「なぜ私はこの国にとどまるのか」―難民出身博士、ジェン・アフガニスタンスタッフの選択
アフガニスタンでは、長年にわたる紛争と混乱によって人材の国外流出が続いており、高い学位を持つ優秀な人ほど欧米へ移住するケースが少なくありません。
そんな中、経済学の博士号を持ち、2023年にジェンに入職したアタウッラー・ムニーブさんは現在、ジェン・アフガニスタン事務所のプログラムマネージャーとして、ナンガルハル県を拠点に活動しています。
「困難な状況にある人びとの役に立ちたい」と、母国にとどまり人道支援を続ける彼に、自身の半生を振り返っていただきました。
難民キャンプで生まれ育つ
私は1993年、パキスタンのペシャワール近郊にあるワラサック難民キャンプで生まれました。両親はもともとアフガニスタン・ナンガルハル県に暮らしていましたが、旧ソビエト連邦の侵攻をきっかけに、難民として国外へ逃れました。
28年間過ごした難民キャンプでの暮らしは、貧困や困難、先の見えない不安に満ちていました。しかし後から振り返れば、そんな厳しい環境で育ったことが、私の粘り強さを育んでくれたと思います。
念願の博士号を取得
「教育こそが、尊厳と成功への唯一の道だ」
教師であった父は、いつもこう語り、私が医者になるか、博士号を取得する姿を夢見ていました。家族全員が私の教育を支えてくれ、私は難民キャンプ内で赤十字国際委員会が運営する高校に通い、首席で卒業しました。
その後、イスラマバードの国際イスラム大学で経済・金融学の学士課程に進み、2016年に首席で卒業、さらに同分野で修士課程に進みここでも首席を収めることができました。
2021年からは仕事をしながら、ペシャワール大学で経済学の博士課程を開始し、国際的な学術誌にパキスタンのマクロ経済やアフガニスタンの地域経済などに関する複数の論文を発表することもできました。
今、私は娘2人、息子2人の父親として、子供たちを学校やイスラム法学校、英語教室に通わせ、知識や自信を持って成長できるよう支えています。経済的な困難があっても、教育は常に最優先と考えています。
修士課程を首席で修了し、父親に報告するアタウッラーさん(右、2018年)
人道支援の現場へ
アフガニスタンは昔も今も情勢が厳しく、多くの人びとが国を離れています。国を中心になって支える能力のある高学歴の人材ほど、自らチャンスをつかんで海外へ出ていきます。
しかし私は、この地にとどまることを選びました。人道支援の現場で働き続け、脆弱なコミュニティの人びとが自分の力で立てる日まで、ともに歩んでいく――それが私の使命だと考えたからです。
母国の人びとのために
現在はジェン・アフガニスタン事務所のプログラムマネージャーとして、ジェンとともに行う各事業を統括しています。
先日、支援した現場では、ある障がい者の男性が、「家族全員が寝込んで、食べるものもなく、支えてくれる人もいなかった。でもあなたが提供してくれたこの食糧が私たちの命を救い、飢えをなくしてくれた」と話してくれました。
こんなふうに、困っている人の役に立てる瞬間こそが、この仕事のやりがいです。
生まれ育った難民キャンプでの貧困や学びの日々――その経験が、今の私をつくっています。これからも、母国で苦境の中にいる人びとを支えていきます。
支援物資の食糧を届けるアタウッラーさん(左)




