絶望と共に「帰還」した故郷で
今回は、パキスタンから帰還し、ジェンの生計向上事業に参加した女性のエピソードをご紹介します。彼女は度重なる苦難を乗り越え、ジェンの事業で自立へのきっかけを掴みました。
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私はアフガニスタン出身のファウジアです。住み慣れたパキスタンを離れることを余儀なくされ、最近アフガニスタンに帰還しました。現在はナンガルハル県ベスード地区に住んでいます。
以前は、パキスタンのペシャワールでとても幸せな生活を送っていました。夫は日雇いではありましたが、毎日仕事があり、上の2人の息子は学校に通い、将来のために一生懸命勉強していました。私はNGOが運営する裁縫センターで、服の仕立ての見習いとして働いていました。
しかし5年前、私の人生を変える悲劇が起こりました。夫がパキスタンの建設現場で作業中、ビルの3階から落ち、亡くなったのです。その日から私はたった一人で、3人の息子を育てていかなければなくなりました。
夫の訃報を受け取った時、絶望的な気持ちになりました。幸せだった日々は奪われ、私たちの生活は完全に変わってしまいました。毎日の食事など、必要最低限のものを確保するため、私はやむなく上の息子たちを退学させ、レンガ製造工場で働かせなければなりませんでした。私は、縫製の仕事をしていましたが、機材を借り受け、自宅で小さな仕立て屋を始めることができました。1年以上厳しい状況が続きましたが、苦労が報われ、私たちはなんとか自活できるようになりました。
パキスタン政府からアフガニスタンへの強制送還に関する通知を受け取ったとき、夫の訃報を受取った時のような衝撃を受けました。幾重もの努力のうえに築き上げた、私たちの希望は打ち砕かれ、軌道に乗り始めた仕立ての仕事も奪われ、私たちは悲しみに暮れながらアフガニスタンへの帰還を余儀なくされました。
夫の出身地には、家も、帰る場所もありませんでした。私が仕事を見つけられるか、少なくとも息子たちが働けるようにと願っていました。空きのある借家を見つけましたが、家賃を払う余裕がなく、途方に暮れていたところ、幸運なことに、私たちの境遇を知った近所の人が、半年分の家賃を払ってくれました。
ジェンの事業に参加できるとわかった時には、とても嬉しく、私の人生をいい方向に変えてくれると直感しました。縫製の技術がある帰還民の女性が自立できるように、ジェンがミシンやアイロンなどの道具を提供してくれたのです。合わせて開催してくれたビジネス研修では、色々なことを学びました。利益を計算して値付けをすることや、トレンドを調査しながら商品を提案することなどです。私は希望を取り戻し、前向きな気持ちで、自宅で仕立ての仕事を始めました。ジェンの研修で教わったことを全て実践しています。自分の仕事を始められたことで、息子たちにホテルの清掃の仕事を辞めさせ、学校に入学させることができました。
今では、家賃、食事、医療、学用品など、家族のニーズを満たすことができます。窮地に追い込まれた私たちに、タイムリーな支援をしてくれたジェンと日本の方々に心から感謝しています。私は、自分の仕事を増やし、子供たちが学校を卒業するまでサポートできるよう、一生懸命働くと決意しました。
現在の制限下では、人生は時に耐え難い困難を伴うことがあります。しかし、私は幸運にも、仕立ての仕事を始めるための手段と知識を得ました。おかげで前に進むことができ、安定した生活への希望を持てるようになりました。
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アフガニスタンで厳しい状況にある方々が、一日でも早く自立できるように、ジェンは継続して活動していきます。みなさまのあたたかいご支援を、お願いいたします。
いつも応援をありがとうございます。
ジェンは厳しい環境にいる人びとに寄り添い、
「自立した生活を取り戻すこと」と「心のケア」を中心に支援活動を行っています。
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