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2003年4月10日 (木)

寒い冬に備えて毛布を配布

 昨年12月に、アフリカに毛布をおくる運動推進委員会様からご寄付いただいた毛布9,642枚の毛布配布事業が、パキスタン北西辺境州内にある3つのアフガン難民キャンプで今年の1~3月にかけて実施しました。その完了報告をお届けします。

◆実施期間: 2003年1月~3月
◆実施場所: パキスタン北西辺境州内、3アフガン難民キャンプ(アスガロ、バスー、コッカイ)
◆実施対象者: 上述の3つのキャンプへ最近移動して来たアフガン難民4,673家族
 対象家族の多くは、これら難民キャンプ近郊や、ペシャワールで避難生活をしていましたが、パキスタン政府の指示によって、最近難民キャンプ内へ移動してきました。また、キャンプ内での住む場所は、テントや泥でできたにわか作りのシェルターで、人々は越冬物資をほとんど持っていませんでした。

【事業目的】
 難民キャンプで厳しい生活を強いられているアフガン難民の人々へ、毛布を越冬の一助としていただくことが目的でした。毛布は、母国アフガニスタンへの帰還の際にも、様々に有効利用されます。
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【背景】
 2002年春より開始された帰還促進キャンペーンによって、隣接するパキスタンなどの国から多くのアフガン難民が母国へと帰還しました。しかし、アフガニスタンの政情は今も不安定なうえ、治安も回復したとは言えません。こうした状況のもと、今も多くのアフガン難民が生命の危険を避け、パキスタン内に留まっています。その数は、パキスタン北西辺境州にある9つの難民キャンプだけでも、昨年9月中旬の調査で90,713人(16,230家族)となっています。

 難民キャンプで長く避難生活を送っているアフガン難民は、一般的に泥でできた家に住むような定住型の避難生活を営んでおり、ある程度は安定した生活環境にあると言われています。しかし、今回支援を行った難民キャンプは、2001年以降に出来たもので、生活物資は不足しています。特に、最近キャンプ内へ移動を余儀なくされた難民の生活環境は極めて劣悪な状況で、厳しい冬を乗りきるのに必要な支援を提供することは緊急な課題となっていました。

【事業実施】
 実施にあたっては、混乱を避けるために、一度に多量の毛布を配布することを避け、少量の毛布を幾つかの場所で数回に分けて配布するように配慮しました。対象者が重複して受領することがないよう、また配布記録サポートのため、他の関係機関の協力を得て、支援を効率的かつ安全に実施することに徹しました。配布終了後も、毛布が確実に特定された人々へ届いているかどうか、無作為抽出で確認をしました。

【成果】
 必要とされていながら、絶対的に不足していた難民キャンプで、毛布が行き渡っていなかった難民家族全てに、公平に、短期間でご寄付いただいた毛布を配布することができました。これは辛い状況の中、厳しい冬を越さねばならない人々への大きな支援となりました。

 「アフリカに毛布をおくる運動推進委員会」様、そしてJENのアフガン難民支援をサポートしてくださっているみなさま、どうもありがとうございました。
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【キャンプ別対象家族数・配布数】
アスガロ・キャンプ → 1,534家族
5名以上で構成される家族へは、毛布3枚の提供
5名以下で構成される家族へは、毛布3枚の提供

バスー・キャンプ  → 1,009家族
5名以上で構成される家族へは、毛布3枚の提供
5名以下で構成される家族へは、毛布3枚の提供

コッカイ・キャンプ → 2,130家族
1家族に1枚の毛布提供 

 しかしながら、難民キャンプ全てと言うわけではありません。まだまだ支援は必要とされているのが現状です。

4月 10, 2003 支援物資配布 | | コメント (0)

イラクの火の影で(駐在員椎名カブール日記)

 イラクでの戦争がはじまって48時間、アフガニスタンでは国連機関をはじめとした支援団体が外出を控え、この機に乗じたテロ活動などに備えた。ジェンでも大使館や国連のセキュリティーオフィサーなど、可能な限りの全ての人たちと連絡をとりながら有事の際の国外退去などについて準備を行なった。複数の情報によれば自爆テロリストが複数アフガニスタンに侵入したという噂があることで、カブールでも緊張が高まった。幸い特に大きな事件なども起こらず時間は過ぎ、人々は通常業務に戻ったけれど、国連のセキュリティーオフィサーは引き続きの警戒を呼びかけていた。その矢先、国際赤十字委員会(以下ICRC)の国際スタッフの一人が、アフガン南部で武装した集団に車をとめられ、射殺された。私と同じ28歳だった。犯行声明からはカルザイ政権に警告する意図のものだという。国際スタッフを故意に狙った殺人は、私が着任して以来初めてだと思う。

 そして先日、東京本部事務局からイラクが日本を三番目の敵対国とみなしたので更に治安に気をつけるようにとの連絡が入った。アフガン政府はアメリカ支持を打ち出しているけれど、イスラム教国であり、アメリカに複雑な感情を抱いている人々が多いこの国で、この影響がどのように私たち日本のNGOに降りかかるのか、予測が出来ない。すぐに事務所のステッカーや看板をはずし、「JAPAN」という文字を消した。その時から私の心の中で何かが変わったように感じる。それは「日本人である」ということでアフガニスタンの人々から尊敬や親しみを受けている時に無意識の内に持っていた「私たちは大丈夫」という奇妙な安心感の崩壊と、戦火くすぶる外国で働いているという不安の顕在化ではないかと今思う。

 メディアはイラクでの戦争であふれているけれど、アフガニスタンでは今でも、アメリカ・アフガン政府連合軍が空と陸から山に潜むタリバン・アルカイダ勢力に攻撃を加え、双方共に死者を出している。ロケット弾は基地に打ち込まれ、地雷は特定の建物や人物、軍隊を狙って新たに設置されている。ただそれはもう以前のようにメディアと世界中の人々の関心を集めるには至らず、ひっそりと人は死に続けている。アフリカの草原で、中南米のジャングルで、そしてアジアの高原で。いまこの瞬間に何人の人間が銃弾や爆弾を受け、誰の注目も浴びずひっそりと亡くなっているのだろう。そして幾つの家族が取り残されるのだろう。ボスニアで出会った、深い皺やため息とともに暮らす老婦人のように。息子達の遺影に囲まれてお茶をすする、アフガンの老人のように。

 私は戦闘や地雷などで亡くなっているアフガン人や殺されたICRCのスタッフの事を考える。聞くところによると、彼を殺害したのは、ICRCから義足の支給を受けたアフガン人だったという。銃を向けられたとき、彼は何を考え、感じたのだろうか。私がシェルター事業の受益者に銃を向けられたとしたら。私の家族はどうなるのだろうか。今はただ、殻の無い貝のように行動するしかない。

 ブラウン管からはみ出した世界で、今この瞬間にまたひとつ、命が奪われる。

4月 10, 2003 事務所・スタッフ | | コメント (0)