と大自然 その1

 アフガニスタン国内の治安悪化のため、事務所をパキスタンのイスラマバーに開設し、遠隔管理体制に移ってから早1年が経ちました。

 事務所の立ち上げや、アフガニスタン事業のためのスタッフの新規雇用やトレーニングなど、この一年間にプロジェクトだけではなく、色々な総務の業務をおこなってきました。なかなかスムーズに調整できないことも多く、ストレス回避との戦いだったときもありました。今、振返ってみると、担当は違えども、すぐ近くにいたパキスタン事業のスタッフのサポートがあったからこそ、次から次へと起こる事態を乗り越えることができたと言っても過言ではありません。

 事業担当分野を超えたチームワークの理由は、国際スタッフをはじめ、現地スタッフが仕事だけでなく、趣味も共有しているからです。

* * * * *

Photo_3  今年8月、パキスタン事業担当でカシミールのカフータ事務所マネージャーのアズマット、同じくパキスタン事業担当でイスラマバード事務所アドミニオフィサーのシェザード、アフガニスタン事業担当でイスラマバード事務所アドミニオフィサーのウゼール、そして私、アフガニスタン事業担当のプログラムオフィサー山形太郎が半年以上前から計画を練ってきた、世界第3番目の長さを誇るバルトロ氷河の遠征に向かいました。

これから折に触れ、この遠征の続きをお伝えしたいと思います。Photo_2

(写真上:ラワルピンディで荷物の積み上げ<右からシェザード、山形、アズマッとト>)

(写真下:集合写真<スタッフ+遠征の準備のサポートをしてくれたスタッフの友達>)

11月 13, 2008 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2008年9月23日 (火)

9月24日朝 東京FMラジオニュースに出演します

明日24日の水曜日、東京FMクロノスでJENカブール事務所長・柴田哲子のインタビューが放送されます。
秋のはじまりに、是非朝のラジオ80MHzに耳を傾けてみてください!

番組名:東京FMクロノス(JFN全国38局ネット)
放送日:2008年9月24日(水)6:15am~
    *生放送のため変更となる可能性があります

9月 23, 2008 事務所・スタッフ |

2008年8月27日 (水)

アフガニスタンでのNGO職員誘拐事件ー2

ペシャワール会によると、アフガニスタン東部山中で発見された遺体は、8月26日に誘拐された同会の日本人職員、伊藤和也さんであると現地職員及び村人によって確認されたとのことです。
この発表を受けJEN職員一同、悲しみにくれています。

地元に密着した献身的な活動を続けてきたペシャワール会の職員の方が、このような事件に巻き込まれたことに、驚きと憤りを隠せません。

JENは、今回のようなことが再び起こらないために、またアフガニスタンの治
安回復のためにも支援活動の継続が大切だと考えています。
JENは治安情勢を慎重に検討し、職員の安全が確保される限り、今後もアフガニスタンでの支援活動を続けてゆきたいと考えています。

志半ばで亡くなられた伊藤和也さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

8月 27, 2008 事務所・スタッフ |

2008年8月26日 (火)

アフガニスタンでのNGO職員誘拐事件

報道等によれば、アフガニスタン東部でNGOペシャワール会の日本人職員と、アフガニスタン人職員が誘拐される事件が発生したとのことです。
誘拐された方がたが、一刻も早く無事に解放されることを願っております。

JENはカブール州の北にあるパルワン州で、帰還してきた人たちの再定住に向けて、主に教育支援の事業を継続して行っています。
現時点で、日本人職員はイスラマバードに居り、アフガニスタンにいる17名のアフガニスタン人職員とも全員無事を確認しました。
現在、各方面から情報収集を続けております。状況の推移を確認しながら、今後も地域の安定化に向けて継続的な支援を届けられるよう、安全面についてこれまで以上に慎重な対応を図っていきます。

8月 26, 2008 事務所・スタッフ |

2008年8月21日 (木)

達成感と感謝

 パキスタンからの遠隔管理体制に移ってから、すでに10か月が経過しています。

 2008年7月、2校の学校が完成しました。
現場で最前線を守って頑張ってくれたスタッフに感謝し、ともに乗り越えた苦労と達成感を分かち合うため、食事会を行いました。
 川沿いに作られた素朴な造りの食事処で、自然の風景を楽しみつつ、ケバブやコフタ、パラウ等の地元料理に舌鼓をうつ。たったそれだけのことでしたが、みなとても喜んでくれました。

 これまでも、事業が終わる度にこのような食事会を開催してきました。
今回は事業の途中から遠隔管理体制に移ったこともあり、いつにも増して達成感を感じられる食事会となりました。
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8月 21, 2008 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2008年7月24日 (木)

ともに育つ

080724__low  パキスタンからの遠隔管理体制に移ってから、すでに9か月が経過しました。現在、3校の学校建設を同時並行で行っています。また、孤児院のトイレの建設と文房具の配布事業も開始しました。

 遠隔管理体制では、一つ一つの作業にも時間がかかってしまいます。このように複数の事業を同時並行で行うことができるのは、祖国をより良くするために日々汗を流すアフガニスタンスタッフの努力のたまものです。

 現在、イスラマバードに常駐する国際スタッフは、月に1度のペースでアフガニスタンに出張しています。その度に、前よりもはるかに成長している現地スタッフと再会することが、とても嬉しい瞬間です。080724__low_2

 自分たちの住む国や地域をより良くしたいという同じ気持ちを持って、彼らと共に働くことができることを嬉しく、また誇りに思います。

(写真上:イスラマバード→カブール間、上空からの眺め土漠の大地に点在する家々)

(写真下:再建された学校のオープニングセレモニーでは、多くの女子生徒が集まった。生徒たちだけではなく、コミュニティ全体の期待の高さをあらわしている)

7月 24, 2008 事務所・スタッフ, 学校修復・建設 |

2008年5月22日 (木)

仲間から友へ

080521_afghan_pakistanstaff  パキスタンからの遠隔管理体制に移ってから、すでに7か月が経過しました。この体制でとても重要な役割を担っているのが、パキスタン側のスタッフです。

 パキスタンでのビザ(査証)取得などの事務的手続きに始まり、事務所での通信インフラ(電話やインターネット)の整備、電気関連の整備、家具、備品の調達。それらの業務を行うパキスタン人スタッフは、アフガニスタン事業になくてはならない仲間です。

 加えて、アフガニスタン側スタッフが作成した資料の一次チェックを行い、アドバイスを行うのも彼の仕事です。最初はかなり緊張していましたが、すでに2回アフガニスタンに出張し、アフガニスタンのスタッフとだいぶ打ち解けてきました。

 国同士は微妙な緊張関係にあるアフガニスタンとパキスタンですが、スタッフ間の交流を通じて、少しでも友好関係が深まることを願っています。

5月 22, 2008 事務所・スタッフ |

2008年5月 1日 (木)

この国の可能性

こんにちは、プログラムオフィサーの山形太郎です。

現事業のフォローアップと新規事業立ち上げのため、5か月振りにアフガニスタンに戻ってきました。カブール事務所に到着して最初に気づいたことは、現地スタッフが老けて見えたということです。

昨年の10月からの遠隔管理体制。当初は6年以上国際スタッフ中心に動いてきた体制を、2ヶ月間という短い期間で遠隔管理することに大きな不安を感じていました。しかし、今回彼らに会って思ったことは、彼らの方にこそもっと大きな不安と苦労があったのではないかということです。

当初、彼らの仕事能力で、しかもたった2ヶ月間での遠隔操作体制設立は不可能だと思っていました。しかし、彼らの期待以上の頑張りと成長には感動さえ覚え、彼らの増えた白髪としわの数には、より頼りになる風貌さえ感じさせられました。

現在、アフガニスタンは治安の悪化、政府の汚職、破綻国家への道を進んでいるなど、悲観的に言われています。しかし、将来、国を背負っていく彼らの成長こそがこの国の未来の可能性ではないのでしょうか。

5月 1, 2008 事務所・スタッフ |

2008年3月19日 (水)

現場の感覚

Afghanistan  パキスタンからの遠隔管理体制を開始してから5か月目に入りました。

 そんな中、一番焦りを感じるのは、現場感覚が日々薄れていくのではないか、という点です。例えば、アフガニスタンに居た時は、スタッフたちと長い時間を共に過ごしていたため、私自身も穴の開いた服やほつれたスカーフをそのまま着ていました。というのも、みなとても質素な暮らしをしているからです。

 一方、イスラマバードでは、女性は華やかで鮮やかなショールや服で着飾って街を闊歩しています。男性スタッフも毎日おしゃれを楽しんでいるため、さすがに穴のあいた服ではまずいと、こちらで何着か購入しました。

 ほんのちょっとの違いですが、それが積み重なっていくことで、現場にいるナショナルスタッフの苦労や悩みなどを把握できなくなること、意思疎通に大きなずれが出てくるのではないかという点に、焦りを感じています。

 今は、ほぼ毎日メールやチャットや電話で連絡を取ることしかできませんが、今できる方法で前に進めるよう努力しているところです。

(写真:事務所スタッフ一同、2007年8月撮影)

3月 19, 2008 事務所・スタッフ |

2008年1月24日 (木)

遠隔管理の良し悪し

Photo_2  先日お伝えした遠隔地からの事業管理体制に移行して、すでに3ヶ月が経過しました。日本人同士でも、メールや電話のみのやり取りだと誤解が生じることはよくあります。それが国籍もバックグラウンドも異なるアフガニスタン人との間では、なかなか話が通じないこともしばしば。顔を突き合わせて話せば5分で済むような仕事も、1-2日かかってしまったりするのです。

 苦労の絶えない遠隔管理ですが、嬉しい変化もありました。それはスタッフの変化。これまで「指示待ち族」だったスタッフが、自分で問題解決するようになってきたのです。もちろん一朝一夕には変わるものでもありませんが、自分たちの国の発展は自分たちで担う、ジェンはそれを側面支援するだけ、という大きな目標に大きく一歩近付くような変化が生じています。(写真:事務所で育てられていた鉢植え)

1月 24, 2008 事務所・スタッフ |

2008年1月10日 (木)

年末年始は休みなし!

Site_visit_ns_c1 明けましておめでとうございます。

アフガニスタンではキリスト歴ではなく、イスラム暦を使っているため、年末年始の休みは関係なく、外務省、個人の方、団体の皆様のご支援のもと行われている学校建設を続けていました。

しかし、アフガニスタンの冬は厳しく、寒さと雪で工事の進みが中々スムーズにいきません。

現在、気温が、日中でも2℃から5℃ぐらいまでしか上がらず、夜はマイナス15℃までに冷え込みます。しかも、1月に入ってからすぐに大雪が降り、1週間余り工事が滞ってしまいました。R0013159

しかし、スタッフ一同、子どもたちが通学を開始する春に、とびっきりの笑顔が見たいという思いは同じで、寒さに負けず頑張ります!

1月 10, 2008 事務所・スタッフ |

2007年12月20日 (木)

カブールの冬支度:大活躍のブハリ

20071220  初冬のカブール、昼は20℃前後ですが、夜は1-2℃まで下がるようになってきたようです。

 ジェンのオフィスでは、「ブハリ」と呼ばれる薪ストーブを使っていて、この季節になると倉庫からブハリをひっぱり出してセットしたり、薪を買って倉庫に常備したりと大忙し。

 薪に火をつけるのもコツがあるようで、私の場合は、大量の新聞紙を使わないと火が薪に移らないのですが、ナショナルスタッフの中には、少しの新聞紙ですぐに火をけられるブハリ名人(?)もいます。

 昨年は気温がマイナス20℃まで下がる等、非常に寒さの厳しいカブールの冬。それでも、ブハリの上でナンにチーズやチョコレーを溶かしたものをトッピングして食べるなど、ちょっとした楽しみもあるのです。

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12月 20, 2007 事務所・スタッフ |

2007年8月 9日 (木)

誇り高き人びと

この国に来て誰もが気づくのは、アフガニスタンの人たちは誇り高く、人前で恥を掻かせられることを極度に嫌うということです。
これらはJEN事務所で働くスタッフマネジメントにおいて最も気を配らなければならない点のひとつであり、同時に仕事の動機付けには欠かせない要素となっています。

JENで働くドライバーを対象としたセキュリティーワークショップを行なったとき、「武装集団に捕らわれたときは、抵抗しないであちら側の支持に従うように」と言うと、
「アフガニスタンの男にとってこれ以上の屈辱はない」と聞かされ、驚きました。

長い歴史の中で、アフガニスタンが外敵に屈したことはありません。
絶え間ない戦乱や貧困の中でも、個人や家族、国家としての尊厳は失われなかったように感じられます。
このドライバーの言葉には、ちょうど戦国時代を生き抜いた武士のような印象を受けました。

地政学上、重要な地域であるアフガニスタンは、常に大国の干渉を受け続けてきました。
約25年にわたって続いてきた内戦や、現在の状況も含めて、こうした外部的要因が民族、宗教、政治などの内部的な要素に火種をつけて起こったことは否定できません。

このアフガニスタンの人たちの誇り高き精神が民族、宗教間を越えて互いに協力していくことが、復興に欠かせない要素です。
地元の人たちから見れば「外から来た人」である私たちは、押し付けや干渉ではなく、復興を真に願い、ともに歩む姿勢を忘れてはならないと感じます。

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写真:JENアフガニスタン事務所で働く仲間たち

8月 9, 2007 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2007年7月19日 (木)

安全な水を届けたい、その4

Websmall_1  2006年8月から約1年。パルワン州で実施してきた水供給事業が完了しました。
ひとつとして予定通りに進まないことが多いフィールドで、地元の人たちと施設完成の喜びを分かち合えることが一番の喜びです。

JENカブール事務所長のブログ『雲外蒼天』で、この水事業を振り返る記事を掲載しています

JEN事務所長のブログを読む

また、アサヒコムの連載『国際支援の現場から』でも、水事業の報告を掲載中。
ブログよりも写真がたくさん紹介されているので、是非ご覧ください! 

