私がNGOの世界に入ってもうすぐ2年が経とうとしている。
NGOでの仕事は私にとって、長距離走で長い下り坂を走るのに似ていると感じる時がある。自分ではもう少し自分のペースを守って走りたいのに、足だけがどんどん坂を下ろうとして上半身がのけぞる、あの感じである。危ないと感じているのに、さらに車のアクセルを踏み込む感じである。最初の赴任地だったインド・グジャラート州で震災復興支援事業を行なっているとき、私は事業が無事完了するのが先か、私が倒れるのが先かの二つに一つだと思いつめたことがある。学校から出たばかりの頭でっかちの私は、現地での様々なトラブルの渦の中で、それこそじっと自分の手を見ずにはいられない、得がたい経験をさせていただいた。36度、インド炎天下の中のテント設営。受益者同士の争い。マラリアの恐怖。腹痛で迎える夜明け。下水の匂いのする部屋の中で、余震に怯え、腹痛に耐えながら私は孤独だった。人が信じられなくなり、自分に自信が全く持てなくなっていた。そんな中で、私が活動を続けられたのは、幾つかの“スイッチが切り替わる瞬間”のおかげである。
この年末、私は風邪をこじらせ熱を出してしまった。アフガニスタンでのシェルター事業は終盤を迎え、私は現場をくまなく回らなければならない。新しい事業を企画し、休日返上、深夜まで予算案を立てなければ現地スタッフが路頭に迷う事になる。同僚は他の事業にかかりっきりになっていて、迷惑をかけるわけにはいかない。その日、私は重い頭と寒気のする体をもてあましながら、フランスのあるNGOに井戸掘削の現場を見学させてもらう事になっていた。気分は最悪で、これから1日の事を考えると憂鬱だった。そんなときに、その瞬間は訪れる。全く唐突に、予期しない形で。
今回のその瞬間は、掘削機械がきしみながら始動した瞬間だった。爆音と共に機械はうなりを上げて水をパイプに送り出し、パイプの先についた回転式の刃が地面を削りだす。黒い煙が吐き出される。泥水があふれ、人々の期待と不安の目がそこに注がれる。すると私はデジカメを手に泥だらけの現場を小走りしながら写真を取ったり、現場エンジニアに機械について質問しながら詳しい説明を求めていたりしている自分に気付く。私は自分の体の中でマイナスの気が一気にプラスに転じるのを感じる。血が騒ぐ。そうなると私はただその衝動のようなものに体を任せ、ただ走り、笑い、怒り、歩き回るだけである。幼いころ、私は父に連れられて父の仕事場に行き、父の運転するブルドーザーの起こす地響きにドキドキしたっけ。いつのまにか頭痛は消え、体がぽかぽかしている。力が体にみなぎっているのを感じる。
この貴重な瞬間は今のところ自分で意識的に決められるものではない。それは多くの場合、新しいものに触れたり、現地の方々と触れ合う機会に恵まれたりするときに突然起こる。ボスニアではセーターを編んでいた老婦人にそのセーターを着させていただいた瞬間だった。インドでのそれはキャンプサイトの子供達が私を見ると駆け寄ってきて私に抱きつき、彼らの熱い息と心臓の鼓動を自分のわき腹に感じた時だった。私はその子供達の小さな鼓動を今でも同じ場所に感じることができる。大震災を生き延びた、熱い生命の息吹。私は今日も現場に向かう。すると今まで作業を渋っていた受益者のシェルターに窓ガラスが入っているのが見える。私は反射的に車のドアを開け外に飛び出す。かばんからペンが落ちる。私はそのペンを拾いながら、自分がまたその衝動のようなものに動かされようとしていることに気付き、苦笑いする。そして深呼吸を一つして受益者のもとへ向かう。一歩ずつ。自分を確かめるように、取り戻すように。私は頭の中でアクセルを踏み込む。今度こそ、前のめりに坂道を駆けおりてやる。
私はこの仕事が嫌いではない。