« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月22日 (木)

JEN現地スタッフ、サイード・イナヤトゥラ・ハシミの言葉

 私は1976年にアフガニスタンのパルワン県で生まれました。まだ幼いころにロシアとの戦争が始まり、8歳のときに父、母、3人の兄弟と共に、難民として国境を越えパキスタンのペシャワールへと避難しました。小さかったころアフガニスタンで聞いた砲撃や銃撃戦の音は、今もなお、はっきりと耳に残っています。

 避難先で大学を卒業し、2003年にアフガニスタンに帰還できた時は本当にうれしかったです。長い戦争がやっと終わり、人々が仕事を持つことができるようになったからです。また、たくさんの支援団体が、それぞれの活動を通じて私たちの国の復興と発展に貢献して下さったことには感謝しています。

 私には子どもがいます。質の高い教育を受けて、将来アフガニスタンと国民のために働いてほしいと願っています。

7月 22, 2010 事務所・スタッフ |

2010年7月 8日 (木)

アフガニスタンの教育の現状

 アフガニスタンの教育システムは、1933年から1973年にわたって国を統治したザヒル・シャー国王の政策のもと改善されました。その主な内容は、人口の半分を占める12歳未満の子どものための小学校の建設、中等教育システムの拡大、またカブールに国立大学を開設する、といったものでした。

 当時、その教育システムは非常に良く機能し、多くの子どもたちが学校に通え、また、大学に進学できました。しかし、30年に及ぶ戦争により、アフガニスタンの経済、社会、文化、そして教育は破壊されてしまいました。多くの学校は壊され、わずかな教室しか残されていない学校もありました。そのため、違う学年の子どもたちが同じ教室で学ぶしかなくなり、多くの子どもたちは机もイスも教科書もない状態で、テントで授業を受けていました。1996年には女子の教育を禁止するという事態に陥り、生徒たちの半分が学校を去りました。

 2001年、カルザイ政権は教育システムを立て直すため、多くの国際社会の支援を受け入れました。そして、女子教育は再開されました。多くの女子が学校に通い始めましたが、教師の数、質ともに改善を要しました。当時、正規の教師の多くが国外に避難していたためです。

 いまだにこの国は多くの問題を抱えています。校舎、トイレ、きれいな水、教科書などが充分でない地域があります。多くの生徒が、校舎など設備が整わないため、屋外で勉強せざるを得ません。国際社会の支援により、復興は進んでいますが、今なお教育の分野で支援を必要としています。

 アフガニスタンでは、いまだ外国の支援に頼る状況が続いています。国の復興をサポートしてくれる人道支援組織と現地の人々が共に努力し、教育や自立という面において、すべてのアフガン市民にとってより良い未来が来ることを切に願います。

心を込めて
スルタン・ハムーシュ

アフガニスタンでの支援活動10年目に向けて、
2010年夏募金へのご支援をよろしくお願いします。

クレジットカードでのご寄付はこちらへ

7月 8, 2010 教育支援 |