JEN連載 アサヒコム『国際支援の現場から』 JENアフガニスタン「いのちをつなぐ水」

夏休みに部屋の片づけをしてみませんか?本やCDのリサイクルが、アフガニスタンの教育支援に役立てられます!
JENのBOOK MAGIC(ブック・マジック)について、くわしくはこちら⇒ BOOK MAGIC

Bookmagic_logo_bw1_6 Bookmagic_dan_bon1_2

7月 19, 2007 事務所・スタッフ, 水衛生環境改善 |

2007年6月28日 (木)

カブールでの自爆テロ

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

セキュリティマネジメント研修を受け、アフガニスタンに戻ってきたその日に、カブールで大規模な自爆テロが起きました。
2001年のタリバン政権崩壊以降、カブールで起きた自爆テロとしては最大規模の被害者数だったとのことです。
被害に遭われた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

そしてとても多くの方々から、安否確認や行動アドバイスのご連絡を頂きました。
ご心配頂いた皆様、気にかけてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。
おかげさまで、ジェンのスタッフはみな無事でした。

このような事件が起きた時に懸念されること。
それは、人びとの平和に対する確信が揺らいでしまうのではないか、という懸念です。

25年以上も紛争を続けてきた国、そして今も一部の地域で戦闘状態が続いている国に暮らす人びとが、平和の訪れを確信できるようになるには、危険を感じずに過ごすことのできる安定した状態が一日でも長く継続することが最も重要です。
しかしながら、このように民間人を巻き込むようなテロが頻発するようになると、平和の訪れを感じることは益々難しくなることは明らかです。

加えて、2001年のタリバン政権崩壊以降、国の安定を信じ、大量の難民や国内避難民が大挙して故郷に戻ってきました。
しかしながら、戻ってきた故郷の状態は決してバラ色ではなく、家は壊れ、基礎的なインフラストラクチャーも大幅に欠如し、仕事も無く・・・、というような状況。そのような中、ようやく国の再建が始まりました。

2002年以降は、国際社会から大量の支援が入ってきましたが、25年の紛争により形作られた様々な空白は、5年程度の支援では到底埋められるものではなく、今後も、息の長い支援が必要です。

しかしながら、少しでも治安上の懸念が生じると、国際社会からの支援の継続にも大きなマイナス要因になります。それが新たな社会の不安定要因になっていくという悪循環は、容易に想像ができます。

アフガニスタンは、度重なる紛争に苦しんでいる時も、大干ばつで多くの人が故郷を追われた時も、国際社会からは長らく見捨てられた国でした。そのような国にようやく国際社会の目が向けられたのは、2001年の9.11同時多発テロがきっかけでした。

アフガニスタンがまた再び忘れ去られた国に舞い戻るようなことがないよう、国際社会による支援の一部を担っている私たちは、安全を十分に確保しつつ、活動を続けていくことが最も重要だと思っています。
もちろん、テロの発生を正確に予測することは不可能ですが、情報ソースを確立し、取りうる限りの対策を取って行動していきたいと思います。

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6月 28, 2007 事務所・スタッフ |

2007年4月19日 (木)

アフガニスタンの食べ物

皆さんこんにちは。アフガニスタン事務所長の柴田哲子です。
今日は、アフガニスタンの食事についてご紹介したいと思います。

JENでは、朝食と昼食は国際スタッフも現地スタッフも一緒に食べています。
床にロの字型に座って、真ん中にビニールシートのようなものをひろげ、その上に食事を並べます。

朝食はナン(薄型のパン)と砂糖をたっぷり入れた緑茶です。
赴任当初は、緑茶に砂糖という組み合わせにびっくりしたのですが、これが慣れるとなんとも美味しくて、いつも大匙1杯(!)の砂糖を入れて飲んでいます。
現地スタッフには大匙2杯派が多いようです。。。ちょっと心配。

昼食は、コックさんによるアフガン料理。一番多い組み合わせは、

・パラオ(細かく刻んだにんにくや玉ねぎなどの香味野菜を入れて「たっぷりの」油で炊き込んだピラフのようなもの)

・豆の煮物(小豆のような豆を圧力鍋で煮込んだものでシチューのような見た目と味)

・生野菜(ラディッシュ、小ねぎ、トマト、青唐辛子など)です。

みな、激辛の生青唐辛子をぽりぽりかじりながら、パラオに煮物をかけてカレーのようにして食べています。
たまに料理好きの運転手さんが、トルシーと呼ばれる漬物を作って持ってきてくれます。中身は、茄子、トマト、青唐辛子、たまねぎ等など。
このトルシーは、味は日本の糠漬けにとても似ているのですが、一般的にはインド料理でお口直しにでてくるチャツネとよく似ています。

そのほかにも美味しいアフガン料理がたくさんありますので、また折を見てご紹介させて頂きますね。

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4月 19, 2007 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2006年12月21日 (木)

素顔のアフガニスタン、その2

首都カブールでも、破壊された建物の残骸や銃弾の跡の残る建物を数多く目にします。

1_50  労働者市場のような場所では、凍てつく寒さの中、仕事を求め毎日早朝から100人以上の老若男性が集っています。また、道路の真ん中で所在無げにしゃがみこみ、物乞いをするブルカをまとった女性たちの姿を目にすることもあります。そして、羊飼いとともにカブールにやってきた羊たちは、ごみ置き場に群がり餌を漁っています。

 こんな、何気ないカブールの日常に、「どこから手を付けようか?」という思いでいっぱいになります。しかし、私たちJENにできることは、本当に限られています。だからこそ、大海の一滴でも良いので、いま与えられているこの立場でできることを前に進めたいと思います。そして、JENと関わりを持つことになった人たちが、少しでも明日への希望を持てるよう、ひとつひとつ着実に仕事をしていきたいと思っています。Photo_20

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12月 21, 2006 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2006年12月 7日 (木)

素顔のアフガニスタン、その1

カブール事務所長の柴田哲子です。Photo_19

 赴任してひと月半が過ぎましたが、幸いにも今のところ想像していたような「身に迫る危険」を感じたことはありません。

 しかしながら、やはり数十年にわたって戦争し続けてきた国だけあって、あらゆるものが破壊されているか、または存在しません。たとえば、先日視察したチャリカの学校では、天井と敷地にロケット弾を被弾した大きな穴が空いていました。

 私自身これまでに中央アジア、コーカサス、中東、東南アジア、南西アジア、南米等々を訪れてきましたが、鉄道が無い国は、ここアフガニスタンが初めて、日々新しい経験を積んでいます。1_51

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12月 7, 2006 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2006年11月22日 (水)

カブール到着!

 JENカブール事務所長の柴田哲子です。約3週間前にアフガニスタンの首都カブールに到着しました。

 アフガニスタン事務所は、JENの海外事務所の中では最大の事務所です。着任後、すべてのスタッフ30名程度を一度に目の前にする機会があり、若干(相当?)圧倒されてしまいました・・・(笑)。が、無理せず自然体でがんばっていきたいと思っています。

 ところで、例えば「30名」という言葉、口にするとそれ以上でもそれ以下でもありませんが、実態を伴って目の前に現れると、また異なった印象に感じられ、そして自分の中でこれまでとは違った場所に落ち着いたりすることがあります。私がアフガニスタンにきた理由のひとつとして、「貧困」とか「平和構築」とか「紛争」とかいった、この業界で語られる様々な言葉に、自分の中で実体を伴わせたかった、ということがあります。

 そんなことを考えながらやってきたアフガニスタン。アフガニスタンでの生活、その中で考えたこと、JENの活動等々について、これから少しずつ、みなさんにお伝えしていきたいと思っています。1_48

(筆者は後列右から二番目。真ん中が、前カブール事務所長の玉利です)

11月 22, 2006 事務所・スタッフ, 文化、生活、習慣 |

2006年9月21日 (木)

カブール事務所スタッフ紹介

6  JENのサポーターから始まり、インターン、アルバイト、そしてスタッフ(東京本部事務局勤務)、JENと様々な形で関わりJENをこよなく愛して病まない経理・総務担当の若野スタッフ。現地の人々を思う気持ちや、いただいた寄付金を有効に活用しようとする姿勢が随所に現れています。

 東京本部事務局では女性が圧倒的に幅を利かせているJENですが、ここカブール事務所は男所帯。ローカルスタッフも27名中女性は4人だけ。そんな中、自国の女性に気軽に話しかけられないことも手伝って、アフガン男性スタッフからはモテモテです。たまに花束などを貰ったりしてまんざらでもない様子。

 業務は経理並びに総務関係なので、数字とのにらめっこや、物価があってないような社会での物品購入などストレスが溜まりがちです。でもその発散の一つ?!として、ありがたいことに料理に凝り、日々腕を磨います。

 女性にとっては何かと不便なアフガニスタンでの生活ですが、カブール事務所のため、アフガニスタンの人々のため日々奮闘している若野スタッフです。

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9月 21, 2006 事務所・スタッフ |

2004年4月26日 (月)

雪かきと支援の関係(駐在員椎名カブール日記)

1  先日、カブールに30cmほど雪が積もり、一面の雪景色になった。カブールから見える山々もすっぽり雪に覆われ、神々しく輝いている。
 綺麗なものだなあと眺めているのもつかの間、現地スタッフから「雪かき」の話が持ち上がった。スタッフが駐在している建物の屋根はアフガンでは伝統的な、泥でカバーしているタイプで、雪かきをしないと後で雨漏りすると言う。そこでスタッフが一言。「シイナ、雪かき用のスコップを買わないと。」私は内心またかと思う。さて、議論開始。 
「スコップが事務所にあるじゃないか。」「今あるスコップじゃあ、屋根に傷がついてしまう。先端が木で出来た、雪かき用が必要だ。」「今あるものじゃあ、何とかならないの?」スタッフは困った顔をして首を振る。買っても5ドルするかしないかであろうか。でも、今日以外使う機会は殆どないだろう。お金がもったいない。何とかならないか?私は台所をうろうろする。ほら、見つけた。
私がスタッフに高々と見せたのは、プラスチック製のお盆。これなら屋根に傷がつかないし、軽い。しかも一度にたくさん雪かきが出来る。スタッフはあきれたようなそぶりを見せ、大げさに腰を曲げ、首を振る。「それじゃあ、腰が痛くて大変だ。スコップを買ってくれよ。」やれやれ。私はスタッフが制止するのを無視して屋根に上がる。スタッフもいやいや屋根に上がった。私がお盆を使って雪かきを始めると、スタッフものろのろとお盆を使い始めた。
背中を丸めて雪かきをしながら、私の頭に東京本部事務局でアフガン担当デスクをしていた時の事がよみがえる。支援者の方々にご理解を頂き、500円のご寄付を頂くのがいかに大変か。昨今世間の関心が薄くなったアフガン支援のため、東京本部事務局の同僚が深夜まで働き、どんなに大変な思いをして活動資金を集めてくれているか。お金を使うのは簡単だ。たかが500円という人もいるだろう。でも、それは間違いだ。NGO活動での資金の重みを、私は東京で学ばせていただいた。出来れば事業に1円でも多く使いたい。でないと私は支援者の方々や同僚に顔向けが出来ない。
 30分ほど作業をすると、雪かきも終わりが見えてきた。雪かきが楽しくなりはじめ、私は下にいたスタッフにカメラを持ってくるように頼む。記念写真を撮る頃には嫌がっていたスタッフの顔にも笑顔が浮かんでいる。私はこの雪かきが支援活動と似ていると気がつく。
 国際NGOが村にくると、村人達の多くは生活がとても苦しい事を切々と訴える。支援内容を説明すると「それでは全然足りない」という村人もいる。話の端々に国際NGOはお金を持っているものだという彼らの意識が見え隠れすることがある。それは事務所で働く現地スタッフも同じ。「お金がない」と言って隣人の住宅再建への協力を渋る村人に、お金のかからない方法を提案するだけでなく、ジェンがやって見せて初めて村人は動いてくれることがある。言うだけでは駄目。自分でやって見せないと。先ずはジェン事務所内部から。
 残りの雪かきをスタッフに任せ、デスクに戻ってくると自分の手が細かく震えている。腰が重い。お茶を飲んで一息入れイスに座ったとき、私はふと、スタッフが最後に笑っていたのは雪かきや写真が楽しかったのではなくて、私に雪かきをまんまと手伝わせることが出来たからではないかと思い当たった。道理でスタッフがニコニコしていた筈だ。
 現地の人々は、いつも私の考えの一つ上をいっているのかも。私はまだ甘い。

