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2003年10月 9日 (木)

ナハリンへの道2(駐在員椎名カブール日記)

 アフガニスタンで仕事をしていて何が一番怖いかと聞かれると、私は迷うことなく「交通事故」と答える。地雷を踏まない保障はないし、カラシニコフ銃は珍しくも何ともない。爆弾テロの噂はいつもあるし、強盗などの一般犯罪は日常茶飯事の感がある。けれど、交通事故にはかなわない。その恐怖は影のように私にまとわりつき、不謹慎だとは分かっていても、ふと気がつくと私の頭は想像をし始める。即死ならかまわない。でも奇妙にひしゃげたあの鉄塊のなかで、自分の死をゆっくり感じながら死ぬのは耐えられない。この国で何度となく見た事故の光景の中に、私は自分の影を見る気がして目をそむける。私の車は同伴車との間隔を確かめつつ、私の心を引きずりながら走り続ける。

 山の陰に回りこむ幾つものカーブには、カーブミラーなどといった便利なものは無い。手前でクラクションを鳴らし、恐る恐る車の鼻を入れてみると、陰から急に対向車が砂埃を巻き上げて飛び出してくる。急ブレーキ。煙幕のような砂埃が後ろから車を包み込む。日本ではスクラップ工場でもお目にかかれないような「骨とう品」がきしみながらカーブを滑る。鼻先が私の席のドアをかすめる。私の背中を、べたつく嫌な汗がゆっくりと降りてゆく。この山道ではガソリンや木材を満載した大型トラックが鉢合わせして通り抜けできず、お互いにエンジンを切って道を譲るのを拒んでしまう。後ろから他の車が考えもせずに車間距離を詰め、大渋滞が起こるのである。この状態は今のアフガニスタンを現しているかもしれないという考えが、私の頭をよぎることがある。無法、汚職、談合、贈収賄。みんながみんな今の自分の利益を求めて手段を選ばず走っているけれど、それではこの国が国として機能していかないことは明らかだ。この国の政治や経済が行きづまったとき、それを打開するのは先を見通した相互利益という考え方ではないのだろうか。何も難しい話ではない。日本ではこんな時、道を譲り合って自然と交互に車は狭い道を通り抜けるという、あの知恵であり、システムである。私のコンボイが3時間以上も足止めを食っている間、ドライバー達は口々に何かを叫び合いながら、道を行ったりきたりしていたが、そのうち一方が折れて車列を後ろに戻し、その断崖と小川にはさまれた道を通り抜けた。今夜宿泊する村に着いたとき、時刻は深夜を回っていた。

1022  しかしひとたび車窓から外を眺めれば、この土地は自然が織り成す美しさであふれている。ポプラの若木が風にそよぎ、木漏れ日が私に降り注ぐ。黄金に輝く小麦畑の中で、女性が背中を丸めて刈入れをしている。子ども達が牛を追い、男達が薪を背負って帰路を急ぐ。小川の上を滑ってきた風が車内を一瞬清めて去っていき、遠くにパルテノン神殿を思わせる岩肌を見せた山が神々しく鎮座して私を見下ろす。小川を渡り林を抜け、小さな村落を幾つも通り抜けていく間に、私は自分がだんだんこの風土の一部になっていく感じがする。休憩時間に車を降り、思いっきり背伸びをして深呼吸をすると、その空気は私の肺を通じて体の隅々まで行き渡り、指の先まで充実した気分になる。太陽の光が頭の先から降りてきて、足元から地面に染み込んでいく。自分が自然の一部だと感じる瞬間である。この土地は美しい。そして、自然は私の想像を越えたところで互いに結びつき、全てを包み込む。戦車の残骸ですら、いつの間にか地面に溶けかかり始めている。気がつくと私の心が少しだけ軽くなっている。

 明日はやっとナハリンである。

10月 9, 2003 事務所・スタッフ |

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