ナハリンへの道3(駐在員椎名カブール日記)
無数の蚊やドライバーのいびきとともに車の中で眠れぬ夜を過ごし、ようやく目的の村に着くと、村人たちは大きな笑顔で私たちを迎えてくれた。
この村、ナワバデ・ホジャへデル村は、ホジャへデル村で震災に会い、家屋や家族を失ってしまった70あまりの家族が、新しく移住して出来た村である。他のNGOが住居支援を行なったが、近くにあった井戸は十数年も前に干上がっており、村人達が新たに掘っている井戸も、水が出る前に資金難で挫折していた。村人はロバで1時間半かかってもとの村や隣村から水を毎日運ぶ生活を強いられている。
私がこの村で支援をさせていただきたいと考えた理由はいくつかあるが、やはり村人の水の必要性と、彼らのやる気の高さが大きかった。以前訪ねたある別の村でのこと、村人は250家族以上住んでいると言うのだが、私がどう数えても100家族ほどしか見えず、3つある井戸では水が足りないと聞いたが、別の日の朝に行って見ると、村人が井戸に行列を作っているわけでもなかった。家族の数も、住居支援を行なった別のNGOに確認をとるとやはり100戸程度という話だった。結局の所、人は家にひとつ井戸が掘られるまで「井戸が足りない」と言うことが出来るわけである。支援は「賢く」ならねばやっていけないのだ。
その点、ナワバデ村は違った。戸数を最初からちゃんと申告してくれたし、村の寄り合いがしっかりしていて、ジェンが来る以前から話し合いを行なった後、自分達で何とかしようとお金を出し合って井戸を掘っていたのだった。
私が支援をはじめるに際して先ず心に決めたのは、この彼らの「自立心」をくじくような事は絶対にしないということだった。ジェンは彼らの背中を軽く押させてもらえればいい。そう思った。つまるところ、これから掘る井戸は彼らの井戸なのだ。だから私が村人とはじめに話し合ったのは「この村が今出来ることは何か」だった。村人が答える。
「うちらはお金は無いが若い者がいる。メロンの収穫が一段落したら働ける。」私がすかさず尋ねる。「掘削機械を村に運ぶのに、あの道じゃあ苦労すると思いませんか?機械を置く場所は?」「道ならならせばいい。機械はこの敷地に置けば私たちが番を出来る。」こうなったらしめたものである。後は村人がアイデアをくれる。
村人たちと話しこんでいるうちに陽はすっかり傾き、村人が「泊まっていけ」とい言ってくれるのを「井戸が完成したらね」と振り切って、私は夕暮れの道をナハリンの町の中心へと向かう。夕闇の中にぽつんと浮かぶひとつの明かり、それが町で夕食を取ることにしている食堂の灯である。私を乗せた車は、そこに吸い寄せられるように静かで暗い道を砂埃を上げて進む。いつもの食堂の主人がランプを下げてやってきて、二言三言言葉を交わすと、オクラをトマト味に炒めたものと固いナン、そしてお茶を持って来てくれる。現地スタッフと言葉少なにそれを食べ、お茶を飲みながら夜空を見上げると、満天の星空が広がっている。私は、まるでその星空に落ちていくような、不思議な感覚を覚える。今日もよくスタッフや村人が働いてくれた。よかった。
明日は井戸掘り業者との交渉、正念場である。
11月 20, 2003 井戸修復・建設 | Permalink
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