バグダッド出張から戻って(駐在員椎名カブール日記)
カブールに戻ってきてからの忙しい毎日の中で、私の短いイラク調査の日々の記憶は次第に薄れ、あの強い日差しの中で見上げたフセインの肖像画や、町がどのごみの異臭、戦車のエンジンの音などがもやのように消えつつある。そんな時、私の心の中にはっきりとした印象を残した会話や光景だけが、ふとした瞬間に目の前に現れ、私の意識をイラクに引き戻すことがある。私は、私の心のフィルターに残ったそれらだけをここに書きたい。
「現在のイラクは手首にかけられた鎖を力で引きちぎった人間のようなものだ。“解放”された喜びで今はあまり感じていないけれど、これから手首に断ち切ったときの痛みが来て苦しめられるようになる。」
知り合ったイラク人エンジニアと食後の甘いお茶をすすりながら、彼が上目使いに私に投げた言葉は、私を弾いた。バグダッドに入って1週間ばかり、私が恐る恐る覗いた光景の一つ一つが、彼の言葉に吸い寄せられるように感じる。笑顔で外国人に手をふる街角の人々。白昼堂々と行なわれる略奪。轟く銃声と女性の声にならない悲鳴。店先に並ぶ衛星アンテナ。戦車に群がる子ども達。膨れ上がるアリババ・マーケット。これでよかったのだろうか。これで終わったのか。自問する私の心に残るのは一見明るい街角に漂う、消し去ることの出来ない臭気だった。それは灼熱の日差しにかすむこの街に、暗い影を落としていた。
“主体性”を失った街というのだろうか、それとも自分を見失っている街とでも言うのか。そう感じたのは私だけだろうか。戦車と鉄条網に守られたホテルと、それを遠巻きに見るイラクの人々。彼らの目からは、良くも悪くも私がブラウン管を通して見ていたあの強い眼力は失われていた。略奪され、火をかけられた学校の黒板に書かれた、「Arab oil is for Arabs.」の言葉。ホテルに貼られていた反米のビラ。“God will Kill you. You are the biggest thief in Iraq.” ビラの最後は、作成者の署名つきでそう結ばれていた。この国から奪われてしまった一番大きなものは何だろうか。
バグダッドをまわりながら、私の心は問いに占領される。問いが問いを生み、答えを求めながら私は放浪する。イラクが失ったものと得たものはどちらが大きいのだろうか。この国で真に”解放された”ものとは一体なんだろう。イラクの人々にとって、この先この国がどのような国になっていくのか。この国は本当にこれから彼らの国になるのだろうか。独裁と制裁、戦争の傷を背負ったこの混沌の社会の行方は砂埃のように漠然とした荒涼感に包まれていた。少なくとも私には、新たなイラク人のための国づくりの兆しは見えなかった。そこには銃による統制しかなかった。いや、それすらもなかった。
「アメリカ人、イギリス人、そしてイラク人が死んで、当然地獄に行きますね。そこで彼らは地獄から自分の家族にお別れの電話をかけることを許されたそうです。アメリカ人は30分話し込んで150ドル支払い、イギリス人も同じようにして100ポンド払いました。そして我らがイラク人が電話をすると、3時間も話したのに1ドルちょっとしかかからなかったそうです。シイナ、なぜか分かりますか?アメリカやイギリスへは遠距離電話だけれど、イラクへは地獄から地獄へのローカル電話だからですよ。」
ユーフラテスの川面に映る雄大な夕日を眺めながら、私を乗せた車は宿泊するホテルへと急ぐ。夕闇の訪れは、暴力がまたこの街を大きく支配する時の始まりを意味しているのだ。銃声。それに応える新たな銃声。爆発音。人々のくぐもった声。人々の間に広がる奇妙な興奮感と薄ら笑い。それらが私をいたたまれなくする。深い歴史と近代的な都市の顔の両方を持つこの街が、この混沌の中に沈んでいるのはとても悲しい。
今でもカブールのブラウン管に映るイラクは私を、あの灼熱の日差しと臭気の中に引き戻す。それはスイッチと共に暗闇に消えるけれど、私の心に奇妙な懐かしさと不安の後味を残す。
6月 26, 2003 事務所・スタッフ | Permalink
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