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2003年7月17日 (木)

蝿がとまる(駐在員椎名カブール日記)

 蝿が私の鼻の頭にとまっている。
抵抗を諦めた私の体の上に、1匹、また1匹と蝿がとまる。私の右足の甲に1匹、すねに2匹、お腹に2匹。左足のふくらはぎに1匹、太ももに2匹。頭に止まった2匹は喧嘩をしている。左腕に1匹、そして、顔に1匹。全部で12匹。私はひとり深いため息をつく。

 チャリカの村々の衛生状態は私を震撼させる。シェルター(簡易住居)の受益者を訪ねて村の裏通りにさしかかった私は思わず息を飲む。目の錯覚か、それとも何かの予兆なのか。通りが暗くかすんでいる。すざまじい羽音。黒い影が渦を巻いて空中で波打っている。それは何か意志を持った別の生き物であるかのようである。足元に流れる下水。家々から垂れ流される糞尿。そこに群がる小さな悪魔たちである。私は隣にいるフィールド・オフィサーに話し掛けようにも、口に彼らが飛び込んできそうで、口に手をあてながら話す。匂いが目にしみ、私はただ顔を両手で覆いながら通り過ぎる。

 この小さい悪魔達の人々に与える影響は馬鹿にならない。私達の昼食に彼らはまとわりつき、片手で振り払いながら食事を取ることすらある。私の同僚は手元に蝿叩きを置いて彼らを何十匹も“撃墜”しているが、ほっておくとその残骸が窓枠にたまってしまうほどである。これではこれからの暑い季節人々はお腹を壊しやすく、伝染病が発生しないとも限らない。しかし、人々の衛生観念を変えるのには時間も労力もかかる。トイレの普及に特化したNGOがどこかに存在すると私は以前どこかで聞いた事があるが、今の私にはその必要性が実感できる。この支援は緊急性と継続性の両方の面をもっている。やりがいのある支援だと思う。
 チャリカの村々ではトイレ自体持たない家々が多く存在する。私達のシェルター事業ではトイレ設置を受益者に約束させたうえで行なっているけれど、村人から「何で?そこで用が足せるのに。」と真顔で聞き返され、空き地を指差されると少し考えざるを得ない。私は言い方を変え、「女性が夜に外で用を足すのは危険でしょ?」と聞いてみる。すると彼らもちょっと考える。
 
 どうしたらこの環境を変えることが出来るだろうか。私が駐在したインドでは、蝿を悪魔の使者として劇を作り、村々でその劇を披露して人々の衛生観念を高めようとしていた。村人にとってはちょっとしたエンターテイメントだったのを覚えている。以前の日本では人々の糞尿は農民によって大切に汲み取られ、農業に役立てられたと聞く。農業国のこの国で同じことが出来ないだろうか。支援団体の多くは飲料水を確保する為のプロジェクトは行なうけれど、下水処理のプロジェクトはどうしてそんなに行なわれないのだろう。下水処理施設のようなものを日本政府が支援することは考えられないだろうか。華々しい、パンフレットの表紙になるようなプロジェクトではないかもしれないけれど、ユニークで重要な支援としてとても感謝されると思うのに。そんな支援が出来る国になったら、日本を誇りに思うだろうなぁ。でもまずは自分達の出来ることから…。

 そんな自分勝手なことを考えながら私が身震いをひとつすると、蝿たちはいっせいに飛び立って不満を申し立てたが、鼻の上の小さな悪魔だけは同じ所に戻ってきて私をせせら笑った。

7月 17, 2003 事務所・スタッフ |

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