4月 26, 2004 事務所・スタッフ |

2004年3月26日 (金)

終わりは始まり(駐在員椎名カブール日記)

2  ショマリ平原では最近、草原やブドウ畑の中に赤や白、ピンクといった花が咲き出した。平原の春を知らせる野生のチューリップである。平原に咲くこの花はこれから夏にかけてたくさん咲き乱れるようになり、草原の緑と相まってさながら春の絨毯である。アフガニスタンで働きだして初めてこの光景を目にしたとき、その美しさに写真を撮る事も忘れただ呆然と見とれるばかりだったのを思い出す。3

 私の退職を発表したとき、現地スタッフは口々に私に不満を申し立て、「シイナが辞めるなら俺も辞める」などと物騒な事を言い始めた。しかしアフガニスタンでは、それが職場を去るものへの一種の社交辞令、はなむけの言葉だと知っていた私には、何かほほえましくもあり、正直少し嬉しくもあった。気がつけばアフガニスタンで働き始めて1年半の歳月が経っていた。 
 アフガニスタンに赴任したての頃は、ただ何もかもが珍しく、ただ必死に現場に出てアフガンの砂塵に吹かれていた。現地の言葉を少しだけ覚え、人々と簡単な会話が出来るようになると、私は村の人々の素朴な優しさに惹かれるようになった。畑で取れたブドウを食べながら、またはアフガン版のコタツである「サンダリ」に入りながらお茶を飲み、村人と彼らの生活についてあれこれ話を聞かせてもらいながら、私は彼らの世界を垣間見させていただいた。
4  私は村人の「手」が大好きである。多くの場合それはざらつき、ひび割れ、くしゃくしゃにした新聞紙のようであったが、私の目の前で幾つもの「手品」を見せてくれた。器用に斧を使って節くれだった薪を割る「手」、小麦粉から生地を作ってアフガン版の餃子であるマントゥを作る「手」、パラパラしたご飯を手のひらでまとめ、親指で押し出すようにして口に放り入れる「手」…。それらの「手」は私にない、生活を掴み取る「手」であった。私は何度も試してみたが、時間ばかりかかっていっこうに上達しなかった。アフガニスタンで人々の生活に触れていると、「本当の豊かさとは何か」などといった、かしこまった事を考えなくても、こんな世界、生活が世の中にはあったのだという新鮮な驚きと、私達人間のたくましさの底を覗かせてくれる。ブドウは甘く、水は濁っている。

 武装解除、経済の復興、国際支援中心の国家体制からの脱却。アフガニスタンの行手には、まだ越えなくてはいけないハードルが幾つもそびえていることは確かである。この国は1年半の間に良くなったのであろうか、それとも悪くなったのであろうか。私がやってきたことは、果たして本当に人々のためになったのであろうか。私は車窓を流れるカブールの町並みをながめながら、ぼんやりと答えを探し始める。今までに何度となく繰り返してきた問いである。一つだけ確かな事がある。私は、一緒に仕事をしてきたスタッフや受益者に励まされてここまでやってきたということであり、受益者の人々とともに活動をしてきたという自負である。それはジェンのようなNGOがもっとも得意とし、今後も続けていくと確信できる支援の形でもある。
これからの季節、北へ伸びるチャリカへの道の脇には、折角咲いたチューリップを幾つも摘んで束にし、ドライバーに差し出して売り歩く子ども達の数が多くなってくる。たくましいと思うし、私が止める筋合いもないのだが、地雷原の中を花を摘んで歩く子ども達がいるかと思うと不安になる。個人的には、綺麗な花は摘んでしまうのではなくそっとしておいてあげたい。野生の花は、自然に咲いているその場でこそ最も美しいと思うからである。アフガニスタンの復興に国際的な支援がこれからも必要な事は私も強く感じる。しかしそれは、莫大な支援金のみではなくアフガン人の視点を忘れずにこれからも続けていくべきであることは、支援活動に関わる人間が多かれ少なかれ思っている事ではないかと思う。この国はいうまでもなく、アフガン人のものである。「アフガンのクジラ」から「パートナー」へ。その道は一筋縄ではない。でも、その一つの形を具現しているのがジェンではないかと思う。その取り組みを私のこの日記を通じて少しでも読者の方に知っていただけたとしたら幸いである。
 個人的なことで恐縮であるが、私はこれからも今までとは違った形でアフガニスタンへの支援活動に関わる予定である。私はジェンを離れるが、これからも1サポーターとしてジェンの支援活動を応援したいと考えている。実際に活動していた私が言うのだから、どうかジェンにこれからも皆さんの力をお貸しいただきたい(笑)。私の日記を読んでくださった皆さんに対する感謝の気持ちは私の筆では表しきれない。アフガニスタンの事を忘れずに、これからもこの国とジェンの取り組みを見守っていただきたい。

3月 26, 2004 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2003年10月 9日 (木)

ナハリンへの道2(駐在員椎名カブール日記)

 アフガニスタンで仕事をしていて何が一番怖いかと聞かれると、私は迷うことなく「交通事故」と答える。地雷を踏まない保障はないし、カラシニコフ銃は珍しくも何ともない。爆弾テロの噂はいつもあるし、強盗などの一般犯罪は日常茶飯事の感がある。けれど、交通事故にはかなわない。その恐怖は影のように私にまとわりつき、不謹慎だとは分かっていても、ふと気がつくと私の頭は想像をし始める。即死ならかまわない。でも奇妙にひしゃげたあの鉄塊のなかで、自分の死をゆっくり感じながら死ぬのは耐えられない。この国で何度となく見た事故の光景の中に、私は自分の影を見る気がして目をそむける。私の車は同伴車との間隔を確かめつつ、私の心を引きずりながら走り続ける。

 山の陰に回りこむ幾つものカーブには、カーブミラーなどといった便利なものは無い。手前でクラクションを鳴らし、恐る恐る車の鼻を入れてみると、陰から急に対向車が砂埃を巻き上げて飛び出してくる。急ブレーキ。煙幕のような砂埃が後ろから車を包み込む。日本ではスクラップ工場でもお目にかかれないような「骨とう品」がきしみながらカーブを滑る。鼻先が私の席のドアをかすめる。私の背中を、べたつく嫌な汗がゆっくりと降りてゆく。この山道ではガソリンや木材を満載した大型トラックが鉢合わせして通り抜けできず、お互いにエンジンを切って道を譲るのを拒んでしまう。後ろから他の車が考えもせずに車間距離を詰め、大渋滞が起こるのである。この状態は今のアフガニスタンを現しているかもしれないという考えが、私の頭をよぎることがある。無法、汚職、談合、贈収賄。みんながみんな今の自分の利益を求めて手段を選ばず走っているけれど、それではこの国が国として機能していかないことは明らかだ。この国の政治や経済が行きづまったとき、それを打開するのは先を見通した相互利益という考え方ではないのだろうか。何も難しい話ではない。日本ではこんな時、道を譲り合って自然と交互に車は狭い道を通り抜けるという、あの知恵であり、システムである。私のコンボイが3時間以上も足止めを食っている間、ドライバー達は口々に何かを叫び合いながら、道を行ったりきたりしていたが、そのうち一方が折れて車列を後ろに戻し、その断崖と小川にはさまれた道を通り抜けた。今夜宿泊する村に着いたとき、時刻は深夜を回っていた。

1022  しかしひとたび車窓から外を眺めれば、この土地は自然が織り成す美しさであふれている。ポプラの若木が風にそよぎ、木漏れ日が私に降り注ぐ。黄金に輝く小麦畑の中で、女性が背中を丸めて刈入れをしている。子ども達が牛を追い、男達が薪を背負って帰路を急ぐ。小川の上を滑ってきた風が車内を一瞬清めて去っていき、遠くにパルテノン神殿を思わせる岩肌を見せた山が神々しく鎮座して私を見下ろす。小川を渡り林を抜け、小さな村落を幾つも通り抜けていく間に、私は自分がだんだんこの風土の一部になっていく感じがする。休憩時間に車を降り、思いっきり背伸びをして深呼吸をすると、その空気は私の肺を通じて体の隅々まで行き渡り、指の先まで充実した気分になる。太陽の光が頭の先から降りてきて、足元から地面に染み込んでいく。自分が自然の一部だと感じる瞬間である。この土地は美しい。そして、自然は私の想像を越えたところで互いに結びつき、全てを包み込む。戦車の残骸ですら、いつの間にか地面に溶けかかり始めている。気がつくと私の心が少しだけ軽くなっている。

 明日はやっとナハリンである。

10月 9, 2003 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2003年10月 2日 (木)

ナハリンへの道1(駐在員椎名カブール日記)

1021  ナハリンへ出発する前日は、いつも何か真っ暗なトンネルに入っていく気持ちがする。治安状況は確認した。車両も無線もチェックした。水も充分に積んだし、スペアタイアもある。やらなければならないことはリストアップしたし、ナハリンに着けば村人が歓迎してくれるだろうと感じてもいる。でも駄目なのである。「メロン幾つ買ってこようかな。」などと現地スタッフと無駄口をたたいて気分を紛らわせようとしても無駄である。それはじわじわと足元から這い登り、胸を締め上げる。私は静かに深呼吸する。頭を振る。

 ナハリンは昨年、大地震により大きな被害を受けたアフガン北部、バグラン州の田舎である。倒壊した家屋に押しつぶされて多くの人が亡くなったこの地域で、ジェンは募金によって集められた資金を使って井戸掘削事業を行なっている。私はこの事業を計画、実施、監督しているのである。北に抜けるサラン峠のトンネルが修復工事で通行止めのため、通常8時間半で行けるところを、今は砂埃と砂利の道を17時間以上揺られて行かなくてはならない。道中の交通事故も多い。精神的にも肉体的にも辛い旅である。

 うつらうつらしながら夜を過ごし、日の出前にベッドから抜け出す。電子メールをチェックし、同僚のデスクに私の部屋の鍵を置く。手荷物をまとめ外に出ると、意外に冷たい空気が私の胸を刺す。いつの間にか、こんなに近くに冬が迫っている。二人の運転手と短い挨拶をする。モスクから聞こえる祈りの声。門番の短い咳払い。朝日がゆっくり昇ってくる。「さあ、メロンでもいっぱい食べてくるか。」カラ元気を出したつもりだったが、自分の声が意外に小さくてびっくりする。運転手が少し笑ったような、困ったような顔をする。出発である。

 カブールの町はまだ眠りから覚めたばかりで、日中の喧騒が嘘のように静まり返っている。マーケットの中をうろついていた痩せた犬が私をちらりと一瞥する。私を乗せた車はその静かで冷ややかな空気を吸い込みながら北へ走る。チャリカまでの1時間あまりの道のりの間、私は何か忘れたことは無いか考えをめぐらすが、気がつくと考え疲れて眠ってしまっていた。チャリカの見慣れた町並みが見えてくる。事務所の門番が、何か眠そうに門を開け、私の顔を見て目を丸くする。チャリカでナンと砂糖がたくさん入った緑茶という朝食を取り、東京に事務連絡の電話を入れる。私は話しながら、自分の声が上ずっているのを感じる。「治安に特に気をつけて。」と同僚が声をかけてくれる。メロンのお土産を私に頼むことを忘れないチャリカの同僚と握手をして、私は更に北を目指す。いつの間にか日が高く上り、アスファルトの道が白っぽくかすむ。私は同伴車とのコンボイの編成に気を使いながら走り続ける。

