« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月24日 (木)

イスラマバードのアフガニスタン人

 100624_islamabad_f10_022 昨年の5月半ばに、JENの事業を遠隔管理するため、プログラムオフィサーとして隣国パキスタンのイスラマバードに赴任しました。それから1年経ちます。この1年間、アフガニスタンの治安は回復の兆しを見せるどころか、大統領選挙が行われた昨年の8月以来悪くなる一方でした。そのため、私たち国際スタッフにとっては、アフガニスタンへの出張も控え、パキスタンから100%遠隔管理となった1年でした。

 事業地に行けない状況で、お隣のアフガニスタンが遥か遠くに感じられるかといえば、意外とそうでもありません。イスラマバード事務所では毎日、パキスタン人スタッフがカブール事務所のスタッフと、共通語であるパシュトゥン語で電話のやりとりをしているのを聞きます。一歩外へ出れば、いつも行くマーケットの八百屋さんも、時折お昼ごはんを買うパン屋さんも、アフガニスタン人のお店です。日常のちょっとした食品を扱うお店も、多くはアフガニスタン人が経営しています。まだ見ぬ土地でありながら、其処ここでアフガニスタンの人に出会います。いったい、どれほど多くのイスラマバードのアフガニスタン人が、祖国へ帰る日を待ち望んでいることでしょうか。

 この国の一日も早い復興を祈りながら、今後も隣国パキスタンから持続可能な自立支援を続けていきます。

6月 24, 2010 文化、生活、習慣 |

2010年6月10日 (木)

ペシャワールのアフガニスタン難民の生活

 100610_qaiser_khan_3 私はケサー・ハーンといいます。2010年5月30日からイスラマバード事務所の総務と経理担当のスタッフとしてジェンで働き始めました。私はパキスタンのノーシェラというところの出身なのですが、2004年からは家族と一緒にパキスタン北西部のペシャワールに住んでいます。ペシャワールはトゥルクム(パキスタンとアフガニスタンの国境)から65キロしか離れていないため、1980年から2001年の内戦で多くのアフガニスタン難民がペシャワールにやって来ました。そして難民たちのペシャワールでの生活が始まったのです。

 教育を受けたことのある難民は教師や、合法・違法を問わず、人を海外に送る仕事などを行い、教育を受けたことのない人たちは、運転手や果物を売り、で一家の家計を支えました。比較的裕福な難民がハヤタバードやその他ペシャワール市内の快適な場所で暮らす一方、貧しい難民たちは、難民キャンプや小さな村で惨めな生活を送っていました。

 最近になって、難民たちは教育を重視するようになってきました。アフガニスタン情勢が回復しており、良い教育を受ければ素晴らしい将来があると考えるようになったからです。設立された学校はペシャワール市内で313校にのぼり、入学した生徒はのべ117,375人になりました。そして4,695人の先生が、アフガニスタンの将来を担う若い世代を教えています。残念ながら、これら313校は全て毎月200~600ルピー(約215円~650円)の月謝がかかります。アフガニスタン政府が建てたものではありません。
  学校を訪問してみたところ、設備は満足なものでなく、特にトイレの95%が使える状態ではありませんでした。また、質問によって、ほとんどの生徒は先生の能力に不満があるということが明らかになりました。生徒の多くは、学校のオーナーは質の高い教育を提供するためではなく、単にお金儲けのために開校した、と考えているようです。
  ペシャワール市内には、アフガニスタン難民の孤児のための孤児院もなく、難民たちが無料で治療をうけられる病院もありません。アフガニスタン国内だけでなく、彼らのような「パキスタン国内のアフガニスタン難民」のことも忘れてはなりません。

6月 10, 2010 文化、生活、習慣 |