美しい国(駐在員椎名カブール日記)
アフガニスタンで働きだして1年以上が経ってしまった。あっという間だ。
毎日の仕事に追われていると(仕事をこなすのが遅いという声があるのはさておき)ついこの国の問題点にばかり目がいってしまうが、この頃、この国は美しい風景を幾つも持っているという事に気付くことが出来るようになってきた。とくに最近、昨年大地震の被害にあったナハリンへの出張の中でそれを強く感じることができた。
私がナハリンへ向かう17時間以上のドライブの中で、私の目が奪われるのは、荒涼とした岩山にはさまれた谷川の清涼な流れとそこに広がる豊かな緑、そしてそこで農業を営む人々の暮らしである。特にバーミヤンに続く道はすばらしい。桃やリンゴがとれ、小麦の黄金色の畑と綿やジャガイモの緑の畑がパッチワークのように広がっている。小川の上で光がきらきらと踊り、子ども達が牛2頭を上手に扱って小麦の脱穀をしている。私の頭の中で「桃源郷」という言葉がふと浮かぶ。水は命の源だと本当にそう思う。心が休まる。
山間の美しい緑に別れを告げ、岩山の中を分け入っていくような道にさしかかるころになると、私は何かしらの緊張感を覚える。そそり立つ剣山、路肩に横たわる大きな落石、液体のように粒子の細かい砂塵。そこは私を拒み、私を見下ろしているように感じる。「踏破」などといった勇ましいものではない。私は今回も何か見逃してもらったような、何かに感謝したい気分になる。自然の中では私は本当に小さな存在なのだと思わされる。
子ども達が集まってくる。彼らの顔には大きな好奇心と恐れ、恥じらいが浮かんでいて、私が挨拶をすると一瞬の緊張の後、顔いっぱいの笑顔を見せてくれる。私がカメラのファインダーを向けると、それこそ砂埃を上げていっせいに逃げ出す。そしてまた、じわじわと私との距離を詰めてくる。女の子達がドアや壁の陰、屋根の上から私を窺う。その茶色や青や緑の瞳は、私の心を見透かしているように感じてドキリとする。慣れてくると、私の服を引っ張ってから逃げる子どもがいる。男の子は写真をとってくれとせがむようになるけれど、女の子は窓に顔を張り付けて私を見ているだけである。私が顔をあげると、パッとまんまるい目をして逃げ出してしまう。そんな子どもたちと遊んでいるときが、私がもっとも自由に感じられるときでもある。
道端でおじいさんやおばあさんがお茶を飲んでいけと私を誘ってくれる。家の自慢のブドウを食べていけと半分強引にすすめてくれる。私は土間にしかれたカーペットの上であぐらをかきながら、お茶をすすり、たわいのない話を村人とする。「今年のブドウの出来は良いね。」「何々さんちでは子どもが11人もいるそうだよ。奥さんは大変だね。」「最近の体の調子はどう?」そんな会話の中で、私は少しずつアフガニスタンという土地を感じている。
ふと気がつくとそこに美しい風景が顔を出している国、アフガニスタン。いつかもっと多くの人たちがこの国の美しさに触れてもらえる日が来ることを、私は願わずにはいられない。
9月 25, 2003 事務所・スタッフ | Permalink
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