 舗装された道に別れを告げ、砂埃舞う道を、右手に岩山、左手に清流を見ながらしばらく進む。この道は遠くバーミヤンに続いている。山間に土色をした集落がいくつか見える。どうしてあんな高いところに家を建てるのだろう。他人が入ってくるのを拒んでいる。高い塀に囲まれた家が見える。少し風化したその壁は地面と同化し、まるで地面から生えてきたかのようである。

 道は次第にうねるように山道を登り始める。これから「天国と地獄」が見える場所にさしかかる。

10月 2, 2003 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2003年9月25日 (木)

美しい国(駐在員椎名カブール日記)

9251  アフガニスタンで働きだして1年以上が経ってしまった。あっという間だ。
毎日の仕事に追われていると(仕事をこなすのが遅いという声があるのはさておき)ついこの国の問題点にばかり目がいってしまうが、この頃、この国は美しい風景を幾つも持っているという事に気付くことが出来るようになってきた。とくに最近、昨年大地震の被害にあったナハリンへの出張の中でそれを強く感じることができた。

 私がナハリンへ向かう17時間以上のドライブの中で、私の目が奪われるのは、荒涼とした岩山にはさまれた谷川の清涼な流れとそこに広がる豊かな緑、そしてそこで農業を営む人々の暮らしである。特にバーミヤンに続く道はすばらしい。桃やリンゴがとれ、小麦の黄金色の畑と綿やジャガイモの緑の畑がパッチワークのように広がっている。小川の上で光がきらきらと踊り、子ども達が牛2頭を上手に扱って小麦の脱穀をしている。私の頭の中で「桃源郷」という言葉がふと浮かぶ。水は命の源だと本当にそう思う。心が休まる。9252

 山間の美しい緑に別れを告げ、岩山の中を分け入っていくような道にさしかかるころになると、私は何かしらの緊張感を覚える。そそり立つ剣山、路肩に横たわる大きな落石、液体のように粒子の細かい砂塵。そこは私を拒み、私を見下ろしているように感じる。「踏破」などといった勇ましいものではない。私は今回も何か見逃してもらったような、何かに感謝したい気分になる。自然の中では私は本当に小さな存在なのだと思わされる。
子ども達が集まってくる。彼らの顔には大きな好奇心と恐れ、恥じらいが浮かんでいて、私が挨拶をすると一瞬の緊張の後、顔いっぱいの笑顔を見せてくれる。私がカメラのファインダーを向けると、それこそ砂埃を上げていっせいに逃げ出す。そしてまた、じわじわと私との距離を詰めてくる。女の子達がドアや壁の陰、屋根の上から私を窺う。その茶色や青や緑の瞳は、私の心を見透かしているように感じてドキリとする。慣れてくると、私の服を引っ張ってから逃げる子どもがいる。男の子は写真をとってくれとせがむようになるけれど、女の子は窓に顔を張り付けて私を見ているだけである。私が顔をあげると、パッとまんまるい目をして逃げ出してしまう。そんな子どもたちと遊んでいるときが、私がもっとも自由に感じられるときでもある。

 道端でおじいさんやおばあさんがお茶を飲んでいけと私を誘ってくれる。家の自慢のブドウを食べていけと半分強引にすすめてくれる。私は土間にしかれたカーペットの上であぐらをかきながら、お茶をすすり、たわいのない話を村人とする。「今年のブドウの出来は良いね。」「何々さんちでは子どもが11人もいるそうだよ。奥さんは大変だね。」「最近の体の調子はどう?」そんな会話の中で、私は少しずつアフガニスタンという土地を感じている。
ふと気がつくとそこに美しい風景が顔を出している国、アフガニスタン。いつかもっと多くの人たちがこの国の美しさに触れてもらえる日が来ることを、私は願わずにはいられない。

9月 25, 2003 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2003年7月17日 (木)

蝿がとまる(駐在員椎名カブール日記)

 蝿が私の鼻の頭にとまっている。
抵抗を諦めた私の体の上に、1匹、また1匹と蝿がとまる。私の右足の甲に1匹、すねに2匹、お腹に2匹。左足のふくらはぎに1匹、太ももに2匹。頭に止まった2匹は喧嘩をしている。左腕に1匹、そして、顔に1匹。全部で12匹。私はひとり深いため息をつく。

 チャリカの村々の衛生状態は私を震撼させる。シェルター(簡易住居)の受益者を訪ねて村の裏通りにさしかかった私は思わず息を飲む。目の錯覚か、それとも何かの予兆なのか。通りが暗くかすんでいる。すざまじい羽音。黒い影が渦を巻いて空中で波打っている。それは何か意志を持った別の生き物であるかのようである。足元に流れる下水。家々から垂れ流される糞尿。そこに群がる小さな悪魔たちである。私は隣にいるフィールド・オフィサーに話し掛けようにも、口に彼らが飛び込んできそうで、口に手をあてながら話す。匂いが目にしみ、私はただ顔を両手で覆いながら通り過ぎる。

 この小さい悪魔達の人々に与える影響は馬鹿にならない。私達の昼食に彼らはまとわりつき、片手で振り払いながら食事を取ることすらある。私の同僚は手元に蝿叩きを置いて彼らを何十匹も“撃墜”しているが、ほっておくとその残骸が窓枠にたまってしまうほどである。これではこれからの暑い季節人々はお腹を壊しやすく、伝染病が発生しないとも限らない。しかし、人々の衛生観念を変えるのには時間も労力もかかる。トイレの普及に特化したNGOがどこかに存在すると私は以前どこかで聞いた事があるが、今の私にはその必要性が実感できる。この支援は緊急性と継続性の両方の面をもっている。やりがいのある支援だと思う。
 チャリカの村々ではトイレ自体持たない家々が多く存在する。私達のシェルター事業ではトイレ設置を受益者に約束させたうえで行なっているけれど、村人から「何で?そこで用が足せるのに。」と真顔で聞き返され、空き地を指差されると少し考えざるを得ない。私は言い方を変え、「女性が夜に外で用を足すのは危険でしょ?」と聞いてみる。すると彼らもちょっと考える。
 
 どうしたらこの環境を変えることが出来るだろうか。私が駐在したインドでは、蝿を悪魔の使者として劇を作り、村々でその劇を披露して人々の衛生観念を高めようとしていた。村人にとってはちょっとしたエンターテイメントだったのを覚えている。以前の日本では人々の糞尿は農民によって大切に汲み取られ、農業に役立てられたと聞く。農業国のこの国で同じことが出来ないだろうか。支援団体の多くは飲料水を確保する為のプロジェクトは行なうけれど、下水処理のプロジェクトはどうしてそんなに行なわれないのだろう。下水処理施設のようなものを日本政府が支援することは考えられないだろうか。華々しい、パンフレットの表紙になるようなプロジェクトではないかもしれないけれど、ユニークで重要な支援としてとても感謝されると思うのに。そんな支援が出来る国になったら、日本を誇りに思うだろうなぁ。でもまずは自分達の出来ることから…。

 そんな自分勝手なことを考えながら私が身震いをひとつすると、蝿たちはいっせいに飛び立って不満を申し立てたが、鼻の上の小さな悪魔だけは同じ所に戻ってきて私をせせら笑った。

7月 17, 2003 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2003年6月26日 (木)

バグダッド出張から戻って(駐在員椎名カブール日記)

 カブールに戻ってきてからの忙しい毎日の中で、私の短いイラク調査の日々の記憶は次第に薄れ、あの強い日差しの中で見上げたフセインの肖像画や、町がどのごみの異臭、戦車のエンジンの音などがもやのように消えつつある。そんな時、私の心の中にはっきりとした印象を残した会話や光景だけが、ふとした瞬間に目の前に現れ、私の意識をイラクに引き戻すことがある。私は、私の心のフィルターに残ったそれらだけをここに書きたい。

 「現在のイラクは手首にかけられた鎖を力で引きちぎった人間のようなものだ。“解放”された喜びで今はあまり感じていないけれど、これから手首に断ち切ったときの痛みが来て苦しめられるようになる。」

 知り合ったイラク人エンジニアと食後の甘いお茶をすすりながら、彼が上目使いに私に投げた言葉は、私を弾いた。バグダッドに入って1週間ばかり、私が恐る恐る覗いた光景の一つ一つが、彼の言葉に吸い寄せられるように感じる。笑顔で外国人に手をふる街角の人々。白昼堂々と行なわれる略奪。轟く銃声と女性の声にならない悲鳴。店先に並ぶ衛星アンテナ。戦車に群がる子ども達。膨れ上がるアリババ・マーケット。これでよかったのだろうか。これで終わったのか。自問する私の心に残るのは一見明るい街角に漂う、消し去ることの出来ない臭気だった。それは灼熱の日差しにかすむこの街に、暗い影を落としていた。
“主体性”を失った街というのだろうか、それとも自分を見失っている街とでも言うのか。そう感じたのは私だけだろうか。戦車と鉄条網に守られたホテルと、それを遠巻きに見るイラクの人々。彼らの目からは、良くも悪くも私がブラウン管を通して見ていたあの強い眼力は失われていた。略奪され、火をかけられた学校の黒板に書かれた、「Arab oil is for Arabs.」の言葉。ホテルに貼られていた反米のビラ。“God will Kill you. You are the biggest thief in Iraq.” ビラの最後は、作成者の署名つきでそう結ばれていた。この国から奪われてしまった一番大きなものは何だろうか。
 バグダッドをまわりながら、私の心は問いに占領される。問いが問いを生み、答えを求めながら私は放浪する。イラクが失ったものと得たものはどちらが大きいのだろうか。この国で真に”解放された”ものとは一体なんだろう。イラクの人々にとって、この先この国がどのような国になっていくのか。この国は本当にこれから彼らの国になるのだろうか。独裁と制裁、戦争の傷を背負ったこの混沌の社会の行方は砂埃のように漠然とした荒涼感に包まれていた。少なくとも私には、新たなイラク人のための国づくりの兆しは見えなかった。そこには銃による統制しかなかった。いや、それすらもなかった。

 「アメリカ人、イギリス人、そしてイラク人が死んで、当然地獄に行きますね。そこで彼らは地獄から自分の家族にお別れの電話をかけることを許されたそうです。アメリカ人は30分話し込んで150ドル支払い、イギリス人も同じようにして100ポンド払いました。そして我らがイラク人が電話をすると、3時間も話したのに1ドルちょっとしかかからなかったそうです。シイナ、なぜか分かりますか?アメリカやイギリスへは遠距離電話だけれど、イラクへは地獄から地獄へのローカル電話だからですよ。」

 ユーフラテスの川面に映る雄大な夕日を眺めながら、私を乗せた車は宿泊するホテルへと急ぐ。夕闇の訪れは、暴力がまたこの街を大きく支配する時の始まりを意味しているのだ。銃声。それに応える新たな銃声。爆発音。人々のくぐもった声。人々の間に広がる奇妙な興奮感と薄ら笑い。それらが私をいたたまれなくする。深い歴史と近代的な都市の顔の両方を持つこの街が、この混沌の中に沈んでいるのはとても悲しい。

 今でもカブールのブラウン管に映るイラクは私を、あの灼熱の日差しと臭気の中に引き戻す。それはスイッチと共に暗闇に消えるけれど、私の心に奇妙な懐かしさと不安の後味を残す。

6月 26, 2003 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2003年4月10日 (木)

イラクの火の影で(駐在員椎名カブール日記)

 イラクでの戦争がはじまって48時間、アフガニスタンでは国連機関をはじめとした支援団体が外出を控え、この機に乗じたテロ活動などに備えた。ジェンでも大使館や国連のセキュリティーオフィサーなど、可能な限りの全ての人たちと連絡をとりながら有事の際の国外退去などについて準備を行なった。複数の情報によれば自爆テロリストが複数アフガニスタンに侵入したという噂があることで、カブールでも緊張が高まった。幸い特に大きな事件なども起こらず時間は過ぎ、人々は通常業務に戻ったけれど、国連のセキュリティーオフィサーは引き続きの警戒を呼びかけていた。その矢先、国際赤十字委員会(以下ICRC)の国際スタッフの一人が、アフガン南部で武装した集団に車をとめられ、射殺された。私と同じ28歳だった。犯行声明からはカルザイ政権に警告する意図のものだという。国際スタッフを故意に狙った殺人は、私が着任して以来初めてだと思う。

 そして先日、東京本部事務局からイラクが日本を三番目の敵対国とみなしたので更に治安に気をつけるようにとの連絡が入った。アフガン政府はアメリカ支持を打ち出しているけれど、イスラム教国であり、アメリカに複雑な感情を抱いている人々が多いこの国で、この影響がどのように私たち日本のNGOに降りかかるのか、予測が出来ない。すぐに事務所のステッカーや看板をはずし、「JAPAN」という文字を消した。その時から私の心の中で何かが変わったように感じる。それは「日本人である」ということでアフガニスタンの人々から尊敬や親しみを受けている時に無意識の内に持っていた「私たちは大丈夫」という奇妙な安心感の崩壊と、戦火くすぶる外国で働いているという不安の顕在化ではないかと今思う。

