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2003年11月27日 (木)

ナハリンへの道4(駐在員椎名カブール日記)

 またか。

 私は短気を起こしかけている自分を抑えて、すっかり冷めたお茶をすする。怒ったら負けである。この地域で今動かせる掘削機械を持っているのはこの業者だけだ。彼は私の足元を見ているのだ。なんとしても彼の首を縦に振らせなければ。さもないとこの事業は一貫の終わりである。

11201  町にある食堂の一角、5人の男がひざをつき合わせて話をしている。かれこれ3時間。私とスタッフ、ナワバデ村の村長と業者2人の話し合いは、掘削機械の輸送費をめぐり、振り出しに戻ってしまった。業者の一人が、ジェンが輸送費をもっと出さなければナハリンなんかに行くもんかとゴネ始めたのである。嫌になるが、まあ、よくあることである。契約書を作ったって、お金を払ったって、「現物」が手元に届いてからその質を確認しない限り安心は出来ない。電話一本というわけには行かないのだ。リコール制度なんてアフガニスタンには無い。だからもちろんお金は最後の最後まで払わない。配布物だったらなおさらだ。出来ればそれを作っている工場まで行って確認する。「支援は足を使って賢く」それが鉄則であると思う。

 こんな事もあろうかと、私はこの交渉の場に村長を連れてきていた。目的は3つ。地元民の強みを生かして、交渉する金額や条件をとんでもない方向にもっていかないため。ジェンが支援を完了し、村人が独自で井戸の管理をする時を考えて業者との顔をつなげておくため。そして、大げさに言えばジェンがどんな苦労や問題を克服して彼らを支援しているか、実感してもらうためである。村長は業者の一人がナハリンの出身である事を突き止めて村の窮状を訴え、業者をつなぎとめようとする。これは強い。

 しかし状況は私たちに不利だった。別の団体が現場をよく調べずに他の掘削業者と相場の3倍の費用で契約を結んでしまったらしく、その影響がここまで来ているらしい。こうした無責任な仕事は現地経済を混乱させ、結局地元民が一番被害をこうむることになる。案の定業者は今回の掘削の本数が思ったより少なく利益が薄いと文句を言いはじめ、それなら輸送費をジェンがもっと負担すべきだと主張している。私は前もって入手しておいた、他の団体とこの業者の過去の契約書コピーを見せ、反論する。

 「でもこの団体との契約では輸送費を請求していないですよね。本数もさほど変わらないし。どうして今回だけそんなに払わなくちゃいけないのかな。」

業者は一瞬あっけに取られた顔をし、その後いたずらっぽい顔をして同僚に笑いながら話しかける。「こりゃしてやられたわい」というわけか。前もって別の井戸備品業者と話し合いをし、契約書を見せてもらったときに無理やりお願いしてすかさずコピーしておいて良かった。3時間半の交渉の末、結局掘削費は据え置き、輸送費は業者が請求した半額を支払う事で落ち着き、予算内で支援を継続できることになった。しかしこの業者はその後機械をなかなか村に運ぼうとせず、ジェンが同行して半ば強制的に掘削を始めるようにした。1つの山を越えたか。新たなトラブルの始まりか。

 明日は井戸の備品を扱う別の業者との交渉である。私はこの機会をあるチャンスだと考えていた。

11月 27, 2003 井戸修復・建設 | | コメント (0)

2003年11月20日 (木)

ナハリンへの道3(駐在員椎名カブール日記)

1120  無数の蚊やドライバーのいびきとともに車の中で眠れぬ夜を過ごし、ようやく目的の村に着くと、村人たちは大きな笑顔で私たちを迎えてくれた。

 この村、ナワバデ・ホジャへデル村は、ホジャへデル村で震災に会い、家屋や家族を失ってしまった70あまりの家族が、新しく移住して出来た村である。他のNGOが住居支援を行なったが、近くにあった井戸は十数年も前に干上がっており、村人達が新たに掘っている井戸も、水が出る前に資金難で挫折していた。村人はロバで1時間半かかってもとの村や隣村から水を毎日運ぶ生活を強いられている。

 私がこの村で支援をさせていただきたいと考えた理由はいくつかあるが、やはり村人の水の必要性と、彼らのやる気の高さが大きかった。以前訪ねたある別の村でのこと、村人は250家族以上住んでいると言うのだが、私がどう数えても100家族ほどしか見えず、3つある井戸では水が足りないと聞いたが、別の日の朝に行って見ると、村人が井戸に行列を作っているわけでもなかった。家族の数も、住居支援を行なった別のNGOに確認をとるとやはり100戸程度という話だった。結局の所、人は家にひとつ井戸が掘られるまで「井戸が足りない」と言うことが出来るわけである。支援は「賢く」ならねばやっていけないのだ。

 その点、ナワバデ村は違った。戸数を最初からちゃんと申告してくれたし、村の寄り合いがしっかりしていて、ジェンが来る以前から話し合いを行なった後、自分達で何とかしようとお金を出し合って井戸を掘っていたのだった。

 私が支援をはじめるに際して先ず心に決めたのは、この彼らの「自立心」をくじくような事は絶対にしないということだった。ジェンは彼らの背中を軽く押させてもらえればいい。そう思った。つまるところ、これから掘る井戸は彼らの井戸なのだ。だから私が村人とはじめに話し合ったのは「この村が今出来ることは何か」だった。村人が答える。 
「うちらはお金は無いが若い者がいる。メロンの収穫が一段落したら働ける。」私がすかさず尋ねる。「掘削機械を村に運ぶのに、あの道じゃあ苦労すると思いませんか?機械を置く場所は?」「道ならならせばいい。機械はこの敷地に置けば私たちが番を出来る。」こうなったらしめたものである。後は村人がアイデアをくれる。

 村人たちと話しこんでいるうちに陽はすっかり傾き、村人が「泊まっていけ」とい言ってくれるのを「井戸が完成したらね」と振り切って、私は夕暮れの道をナハリンの町の中心へと向かう。夕闇の中にぽつんと浮かぶひとつの明かり、それが町で夕食を取ることにしている食堂の灯である。私を乗せた車は、そこに吸い寄せられるように静かで暗い道を砂埃を上げて進む。いつもの食堂の主人がランプを下げてやってきて、二言三言言葉を交わすと、オクラをトマト味に炒めたものと固いナン、そしてお茶を持って来てくれる。現地スタッフと言葉少なにそれを食べ、お茶を飲みながら夜空を見上げると、満天の星空が広がっている。私は、まるでその星空に落ちていくような、不思議な感覚を覚える。今日もよくスタッフや村人が働いてくれた。よかった。
明日は井戸掘り業者との交渉、正念場である。

11月 20, 2003 井戸修復・建設 | | コメント (0)