 メディアはイラクでの戦争であふれているけれど、アフガニスタンでは今でも、アメリカ・アフガン政府連合軍が空と陸から山に潜むタリバン・アルカイダ勢力に攻撃を加え、双方共に死者を出している。ロケット弾は基地に打ち込まれ、地雷は特定の建物や人物、軍隊を狙って新たに設置されている。ただそれはもう以前のようにメディアと世界中の人々の関心を集めるには至らず、ひっそりと人は死に続けている。アフリカの草原で、中南米のジャングルで、そしてアジアの高原で。いまこの瞬間に何人の人間が銃弾や爆弾を受け、誰の注目も浴びずひっそりと亡くなっているのだろう。そして幾つの家族が取り残されるのだろう。ボスニアで出会った、深い皺やため息とともに暮らす老婦人のように。息子達の遺影に囲まれてお茶をすする、アフガンの老人のように。

 私は戦闘や地雷などで亡くなっているアフガン人や殺されたICRCのスタッフの事を考える。聞くところによると、彼を殺害したのは、ICRCから義足の支給を受けたアフガン人だったという。銃を向けられたとき、彼は何を考え、感じたのだろうか。私がシェルター事業の受益者に銃を向けられたとしたら。私の家族はどうなるのだろうか。今はただ、殻の無い貝のように行動するしかない。

 ブラウン管からはみ出した世界で、今この瞬間にまたひとつ、命が奪われる。

4月 10, 2003 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2003年3月26日 (水)

薪を割る(駐在員椎名カブール日記)

 2月のはじめに降った雪も溶け、チャリカでは少しずつ春らしい陽気になってきた。

 チャリカ事務所では今年度の事業に向けての調査や準備に追われているが、事務所に住み込んでいる現地スタッフはその合間に、食事のアレンジや洗濯などの仕事を分担、持ち回りにしたりしてやっている。薪割りもそのひとつである。

 ある日の午後、昼食を腹一杯食べた私は、食後の運動にと薪割りをはじめた。私はこれまでに薪割りの経験があるわけではない。スタッフがやっているのを見たことがあるだけである。見よう見まねで私は斧を取り出し、薪めがけて振り下ろした。どっという笑いが私の背後で起きる。私の振り下ろす斧の奇妙な音を聞きつけて、現地スタッフ達がいつのまにか集まってきていたのだった。私の斧は薪を大きく逸れて地面を叩き、事務所はいつまでたっても寒風に吹かれたままである。

 やみくもに斧を振り回していた私は次第に、斧の重さを感じながら振るえるようになってきた。日がたつにつれ、柄のバランスや持つ位置が手に馴染み、斧の重みをストレートに薪に伝えられるようになってきた感じがする。薪が割れた瞬間は本当にスカッとする。でも事務所での私の斧の評判はさっぱりで、スタッフの女性に「私のほうがまだましだわ。」と微笑まれてしまうほどである。我ながら情けない。

 私が薪割りをしていると、スタッフの何人かが見かねてか「ちょっと貸してみろ」とばかりに私から斧を取り上げ、薪割りをはじめる。皆とても上手に斧を使う。自分がどれだけ上手に割れるのか、皆に自慢したいのだ。一人がはじめるとまた一人とリレーのように薪割りをするので、私の割る薪がなくなってしまうのではないかと不安になるほどである。仕事であった薪割りが、いつのまにか娯楽の一環になってしまった。まるでトムソーヤに出てくるペンキ塗りみたいだ。仕事もやり方によってはこんなにも楽しい。

 私が密かに“マスター”と呼んで尊敬しているのが、事務所のガードの一人である老人である。彼の年は60歳を超え、アフガンでは高齢といっても良いのに、実に器用に斧を使う。無理をせず、力を使わずに斧の重みをうまく使って薪を割る。私の目指す振り方である。私は感心してただ彼の薪割りを眺めるばかりである。

 昼休みが終わり、仕事に戻るスタッフと共に事務所に入った私がふと庭先に目を向けると、マスターが身をかがめてさっきまで私が薪割りでやり散らかした場所を掃き、小さな木片も無駄にせずに倉庫に運んでいる姿が目に入った。はっと身が引き締まる思いがする。私はアフガニスタンで得意げに斧を振り回してばかりいないだろうか。振り回した後、その場に残った木片のような、小さいけれども無駄には出来ない成果や人々との絆をなおざりにしてはいないだろうか。私はあらためて報告書に目を通し、今年の事業の準備に取りかかる。去年の結果を無駄にしない為に。せっかく生まれた復興の兆しを消さないように。暖炉の中では、すぐに大きな薪には火がつかず、小さな木片につけた火をうつすのが一番早くてよく燃える。

3月 26, 2003 事務所・スタッフ |

2003年3月13日 (木)

焦燥と希望の間(駐在員椎名カブール日記)

 「この国はひどい。カブールはもう駄目じゃ。でもアフガニスタンには村がある。人々がやさしく、親切な村が。」

 ある欧米のNGOが招待してくれたパーティで出会った年配のNGO職員が、独り言のようにつぶやく。その声はタバコの煙のように暗闇に揺らいで、吸い込まれる。

 この国でしばらく働いている人の口からため息と共に出るのが、この国とこの国の人々に対する落胆と諦め、憤りと不安の言葉である。復興は遅々として進まず、人々はただ一時的な緊急支援をもらうことばかり考えている。ローカルスタッフが堂々とお金をごまかす。国際機関の事務所が武装グループに襲われ、活動資金を奪われた。問題を話し合うミーティングでは国際機関へのお願いばかりが提示され、アフガン人自身で何とかしようとする気が感じられない等々…。暗澹たる空気が話している私達の間に漂う。

 「アフガン人に税制を確立する気がない限り、この国は駄目だよ。うちのスタッフでさえ、この国の復興のために税金を払う気さえない。共産主義の影響だろうか。教育や医療などのサービスはどこかから降ってくるわけではないのに。」

 「この国を動かしている人間の中にも、税制を作ると自分の利益が減って困る人々がいるんじゃないかな。だから税制を作らない。省庁はいつもスタッフを送迎する車が欲しいだとか、お金がなくて活動できないだとか言って国際機関に文句ばかりいっているけど、どうして予算がないのか、その理由を考えたりしないのかな。」

 「この国のシステムがしっかり税金を集めて、正しく使えるとも思えないけれどね。」

沈黙。

 そんなある日、私はカブールの警官が喧騒の中で、足を失い、松葉杖をついている男性を助け、彼がタクシーに乗るのを丁寧に補助している光景に出会う。その警官が笑顔でタクシーを見送っているのを見ていると、この国は少しずつでもいい方向に動いているかもしれない、という気持ちになることができる。97年からアフガニスタン支援に係っているという、スイス人の女性が話してくれた言葉がぼんやり私の脳裏に浮かぶ。「昔は、アフガンの女性が国際スタッフとこうして一緒に食事をすることなんて考えられなかった。女性同士でも、なるべく人目につかないように、きっちり時間を決めて車で送迎をして…。カブールも変わったわ。」私の隣に座っていたアフガン女性が話し出す。「以前、町で買い物をしていて、品物がよく見えなかったから、ブルカの前をめくって見ようとしたら、突然肩を何かで殴られたの。驚いて振り返ったらタリバン兵が立ってた。私、走って家に逃げ帰ったわ。」タリバン時代、目の部分のメッシュは広さが決められていたのだという。最近、その部分が広くなったブルカもあると聞いた。少なくともカブールでは現在、ブルカを被らない女性を見ることも出来る。

 私たちは、このアフガニスタンの焦燥と希望の間に立って活動している。どちらとも、今のアフガニスタンの姿だ。解決すべき問題は多く、支援の力、継続性は不確実である。けれど、この国では「それでも!」と言える人が悩みながらも支援活動を続けている。

3月 13, 2003 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2003年1月16日 (木)

地雷原に触れる2(駐在員椎名カブール日記)

16  イスラマディンの住む村は北に延びる主要道路の脇にあり、タリバンと北部同盟の戦場になった場所にある。今でも地雷や不発弾が散在し、家屋の横に戦車砲の薬きょうが並べてあったりする。現在、幾つかのNGOがジェンの活動地域で地雷除去活動をしているけれど、まだこの道路脇の除去作業でさえ終わっていない。除去員は一人ずつ地面にうずくまり、地表を少しずつ削りながら作業をしている。その姿はまるで、小さなヘラで大地を黙々とひっかいているかのよう見える。危険な“現代“遺跡発掘、考古学調査。掘り当てるのは私たち人間のおろかな歴史ばかりだ。アフガンでの地雷除去にかかわる友人の話によると、住宅地での除去にあと5年かかる予定だということだが、本当にそれだけで終わるのだろうか。気が遠くなる。 村人の案内で村を回るうち、真新しく赤と白に塗り分けられた石の列が現れる。地雷原のしるしである。私はその石の列にはさまれた小道を歩いて次の受益者に会いに行くのだ。しばらく行くとその石の列が途絶え、草むらの中に1本道が見えた。私は村の人々が先導する中、その道を歩く。一緒に回っているスタッフが「私の後ろを歩いて。足元に気をつけて。」と言って表情を険しくする。村人が普段使っている道だけれど、正直私は足が震えた。先ほど見た、赤くマーキングされた石が血塗られた石のように思えてくる。歩きながら、私は以前現地の地雷除去員に聞いた話を思い出す。「マーキングされた石が置いてある場所は危険だから近づかない方がいい。石がない場所も、チェックされていないということかもしれないから歩かない方がいい。」じゃあ一体何処を歩けばいいんだと私は一人でぼやく。日本で見た、地雷爆発の瞬間を捕らえたテレビ映像とその音が頭の中でこだまする。アフリカのどこかの国で偶然撮影されたというそれは「パン」という、思ったより高い音がしたっけ。 
先を行くスタッフの足元から目が離せない。瞬きも出来ない。なぜかひざの裏が痛み始めた。空気が薄いんじゃないのか。胸の奥まで息を吸いたい。息が苦しい。

 急に目の前が明るくなった気がした。草むらを抜けたのだ。

 肩で大きく息をした後、私が感じたのはやりきれなさと怒りだった。イスラマディンもこの道を通っているのか。そうなのか?私は一緒に働いた受益者の方々が、毎日この脅威を感じながらの生活を強いられている事に無性に腹がたった。何なんだこれは?何なんだ?怒りのやり場がなくて、私はしばらく声が出なかった。 

 事務所に帰る車の中、私は片足を失った彼の姿と、松葉杖をついた多くの少年達の姿をぼんやり想像していた。長い列を作る松葉杖の人々。その列の最後には、イスラマディンのやせた後ろ姿が見えた気がした。

 日本にいたとき、地雷の恐怖は私にとって顔の見えない漠然としたものだった。1日に地雷で150人以上の人が被害にあっていると聞いても、なにかつかみ取れない脅威だった。アフガニスタンで働きだしてから、片足を失った人々を何度も目にしたけれど、時間が経つと共に私の感覚は擦り減って、いちいち反応しなくなった。でも、イスラマディンに出会った後、私にとって地雷の恐怖は彼の顔と存在感を持った新たな恐怖に変わった。私は時々、そっと自分の足に触れてみる。今でもアフガニスタンのどこかで地雷があの音を立てて爆発し、彼のような少年が被害にあっていると考える時、私はざらざらしたものを心に感じる。ひざがまた痛み出す気がする。そして私は、何かを思い切り蹴飛ばしたい衝動に駆られて席を立つ。

1月 16, 2003 事務所・スタッフ |

2003年1月 9日 (木)

地雷原に触れる1(駐在員椎名カブール日記)

19  6の村で500軒のシェルター事業を行なっていると、どうしても全ての受益者の方にいつもお会いできるわけではない。足を棒にして1日中歩き回っても40軒をまわるのがせいぜいである。全ての受益者の顔や家族の方を記憶するのも難しい。けれど、受益者をまわる内、自然と印象に残る出会いというものがある。イスラマディンとの出会いも、そんな出会いの1つだ。

 私が彼の村を訪れたのは、シェルター事業も終盤を迎えた今、その建設作業を見届けて最終確認をするためだった。私は一人のフィールドスタッフを連れてここ数日村々を歩き回り、シェルター事業の受益者を訪ねながら作業の完了を促したり、記録の為写真をとりながら受益者から話を聞いていたりしていた。イスラマディンにもそんな受益者の一人として話を聞いたのだった。
彼はコックとして働く父を持つ、10人家族の3番目の息子である。カブールで7年間の国内避難民生活を送った後、故郷に帰ってきたという。上の2人の兄はイランに難民として出て以来連絡が途絶えている。彼は10代前半の若さで母親を支えながら、父親のいない間家を守っている。私の訪問に際し、兄弟と共に戸口に出てきた彼は、寒空の下シャツに薄いジャケットしか羽織っていなかった。

 私が彼に関心を持ったのは、そのシェルターを見たからだ。猫の額ほどの土地に、決して上手に出来ているわけではないが、彼を中心に兄弟が力を合わせて建てたという日干し煉瓦の住居は、彼らの手形が浮き出て見えるようだった。イスラマディンはトイレの設置を促す私の言葉に注意深く耳を傾け、私たちはしばらく一緒に話し合った。家の経済状況は決して良くない事は見た目にも明らかなのに、彼は決してこびへつらったりせずに、年下の兄弟達をあやしながら、私たちは全てを無くしてしまったけれど、日本の支援のおかげで自分達の家を見つけることが出来た、とても感謝していると丁寧なお礼を述べてくれた。彼の妹がはにかみながら、私を見上げる。 
 私はふと、この瞬間のために自分はこの仕事を続けていると感じる。彼らが私達と一緒に働いてくれた事に感謝する。

 どんなに一生懸命支援をしていても、至らないことで受益者との間に誤解や行き違いが生じ、彼らと口論になることがある。受益者の方の一部から非難され、場合によってはもうかかわらないでくれと言われる事もある。どうしてもこちらの意図が伝わらずにそう言われる瞬間は、重い岩を急に受け止めるような気分になる。私はそんな時、重たい足を引きずりながら、私のこの5ヶ月は何だったのだろうと、じっと自分の足元を見ながら歩く事になる。だから、受益者の方にお礼を言ってもらえたときは本当にほっとする。今回彼が私としっかり向き合ってお礼を言ってくれた時、私は彼の家族を支援出来た事を嬉しく思うことが出来たし、あの暑い夏のさなかの建設作業について、あれはお互い大変だったよなあと、肩をたたき合いたい気持ちになった。大げさではなく、私は彼のような受益者に会えたことで、アフガニスタンに来て良かったと、素直に思うことが出来たし、父親と同じようにコックになりたいという彼の夢が、近い将来実現する事を祈らずにはいられなかった。

 地雷原の脇を歩いたのは、そんな出会いのすぐ後のことだった。

1月 9, 2003 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年12月11日 (水)

外国人の私とカブール(駐在員椎名カブール日記)

7  チキンストリートは外国人が買い物に来ることの多いショッピング通りである。私がこの通りで買い物をしていると、まだ10代前半らしい子供たちが3人店に入ってきた。この通りは洋食の食材が手に入るけれど、値段が現地の食材よりとても高いので、私はいつも自分の財布と相談して緊張しながら買い物をする。いくつか店を回って一番安い店を確かめて買うことも多い。と、そんな私を尻目に3人は50新アフガニー(約1ドル)の札束を胸ポケットから出して、派手に洋菓子や飲み物を買い漁り始めた。

  1日2ドルで働く肉体労働者がごまんといるこの国で、その光景は私にとって異様に映った。「お金の本当の価値がわかっているのか」と正直言って私は少し腹が立ったが、ふと思い当たることがあって考えてしまった。私のような外国人がアフガンで買い物をする時も気をつけなければいけないな、と思ったのだ。私がお金持ちの子どもに腹が立ったように、多くのアフガン人も、外国人が資金力に物を言わせて買い物をするのを見ていい気がするわけがないだろう。カブールでは町が日増しに活気づき、新しいレストランも出来て言ってみれば外国人にとって少しずつ住みやすい都市になってきたけれど、本当のところアフガン人にとって住みにくい都市になってはいないだろうか。高級車を乗り回し、現地の人にとってとても高級なレストランで食事している“アフガン支援に来ている”外国人は、現地庶民に目にどう映っているのだろう。あの3人の子供達はお年玉で買い物に来ただけの、一時的なものかもしれない。でも私達外国人は...。

 アフガン支援のために来ている外国人として言わせてもらえば、ここでの生活は決して楽ではないし、たまにはこちらでは高級でも味やサービスはヨーロッパや本場の味とは比べるまでもないレストランで食事するぐらい、許して欲しいとも思う。私の給料も、日本の企業で働く友人達とは比べるべくもないし。支援をするには現地の方と同じ目線で生活するのが良いと思う反面、治安確保のために事務所や車にお金をかけざるを得ないという事情もある。もちろん、アフガン人の中にも外国人がアフガニスタンで生活することがいかに大変か、理解してくれる人も多い。けれど、一般のアフガン人の方が頭で理解できても心安らかでない気持ちはわかる気がする。

  これからクリスマスやお正月にかけて、私達外国人はパーティなどで外出することが多くなるだろう。私もカブールで年を越す事になった。国連のセキュリティー・オフィサーによると、最近アフガニスタンにタリバンやアルカイダの勢力が再結集しているということだし、外国人批判・排斥の動きがこれに連動しないとも言い切れない。現に最近国際NGOの職員が武装グループに襲われるという事件が幾つも起きている。レストランなどの外国人が集まる所はテロの格好の標的だし、私が反外国人テロリストなら絶対狙う。

 つい忘れがちだが、私はまだ戦火のくすぶる国で生活しているのだ。子供達が抱えた札束を見ながら、私は自分の行動が現地の方からどう見られているか、どう見られるかに注意してこの年末を過ごそうと思った。

 今年も残りわずか。

12月 11, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年12月 6日 (金)

人々の顔が私を動かす(駐在員椎名カブール日記)

6  1ヶ月続いたラマダンが終わった。3日間のイード休みだ。

 青空が広がったカブールの空には凧が舞い、どっしりとした冬の空気に淡い日の光が射している。ジェン・カブール事務所では現地の習慣に習い、主だったスタッフは車2台に分乗してそれぞれのスタッフの家を挨拶して回った。最近のカブールは冷え込みが厳しくなり、路地裏の下水に張った薄氷を避けながら歩いていると寒さが足元から上ってくる。スタッフのお宅にあがるとお茶と甘いお菓子が出され、しばらく歓談した後、次のお宅にお邪魔する。”イード・ムバラク“が決まった挨拶言葉らしい。多くの人が服を新調しているし、”おめかし”している子どもも多い。カブール市内を巡るうちに私の頭に浮かんだのは、幼いころの記憶にある日本の古きよきお正月の姿だ。昔、祖母に手を引かれて親戚回りしたおぼろげな記憶が私にはある。垢抜けてはいないけれど、独特の清潔感と高揚感があり、あらたまった気分になる。5軒ほどの挨拶回りを済ませると、私のお腹はお茶で一杯になってしまった。

 スタッフの家族に会うことが出来るのはとても楽しい。子供達に“アフガン版お年玉“のようなお金をあげながら、父親のスタッフの顔と見比べてみるのはおかしい。スタッフが父親の顔になり、子どもをなだめたり、後ろ姿を心配そうに見送ったりする時、普段私に見せたことのない表情を見せる一瞬が面白い。私が1つ不満なのは、彼らの女性の家族メンバーにお会いできないことである。普段はあんなに強気なあのスタッフは実は恐妻家だと聞いたりすると、ぜひお会いしたくなるのに。

 私たちジェンの事業は日本の皆さんの貴重なご寄付や財団、国際機関からの資金的支援、協力事業によって成り立っている。水、教育、職業。私がアフガニスタンにきて早や4ヶ月が過ぎたけれど、私たちが少し支援させていただくだけで、人々の暮らしが大幅に改善されると思える事業計画がたくさん浮かんでくる。けれど、残念ながら慢性的な資金難がそんな事業を実施する事を許してはくれない。折角はじめた事業も、資金が続かずに頓挫・打ち切る決定を下すことも十分ある。最近日本から来た方に私が決まって聞くのは「今、日本ではアフガンの現状についてどのように報道されていますか?」という質問である。教えてくれる方はただ首を振るばかりで、私は焦燥を隠せない。 現地政府が支援のイニシアチブを取る事を主張し、スタッフに経験と自信、希望が生まれてきたこれからが正念場なのに。アフガニスタンを忘れないで欲しい。やっと始まった復興に向かう動きを止めないで欲しい。スタッフとその家族の顔を見ながら、私はあらためて事業を続けたい、やめたくないという気持ちを強くする。アフガニスタンの人々の様々な表情は、私を現場に惹きつける。

 公園には臨時の遊園地のようなものが出来て、木でできたメリーゴーランドのようなものにぶら下がって遊ぶ子供達を見ることが出来る。 
こんなにたくさんの子どもが公園で遊んでいるのを見るのは、アフガンでは初めてだ。裸足に靴をつっかけて、転がるように走っている子どもがいる。厳しい寒さは何処へやら、精一杯遊んでいる子供達の姿を見るのは何か嬉しい。寒さに震え、資金繰りで眉間に自然と皺がよる私に“あの元気が欲しいっ!”と思った自分は、すっかりオヤジ。

12月 6, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年11月20日 (水)

ラマダンのある風景(駐在員椎名カブール日記)

5  ラマダン(アフガンの公用語ダリではラマザン)が始まって2週間が過ぎた。正直言って私はこの行事がこれほど大きく私の生活にかかわってくるとは予想していなかった。

 先ず就業時間が公式にも実際の面でも大幅にカットされた。政府機関は朝の8時から昼の1時までだが、お昼頃にはもう人はいないことが多い。ジェンもお祈りの時間を入れて8時から昼の3時半までだけれど、2時半を過ぎるとチャリカのスタッフはうろうろと落ち着かなくなり、荷物をまとめたり、夕食の食材を買出しに皆で出かけようとしたりする。私はしつこくスタッフに一日の予定を確認し、彼らをプッシュしなければならない。信仰深いアブドラはさっきから私に断ってから2時間に1回ほどの割合でお祈りをしているし、一度始めると10分はかかる。他のスタッフも頻度の差はあれ同じようにお祈りをしている。共通なのは信仰の深さにかかわらず、時間が来るとさっさと家路に着いて食事の準備をすることである。後に残るのは、仕事からいつまでも抜けられないかわいそうな日本からのスタッフのみ。

 日本からのスタッフもラマダンと現地スタッフの心情を尊重し、昼食は食べないことにしている。朝食は一度食べないで懲りた後、食べるようにした。現地スタッフの一人が私に、ラマダンは日頃貧しく食事が満足に取れない人々の心情を理解する為に行なう意味があるといったとき、私はまさしく自分こそラマダンに参加するべきであるとチャリカスタッフに告げ、失笑を買った。実際に“プチ・ラマザン”に参加してみると、最初の決意はどこへやら、私の意思にかかわらず鳴り続けるお腹をもてあまし、マーケットにぶら下がった肉をじっとにらんでいる自分と、そんな私を見上げる子供にふと我にかえったりする。短気な私はますます気が短く不機嫌になり、一日の終わりにベッドに入りながら、自己嫌悪にさいなまれる事になる。

 夕方5時ごろ、チャリカからカブールへの帰途につく私は、夜の到来とラマダンの終了を告げるお祈りの声がモスクから流れてくるのをお腹で聞きながら、車窓の外の景色をひもじい思いでぼんやり見ている。 外は夕暮れの帳が下り、人々が薄い毛布のようなものを草原に引いて祈りをささげている。夕焼けの澄んだ光と雪で白く覆われた高い山々。冷たい静寂と人々の敬虔な祈りの中で、イスラム教徒でない私も今日一日の無事を何かに祈らずにはいられなくなる。アフガンの人々を信仰に強く結びつけるのは、長年の戦渦か、その厳しい自然環境だろうか。私は何に祈ればよいのだろう。自然か、あるとしたら私をアフガンに導いた運命か。 
カブール市内に入り、活気に沸き立つ街角に頬を真っ赤にした子どもが夕食のナンを両手にいっぱい抱えて家路に急ぐ姿を見ると、私はほほえましい、何かしら安心したような気分になり、次いで敬虔な気持ちは今夜の献立の心配に取って代わる。私の信仰心らしきものは、いつまでも食欲に勝てそうにない。

11月 20, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年11月 8日 (金)

冬が来た!(駐在員椎名カブール日記)

4  それはまだ強いカブールの日差しの中の一陣の風に始まり、はるかに見える高い山々の雪化粧と深夜の足の冷たさを通してついに町全体を支配した。時折降る雨と空を被う灰色の雲。

 最近のカブールでは停電や電圧低下がはげしく、寒さの中部屋にある電気ストーブは赤く温まらない。1日の大きな楽しみである温水シャワーも突然の停電で暗闇の中の冷水に変わってしまう。カブール事務所兼住居では井戸から電動ポンプで水をくみ上げて使っている為、停電になると水も出ない。トイレも然り。私達は洞窟探検で使うようなヘッドランプを持ち、停電になるとそれを使って仕事をしている。これが冬のほんの始まりにすぎず、これから零下10度以下まで気温は下がるというのだから参る。まさに越冬支援が必要なカブール事務所。皆さんの愛の手を!

 ・・・と他人に頼ってばかりもいられないので今日から現地のストーブ、“ブハリ”を使い始めた。構造は極めてシンプル。小型のドラム缶に毛が生えたようなものに排気用のパイプを付け、部屋の排気穴に接続したら設置完了。幾つかタイプがあるらしいがジェンが使っているのはポピュラーな薪を使うもの。一台12ドル也。最初は埃やすすを掃除したり、煙が部屋に充満したりして大変だったが、一度慣れてしまうとなかなか良い。においが気になる人もいるけれど、少なくとも私には香ばしい香りである。これからのブハリの活躍に期待したい。
しかしここで(私にとって)新たな問題が発生した。イスラム教国の習慣行事、“ラマダン”の始まりである。朝の4時ごろから夕方の5時半頃まで、アフガンの人たちは食べ物はもちろん、飲み物やタバコなども口にしない。こちらの人々は寒い朝に早起きして朝食を食べるらしいのだが、寝坊して食べ損なった私にはさらに厳しい。この日記を書いている間にも、はっと気がつくとこの前食べたケバブのことなどを考えている。そこにこのブハリの登場とその香ばしい匂いである。食いしん坊の私はついついブハリの上に置かれたパンやお餅を想像してしまう。

 ラマダンでの終業時間の午後3時半を過ぎ、現地スタッフが帰ってしまうと早速日本からのスタッフはケーキやゆでたジャガイモに飛びついた。16時間ぶりの食事である。するとまだ残っていたドライバーが部屋に入ってきた。とりあえずお腹を満たしてほっとしていた私が見たのは、テーブルの上に残っていた皿を見たスタッフの微妙な表情だった。「あ、コイツ...。やっぱり俺達とは違うな...。」といったような。しまった。今までの我慢が水の泡...。

 これから1ヶ月続くラマダンと来年の春までの厳しい冬。日本からのスタッフにとって長い冬になりそうである。

11月 8, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年10月 9日 (水)

ライバルは同僚?(駐在員椎名カブール日記)

2  アブドラは私がアフガニスタンでとても信頼しているスタッフの一人である。彼は私の同僚であり、アフガン支援の先輩であり、ある意味目標でもある。彼は私が担当しているシェルター事業のプロジェクト・コーディネーター、現地責任者である。プログラム・オフィサーである私は彼と常に連絡を取り、事業の進行状況の確認や問題解決に取り組んでいる。

 アフガンで働く他の人から、アフガン人は仕事が出来なくてとこぼされることがあるが、私は違った印象を持っている。彼がそのいい例だ。私がプロジェクトについてろくに考えもせずに意見や指示を出そうものなら、彼の厳しい指摘と反論で蜂の巣にされてしまう。彼の口癖は「だけど椎名、君も知っているように…」であり、そのあとに「それでは受益者にパキスタンへ戻られてしまうよ」や「来年になったってこの事業は終わらないよ」が続く。そして彼は少しもえばらずに、現地の事情に通じた的確なアドバイスやアイデアを出してくる。私はしまったと慌てて取り繕おうとするが、後の祭りである。悔しいが、私はいつも彼に一歩先を行かれている気がしている。いつか彼をうならせる指示やアイデアを出してやろうと、私もない頭を絞る。

カブールの貧しい家庭に育った彼は、兵役についていた青年時代、傷つき、貧困にあえぐ人々を見てそういう人々のために働きたいと考えるようになったという。「私も経験があるから、彼らがどんな思いで生活しているか分かる。私はこの国で生まれ、学び、生きてきた。これからは自分がこの国にできる事をする時だと思っている。」彼は私をまっすぐ見ながら話す。当時アフガンで唯一人道支援を行っていたアフガン赤新月社で働き始めた彼は、同時に苦労して大学でエンジニアの学位を取得した。その後も実践で英語を学び、国際支援団体で活動を続けながら20年以上の紛争中もアフガニスタンに留まった。災害準備プログラムや帰還民の再定住支援などに関わってきた彼は、タリバン政権時代カブール市内での調査に女性のスタッフを雇用したことなどで身の危険にさらされながらも活動を続け、同時多発テロ以降の騒乱を迎えた。彼は俗に言う「たたきあげ」である。   

ジェンで働くきっかけを彼に尋ねると日本はアジアの一部であり、親近感を持っていたと答えた。彼は日本のアフガン支援に対して感謝しながらも、その支援金の用途に注意を呼びかける。「椎名も感じていると思うけど、言葉が出来ない日本人はアフガン人にだまされやすい。しっかりとしたモニタリングのシステムがないと支援が本当に必要な人々にまわらない危険が常にある。」日々の食料の買出しで痛い目にあったことのある私はうなずかざるを得ない。「アフガニスタンには低識字率と貧困という大きな問題がある。しっかりとした軍隊を整備して治安を確保するのと同時に、先ずはアフガンにあった教育システムを作ってこれからのアフガニスタンの基礎にすべきだと思う。」私には来年長男が学校に上がる彼の、父親としての気持ちがそこにのぞいている気がする。
私は彼を同じ支援活動で働く人間としてとても尊敬している。私は彼と一緒に活動に係ることができることを感謝しながら、いつか彼をギャフンと言わせてやろうと日々彼の胸を借りている。

 「Oh, 椎名、そんなことしてたら日が暮れちゃうよ。それだったら…」

 しまった。ちくしょう、今に見ていろ。

10月 9, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年10月 6日 (日)

人と人の間にあるもの(駐在員椎名カブール日記)

3  カブールから北へ伸びる主要道路はショマリ平原の真ん中を突っ切って伸び、私を乗せた車は両側に崩れた家々や地雷原を見ながらその道を走る。道路わきにひっくり返った戦車の残骸を50台ほど数えるとそこがチャリカである。

 ジェン・チャリカ事務所で働くスタッフはドライバーや門番を入れて全部で25人ほど。前回書かせていただいたアブドラを中心に、チャリカの46の村で日々シェルター事業に取り組んでいる。年齢は20歳から62歳までで、バックグラウンドや性格は様々である。冗談を飛ばし、飄々としているが、実はとても熱血漢で事務所にじっとしていないハルーン、勉強家で知識豊富、話し出したら止まらないジャラル、手がつぶされるかと思うくらいきつく握手をしてくるジャムシッド。その他性格や風貌も全く異なったスタッフ達は、わいわいがやがや、文字通り寝食を共にしながら仕事をしている。私は彼らと一緒に輪になって床に座り、みんなの顔を見ながら昼食を食べるのが好きである。「仲間」「同士」という感覚が味わえるからだ。

 村々を回るとき、私はその村を担当しているスタッフと村人がどんな風に会話しているかに最も関心を払う。私がアフガニスタンで働くようになってつくづく感じるのは「ジェンとはそのスタッフである」ということだからである。ジェンのスタッフがどのように村人と接し、一緒に事業を行うのか。シェルター事業を行なっているとき、一番苦労するのは物資の運搬でも建設自体でもなく、村人の説得である。事業は村人の協力、理解をいかに取り付け、問題が発生したときに一緒に解決できるかにかかっている。受益者に直接係る現地スタッフの、村人に対する態度はアフガンでのジェンの運命を左右する。
 「俺が作ったリストに文句あるのか!日本は金持ちなんだからけちけちせずに500軒でも1,000軒でも援助すればいいんだよ!俺の方がお前らなんかよりこの土地に詳しいんだから俺に支援の配布を任せろ。お前らが俺のリストのチェックをすることは許さない!」

 現地の役人にそう言われ、気が短い私はカッと頭に来たり、途方にくれたりすることがある。かと思えば建材の早期配布を訴えて事務所にやって来た村長に、カブールからの建材の遅れや現状での努力をご説明してかえってとても感謝され、絆が深まることもある。以前働いていたインドで、支援物資の輸送費に頭を悩ましていた私に、村人が集まって相談しトラクターを出して助けてくれたことがあった。 
私たちの支援というのは人と人の間にあるものだと、私は思うようになった。馴れ合いにならずに、お互いの持ち味を出せる関係。スタッフの間でも、スタッフと受益者との間でも。ジェンの本領はそこに発揮されなければ。 

 …と私はそこまで考えたところで、わが身の日頃の短気と忍耐力のなさを反省するのである。

10月 6, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年10月 1日 (火)

アフガンで子どもや女性が生きることについて(駐在員椎名カブール日記)

1  彼に目が止まったのはバグラン州のプリフムリという町の食堂で昼食をしている時のことだった。とりあえずケバブをほおばって、皿から顔をあげて店内を見渡すと、5,6人の少年達が粗末な木でできた箱を肩にかけ、客の間を巡回しているのに気がついた。日本で言えば小学5,6年生ぐらいの年齢だろうか。靴磨きの少年達である。食堂の客は靴を脱いで床に座るので彼らは手ごろな靴を見つけるととりあえず磨き始める。食堂の客が気がついて止めない限りはそのまま磨いてチップを要求する。同時に食堂の客の残飯を失敬し、店の片隅で食べている。彼らと食堂の店員との間には微妙な緊張関係があり、あまり客にしつこくすると店員に店から追い払われる。彼は店員の動きに気を配りながら皿に残飯を集め、仲間の少年としゃがんで食事をはじめるところだった。後から別の少年がやってきて、脇から彼らの皿に手を伸ばした。すると彼はその少年の腕をとっさにつかむと、そのまま少し上目遣いに彼を見据えた。ほんの一瞬の出来事だったが、彼の子ども離れした視線の鋭さとその貫禄に、私は彼の生活の一部を見せつけられた気がしてはっとした。かわいそうだとか、同情とかいった感情はおきず、むしろ尊敬に近い感情だった。彼はたくましかった。

 彼はナジールと名乗った。12歳だという。2人の兄弟と6人の姉妹がいる家族に育ち、靴磨きは両親に勧められて始めたと言う。1回の靴磨きでもらえるお金は3,000アフガニー、約7.5円。アフガンでは地元のパンが1枚と砂糖なしのお茶が飲める。「学校は?」と聞くと「行っていない」とだけ無表情に答えた。将来の夢だとかについて訪ねてはみたけれど、政府の役人になって国の役に立ちたいとか、模範的な答えをしてくれるだけだった。私はそれまでの経験で、同じ答えを何度も別の少年達から聞いていた。アフガンの子供達は他人に話す夢の種類が少なすぎる気がする。子供たちが話すことがすべて真実だとは限らないし、聞き手の私を見極めて話を創ってくれることもあるようだ。

 アフガンの路上では様々な“仕事”につく子供たちに出会う。交通渋滞の中で新聞や雑誌を売り歩く少年。車椅子の少女を連れてお金をせがむ少女。アスファルトがはげた道路にスコップで形ばかりの砂を被せ、車がそこを通るたびに敬礼してお金を要求する少年達。
私は彼らにたくましさへの感心や苛立ちなどが混じった複雑な気持ちを抱くとともに、自分の少年時代がいかに恵まれたものだったのかを認識させられる。太平洋戦争敗戦後の日本でも私の祖父はこんな少年時代をおくったのだろうか。 

 レストランでの出来事はそれで終わらなかった。
 食後のお茶を飲んでいるとき、草木色のブルカを被った女性が店内を回り始めた。彼女達のブルカは穴だらけで、何年も洗っていないかのように汚かった。すると袖から黒い手を差し出してローカルスタッフにお金をせがんでいた手が、私達が残したケバブの脂身に伸びてあっという間もなくそれを串から抜き取ってしまった。うろたえた私たちは残っていたパンのかけらも渡してしまった。

 それを見て私のコーラの空き缶を奪って残りの一滴まで飲む少年たちも、すごすごと引き下がった。女性が家の外で仕事をすることが難しい国において、彼女の生きる手段はとても限られている。彼女は靴磨きをすることさえもできず、ただ手を差し伸べるしかないのだ。彼女の食べ物への執念、“生”への執念は日本から来た私だけでなく子ども離れした貫禄を持つ店内の子供たちでさえたじろがせるものだった。彼女が他の客にお金をせがんでいる姿を見ながら、私の頭に浮かんだのは「なぜ人間はそこまでして生きなければならないのだろうか」という普段なら考えもしないような、今考えると少し気恥ずかしい問いだった。彼女に尋ねたら、どんな答えをくれただろうか。きっと答えを聞く為にお金を要求され、「そんな事を考える暇があったらもっとお金をくれる客を探すよ」と言われるのがおちだろう。

 “温室育ち”の私が書類上にただの数字の羅列となって示される、支援が必要とされる人々を見るとき、私はナジールのあの視線と、ブルカから出た、脂身を握り締めるあの黒い手を思い出すようにしている。私は、私が経験したこともない年月を過ごしている彼らに何が出来るのだろうか。私の支援活動に、彼らの生活の重みをともに受け止められる真摯さ、たくましさがあるかどうか。私は考える。

10月 1, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年9月25日 (水)

今、カブールに住むということ(駐在員椎名カブール日記)

 ISAFのヘリコプターが爆音を響かせながら、事務所の上を飛んでいった。9月9日のマス-ドの命日から9月11日までの3日間、カブール事務所では外出を最少限にするとともに、地下室に水や医薬品などを用意して何かが起きた際に備えた。8月の末から今月初めにかけて、カブールでは爆弾テロと思われる爆発が相次ぎ、死傷者がでている。私も以前行ったことのある建物や市場での爆発のニュースには、耳の後ろに誰かの冷たい視線を感じている気分にさせられる。現地スタッフが教えてくれた噂によると、カブールには34台の車爆弾が潜入したが、そのうちの1つが今月初めにバザールで爆発した物、もうひとつは警察が発見し、その他はまだカブール内に潜伏しているのだという。誰がどこでそんな噂を流しているのかわからないけれど、カブール市民がまだこれからも爆弾騒ぎがあると強く信じていることは確かである。8月中旬にはUNHCRから、借りている車についているUNHCRのロゴをはずすようにとの指示があった。理由は知らされていないが、車に爆弾が仕掛けられたり、狙撃されるのを恐れての処置ではないだろうか。

 自由に外に出て買い物や仕事が出来ないというのがこんなに嫌な感じだとは、ここに赴任するまで知らなかった。水の中を歩いているような、胸を軽く圧迫されている感じがして、とりあえず庭に出てみる。この事務所がある地域は、国連機関のゲストハウスもある治安の良い所だけれど、夜中、門に何かがぶつかった音がしたり、外で誰かが話しているのが聞こえたりすると落ち着かなくなる。神経過敏だとは思うのだけれど、最悪の事態のシナリオが頭に浮かんできて何度となく門を見に行ったりしてしまう。カブールではないが、チャリカにあるジェンの事務所では先月の終わり、石が投げ込まれるという事件が起こった。犯人や動機は不明だけれど、不安はいつも空気のようにこのカブールにもある。

 カブールのローカルスタッフの話は、今カブールで生活する人々の心情を垣間見せてくれる。彼の息子がバザールに買い物に行くというので、彼は息子がテロに遭う事を恐れてそれに反対した。紛争中もアフガニスタンに留まった彼は、今でも紛争はまだ終わってはいない事を強く感じている。息子を引き止める彼に、彼の妻がはっきりと言った。「あなた、引き止めるのは止めましょう。息子にもし未来があるならば生き残るでしょうし、そうならなければそれが運命なのでしょう。」

 衛星放送が見られる事務所のテレビでは、ニューヨークでの同時多発テロの犠牲者に対する追悼式典の様子が流れている。テレビの中の空には戦闘機が舞っていた。私は、自分のいる場所とブラウン管の向こうの世界との奇妙な距離感の中で、今日一日が無事過ぎ去っていったことに感謝した。

9月 25, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年9月18日 (水)

アフガニスタンにいるクジラの話3(駐在員椎名カブール日記)

 「アフガニスタンのクジラ」は、私の中にもある。

 市長などを訪ねて、私達のシェルタープロジェクトに関する協力を依頼するため、チャリカでミーティングを開いた時のことである。約束時間に40分近く遅れてしまった私や他のジェンスタッフは、先ず遅刻に対してお詫びを申し上げた。余談だが、私の知っているアフガン人の多くは、時間の約束をちゃんと守る。そのとき、同席していたチャリカ50村落の長が静かに、しかししっかりとした口調で話し始めた。

 「私の村にはこれまでにも多くの人々が援助の申し出をしにやって来た。早朝に私の家の門を叩き、農業支援のために力を貸して欲しいといってきた団体もある。それらの多くが、その後全く音沙汰なしだ。時間でも支援活動でも変わりはない。出来ない約束ならしないで欲しい。」

 私はこの老人の言葉に自分の支援に関する意識の甘さを突かれた思いがして、しばらく顔が上げられなかった。
 私の短い現場経験の中で学んだことで恐縮であるが、支援活動は現地の方々の御協力なしには成し遂げられない。現地の文化、伝統、社会構造を学ぶこと。本当に今必要な支援は何か、村人と相談すること。その土地に合った、プロジェクトの効果的、効率的な実施方法を話し合うこと。土地の治安状況を教えてもらうこと。逆説的だが、私達は受益者の方々によって助けられながら支援をするのである。そのためにはまず、受益者の方々に信頼される、認められる団体になることが必要である。口ではなく、行動で私達の支援への意志を伝えること。調査・視察は大事だが、先ず小さなことでいいから目に見える支援を実行すること。出来ない約束はしないこと。受益者からの大きな期待を一身に受ける支援現場では、これらのことを守るのは想像以上に難しい。

 在のアフガニスタンにおける国際的な支援活動の嵐の中で、支援金に群がる「アフガンのクジラ」ではなく、一緒に行動する仲間として認められたいと考えるのは甘いだろうか。大きなプログラムの計画も大事だけれど、井戸掘りのひとつでもいい、今から小さな支援の実績を積み重ねないとアフガニスタンの人々からの信頼を失い、今後の支援が的外れなものとなってしまうと心配するのは杞憂だろうか。私は「アフガンのクジラ」の話が正しいかどうかという事とともに、この話が生まれたアフガンの人々の国際支援に対する意識が気にかかる。

9月 18, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年9月 4日 (水)

アフガニスタンにいるクジラの話2(駐在員椎名カブール日記)

 「シイナはクジラがどんなふうに餌を捕るか知っているか?」
 「集団で追い込むとか?」
 「違う違う。まずクジラは音を出して魚たちをを1つの群れに追い込んでから、そのままガブリ!と飲み込むのさ。」彼は大きな口を開けて飲み込むジェスチャーをし、すこし笑った。
 「そうだったっけ?」
 「アフガニスタンのクジラも同じように餌を捕るのさ。“支援金”という美味しい餌をね。」
 「!?」
 「アフガニスタンで働く支援機関の国際スタッフがいくら給料でもらっているか、シイナは知っているのか?」
 「・・・・・」

 私は話の流れをやっと理解し、すぐに反論しようとしたが、言葉が思うように出なかった。現実との相違点よりこの話の示唆している点に私は捉えられてしまった。彼の言うところの“クジラ”に、カブール市内を巡ればどれほど出会えるだろう。彼らの出す“音”とはさしずめ“XX支援”であり、“OOプロジェクト”という看板であり、つまるところは“アフガニスタン復興支援”というスローガンなのだろう。スローガンが支援金を集め、アフガンのクジラも海外から来たクジラもそれを飲み込む。
「海外から来る支援金の大半は、そうやってまた海外に戻っていくのさ。」

 彼にとっては私もそのようなクジラの一頭にすぎないのか?私は彼の言うクジラなのだろうか?アフガニスタンの人々の目に、私たち支援関係者はどのように映っているのだろうか?

9月 4, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年8月20日 (火)

学校は好きですか?(駐在員椎名カブール日記)

 カブール市内を車で回っていると、まだ幼い女の子が青っぽい布のかばんを肩にかけ学校に通っている光景を目にし、何かほほえましい気分になる。ジェン(JEN)も参加しているUNICEFのバック・トゥ・スクールキャンペーンによって支援されている生徒である。その布のかばんも、文房具も、日本政府の資金援助よって実現し、JENのスタッフ3人も現場で活動しているこのキャンペーンによって支給されたものだ。私はキャンペーンに出向している渡邊、玉利、浮橋の「顔のある」活躍を誇らしく思う。あの少女には、日本はどんな国に映っているのだろう。

 私が訪れた学校は、カブール市内にある、これから修復事業が行われるラビア・ハイスクールだった。まず目に付いたのは校庭で強い日差しと砂埃にあおられているUNICEFのテントと、その中で熱心に勉強している生徒達だ。ビニールシートの上に座り、顔をしっかり上げて先生の話に聞き入っている。「教室」の中にあるものといったら、簡単な黒板と….それだけ。イスも机もないけれど、生徒達の大きな目や前に乗り出した小さな肩を見ていると「ここに居たい」「何かつかみたい」といった気持ちがそこにはあるように感じられた。私が小学校に入学した時の事を思い返してみると、ぴかぴか光ったランドセルや、大きな筆箱に入った削りたての鉛筆の匂いが浮かぶ。彼らにはそんな物質的な喜びはないかもしれないけれど、学校に行くことが出来る喜びは、行くことが当たり前だった私の想像以上なのだろう。
 校庭を囲む塀の影ではビニールシートや布のようなもので日よけを張り、日差しから身を隠すようにして生徒が勉強していた。戦禍を免れた教室も、紛争中に国内避難民が住み着いていたため、修理が必要である。この学校では、教室数が絶対的に足りないのだ。男女は別々に授業を受けるので、この状態で3シフト制の授業を行っていると聞いた。UNDPなどからの資金援助を受け、JENが担当することになったこの学校の修復が、生徒達やこの国の将来に少しでも寄与できればすばらしい。

 私は教育支援の現場を訪れるとき、JENの支援物資の1受益者だったという少女の言葉を思い出す。

 「将来は誰かに支援されるのではなく、誰かを支援できるようになりたい。」

 そんな日が一日も早く訪れるように、JENはこれからもアフガンの将来を担う彼らの支援をさせていただきたい。

8月 20, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年8月10日 (土)

カブールに赴任して(駐在員椎名カブール日記)

 私がアフガニスタン、カブールに赴任してはや1週間が経とうとしている。私はこの機会を利用して、この国で私が見聞きした事柄の中から特に今のアフガニスタンを伝えていると思う物を皆さんにお伝えしたいと考えている。

 カブール市内でまず私の目にとまったのが車の多さと道の両脇に広がる市場の賑わいだった。カブールの路上は日本の中古車が席巻しており、「株式会社XXX」や「信頼のOO」などが市内を黒い煙とともに走り抜けている。白と黄色に塗り直された車体に、わざと信頼性の高い日本製である証として消さずに残してあるのだという。私が見た車の中には、見よう見まねで後から日本語をペイントし直したか、新たに付け加えたらしい物も見かけたけれど。他にはメルセデス・ベンツが人気で、トラックやバスの車体に大きくペイントされているのをよく見かける。交差点ではそれらの車が歩行者、自転車、ロバ、そして援助関係者の車などで出来た混沌の中でうなり、うごめいている。
 
道に沿って広がる市場では、スイカやメロン、桃などの果物やナスなどの野菜を手押し車に載せて売る人々やインドのナンに似たアフガンのパン、マトンなどを店先にぶら下げて売っている人々であふれている。タバコは韓国産のものが良く吸われているらしい。価格にこだわらなければ、カブールには物資が豊富にあるようだ。
先日私の車の前を走っていた車からアフガンのパンが何枚か道路に滑り落ちた。その車が気が付かずにそのまま走り去ろうとしたその時、一人の少年が市場から走りより、パンをかき集めて交通渋滞の中をその車を追いかけた。その少年は落とし主からの感謝の言葉も期待していない風で、何事もなかったかのように市場に戻ってきた。戻ってきた彼の涼しげな顔と小さな背中が印象に残った。

 これからもカブールのことは書いていきたいと思う。次回はジェンが修復している学校の様子について書きたいと思う。

8月 10, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2001年12月27日 (木)

JENカブール事務所開設

 米軍の空爆が既に数ヶ月に及んでいるアフガニスタンでは、今後ますます冷え込みの厳しい日々が予想されます。JENはすで、パキスタンを中心に越冬支援物資の調達を進めており、支援事業は順調に進行しております。

 それと平行して私たちは、JENカブール事務所の設置準備を進めてきましたが、この度12月15日、JENカブール事務所の開設に至り、設置作業を完了しました。当該地は国連機関や多くの国際NGOも事務所を構えている地域です。私たちJENはこれまでにおいて、イスラマバードおよびペシャワール事務所を通じてアフガニスタン難民・避難民への支援活動を行ってまいりました。しかし今回のカブール事務所の開設により、今後はJENもカブール事務所を拠点として各国連機関、現地NGOとの共同プロジェクトを推進していくことが可能となりました。

12月 27, 2001 事務所・スタッフ | | コメント (0)